東京で暮らす女のとりとめのない日記

暮らしとカルチャー、ミクスチャー

1泊2日京都旅行【後編】 無鄰菴、鴨川デルタ、カレーうどん

前回の記事はこちらから。

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京都旅行2日目の朝はくもり。ホテルで朝食がわりにヤオイソのフルーツサンドを食べ、地下鉄に乗って蹴上へと向かいます。

朝の散策

蹴上インクラインを歩き、琵琶湖疎水の歴史を知る

改札を出て、南禅寺の方面へ緩やかな坂を下っていくと、右手に奇妙な佇まいのトンネルが現れました。

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一見古いトンネルのように見えますが、よく見ると中のレンガが捻れたような形で積み上げられています。ぐにゃりと歪み、まるで異界に通じるかのような佇まいのトンネル。気になって右手にある看板を読むと、次の説明が記されていました。

「ねじりまんぽ」は三条橋から南禅寺へ向かう道路の造成に伴って建設され、明治二十一年(1888)6月に完成しました。高さ約3m、幅約2.6m、長さ約18m。「まんぽ」とはトンネルを指す古い言葉です。トンネルの上部に敷設された、台車に載った船が行き交うインクラインの重さに耐えられるように、内部のレンガは斜めに巻かれ、トンネルはインクラインと直角ではなく斜めに掘られています。
トンネルの東西には、トンネルの完成を祝い第3代京都府知事の北垣国道が揮毫した扁額があります。西口の「雄観奇想」は「見事なながめとすぐれた考えである」、東口の「陽気発処」は「精神を集中して物事を行えば、どんな困難にも打ち勝つことができる」という意味です。
このような形状のトンネルは全国的に施工例が少なく、また多くが老朽化や廃線等で撤去されました。「ねじりまんぽ」は、明治時代の土木技術を物語る重要な遺産といえます。

 どうやらこのトンネルは明治の中頃、東京奠都に伴う人口の減少と産業の衰退に歯止めをかけるべく産業計画として立案された琵琶湖疏水計画に伴って作られたもののようです。東京奠都によって当時の京都市の経済が打撃を受けたことは知っていましたが、まさかその対応策として「琵琶湖の水を京都に引いて産業と流通を発展させよう」という一大プロジェクトがあったなんて。初耳でした。

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ところどころ欠けたレンガが歴史を物語っているよう。中に入ると心なしか冷んやりとした空気を感じて心地よく、前を進む家族の声が反響しては体に響き、トンネルの外へと抜けていきます。
ちなみにこれらの煉瓦は輸入ではなく日本で作られたものを使用しているとのこと。トンネル建設の着工が1885年なので、日本で煉瓦製造が基盤に乗り、花開き始めた時期と重なります。
ぐにゃりと歪んだトンネルの向こう側に見える景色は風情があり、まるで過去の人間の目線を通してみる風景のようでした。

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そのままトンネルの上に上がって線路の上を南禅寺の方角に向かって下ります。このレールも琵琶湖疏水計画の一環で引かれたもので、蹴上インクラインと呼ぶのだそう。別名傾斜鉄道とも呼ばれていて、これを使って当時の人々は疎水の上流と下流の間にある約36mもの高低差を物ともせず、舟を運んでいたとのことでした。「これがあるおかげで京都と滋賀間で舟を用いた物流が可能になったのか」と感じ入りながら線路を辿ります。

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振り返るとさっきまで歩いていた場所が遥か向こうに見え、彼方へと伸びるレールに清々しい気持ちになりました。この距離を舟が運ばれていただなんて。そうしてさらに線路を下っていくと、目の前に雑木林が立ち現れ、そこから噴水がひょっこりと顔を出しました。

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草むらの奥に噴水が立ち上がる姿を見て、思わずワァッと声が漏れます。この水がはるばる琵琶湖から流れ着いたものだなんて信じられない。

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歩道に上がって改めて高い位置から見下ろしました。穏やかに流れる水の音、水面を意気揚々と泳ぐ鴨。京都にこんな風景があったなんて。
ちなみにこの琵琶湖疏水計画に携わった主要人物の一人である南一郎平について調べたところ、なんと同郷の生まれでした。こんな人がいたなんて知らなかったなと思いつつ、なんとなく縁を感じます。
遥か昔、近代化の流れの中で都市としての生き残りをかけて、琵琶湖から京都へ水を引くという一大プロジェクトに携わった人々。そんな彼らの仕事が今ある京都の一部を形作っている不思議。いつか機会があれば、京津線に乗って大津から蹴上まで、琵琶湖疏水の流れをたどる旅がしてみたいものです。

無鄰菴で心置きなくボーッとする

本当なら南禅寺の方まで歩き、琵琶湖疏水にまつわる旧建築を巡りたかったのですが、今日は目的地があったので疎水に別れを告げて歩道を渡りました。路地に入ってすぐ左手に、今回の旅で最も楽しみにしていた建物が見えます。

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一昨年に吉田五十八が手掛けた東山旧岸邸を見学してから数寄屋建築と日本庭園に熱を上げるようになり、以来京都を訪れたら絶対に足を運びたいと願っていた無鄰菴。政治家であった山縣有朋の別邸として建設され、母屋と茶室、そして洋館の3つが敷地内に存在しています。また、ここの庭園は国際文化会館や旧岩崎邸の庭園を手がけた七代小川治兵衛が山縣の意向を汲みつつ作庭しており、国の名勝にも指定されています。

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ちなみに隣にはかの有名な瓢亭があり、ミーハー心がくすぐられました。昔お世話になった大学の教授に勧められたものの、値段を調べてウヒャアとひっくり返った想い出です。

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瓢亭を背に無鄰菴の門をくぐると、視界が開けて清々しい緑が目に飛び込んできました。木々の配置と石畳の導線、せり出すように建設された母屋が空間に焦点を定めていて、同じ空間にある勝手口が自然と目立ちにくい設計になっている。ことさら華美な作りではありませんが、視線の誘導が巧みなこともあって、静謐な緊張感とどこか清々しさを感じます。

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受付から入り口を振り返った視点はこちら。門から入って右側にある休憩所が屋敷を後にする人間から見えにくい構成になっています。数寄屋建築にはこうやって門の隣に休める場所が時々置かれていますよね。名前がわからないので勝手にお休み処と名付けては呼んでいますが、本当は何と呼ぶのでしょう。

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そのお休み処に活けられていたススキ。季節を感じさせる草花に心が和みます。花瓶のしたにこうやって何か噛ませると空間の焦点がはっきりしていいのだな、今度家でも試してみようなどと思ったり。

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ゆっくり入り口を堪能した後は、受付を済ませていよいよ母屋の玄関口へ。1歩足を踏み入れて、その光景に思わず息を飲みました。玄関から中庭、そしてその先に庭園が見えて家主が何を見せたいかがはっきりとわかる。なのに庭園にたどり着くまでの導線は、あえて回遊するように設計されています。こうして景観に焦点が当てつつも、あえて単調な導線にしないことによって、手の届かない桃源郷のようにも演出されている。あまりのことに呆気にとられていると、遠くからビュウと爽やかな風がやってきて優しく頰を撫でて行きました。風が家中を縦横無尽に駆け巡っていく。

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ちなみにこの日は玄関口にもススキが活けられていました。高麗青磁に似た透明感のある薄水色が、土壁に映えてとても綺麗。

早く庭に降りたい気持ちを抑えてまずは母屋をゆっくりと見学することにしました。まずは次の間兼客座敷として使われていた8畳ほどのお部屋から。

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既にここから見える庭園が素晴らしく、里山にも似た風景に心が鷲掴みにされます。こんなに優美でモダンな日本庭園があるなんて!

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ガラスは母屋が建設された大正時代のもの。現在主流の平面なガラスとは異なり、ゆらぎのあるガラスを通してみる風景は、まるで水底から外界を眺めているようで不思議と心が凪いで行きます。
手吹円包方というガラスを円形に膨らませて冷まし、それらを加工して板状にするという気が遠くなりそうな工程を経て作られたガラスには、当時の人の息遣いすら閉じ込められているようです。

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淡いクリーム色の襖は京唐紙。よく見るとシダの葉の模様がさりげなく押されています。遠くから見ると木漏れ日のレースのようにも見え、空間に繊細さと柔らかさを与えているようです。広島の入船山記念館で見た金唐紙も素敵だったけれど、あちらが動ならこちらには静の良さがある。
襖引き手も可愛い!よく見ると手をかける中央部分にも装飾が施されています。それぞれの内装は一見空間と調和して目立たないけれど、目をこらすと確かにそこにある意匠が宝探しのようで楽しい。

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次の間を心ゆくまで見学した後は、母屋で最も広い会室の間へ移動します。中庭は明り採りにもなっていて、部屋を柔らかく照らしています。会室の間から見る中庭は、手前のちゃぶ台の効果か小津安二郎の「小早川家の秋」の情景にも似ているようで、小津の目線で写真を撮ろうと画策してみたり。
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 またこの日はニュイブランシュKYOTOというアートイベントの日で、運よくHicham Berradaの作品の展示を鑑賞することができました。水の中で揺らぐ鉱物がテレビを通して映され、画面越しの幻想的な風景と無鄰菴の風景が入り混じり、夢うつつの狭間にいるよう。思いがけず非現実的な体験ができ幸運でした。

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ちなみに無鄰菴の母屋ではカフェメニューが提供されていて、美しい庭園を眺めながらお茶やお酒を楽しむことができます。ちょうどこの日は無鄰菴の庭園を庭師さんが説明してくださる機会があり、それまで時間があったので一服することにしました。 

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悩みに悩んで私は村上開新堂のロシアケーキと抹茶をお願いしました。庭園を流れる川の涼やかな水音に、紅葉が擦れるシャラシャラという音が心地よい。刻一刻と表情が変化する目の前の景色を眺めながら美味しいお茶とお茶菓子をいただいていると、日頃張り詰めていた緊張感がふっと溶けて身体から抜けていくようです。

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ちなみに連れ合いはほうじ茶とどら焼きを頼んでいました。無鄰菴オリジナルのどら焼きをひとくちもらったのですが、これがなかなか美味しくて。調べたところ、京阿月というお店のどら焼きらしく京都では有名どころなのだそう。
それぞれのお茶菓子の美味しさもさることながら、カフェメニューが京都のもので構成されていることに誠実さを感じ、無鄰菴が地域経済や周縁の文化を育もうとしている姿勢に胸を突かれました。東京にも美しい旧建築は多数あるけれど、その箱を通じて体験できる文化の密度があまりにも違いすぎてくらくらします。

