東京で暮らす女のとりとめのない日記

暮らしとカルチャー、ミクスチャー

映画「ゆるキャン△」は疲れたアラサーの心にしみる、おかゆ映画だった

つい先日、映画「ゆるキャン△」を見てきた。アニメ版のゆるキャン△を見たのは大学生のころ。当時は院進か就職かを悩んでナーバスになっていた時期で、テレビから流れる高校生の日常風景に、しみじみと癒されていたことを覚えている。ちょうどキャンプを始めたばかりの時期でもあったので、つたない様子を重ね合わせて共感してもいた。

結局そのあと就職し、今は社会人としてあくせくと日々を過ごしている。今でもキャンプは細々と続けていて、たまにふらっと出掛けては湖や川の近くでテントを張り、星を眺めては「やっぱりいいなぁ」と思う。そして翌朝は痛くなった身体を温泉でほぐすまでがワンセットだ。マッチポンプマッチポンプ

ふもとっぱらキャンプ場での一枚。富士山が見えるキャンプ場はやっぱりいい

そんなとき、大好きだったゆるキャン△が映画化するということで、久しぶりに劇場へと足を運んだ。今回は社会人になったキャラクターたちの生活を描いた作品らしい。かなりシビアなゆるキャン△になっていたらどうしよう、あるいは自分がもう面白いと思えなくなってしまっているかも…そんな不安を抱いての約2時間。結局そんな不安は杞憂に終わり、劇場を出る頃には少しだけ元気になっていた。

 以下ネタバレを含むため未見の方はご注意下さい。

 

あらすじはこちらから

yurucamp.jp

 

社会人3年目女子の生態がリアル

冒頭のリンちゃんとあきちゃんのサシ飲みシーンから、劇中に登場する5人組は、おそらく社会人3年目くらいの設定なのだろう。

リンちゃんは名古屋の出版社で働いていて、営業から編集部に移動したばかり。あきちゃんはイベント会社から転職して、現在は地元山梨の観光推進機構で企画を担当している。なでしこは立川でアウトドア用品の販売員、えなちゃんは横浜のペットサロンでトリマー、犬子は地元山梨で小学校の先生をやっているという設定だ。

仕事はできるようになってきたけれど、時々失敗することもある。家に帰ると疲れて寝落ちすることもあるし、休日は遊びに全力というわけでもない。みんな忙しくて時間もなかなか合わないので、学生の頃のように高頻度で集まることもできていない。けれどLINEではゆるくつながっていて、ときどき近況報告や写真が流れてきては、それにコメントを打ち返す。学生の頃の思い出が、川底に残る砂金のように、時折キラキラとかがやくような生活だ。

3年目女子の暮らしぶり

作中ではそれぞれの暮らしぶりが、等身大に描かれていて好感が持てた。

リンちゃんは名古屋市内で一人暮らし。乗り換えを1回挟んでいるので金山あたりだろうか。名古屋市内だと、1Kで駐車場付きマンションの家賃は60,000〜75,000円くらいだし、オートバイは祖父が譲ってくれたものなので、お金もそこまでかからない。週末はツーリングが趣味というのも名古屋ならちょうどいい。近くには岐阜もあれば長野もあり、滋賀もあり。探せば安いキャンプ場もあるし、日帰りでも泊まりでも楽しめるいい街ばかりだ。(実はつい最近までわたしは本気で名古屋に移住したいと思っていた)

対するなでしこはお金をアウトドアに全振りしていてほほえましかった。立川にある駅遠のアパートに住み、平日は勤務先までロードバイクで出勤するというのも、自称「体力だけは売るほどある」なでしこらしい。初めはママチャリで、そのあと貯金を貯めてロードバイクを買ったのだろうか。インテリアにアウトドア用品がまざっているのもらしさがあった。アウトドア用品は社割も使って集めているんだろうなと考えて、趣味を仕事にした好例だなぁと笑ってしまった。立川なら都内とはいえそこまで家賃も高額ではないし、山梨へのアクセスも良いので住みやすい街だろう。

えなちゃんがチンクエチェントに乗っていたのには驚いたけれど、よく考えたら外資系サラリーマンのパパが出資してくれたんだろうな…などと想像も膨らむ。(アニメでも、えなパパはサラッと4万越えの寝袋を買ってくれていた)作中では愛犬ちくわもヒーター付きコットでラグジュアリーにキャンプを楽しんでいて、今回もえなパパの財の波動をしっかり感じた。そんな中で手に職をつけて、自分の好きなものを追求して堅実に生きているえなちゃんはえらいと思う。エンディングで真剣に仕事を取り組んでいる姿には胸が熱くなった。

創作の世界なので、別に一人暮らしの女子の生活がトリッキーに描かれていてもいいのだけれど、やっぱりきちんとリサーチされていて、キャラクターとの整合性が考えられていると、その作品への信頼度がグッと増すように思う。そしてそんなところがやっぱりゆるキャン△だよなぁと安心した。アニメというより群像劇を見ている感覚に近い。なによりみんな自分でしっかりと自活している姿に、胸がいっぱいになってしまった。

3年目女子のキャリア

そんななかでも「リアルだな〜」と感じたのがあきちゃんのキャリアだ。「東京はもう満喫した」というセリフのように、きっとあきちゃんにとって東京は暮らす場所ではなくて、過ごすうちに山梨への想いが強くなっていったのだろう。新しい転職先ではイベント企画で培ったキャリアも活かせるだろうし、ジョブチェンジとしても好例だ。