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裏庭に面した縁側は、板の継ぎ目に若竹が使われていて洒落ており、数寄屋建築が作り出す侘び寂びの風情がここにも感じられました。
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母屋をぐるりと一周しましたが、やはりお気に入りはガラス越しの風景。何度シャッターを切ってもその度に違う顔を見せるので全く飽きない。ブルーノ・タウト桂離宮を「泣きたいほど美しい」と表現したように、無鄰菴も見れば見るほどひれ伏したくなるような美しさがある。春の嵐のように去来した言葉に尽くし難い感情と共に、永久にこの場に留まりたいとさえ思いました。

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そうこうしているうちに、無鄰菴の庭園の保全・修復を担当している植彌加藤造園株式会社の庭師さんが主催するお庭の説明会が始まりました。

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まずは庭の苔について。実はこの庭を考案した山縣有朋は苔が好きではなかったのだそう。彼は庭師に「苔によっては面白くないから、私は断じて芝を栽る」と指示し、造園当時は敷地のほとんどが芝生で覆われていたとのことでした。

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 しかしながら、京都の多湿な土壌は家主の意向とは裏腹に次第に苔を育むようになり、ついには芝生よりも苔が優勢になっていったとのこと。これに対して山縣は「苔の青みたる中に名も知らぬ草花の咲出でたるもめつらし」と称し、時の流れと共に変わっている庭の風景を受け入れ愉しむようになっていったのだそうです。現在庭園にある苔は50種類を超えるらしく、ふくふくと育った苔は家主をいまだにからかっているようにも見えて、他の日本庭園とはまた違った味わいがありました。

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庭園を覆う様々な苔の中でも、杉苔の佇まいは他と比べてリズム感があり、個人的にお気に入りでした。姫りんごに似た小さな木の実が生っていて、秋の足音を感じます。

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 次に庭園内に設えられた川について。ここの庭園の水は今朝蹴上インクラインを下って出会った、あの琵琶湖疏水が直接引かれているのだそうです。その当時山縣も琵琶湖疏水事業に携わっており、蹴上にこの別邸を作るにあたって水を引き入れることを依頼したとのことでした。明治維新後、それまで田畑が広がっていた南禅寺界隈にはこの無鄰菴建設を皮切りとして多くの別邸が建設されることなり、現在でも碧雲荘や旧寺村助右衛門邸(現:菊水)といった旧建築が残されています。

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山縣が「従来の人は重に池をこしらえたが、自分は夫(それ)より川の方が趣致がある」と言ったように、庭園は滝と川が敷地を横断するようにして流れており、従来の日本庭園にはなかった躍動感を与えています。
また、奥に行けば行くほど勾配が上がり木々が生い茂り滝が見える様は、まるで本当に山を散策しているような楽しさがありました。まさに五感で愉しむ庭園だと感じます。ちなみに滝口は造園当時のまま、サイフォンの原理を使用して水を汲み上げているらしく、あの原理でよくここまで豊かな水を引けるなと感心しました。

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そして特筆すべきは庭園の遠くに見える東山。庭園の周囲を覆う木々が東山を引き立たせるような高さで植えられていることに気が付きます。景観のコントラストが美しく、遠くの東山が故郷の里山のようにも見えて郷愁を駆り立てました。
ちなみに庭にはいくつか飛び石があり、その中でも上の写真の手前中央部にあるひときわ大きく平たい石の上に立って眺めるのが、この庭園を一望するのに最もふさわしい場所なのだそうです。「日本庭園には家主が見て欲しい場所はだいたい飛び石にヒントが隠されているんです」と庭師さんに教えていただき、新しい庭の愉しみ方を知りました。

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そしてこの写真が展望が最も良いとされる飛び石から眺めた光景です。手前から奥にかけて視線が低いところから高いところに誘導されていくのが伝わるでしょうか。また散策時に見つけた滝は姿を潜めていて、家主が見て欲しいものが矢を射ったようにメッセージとして伝わってきます。通常日本庭園ではこれを借景を呼びますが、ここではその言葉を使わず別の言葉を使うのだそう。ぜひ直接無鄰菴を訪れて、その言葉を知ってもらえたらと思います。

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庭園から振り返って眺める母屋にも風情があります。ガラス越しに反射して見える庭の風景もまた良いものです。 

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また、無鄰菴では茶室と母屋の二階部分を貸し出しており、この日は市民の方々がヨガをされているとのことでした。確かにここの庭園の空気を感じながらヨガをしたらとても気持ち良さそう!

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奥には茶室も。この日はたまたま茶会が行われていて、若旦那衆がカジュアルかつリラックスした雰囲気で茶の湯を楽しんでいる姿が素敵でした。日常の延長線上にいつでも伝統と文化に触れられる場があることを羨ましく思います。
また、本当は洋館の写真もあったのですが、なんとなくこれは直接見た方が凄みが伝わるなと思ったので写真は載せずにおこうと思います。
東京の旧建築は、建物に触れることができる場所が限られており、その建物で過ごすと言う体験はどうしても希薄になりがちです。しかし無鄰菴では一つの箱を通じて体験できる文化の密度が濃く、余すことなくその建物の良さを堪能できる素晴らしさがありました。こうした文化財を通じて、日常と文化が地続きにあることを強烈に体験できたことはとても新鮮なひとときでした。
無鄰菴でのひとときは素晴らしいものでしたが、一方でこの建築に携わった山縣は会津征討に関わった人物でもあると思うと、故郷を福島に持つ身としては内心複雑な想いがありました。山縣は会津征討を自身のキャリア構築の足掛かりとしており、会津城籠城戦では包囲軍に加わったのちに、会津降伏もその目で見届けています。この素晴らしい庭園つきの別荘を公費で手に入れた時、彼は会津でのことを想い出すことはあったのでしょうか。もし仮にあったとして、何を思ったのでしょう。美しい庭園に流れる琵琶湖疏水は、彼が殺めた人々と同じ故郷の人間が治水に携わったものであることを知っていたのかどうかは、結局わからないままでした。

旧三井下鴨別邸で出町ふたばの豆餅をいただく

心ゆくまで無鄰菴を堪能した後は、今回もう一つの目的地である旧三井下鴨別邸に向かいます。三井財閥といえば江戸日本橋越後屋の印象が強く、京都で三井と聞いてもピンとこなかったのですが、先代の出自が京都だと言われているのですね。もともと三井家の祖霊社があり、そこに別邸と言う形でこの邸宅が建築されたそうです。
参考:三井広報委員会「三井家発祥の地域・松坂」

https://www.mitsuipr.com/history/edo/01/

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建物は3階建で母屋と主屋と玄関、離れの茶室で構成されていました。写真をよく見ると、建物の右側部分は増築されたものであることがわかります。元々はこの左側の建物のみだったのが、大正時代の移築に伴って右側の玄関部分が増設されたそうです。2階部分は通常非公開ではあるものの、時々予約制の食事プランなどを設けているようで、この日も何人かの姿が見えました。同じく通常非公開である3階の望楼部分は、8月のお盆の時期になると大文字送り火を鑑賞するイベントを催すため、それに合わせて参加者限定で公開しているのだそう。京都の夏の夜を京料理を愉しみながら旧建築で過ごせるなんて羨ましい限り。いつかいい歳になったらそういった体験もしてみたいな。

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こちらが正面玄関。鬼瓦部分には三井の家紋のうち、武家紋の四つ目結びが装飾として施されています。家紋を鬼瓦部分に装飾した建物を見たのは皇居以外ではここが初めてかもしれません。この日は団体客の方達がいらしていたので写真を撮るのを控えていたのですが、床の間に使われた珍しい木材や欄間など随所に工夫が見られ、とても良い建築でした。また本建築についての資料が無料で配られていたのですが、この資料が大変充実していて読み応えがあり、無料とは信じられない完成度で素晴らしかったです。ガイドさんの話を聞くのも好きだけれど、手元に知識が残るのも有難い。

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庭の眺めはご覧の通り。初期の庭園を設計したのは薮内流の茶人である藪内節庵と言われており、都内にある綱町三井倶楽部の庭園も彼が手がけたものの一つなのだそう。その後三井家から京都家庭裁判所に所有が移った後は、建物も庭もほとんど手が加えられることがなかったそうなのですが、建物と庭園の保存活動に当たって曾根造園が着手し、現在の姿に整備されたとのことです。木々が生い茂って住みやすいのか、あちこちから椋鳥の声が聞こえました。

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ちなみにこの日は館内で通常用意している喫茶メニューに加えて、出町ふたばの名代豆餅を一保堂の抹茶と頂けるということでお願いしました。ずっと食べてみたかった豆餅は、塩気がいい具合に効いていてあっという間にペロリ。たくさん歩いてくたびれた身体に染み渡る美味しさです。この他にも亀谷良長の烏羽玉や、冷やしぜんざいなどがあって迷う愉しみがありました。庭園の眺めをひとり占めしながら、京都の美味しいものを食べる贅沢。無鄰菴同様、忘れられない想い出となり、またこれを都内の旧建築で実現することは可能だろうかと考える機会にもなりました。例えば旧岩崎邸庭園うさぎやのどら焼きや、イナムラショウゾウのモンブランをいただけたら。旧鳩山会館のステンドグラスの光が満ちるサンルームで、ささまの最中や近江屋洋菓子店のショートケーキを食べながらのんびり過ごせたらどんなに素敵だろう。京都での文化財の扱われ方を見るにつけ、市民の生活から切り離して状態保存に努めるよりも、使われてこそ文化は守られるということを教えてもらったようでした。

 

昼の散策

元田中の町食堂で、カレーうどんをアチチと啜る

さて、お昼ご飯は『きのう何食べた?』に登場する日の出うどんへ行こうと話していたのですが、なんとこの日は休業日。残念だけど仕方ないね、でもカレーうどんが食べたいよねと、近場でカレーうどんが食べられそうなお店を探し、隣町の元田中になにやら評判が良さそうなお店を見つけたので向かうことにしました。
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比叡本線に乗って元田中駅で降り、お店に向かうとすでに行列ができていました。ショウウィンドウにはおいなりさんとお赤飯が並んでいます。並んでいるうちに次から次へと近所の人たちがやってきては「あかん、後にしよ」と言って諦めたり「今日はぼちぼちやな」と言って並んだり。そうしているうちにおかみさんに通され、カレーうどんを注文しました。

ここのカレーうどんがまた本当に美味しくて。一口啜って連れ合いと顔を見合わせました。ちなみに写真がないのは、あまりにも美味しくて撮り忘れたからです(笑)鰹出汁が濃くて、容赦ない辛さと九条ねぎの甘さがいい。うどんは腰抜けと呼ばれる柔らかいうどん。ほわほわした食感が優しくてホッとする。汗をハンカチで拭いながらハフハフとうどんを啜っては、一味をかけてまたハフハフと啜る。常連さんたちの「おばちゃん、いなりっ」という声が飛び交い、このお店が生活の一部になっていること、通う人たちが築き上げてきたものが伺えてグッときました。私もお腹がいっぱいじゃなかったらいなりもお赤飯も試してみたかった!地元の人に愛されている味のある食堂で心も体も満たされ、ちゃっかり京都で生活しているような気持ちに。清々しい気持ちでお店を出て、すっかり満足している自分に気がつきました。「今度また京都に行くことがあったら、次はここの鍋焼きうどんを食べるぞ」と心に誓いながら。

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すっかりいい気持ちでお店を出た後は、元田中駅から出町柳駅へと電車に乗って来た道を戻りました。この時の帰りの電車は比叡。ピカピカの車体にふわふわの座席が気持ちよく、お腹いっぱいなこともあって少しまどろんでしまいました。

鴨川デルタでひと休み

続いてずっと気になっていたKAFE工船でお茶でもしようかと立ち寄ったところ、この日は満席とのことだったので「じゃあ川のあたりでもぶらつこうか」と自販機で飲み物を買ってふらり鴨川方面へ。

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橋の上から見えた鴨川デルタは、昔地理の授業で習った教科書の通りのきれいな三角州で、思わず感心するなど。後ろに見える山々も風情があっていい。しかし本当に京都は高い建物が少ないなぁ。
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時間もあるし、せっかくなのでデルタ部分を歩くことにしました。この日は家族連れでピクニックをしていたり、恋人同士で本を読んでいる人たちがいて、とてものどかでした。都市の中にこうした憩いの場があることを羨ましく思います。東京だったらきっとこういった小さな土地ですら、パーキングスペースやビルになってしまうだろうと思いながら。東京は現在に至るまでの歴史も含めてスクラップアンドビルドな土地なのだとはわかっていても、あまりにも資本主義的な街の具合にがっかりすることもあるので、条例などを定めて易きに流されまいとする京都の街を見ていると意気地を感じます。

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デルタを散策して向こう岸に渡ろうとすると、いくつかの飛び石がカメの形になっていることに気がつきました。なんて可愛いらしい。一見渡りやすそうに見えますが、実際には意外と石と石との間隔が広くて「エイッ」と声を出しながら必死に石と石の間を飛び越えました。

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のどかな風景と心地よい空間、誰もが憩いの場として集うことができる鴨川デルタ。時間が許せば気がすむまで川縁に座って本を読みふけったり、ぼーっとしたかったです。

京都御所内を気ままにさんぽ 

さらに鴨川デルタから今出川通りの方に向かってずっと歩いていると、左手に開かれた空間が見えてきたました。気になったので吸い込まれるようにして歩みを進めます。はじめは「代々木公園みたいなものだろうか」と思いつつ中を散策していたのですが、それにしては何やらやたらと門があり、しばらくしてここがかの有名な京都御所であることに気がつきました。秒単位でと言ったら言い過ぎですが、京都にいると意識せずとも文化財に出会う確率が高く、価値観がインフレーションを起こしてきます。

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この時は連れ合いが「見学したい!」と言うので付き合うことに。私は近代建築以外の建物には興味がなく、さらにこの時は暖かい陽気に誘われて立って眠れるくらいの睡魔に襲われていたので、あまり記憶がありません…

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始めに目にしたのが御車寄。京都御所にくる客人は牛車を使っていたため、ここで牛車を降りて御所内に入り、御目通り願ったとのことです。この次に諸大夫の間と言う待合室のような場所があり、その人の位に応じて通される場所が異なる仕組みになっていました。可視化して分からせるなんて意地が悪いな、これが諍いの火種になったりしなかったのだろうか、などと思いつつ。

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また宮家の象徴である菊のお花がこんなところに。可愛らしい佇まいに思わずシャッターを切ります。皇居の門には鬼瓦などに菊の模様があしらわれていましたが、このように立体的な造形の装飾は初めて目にしました。魑魅魍魎が跋扈する内裏、このような小さきものに心を癒される人はいたのだろうかと思いを巡らせます。

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続いて歩みを進めて向かったのが紫宸殿。ぴかぴかの朱塗りの門の奥に見えるのがそれです。ガイドさんが「即位の礼で使われた高御座っていう、鳥の籠みたいなの、あれがこの中にあるんですよ」と言っていて、鳥の籠とはまた言い得て妙な…と思うなど。

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その後、昔天皇が日常生活を行なっていたと言う清涼殿・御常御殿を見学して「ここあさきゆめみしで見たことがあるやつだわ!」と存分にはしゃいだ後、御所内の庭園を見学しました。

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誰がどのように造園に携わったのかまではわからなかったものの、伝統的な日本庭園かつ雅やかな作りで、当時の公家の立場がいかに特権的であったのかと言うことを改めて感じます。一方で権力の誇示として使われるだけでなく、あの当時の御所内の女たちを、これらがいっときでも慰める役割を果たしていたらいいと思いました。

京都府庁旧本館を駆け足で巡る

京都御所を見学し終えて時計を見ると、電車の発車時刻まではあと1時間半というところ。GoogleMapを開くと"駅までは徒歩45分"と表示されていたので「いい時間だし、駅に向かって歩こうか」ということで歩き始めたのですが、帰り道に素敵な洋館を見つけてしまい、「ええいままよ!」と一か八かで飛び込んでみることに。

 

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ルネサンス様式の外観は淡いクリーム色に彩られていて、親しみやすさを感じます。外観を撮るので精一杯だったので内観の写真は無いものの、調度品や家具などは当時のままで、とても趣がありました。この日はちょうど京都国際写真展の展示が行われており、旧議事堂で極彩色の写真のパネルを眺めつつ、なんでこんなに京都は見るべきものばかりなんだろうと恨めしい気持ちに。後で知ったことですが、ここの庭園は無鄰菴の庭園も手がけた7代目小川治兵衛が設計に携わったのだそう。本当はもっとゆっくり眺めたかった!またしても次に京都に来た時の宿題が増えました。

旅の終わりに

京都駅構内のキオスクで志津屋のカルネを買う

そうこうしているうちに時間になってしまったので、後ろ髪を引かれながら京都府庁旧本館を後にし、慌ただしく新幹線のホームへと向かいます。2段飛ばしでホームへの階段を登って時計を見ると、発車の7分前でした。すかさず目の前にあったキオスクに飛び込み、晩御飯として志津屋のカルネを購入します。そのまま流れるようにして車内に駆け込み、しばらくしてドアが閉まる音が聞こえました。

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なんとか間に合った安堵感で、席に着くなり身体からドッと力が抜けていくのを感じます。たくさん遊んで美味しいものを食べて、美しいものを見て思う存分羽を伸ばせた2日間。くたびれきった身体に電車の揺れが心地よく、気がつくとそのまま寝入っていました。

塩芳軒の干菓子と旅の余韻

次に目を開けるとちょうど新幹線は横浜駅に到着したところで、車窓から見えるきらめく街並みに関東へ帰ってきたことを実感しました。それと同時に「もっと京都にいたかった」と思っている自分に気がつきます。家についても半ば夢心地で、体半分を京都に置いてきてしまったようでした。

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気を取り直して、自分のお土産にと買って帰った塩芳軒の干菓子をいただくことに。ちょうど十五夜の時期だったからかそれを模していて、遊び心のあるしつらえに和みました。うさぎの目には紅がうすく入っていて芸が細やか。まんまるお月さまを見つめながら焙じ茶を啜り、楽しかった旅の余韻に浸りました。

京都という小宇宙 

あまりにも楽しかった2日間。今回京都を練り歩いて、何より感銘を受けたのが文化財の豊かな使われ方でした。元々旧建築が好きでよく見に行くものの、京都のそれらは生活の延長線上にすんなりと位置する使われ方をしていたことが印象に残っています。身近な場所に芸術や文化があることで、住民が触れて理解することができ、結果としてそれらの保護につながっているのでしょう。文化や芸術が生き残るためにはどうすればいいか、その計画と実践がなされている革新的な街なのだと改めて実感した次第です。
ところで、以前京都に遊びに来た時はまだ学生で、その時は京都大学を冷やかしに行ったり、松之助でチェリーパイを食べたりしたことを思い出しました。あの時はあの時で楽しかったけれど、大人になってからの京都はもっと楽しい。京都という街はコンパクトなのに歩けば歩くほど楽しくて、その疲労感すら楽しい街。それでいて「ちょっと休みたいな」というときに、対価を払わずに休むことができる場所が都市のあちこちにあって、それがこの街に対する安心感につながっているとも感じました。
人は優しく食べ物は美味しく、素晴らしい文化財に見て触れることができ、自然も豊か。京都という小さい星で過ごしたこの2日間を心の栄養に、明日からも頑張ろうと思えた旅行でした。
まだまだ気軽に旅行に行くことはままならない状況が続いていますが、思い立って「そうだ」と行くことができない今だからこそ、今のうちに次に足を運びたい場所や散歩をしたい街をたくさん考えておきたい。そうしてすでに次の京都旅行を想像しては、胸が膨らむ旅の終わりでした。

 

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美味しい暮らし #2月編

はじめに

もう3月も終わりですがいかがお過ごしですか?みんな健やかに生活できていると良いなと思いつつ、2月に食べたあれこれを振り返ります。

 

取り寄せ・外食あれこれ

 POMOLOGY クッキーボックス フィグ

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インターネットの友人から頂いたポモロジーのクッキー。無花果が好きなのでとても嬉しかったです。中にはヴィクトリアケーキのようなタイプのクッキーと、無花果を練りこんだタイプのクッキー、そしてプレーンタイプのクッキーの3種類で構成されていました。どれも素朴ながら美味しく、クラシックな焼き菓子を彷彿とさせます。日々の在宅勤務のお供として「今日はどの種類のクッキーを食べようか」と悩む楽しさがあり、そのひとときに現実を忘れられました。缶の絵柄が可愛くて、手に取るたびニコッとしてしまう。クッキー缶は単調な暮らしに文化の風を吹き込むような、日常に彩りを添えてくれるものなのだなと改めて。いつか機会があれば、私も誰かにこんなお菓子を贈りたいです。

 Cafe Les Jeux Au Grenier

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平日、久しぶりに前を通りかかったのでここへ。読書をする気満々で入ったものの、店内は意外と人がいて肩を落としました。聞けばテレビ番組でここが取り上げられたらしく、なんてことをしてくれるのだという気持ちと、お店にとってはその方がいいのかもしれないという気持ちとで綯い交ぜに。断ることもできなかったので、シナモンカプチーノを頼んで5分足らずでお店を出ました。
東京にいる以上、どんな形であれお気に入りのお店がそのままの姿でいてくれることは稀だと感じます。気を使わなくていいくらいの客入りで、ブレンド珈琲が美味しい喫茶店で、心ゆくまで本を読みたい。そんなお店を東京で見つけられたら、きっとこの街がもっと好きになるのに、などと思ったのでした。

Ancient World イラクバクラヴァ

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最近ピスタチオの知名度が高まったせいか、コンビニ菓子からパティスリーまで今やどこでもピスタチオを使った製菓を見かけるようになりました。先日久しぶりに東京駅を歩いたら、新しくピスタチオ菓子の専門店ができていて「立派になって…」という気持ちに。苦労せずともピスタチオ菓子に出会えるいい時代になりました。
そんな中、都内にある中近東の商品を中心に輸入を行なっているお店がイラク産のバクラヴァを販売していると聞いてオンラインで注文しました。以前神楽坂にある Arabic cafe & Abu Essamで食べたバクラヴァが忘れられず、ずっと他のバクラヴァも食べてみたいと思っていたのです。(ところでAbu Essamは3/31 で一度閉店し、神楽坂駅近くに移転するそうですね。新店舗もとても楽しみ!)
ワクワクしながら初めて食べたバクラヴァは、想像以上に美味しくてスパークするような驚きがありました。予想より油っぽさは控えめで甘さもくどくなく、贅沢に使われたピスタチオの風味にうっとりします。色々な種類のバクラヴァを試せるのも楽しく、特に右手前のロールキャベツのような緑のバクラヴァと、ツバメの巣のようなバクラヴァが好みでした。海外のお菓子だと歯が痛くなるくらい甘いイメージが強くてドキドキしていましたが、イラン産のバクラヴァは食感・味共に繊細。中東のお菓子をもっと知りたくなりました。
Ancient Worldではレバノンアルメニア産のワインも取り扱っていて、こちらもとても気になります。次はどんなものを購入しようか、お店のHPを見るだけでも良い気分転換になるのでオススメです。

ancient-w.com

新宿高島屋 お試しショコラ

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バレンタインでしたね。皆さん何か買ったり贈ったりしましたか?私はチョコレートに対して「食べるけれど自分で調べて買うほど好きではないなぁ」くらいのスタンスですが、クリスマス同様なんとなく街が浮かれているこの雰囲気は毎年ワクワクします。
そして例年頭を悩ませるチョコレート選びですが、今年は新宿高島屋が自分が気になっているお店のチョコレートを1粒単位で試せるというオンライン限定の企画をしており、これが結構良さそうだったので参考に取り寄せました。

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今回頼んだのは6粒。試食だと落ち着いて味わうことができないし、人が多くて近づけないこともあって不完全燃焼気味だったので、これはかなりいいシステム。今年はこの中から夫が好きそうなナッティでプラリネ感のあるチョコレートを贈りました。喜んでもらえてよかった。
今年は義姉たちから私宛にもチョコレートをいただいて、あぁ家族だと認識されているんだなとしみじみしたり。こうしたイベントがあると親族間での交流のきっかけにもなるので、年を重ねてイベントがあるのも悪くはないなぁと思うようになりました。
余談ですがちょうど最近、指原莉乃さんと田中みな実さんがチョコレートについて語るyoutubeを見て、チョコレートが愛が強い人のその解像度の高さに舌を巻きました。いや〜、本当にすごい!

youtu.be
観終わって「田中さんオススメのフィリップ・ベルナシオンが美味しそうだな〜、来年買ってみようかな」と思うと同時に「私はやっぱりここまでチョコレートに思い入れは無いんだわ、チョコレートを愛する才能がないってことね!」と返って清々しい気持ちになったのでした。来年も夫にはなにがしかのチョコレートを送りつつ、気まぐれで自分のために買ったり買わなかったりしてみようというところで落ち着いたバレンタインでした。

白金高輪 マルイチベーグル

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久しぶりに白金高輪に行く用事ができたので、ついでにと買ってきたマルイチベーグルのベーグルサンド。東京に出てきて1年目の頃ベーグルの専門店があることを知り、いそいそと出かけて緊張しながら注文し、電車の中で大切に抱えて持ち帰って一人暮らしの部屋の中で一口齧り「なんだこれは…!私が知っているベーグルと違う…!」と美味しさに目を見開いたいい思い出です。当時ちょうどプラダを着た悪魔をみて、オニオンベーグルをニューヨークのサブウェイ前で調達する主人公に憧れていたものでした。
お店のラフなつくりは当時のまま、ケース越しにたくさん並べられたベーグルに変わらず心が躍ります。お店にはあの時の私と同じくらいの年齢と思しき方が働いていて、懐かしい気持ちになりました。作ってもらったベーグルサンドは家に持ち帰り、夫と半分こに。ベーグルには色々な流派があってどれも良いものですが、ぎっしりして食べ出のあるベーグルではここの右に出るものは無いと思います。よしながふみの言うところの「穴の空いていない気前のいいベーグル」です。そびえ立つベーグルを両手で潰して口を大きく開きながら、はじめての一人暮らしをした部屋でこのベーグルを頬張った記憶が蘇り、少し感傷的な気持ちになりました。プラダを着ることもシャネルのお洋服に袖を通すことも無かったけれど、私はあの頃の私の願いを叶えて生きているよ。これからも自分の欲と向き合って、願ったものを叶えていこうと思いつつ。

作った料理あれこれ

バインミーサンドイッチ

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2月の前半はベトナム紅白なますにハマっていました。料理の付け合わせにもなるし、サラダ的立ち位置でも使えて便利。この日は美味しいフランスパンをいただいたのと、期限が切れそうなパテドカンパーニュが冷蔵庫に眠っていたのでバインミーサンドイッチを作りました。
レシピは ELLE グルメのもの。アジアから南米まで多国籍なレシピが揃っているのでありがたい。

www.elle.com

最近の食卓には多国籍な料理が並ぶことがほとんどで、特に1度目の緊急事態宣言ではそういった料理に気持ちを慰められることが多かったように記憶しています。いつか自分が行きたいと願った土地に足を運べる日が来ますように。それまでは手元の世界で慎ましく楽しんでいこうと思う次第です。

ドンウォン社製 即席ラッポッキ

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週末夫がキャンプに行きたいと言うので付き合った日。まだまだ底冷えするので薪ストーブを持参し、その上で身体が温まりそうなラッポッキを作りました。去年くらいからスーパーで取り扱っているのを見るようになり、いい機会だから試してみようと購入した即席ラッポッキ。作り方はサッポロ一番を作るのと同じくらい簡単。付属のトッポギを軽く洗ってから同じく付いてきた辛いソースと一緒に煮て、そのあとに乾麺と玉ねぎとキャベツを入れてさらに煮込んで完成!
初めは甘ピリ辛に感じますが、次第にかなりパンチの効いた辛さが追いかけてきます。そこに玉ねぎとキャベツの甘さが救済になって旨い!辛い!の無限ループ。トッポギのちょっと溶けた部分が麺に絡んでいるのもアクセントになっていい。500mlのお茶があっという間になくなり、一気に身体がポカポカになりました。かなりジャンキーでクセになる味なので、お酒のつまみのような位置付けでも楽しめます。インスタント麺なので荷物にならないし、冬キャンプやソロキャンプのキャンプ飯にはうって受け。これはかなり良い買い物でした。

ウー・ウェン 春野菜のピリ辛サラダ

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1年で一番好きな季節がやってきました。緑のものがおいしい季節。命に刺さるような、苦くて甘くて香ばしい、旬の野菜を食べる楽しみに満ち満ちた季節。去年の今頃は緊急事態宣言が発令されて以来ほとんど家の中にいて、春を感じることなく季節が去ってしまったような寂しさがありました。今年は密集しないように気をつけつつ、シャツ一枚で出歩ける喜びを存分に噛み締めたいです。
ところで最近スーパーのアスパラが安くなったこともあり、茹で以外に美味しく食べる方法を知りたいと思って見つけたこのレシピが私的に大ヒットでした。

www.kyounoryouri.jp

ウーウェンさんのレシピは調理工程が簡潔なのに、どれも素材の味が存分に引き出されていて、いつも作るたびに「うわーっ!美味しい!」という新鮮な驚きにあふれています。このレシピもその中の一つ。特におたまで辣油を作る工程が楽しくて、それをやりたいがためにこの料理を作っていると言ってもいいかもしれません(笑)
味付けもいたってシンプルなので、毎日食べても飽きないくらい。今回のレシピは油を使用しますが、彼女の料理はノンオイルのバリエーションも豊富で、かつ油を使用する時の使用量が比較的控えめなので、減量中の人や脂質を制限したい人にも優しいと感じます。食事の制限をしているけれど、美味しいものは食べたいと言う人にもオススメです。

 

せせチャンネル セロリの葉のチヂミ

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去年の緊急事態宣言くらいから「せせチャンネル」でお馴染みの、料理研究家である渡辺康啓さんのYoutubeチャンネルをチェックするようになりました。優しい語り口と調理過程の適当さや、調理工程が比較的楽なものが多く紹介されているところ、何より作ったものはみんな美味しくできるのが素晴らしく、時々献立に迷った時に頼りにしています。
その中でも最近ハマったのがセロリの葉っぱのチヂミ。あまりがちな具材をメインにできる優れたレシピです。

youtu.be

このレシピで作ったチヂミが本当に美味しくて、何回か具材を変えたりして楽しみました。写真のものは春菊で作ったチヂミ。ごま油の香ばしさと端っこのカリカリ、中のモチっとした食感が美味しい〜!
余談ですが、昔母親から「粉物は絶対に押しつぶしてはいけない」と口すっぱく教えられたからか、チヂミをヘラでぎゅうぎゅう押しつぶすのは妙な快感があり、やんちゃをしている自分!とでもいうような開放感があります。ビールのアテにもなるし、おかずとしても優秀。野菜がうまい春の時期にたくさん作りたいレシピです。

終わりに

去年の緊急事態宣言よりは暮らし方がわかってきたものの、それでも疲れるものは疲れるし、小さなストレスは溜まると実感した2月でした。とはいえ消費行動は確実に変容しているし、これが急に元に戻るとも思えず、ここから先中長期的な経済への影響はどうなるのだろうと思うと気が重くなります。こう言うと人の命より経済のことを考えるのか?と思われるのかもしれないけれど、そうではなくて。中長期的にみて命を落とすかもしれない人を、これからは社会全体でケアしていく時代になっていくのだろうと思う反面、個人の想像力が及ばない範囲の保障をどのように行うのか、その方法について合意形成することが可能なのか、と言うことを考える段階に来ているのだろうというのが今の所感です。その時代を生きる人間として、考え続けなくてはなりません。
一方で、最近はオンラインで受講できる講座がちらほらあり、こんな状況だからこそ開かれている知の扉をありがたく思います。特に京都大学の以下の講座は、改めて学びなおす上でとても参考になりました。

www.cwr.kyoto-u.ac.jp

オリンピックのこと、名古屋入管で死亡したスリランカ人の女性、アジア系アメリカ人へのヘイトクライム。今年は「もっと学ばなくては」から一歩踏み出して、自分はこの社会に何をできるのかを冷静に考え、行動できる1年にしたい。目の前のことをとっさに判断できるのは、考え続けることでしかなし得ない。そして誰かに手を差し伸ばせる人であり続けたい。同時にキャリアの面で、やりたかったことの扉が開きつつあるので、その機会を逃さないよう慎重に行きたいと思います。

 

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猫が遊びにきた日

今日のビッグニュースは家のベランダに猫が遊びに来ていたこと。普段テレワークの合間にベランダに小鳥が遊びに来ていないかチェックするのが日課なのだけれど、今日レースカーテンを捲ったら猫がいてびっくりした。きっと隣のマンションのベランダをつたって遊びに来たのだろう。思わず夫に教えて、二人で驚かさないようにそっと見守った。
猫は夫がベランダに敷き詰めた人工芝に気持ちよさそうに肢体を擦り付け、私が観葉植物が倒れないようにと支柱にした無垢材でのびやかに爪を研ぎ、日向と日陰の塩梅が良いところに丸くなってスヤスヤと眠っていた。呼吸に合わせて上下するお腹。毛並みが陽の光に透けてキラキラと光っている。ああでもないこうでもないとしつらえたベランダのあれこれが、どれも猫が優雅に暮らすための代物になっているのが可笑しい。人間の思惑なんてお構いなしで、なんだか自分の思想やこだわりが馬鹿馬鹿しく思えてしまった。
仕事で煮詰まったらフローリングに寝そべり、猫を驚かさないようレースカーテンをそうっとめくって、春の陽気の中で気ままに過ごしている様子を眺める。何回かそれを繰り返していたとき、窓ガラス越しにパチッと猫と目があった。「ゆっくりしていってね」と言うと猫は2回瞬きをした。エバーフレッシュの影が猫の上をゆらゆらと揺らめいている。人の言葉がわかるのだろうか、と思った。
そういえば小さい頃、家の近くの空き地で遊んでいたときに、2頭の若い猫たちが喧嘩をしていたことがあった。子供ながらにその迫力に慄いて、どうしようどうしようと焦っていたら、背後から音もなく老いた猫が現れ、落ち着いた声で「ミャア」とひと鳴きした。するとそれまで激しくやり合っていた猫が一瞬で落ち着き、渋々ながらもその場を離れたのだった。驚いてパッと猫を見て「すごい」と言うと、その老いた猫は片目をつむってこちらを見上げたあと、また音もなく草むらの影に消えていった。
しばらくしてまたレースカーテンを捲ると、ちょうど猫がベランダから去っていくところだった。「また来てね」と声をかけると、猫は振り向いて目を細めた。やはり人間の言葉がわかるのかもしれない。夫に「猫、帰っていったよ」と言うと「そうか、また来てくれるといいね」と言った。このベランダはお気に召しただろうか。また来てくれたらいい。

2011年3月11日 - 2021年3月11日

本記事には震災当時の描写が含まれます。記事を読んだ後、不安な気持ちが強くなる可能性があるので、自身の状態と相談して読まれることをお勧めします。

2011-3-11

今でもあの日のことはよく覚えている。私は当時働いていた場所で大きな棚の整理をしていた。棚のある部屋には大きな窓があって、そこから見える空がお気に入りだった。その日は空がひときわ綺麗で、青の部分が海の底から眺めたように真っ青に澄んでいた。
こんな日は仕事なんてしていないで外で遊びたいと思いながら、棚の整理を黙々と続ける。棚にモノを並べるのは好きだった。誰かの手に乱される以前のそれらの姿は整然としていて美しく、バレリーナのラインダンスのようでもあった。混沌とは無縁の、つかの間の秩序。
夢中で仕事をしていたからか、気がつくと昼休憩の時間はとっくに過ぎていた。昼ごはんを食べ損ねてしまい、せめて菓子パンだけでも齧ろうかと梯子から降りた瞬間、小さく地面が揺れた。
また地震か。どうせまたすぐやむでしょう。そう思って棚を掃除するためのバケツを見ると、遊園地のティーカップの中身のように、中の水がぐわんぐわんとうねっている姿を見て「いつもの様子とは違う」と瞬時に察した。念の為、パートさん達に避難してもらおうと1歩踏み出した次の瞬間、地面が大きく沈むような感覚を覚えた。
目の前の動くはずがない棚が大きくズレて、上から監視カメラが降ってくる。非常口の看板が左右に揺れて今にも落ちそうだ。あちこちから人の悲鳴が聞こえて「落ち着いてください、大丈夫です、慌てず外に避難してください」と叫んだ。
駐車場に人が出て行ったのを確認して、中に人が残っていないか確認するために一人で店の中に駆け込んだ。立っていられないほどの揺れに体を振り回されながら、必死で「誰かいませんか」「逃げ遅れてませんか」と叫ぶ。
事務所に行くと金庫がいつもあるべき場所になく、違う部屋に移動しているのを見つけた。こんなに重いものが動くのか、誰か下敷きになっていた可能性もあるのか、そう思うとゾッとした。怖くなって事務所を飛び出し、念の為誰もいないことを確認してから店の外へと避難した。
お客さんもパートさんも、みんな駐車場の真ん中に集まってお互いを堅く抱き合って震えていた。現実離れした光景に、身を寄せ合っているハムスターのようだと一瞬のんきなことを考える。そこに向かうとみんな迎え入れてくれて、この世で唯一安全な繭のようだった。今思い返せば、そこにいたのは女性だけだった。それからしばらく、揺れはおさまらなかった。

 

2021-3-11

今日もやはり空は綺麗で、あの日のような穏やかな午後だった。私は部屋でひとりこの文章を書いている。
あの時の揺れは私の身体に深く刻まれ、揺れが来ると「これは平気な揺れ」「これは大ごとになりそうな揺れ」がだいたい分かるようになった。夫は地震が来てもソファの上で読書を続ける私を見ていつもちいさく驚く。のんきなやつだと思っているのかもしれない。
あれからカタカナで表記されるようになった地元の名前を見ると、今だに戸惑いを覚える。以前自分の出身地を知人に伝えたところ、あなたは原発事故が起こった故郷についてどう思っているのかと聞かれたことがあった。「そこに住んでいる人がいる限り、その土地をタブーのように扱うのはナンセンスだと思っている」と伝えた。「TawadaのKento-shiは読んだか」「読んだ。率直に言って不快だった。安全で清潔な場所から特定の地域にインスパイアされたと分かるものを描き、テーマとして扱っていることに疑問を持った。あれが海外で評価が高いのは理解できるが、当地に暮らす人々の生活とその意識からは大きく乖離がある」そう告げると知人は肩をすくめて去っていった。何を言って欲しいかは想像はついたが、思っていないことを言いたくは無かった。
私の故郷は呪われた土地でも穢れた土地でもない。たとえ汚染されていると言われても、何度でもあの海に足を浸すだろうし、砂浜に寝そべって大きく深呼吸をするだろう。しかし一方で気軽に知人に「遊びに来てね」と言えなくなってしまったことも事実だ。あの日からずっと故郷を変わらず懐かしく思う気持ちと、それは誰とも分かち合えなくなってしまったという気持ちで引き裂かれ続けている。
見たくないものも、忘れてしまいたいこともたくさんある。給水車が来ることを市民には伝えず、自分の分のポリタンクを買い占めて行った市議。炊き出しの行列の前でスーツ姿で形だけの写真を撮り、そそくさと帰った国会議員。その場に住み続ける選択をした人たちに向かって「汚染された地域に住むなんて気が狂っている」と侮蔑した人々。「もう私達って赤ちゃんが産めないのかな」と不安そうに呟いた友人の横顔。「ここにしか居場所がないものね」とポツリと呟いた近所のおばあさん。忘れてしまえたら楽なのに、それでも毎年この日になるとあの時の人たちの顔を想い出す。
あんなことがなければ無垢な生き物として一生を終えられていたのかもしれない。しかしもうその時の自分には戻れない。あの揺れと、のちに通うことになる大学での時間が、過去の私を変えていった。


携帯が鳴る。届いたLINE NEWSを見ると、見出しには次の言葉が書いてあった。

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首相「復興総仕上げに全力」

2年ぶりの震災追悼式で決意 今後政府主催では行わず

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復興総仕上げ、と呟く。ふと脳裏に綺麗にアイロンがかけられた1枚の白いシャツが思い浮かんだ。あの街もこんな風にまっさらになって、何一つ問題など無くなったということだろうか。袖を通してボタンを締め、つるりとした生地を見て満足し、大声で「復興総仕上げ!」とバンザイする自分を想像する。袖のほつれもボタンが歪んでいるのも見なければ同じこと。細かいことまで気にしていたらきりがない、これも復興総仕上げのうちなのだと。しかし同時に思う。津波がきてまっさらになった土地と、これの何が違うのだろうかと。
ひとり親家庭の貧困、配偶者からのDV、震災遺児の困窮、老々介護、独居老人の孤独死、公務員の震災過労死。いずれも被災の影響が大きかったのは震災以前から脆弱性が高いとされていた人々だった。そうした人々は今だに被災し続けているのではないかと思うことがある。またあまり知られていないことだが、福島県の農産物の出荷量は震災以降、それ以前の水準まで回復していない。全国平均との価格差は依然として下回っており、苦しい状況が今日まで続いている。
10年という年はただの区切りだ。これを機に支援をしなくてよい、忘れて良いという免罪符ではない。その「総仕上げ」の中にほつれやボタンの歪みが含まれていることを願ってやまない。
そして私にできるのは、ずっとそのほつれやボタンの歪みを「これはおかしい」と言い続けていくことなのだろう。これに終わりはない。疲れている時はそれを煩わしく感じるし、何もかも投げ出してきれいなものだけ見ていたいと願う日もある。しかし、あの時感じた怒りと悲しみが、それを止めさせてはくれない。
その一方で、もう疲れたという人も尊重したいとずっと思っている。後ろめたさや負い目は感じなくていい。怒り続けられるということも、ある種の特権なのだから。私がここで怒るから、あなたはその間休んでいて欲しい。そしていつか隣に並んでくれたら、こんなに嬉しいことはないと思う。

 

終わりに

この話をきっかけに、以下に記す記事や本を誰かが読み、何かを考える手助けになれば嬉しく思います。

土屋葉ほか(2018) 被災経験の聴きとりから考える
https://seikatsushoin.com/books/被災経験の聴きとりから考える/

竹信三恵子(2012)震災とジェンダー「女性支援」という概念不在の日本社会とそれがもたらすもの
http://www2.igs.ocha.ac.jp/en/wp-content/uploads/2013/04/15-Takenobu.pdf

 

それから福島県には美味しいものがあるので、この機会にぜひ試してもらえたら。

1. にいだしぜんしゅ 糀あまさけ

 さらりとして喉越しのいいあま酒。小腹が空いた時はこれをマグに入れて、レンチンして飲んでいます。

 

 2.三万石 エキソンパイ

三万石はままどおるが有名だけど、エキソンパイも密かに人気があります。バターが香るパイ生地にくるみ入りのあんこがよくあう。

 

 3. 小池菓子舗 あわまんじゅう

koike-manjyu.com

残念ながらオンライン販売は行っていないものの、都内に出張販売に来ているので見つけたら是非食べてほしい!素朴で甘くてもちもちしたあわまんじゅうに癒されます。

 

4. 肉のおおくぼ 馬刺し

会津ブランドに認定された馬肉だけを扱う精肉店。色々食べ比べてみたけれど、ここの馬刺しが一番臭みがなく旨味があって美味しい。

 

5. べこの乳ヨーグルト

濃厚でミルク感が感じられるヨーグルト。水切りヨーグルトにするとチーズのような味わいになるので、よくフルーツ和えやサラダに使っています。

 

それではまた。

インターネット所感

 

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本記事は有料です。メモ書き程度の内容ですが、見たいと思う人だけ見て欲しい、検索に引っかかって欲しくないという意味合いで有料にしています。なので料金設定はcodocで設定できる最低価格にしていますが、じゃあ100円の価値がこの記事にあるか?と言われると多分ないです。あと政治に関する話題にがっつり触れているし、いつもの「です・ます調」ではない記事だから、元気がない人が読むとしんどいと感じるかも。なのでそれでも良いよ!今めっちゃ元気だよ!という方だけどうぞ!ちなみに、いただいたお金は日本財団へ寄付する予定です。
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美味しい暮らし #1月編

はじめに

もう2月なんて信じられないという気持ちで過ごしている今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。本当は京都旅行の続きや1月に読んだ読書記録を書きたいのに、仕事もプライベートも忙しすぎて目まぐるしい日々を送っています。やりたいこととやらなくてはならないことのバランスなんて一生取れる気がしないけれど、せめてこのブログは義務にならないよう細く長く楽しく書いていこうと思いつつ。
最近は夫婦でトッケビという韓国ドラマにハマっています。普段韓国ドラマにあまり興味を示さない夫も、トッケビを見ているときは率先して「続きを見よう!」と言っていて、私よりハマっているんじゃないかと思うほどでした。韓国ドラマは時間あたりの話の展開が緩やかで、中座しても話の展開にある程度追いつけるところがシェイクスピアの戯曲っぽいなと感じます。

トッケビを見終わった後の喪失感が酷くて思わず出演者のInstagramを即フォロー。個人的に今まで観た韓国ドラマで一番面白かった!
話は逸れましたが、今年も食べたものの話をしていこうと思います。去年は食事を楽しめるかどうかは、自分の加齢や体調だけでなく、政治や経済も密接に影響していることを強烈に意識した1年でした。今までレストランはいつ足を運んでも変わらず美味しいものを提供してくれる場所だと思っていましたが、それはレストランを支える生産者や料理人、彼らが良い仕事と生活をできるだけの十分な賃金、それらの元手になる売り上げと利益があってこそ。そのバランスが崩れた時に、当たり前のようにあったように見えたお店はいとも簡単に無くなってしまう。
一消費者として出来ることは限られているけれど、せめてそれは念頭に置いて気持ちよくお金を払っていける人でいたい。何より「いつか行こう」と思っているお店がいつまでもあるわけではないことを知った今、そうしたお店にもなるべく早く足を運ぼうと考えています。そして政治についても意見を示す一方で、その政策が後にどんなインパクトを与えたのかも考えていきたい。
不要不急という言葉が耳を塞いでも聞こえてくるような一年でしたが、本来旅行も食事も映画を見ることも人と会うことも人生には必要不可欠なこと。人生には大小様々なバカンスが必要であること、それらを謳歌する権利が誰しもあるということを忘れずにいたい。楽しいことが過度に後ろめたく感じてしまうような状況ですが、小さな逃避が欲しい、生きる歓びを実感したい、現実が苦しい、そんな人にここの情報が少しでも役に立てば嬉しく思います。何かに立ち向かうにもまずは自分のエネルギーがなくては。腹が減っている自分を労う余暇すらなければ、戦に参加することも回避することも、この戦が誤っていることに気がつくこともできないので。
どんな人にも現実から1センチ離れられるような瞬間がありますよう。その時間が現実を生き延びる活力となりますよう。インターネットの隣人として、今年もどうぞよろしくお願いします。 

 
スパイシービストロ タップロボーン 神保町店

年末は私の仕事があまりにも忙しかったこともあり、年越し前に気力も体力も尽き果てて「今年はおせちも年越し蕎麦もやりません」と夫に家事休業宣言をしました。とは言え「やっぱり食べないと落ち着かない」とのことで伊勢丹数の子・昆布巻き・栗きんとん・紅白かまぼこと伊達巻を購入してきた夫。
どれも美味しかったものの、やはり二人で食べるには量が多かった。3日目にして夫が「カレーが食べたいな」とポツリと呟いたので、お昼にスリランカカレーを食べに連れ出しました。

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入り口でアルコール消毒をしてからお店に入るとほぼ貸し切り状態。夫はアユールヴェーダワンプレート、私はランプライスをお願いしました。写真は最初に出されたスープ。野菜の出汁が甘くてホッとする。

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それほど待たずして出てきたランプライスがこちら。ランプライスとは、軽く炙ったバナナの葉でご飯とおかずを包んだスリランカ式のお弁当のことなんだそう。カラフルな籠とのコントラストが可愛い。

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楊枝を外していざ包みを開けると、その瞬間なんとも言えない良い香りがふわっとあたり一面に漂いました。バナナの葉ってこんなにいい香りがするんだ!まるで森林浴をしているみたい。いい香りに年末からの疲れが一気に吹き飛びます。お寺の常香炉で煙を浴びるみたいにこの蒸気を身体いっぱいに浴びたい…!
おかずはナスモージュにシーニサンバル、揚げゆで卵にチキンカレーとメレーピクルスなど全7種類。南インドカレーと違ってスリランカではおかずを全部混ぜるのは縁起が良くないとのことなので、それぞれのおかずを混ぜたりひとつだけで味わったりと趣向をこらして楽しみました。南インドカレーよりも魚の出汁のような旨味が印象的で、それと調和する繊細なスパイス使いにしみじみ感じ入る。なんて豊かな食べ物なんだろう。

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この日は寒かったので最後にチャイを頼もうとしたところ「お正月なんでサービスです」と無償でいただきました。こういった商売下手さに昔一緒に働いていたスリランカ人を思い出すなどして、勝手にグッときてしまう。乳白色のカップはつるりとして気持ちよく、甘さ控えめのチャイがじんわり染み渡って落ち着きました。
以前から「もしかして私は南インド料理よりスリランカ料理の方が好きなのかも?」と思っていましたが、ここの料理でそれが確信に変わりました。今年はもっとスリランカ料理を開拓するぞ。
ちなみにこのランプライスは現在タップロボーンのオンラインショップでも購入可能です。レンジでチンすればこの味を自宅でも再現できる奇跡。バナナの葉をひらくとそこはスリランカなショートトリップができてしまう食体験、カレーが好きな人もそうでない人も、ぜひ経験してみて欲しい!

taprobane.base.shop

 エーグルドゥースとファウンドリーのショートケーキ

ハッピーバースデートゥーミー!ということで、例年通り誕生日は自分で自分のためにケーキを買いました。今年はエーグルドゥースのショートケーキ。昔も美味しいと思ったけれど、より輪をかけて美味しくなったような。

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全体の一体感が秀逸で、それでいてどのパーツの完成度も高い。生クリームがフレッシュで瑞々しく、スポンジはしっとりときめ細やか。ベースがきっちりしているので、いちごの酸味がアクセントとして活きてバランスが保たれている。クラシカルなケーキなのに新鮮な驚きがあり、それなのに安心感があって唯一無二のショートケーキでした。
久しぶりに足を運びましたが、空間や導線・感染症対策も含めたオペレーションに滞りがなく購入までの体験もよかったです。やっぱりケーキ屋さんは文化と夢を詰め込んで、間口は広く敷居は低く、お店を出た時にお客さんが足元から1ミリ浮くようなお店が大好き。いつしか人気店になっていて寂しいような嬉しいような気持ちになりつつも、やっぱり誕生日のケーキをここにしてよかったと感じました。

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そしてこちらは夫が買ってきてくれたファウンドリーのケーキ。ケーキは自分で用意するからいいよとは言ったものの、やっぱりこうしてもらえると嬉しいもの。まさか買ってくれると思っていなかったので、うれしくて小躍りしました。
ファウンドリーのケーキは初めて食べましたが、こちらも美味しかった。大きくて食べ出があるので満足感がすごくある!フルーツの状態もよくて、これを流通させている企業努力の凄まじさ…と思うなど。何よりまさか1日にショートケーキを2つ食べられるとは思わず、ハッピーなお誕生日になりました。

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ちなみに今年の自分から自分への誕生日プレゼントはアロマセラピー・アソシエイツのミニボトルセットにしました。朝サッとシャワーを浴びる時にシャワーオイルとして塗布してもいいし、リラックスしたい時に湯船に垂らして浸かってもいい。これを使うと身体中からいい香りが立ち昇って贅沢な気持ちになれます。気持ちに合わせて色々な香りが選べるのも、満足感が高いポイントです。

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こんなに小さいのに1本1本がちゃんとガラス容器で、浴槽に置くとコトンと音がするところや、光が当たってオイルの陰が美しく落ちるところが分かっているなぁと思う。ともすればルーティンになりがちなお風呂の時間を特別な時間に変えてくれるようなアイテムで、誕生日に自分へ贈るアイテムとしてはぴったりでした。

きのね堂 ことりクッキー

新宿駅構内にあるMiNi by FOOD&COMPANY が大好きです。一見普通のコンビニエンスストアのように見えますが、珍しいクラフトビールやスナック菓子、おかずの彩りが綺麗なお弁当にマフィンやベーグルなどが所狭しと並んでいて見ているだけでワクワクします。

foodandcompany.co.jp

特に焼き菓子の取り扱いが豊富で、個人的にオニバスコーヒーのフードラインであるMYOWNのパウンドケーキやchezmikkiのクッキー、そしてきのね堂の焼き菓子が定期的に入荷しているのがポイント。「今日はとっておきのお菓子が食べたいな」と思う時に頼りになる、都会の雑踏に潜む秘密基地のようなお店です。

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この日選んだのはきのね堂のことりクッキー。ほろほろとした小麦がミルフィーユのような層になっていて、齧った時の食感も香りも良くてホッとする。いつ食べても身体の美味しいと感じる部分にすとんと落ちてくるような、素朴で押し付けがましくないお菓子だと感じます。
スーパーに売っているカントリーマアムの大袋も、コンビニに売っているブラックサンダーも好きだけれど、自分が自分のために用意したとっておきのお菓子があると、自分の一番の味方を思い出して元気になる気がします。
仕事は自分以外の誰かのために動くことが求められる現場なので、ずっと誰かの声ばかりを聴いていると、時々自分が何のために働いているのか、自分が何を求めているのかが分からなくなってしまう事がある。そんな時こそ「お茶にしましょう!」と自分に声をかけて、自分と対話しながらのんびりするようにすると、これからどうしたいかを整理して、現実に立ち向かう元気が湧いてくるように思うのです。

Maruta

この日は夫と車に乗って遥々調布まで。向かった先はずっと行ってみたかったレストランMaruta。去年の緊急事態宣言下で無期限休業の報せを聞き、なぜ行ける時に行かなかったのかと猛烈に後悔したお店のひとつでした。
そんなMarutaですが、現在は業務形態を変えて再開しており、日が昇ってから日没まで営業しています。また感染症対策のため、大勢で大皿から料理をシェアするスタイルは一時中断しています。再開した報せを聞いて以来絶対行こうと決めていたので、この日足を運べて本当に嬉しかった。ちなみにこの日は夫がランチコースを予約してくれていました。

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お店に入って予約した名前を告げると席まで案内されました。
手前に置かれたメニューを開くと、その時に提供される料理の素材名だけが記されていて、一体どんな料理が来るのかワクワクします。それからお冷が炭酸水なのも個人的に嬉しいポイントでした。写真に写っている背の低いタンブラーは口当たりも持った時の重さも丁度よくて、家に置きたいと思うくらいよかったです。

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ちなみに以前Marutaを紹介してくれた友人が、ここのノンアルコールペアリングをお勧めしてくれていたのですが、現在担当の方が京都へ移られたことを契機にそちらは休止しているのだそう。この日は店員さんに勧められ、庭で採れたハーブを使ったこんぶ茶をお願いしました。

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1皿目は季節の茶碗蒸しから。この日は寒かったので、始めが温かい料理で嬉しい。中身は百合根や芹が入っているとのこと。また、香り付けに芹のオイルも使っているとのことでした。手触りがざらりとして気持ちがいい器で手を温めてから、スプーンで掬って頂きます。口に運んだ瞬間芹のいい香り!さらにとろりとした卵とホクホクした百合根が追いかけてきて、縮こまった身体がほぐれます。

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2皿目は人参。まず春菊と発酵バター、ナッツを合わせたものが運ばれてきました。後から運ばれる人参にディップして食べるためのものなんだそう。

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そして運ばれてきた人参がこちら。ビジュアルに驚いて目を白黒させていると、店員さんから説明があり、半分に切って中身を食べてくださいとのこと。気にならなければ外側も食べられると聞いて、思わず好奇心が刺激されます。

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この日は入荷した人参が細めとのことで、どのテーブルも切るのに悪戦苦闘していました。あちこちから「うまくいった!」という声や「あちゃ〜」という声が聞こえてきて楽しい。私も慎重に慎重に…と切り進めていきます。

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無事切り終えてひと安心!手前は私が切ったもので、奥は夫が切ったもの。綺麗な色の人参は、口に運ぶと薪のいい香りがして甘くてホクホクして美味しい。春菊と発酵バターを乗せて食べると、人参の土っぽさと春菊の香りがバターでうまくまとめられて一つの料理として完成していました。ちなみに炭の部分も食べてみましたが、サクサクとして苦かったです(笑)

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3皿目は鮟鱇。店内にある暖炉で焼かれた鮟鱇は弾力があって香ばしく、そこにかけられたスープが奥行きを生み出していて美味しい。さらに料理に添えられたゴボウのささがきと庭で取れた柚子が食感と香り共にアクセントとなって立体感のある一皿でした。ちなみに夫がこの日一番気に入ったのはこの料理らしいです。

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4皿目はアオリイカ。ひとり2枚ずつアオリイカが運ばれ、はてなと思っていたところ、生ではなく炭火で焼いて食べてくださいとのこと。「いま炭火をお持ちしますね」と店員さんににこやかに告げられ「炭を?ここに?」と混乱していると、スキレットに乗った炭火が本当に運ばれてきました。

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思いがけない、そしてこのお店でしかできないであろう演出が楽しすぎる。感染症対策のために店内がしっかり換気されていて少し寒かったので、こうして卓上で暖が取れるのも嬉しい。手をかざしてじわりとした温もりを感じる幸せ。

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続いて運ばれたのが古代米のリゾット。アオリイカの肝を使ってリゾットにしているそう。そんなの絶対美味しいに決まってる!

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そして同じタイミングで運ばれたアサリ出汁。お庭で採れたレモングラスなどのハーブが入っていて、いい香りが漂います。「リゾットの上に焼いたイカを乗せて、その上から出汁を直接かけてください。余ったら直接飲んでみてくださいね」と言われ、早く試したくてソワソワします。

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さっそく付属のトングでイカをつまみ、炭火の上で焼いていきます。こんなものかな?と何回も確認しては、慎重に火を通していく。

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焼きあがったイカがこちら。炭の良い香りのそれをリゾットに乗せて…

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上から出汁をかけて完成!炭で焼いたイカはややレアでとろりとしていて、古代米はプチプチしていて食感がいい。何より旨味がものすごい。同じ魚介類の出汁だけを使っているのに、重層的な旨味が感じられる。それからアオリイカのワタが持つ癖を、ハーブがうまく打ち消していて、どちらの存在感も丸くなっていることに驚きました。その証拠に、後から出汁だけ飲んだ時にレモングラスが強く香って面白かった。食材の合わせ方の妙を感じました。

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次に出される料理まで少し時間がかかるので、それまでよかったらと出された暖炉で焼かれたパンと自家製の発酵バター。この日は隣の席に小さな女の子がいて、ひたすらこのパンを黙々と食べ、お代わりまでしていたのが可愛かったです。

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次の料理がサーブされるまで気になっていた暖炉も見学。中を格子を使って区切ることによって、火力を調整できるようになっているのが素敵。周りを固める大谷石と、積み上げられた薪置き場がラフな空間を演出していて格好良すぎる。こんな暖炉がある家を建てたいなと妄想したり。

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全体の空間はキッチンスペースとカウンター、写真には写ってはいないもののダイニングで構成されていて、ひとりでもふたりでも子供連れでも、老若男女が気兼ねなく食事ができる仕様になっています。調理スペースがオープンでライブ感のある空間です。

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ダイニングで使われている宮崎椅子は、背もたれが良い具合に傾いてくれて無限にくつろげてしまう。いつかこんな素敵な椅子を家に迎えたい。そしてこの上部に吊り下げられている照明がほんっとうに可愛くて一目惚れ。欲しすぎて後からありとあらゆる手を使って調べたものの、結局どこの照明かわからずじまいでした…改めて見てもやっぱり可愛いなぁ…

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そうこうしているうちに運ばれた1枚の大きなプレート。「今からメインのお肉をお持ちしますね」と言われ、ワクワクしながら待ちます。

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すぐに200gほどの塊肉が運ばれてきました。5皿目は写真の通り、暖炉でじっくり焼かれた牛肉の塊です。これを切り分けて夫とふたりでシェアしました。

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焼き加減はレア。薪の薫香がいい香り。お肉自体は勿論、付け合わせのタスマニア産の胡椒がとてもよかった。こんなに華やかでベリーにも似たフレッシュ感のある胡椒があるなんて驚きでした。

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コースも終盤。6皿目は焼きおにぎりで、この日は3皿目に出された鮟鱇のあん肝と、その骨で引いた出汁を使って構成されていました。勿論焼きおにぎりは暖炉で焼かれたもの。お焦げの部分がちょうど良い香ばしさ。実山椒があん肝の癖を消していていい仕事をしている。今年は故郷の鮟鱇料理を食べられずに冬を越すのだなと思っていたので、ここで出会えて嬉しかったです。

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7皿目はクレープ。日本酒のムースをくるんだクレープの上から庭で採れた柚子のソースがかけられていて、周りのローストされたナッツや栗のアイスクリームと共にいただきます。柚子の味がかなり峻烈でしびれるくらい力強い酸味。日本酒のムースと相性がよく、全く飽きのこないデセールでした。
ちなみにこのお皿が運ばれる前にメッセージプレートが運ばれてきて「誰かがお誕生日なのね!おめでとう!」と盛大に拍手していたら、まさかの私のプレートだったという恥ずかしくも嬉しい出来事がありました。夫が事前にお願いしてくれていたらしく、プレートに書かれていたメッセージが夫らしい言葉のチョイスで、この人と一緒に人生を歩む決意をしてよかったと改めて思うなど。次の誕生日もこうして楽しくて美味しい時間を一緒に過ごせますように。

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最後の8皿目はビスコッティと庭で採れた薬草のお茶。コースが一通り終わった後に出されるミニャルディーズやプティフールが好きなので嬉しい。薬草茶を飲みながら、昔母親が庭のハーブを煎じて作っていたハーブティーを思い出して懐かしくなりました。
ひとつひとつの料理が楽しくてあっと言う間の約3時間。この制限がある状況下でも、レストランを運営するメンバーが料理を通して伝えたい体験がはっきり伝わり、それらを考えながら演出される苦労はいかほどだろうと思いました。また初めはファインダイニングに分類されるお店だと思っていましたが、実際に足を運んでみるとお店の雰囲気はずっとカジュアルで、様々な人が垣根なく食べる喜びに出会える場所だったことも印象に残っています。いつかこのレストランがやりたいことを気兼ねなく実現できるようになった時、改めてまた伺いたいです。

 

 終わりに

先日、映画「チャンシルさんには福が多いね」を見た時に、久しぶりにいい映画を観た気持ちでいっぱいになり、しみじみと幸せでした。
映画のくだりで、チャンシルが映画が好きだと言う相手に何の映画が好きかを聞いて、ノーランの映画が好きだと返された時のあからさまなガッカリした態度の可笑しさ。それからレスリー・チャンと言い張る男の存在。彼女が生きていく上で本当に必要なもの。どんな時でも映画が好きで、映画に一途だった人だからこそ描ける物語があって、そうした物語を別の国で生きる언니が紡いでいることに元気を貰う映画でした。
同時にこんな時だからこそ、やはり映画や文学、芸術や食事に救われているとも思い、不要不急と順列をつけられた産業が今後残っていくために、自分ができることは何だろうと思った出来事でもありました。

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写真は元日に見かけた一羽の海鳥。どんな人にとっても、生きていこうと思える瞬間がある一年でありますよう。

 

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ミニマルに生きることは可能なのか「ハッピー・オールド・イヤー」

この日は誕生日だったので夫に「今日は一切の家事をしない日にする」と宣言して、久しぶりに映画館へ映画を見に行った。ひとりで映画を観ることが嬉しく、新宿駅中央東口からルミネエストの中を一目散に通り抜けて、足早にシネマカリテへと向かう。
2020年は4月以降どうしても映画を観る気になれず本を読んでばかりいたが、こうして映画館へぐんぐん向かっていると、今年はもっと映画を観れそうな気がしてくる。思い返せば東日本大震災の後、私は文字通り寝食を忘れて狂ったように映画を観た。1日あたり平均5本もの映画を観ては、感想をノートに書き綴ってまた映画を観る日々。あの頃の経験が何の役に立っているかと聞かれたら上手くは答えられないが、少なくとも人生の中の豊穣な時間であったことに間違いはなく、今の自分を形作る欠片にはなっていると言えるだろう。そしてなんとなくだが、今年はあの頃のような情熱が再燃しそうな気がするのだ。
そんなわけで誕生日は映画館で映画を2本、自宅で1本観ることにした。1作目はずっと気になっていたナワポン・タムロンラタナリット監督の「ハッピー・オールド・イヤー」である。

※以下ネタバレを含みます。

募集終了【12月3日開催】『ハッピー・オールド・イヤー』Fan's Voice独占最速オンライン試写会 参加者募集 | Fan's  Voice〈ファンズボイス〉

製作:2019年
原題:Happy Old Year
公式HP:「HAPPY OLD YEAR ハッピー・オールド・イヤー」公式サイト

物語は主人公のジーンが真っ白な塵ひとつない部屋で、インタビューを受けているシーンから始まる。ここはデザイナーとして働く彼女の事務所のようだ。インタビュアーが事務所を作り上げるまでの経緯を訪ね、そこからジーンの回想が始まる。
帰国したばかりのジーンはデザイナーとしての仕事のチャンスを得て、それにふさわしい事務所を構えようと奮闘している。目標はミニマルなライフスタイル。自分にとって本当に価値のあるものだけを手元に残し、モノへの執着を捨て去って、感情に囚われない豊かな生活を手に入れるのだ。しかしそんな目標と裏腹に、事務所を構えようとする実家の雑居ビルは母と兄と過去の自分、そして幼い頃に家を出て行った父の荷物が山のように積み上がっている状態である。
始めは家族の想い出もなんのその、目についたあらゆるモノをがむしゃらに捨てて、兄に「破壊王サノス」と名付けられるほど断捨離に熱中するジーン。しかしそんな中、ジーンの元を訪れた親友のピンクが、ゴミ袋から昔ジーンにプレゼントしたCDを見つける。「モノを捨てても相手の気持ちは消えない」とピンクに諭されたジーンはそれならと、過去の人間関係を清算するために家に散らばるモノを持ち主たちに返し始める。
始めは「返してくれてありがとう!」と言われ、いい気分になったのもつかの間、もう顔も見たくないと言われたり苦い思いをすることも。ゴミ袋に捨てようとしていた「しがらみ」や「感情」に次第に振り回され始めるジーン。そして元カレから託されたカメラを彼に返しに行くのだが、彼女の清算したい気持ちとは裏腹に人間関係は交錯していく。

ハッピー・オールド・イヤー : 作品情報 - 映画.com
本作の主人公であるジーンはかなり身勝手で頑固な女だ。「モノも人間関係も気持ちよく清算したいから相手に返しにいこう!」と考えてしまう思考回路や、元カレに「あなたは運命の人ではなかった、私は最良の選択をした」と言い放ってしまう独善さ。伝えただけで、モノを返しただけで、これまでのしがらみや感情は完結する!と考えているジーンのおめでたさは滑稽ですらある。しかし本人はいたって真剣なのだ。始めはその空回りが可笑しくさえあるのだが、次第にその相手不在のコミュニケーションに痛々しさを感じてくるようになる。
断捨離を始めた頃、ジーンの視界にはジーンしかいない。断捨離の極意は「決して感情に振り回されず想い出を振り返らないこと」なので、相手の気持ちをいちいち考えることは非合理的だからだ。自分がこうしたら相手はどう思うか?を徹底的に排除して突き進むのは、感情の負担が少なく作業も進んで気持ちがいい。相手に借りたままのイヤリング、溜まった写真のデータ、元カレに「向こうの写真を撮ってきてよ」と手渡されたフィルムカメラ。胸にチリつく感情もゴミ袋にどんどん入れて行けば、やがて入れたことも忘れる。しかし、本当に忘れられるだろうか。
親友のピンクに諭されたことをきっかけに、ジーンは少しづつ「許されるために・過去を清算するために」モノを返し始める。その一環として元カレに再開し「なぜ自分が彼から離れたのか」を全て吐露するシーンは、彼女の思慮の浅さを際立たせていて静かな迫力に満ちている。ここでも彼女の視界には許されたい自分しかおらず、目の前の人間は存在しない。彼は断捨離の対象でしかなく、そうすれば彼の想いも自分の後ろめたさも全て清算できると思っているからだ。しかし、たとえモノや関わってきた人を目に見えないところに追いやって蓋をしたとしても、時々何かの拍子に蓋が開いて、後ろめたさや気まずさが胸を小さな針でつつくことからは決して逃げられない。そんなジーンを嘲笑うかのように、人間関係はどんどん拗れ、捨てようとしていた感情にも向き合わざるを得なくなってくる。モノが手元から無くなったからといって、相手に自分の想いを伝えたからといって、線引きをするかのように相手から向けられる感情や自分の血肉となった過去と決別することなど、誰ができるというのだろう。
明日、チュティモンちゃんが戻って来る! 『ハッピー・オールド・イヤー』 - アジア映画巡礼

この物語の焦点はジーンと元彼のエムに合っているが、一方で年老いた母とのやりとりは若者と親世代との相容れなさを表していて秀逸だ。グローバリゼーションによって個人化が進み、西洋文化に慣れ親しんだ若い世代と、家族の結びつきを是として生きる親世代。同じ母語を話しているにも関わらず、お互いの意図が噛み合わずに話し合うことすらままならないジーンの家族は現代タイ社会の縮図でもある。
そもそもミニマリズムとは現代の消費社会において注目されるようになった思想の一つだ。シンプルライフという耳触りのいい言葉やコンマリというキャッチーな言葉まで、その思想はありとあらゆる所に隠れている。なぜモノが無ければ無いほど「豊か」になれると人は思うのだろう。また、その状態を思い浮かべる時に、寂れた団地の一室に置かれたパイプ椅子と作業用のテーブルではなく、高い天井とミッドセンチュリーの家具にデザインが洗練された調度品を連想するのはなぜだろう。ジーンや、それらに憧れた人々が目指すその像は一体何によって刷り込まれ、憧れるようになったものなのだろうか。それらを考えたときに、ジーンと母親の立場がよりクリアに、そして一種の皮肉さを持って立ち上がってくるように思えてならない。
HOW TO TING: Q&A WEEK - DESIGN / ARCHITECTURE - art4d

見終わった後、きっとこのシンプルでミニマルな事務所へと変貌を遂げた家には彼女の母はいないだろうと想像する。文字通り漂白された部屋には家族の歴史も、過去の想い出も残らない。この部屋で、ジーンはどんな人間になっていくのだろうと思う。捨て切れなかった心の澱が、時折何かの拍子に彼女の胸の内で舞い上がればいいと思う私は、到底ミニマリストにはなれないのかもしれない。