これは地方から都会に出てきた人あるあるだと思うのだけれど、都会で働いていると「あれ、結局わたしってずっとここで暮らすんだっけ」と我にかえる瞬間がある。劇中でも演出されていたように、都会にいると常に匂いや音が途切れないのですごく疲れるし、地縁関係が希薄なことで「絶対ここにいないといけない理由」がなかなか生まれにくい。そんなときに地元に帰ると親は老いているし、地元は寂れてきていて、でもいいところも変わらず残っていて…本当に東京にいることが自分にとっていいことなんだろうかと思うのだ。

私は結婚したことが残る理由のひとつになったけれど、そうじゃなかったらあきちゃんのような人生を選んでいたかもしれない。「東京はお金があれば楽しい街だよね」と言って地元に帰っていった友人たちを思い出して、もしかしたらこうして生きたかもしれない自分の人生を重ねて見た。

そして犬子のキャリアも地方在住公務員あるあるで、みていてたまらなかった。自分の勤め先が廃校になって、財政も縮小傾向で、それでもその街で生きていくんだという覚悟。これから次々と小学校が縮小されていく将来に不安を感じつつも、気丈にふるまう犬子をみたら泣けてしまった。あんな悲しい「うそやで〜」は反則だよ…

観光推進を丁寧に描いている

映画内では放置されていた廃墟をゆるキャン△のメインメンバーである5人がキャンプ場として生まれ変わらせるプロジェクトが進んでいくのだけれど、これもとてもよかった。

最初は見切り発車感があって、失敗するベンチャーを見ているようでハラハラしていたのだけれど、話が進むにつれてお互いがうまく作業分担をして、キャンプ場の企画と理念を共有して、県と地元住民を巻き込みながら、Web媒体などでも発信するという…ちゃんとしているプロジェクトになっていってリアリティがあった。

途中、キャンプ場建設地でちくわが土器を掘り当てたときは「もう終わった…」と思ったし、登場人物並みにめちゃくちゃ凹んだ。(遺跡が発掘されると調査のために作業が中断するだけでなく、その土地を資料館にするなどの代替案に変わってしまうことがあるのだ)

もともと純粋な善意かつ無償で始まった団体活動だということもあり、遺跡発掘というアクシデントは心を折るのに十分すぎる出来事だったと思う。それでもめげずに全員が一丸となって「遺跡×キャンプ」というテーマを打ち出したのは、かなりいい落としどころだったなと感じたし、あきちゃんのプレゼンではボロボロに泣いた。

アクシデントを他のキャンプ場との差別化できる強みに変えて、なおかつキャンプ場のテーマである「再生」とも絡めて再度企画を練り直すたくましさ。事前に現地調査に立ち入る許可をもらい、発掘作業を手伝いながら、対立する立場にあるアクターへの理解を深めて行ったのも感動した。

そして劇中ではサラッと書かれていたけれど、ちゃんとあきちゃんが地元住民と観光地の合意形成をしているのも好感が持てた。観光地では、観光地化に成功したけれど、観光客のマナーが悪かったり、地元の住環境が変わったり、ジェントリフィケーションが起こったりと、地元住民のQOLが下がってしまう事例をよく聞く。

それは双方にとってつらい経験になってしまうので、きちんと合意形成をして、その土地の有識者やリーダーを巻き込んで、観光地を整備していくというプロセスが必要なのだ。それを率先して実現していたことが本当に素晴らしかったし、これをアニメで丁寧に描くのかと驚きもした。よくね、あるんですよ。「なんか面白いことやりましょう!」と言って、合意形成をせずに勝手に箱だけ作って火種を撒き散らして消えていく会社が…

エンディングで「結局キャンプ場はオープンできたけど、これからの運営は誰がやっていくの?」という疑問をきっちり解消していたのもよかったなぁ。ゆるキャン△はつくづくレスポンシビリティが高いアニメだと感じた。

大人同士になっても、やっぱりキャンプは楽しい

そしてなにより嬉しかったのが、大人になった五人がまた仲良くキャンプをして「楽しいね」と笑い合えていたこと。地方出身だと、東京進学組と地元組でいつのまにか分かれてしまっていたり、帰ってもなかなか予定が合わなかったりと、次第に地元の友人たちとは疎遠になってしまう。

そんな経験もあって、高校時代の友人とあつまってキャンプをするというのが、とても奇跡のように思えてしまい、「またみんなとこんな時間を過ごしたかった」と言っていたなでしこの願いが叶った瞬間、ほろほろと泣けてしまった。そうだよねぇ、この「楽しい」を分かち合うのがキャンプなんだよね。

そうしてなでしこの人生に影響をあたえたリンちゃんと、同じように影響を受けてたくましくなったなでしこを見ていたら、いまでもつながっている友人たちを大事にしなきゃなぁと思わされたのだった。とにかくやっぱり、ゆるキャン△っていうのは人生なんだと思う。

おわりに

見るまではドキドキしていた映画「ゆるキャン△」だったけれど、見てみたらとっても楽しかったし、安心感のあるトーンでほっとした。社会人生活で疲れた心と身体に沁み渡る、まさにおかゆ映画。社会人生活も板についてきて、指導をする立場になった今だからこそ、とても沁みるものがあったし、改めて私も頑張ろうと感じた。こうして人は責任と自由のはざまで揺れながら生きていくんだよな。

これから先もずっとゆるキャン△が続いていってくれたらいいなぁと思うし、またこうして人生の節目で五人に会えたら、自分が何を感じるのかがとっても楽しみだ。

そんなわけで、いまからキャンプにいってきます。

旅情あふれる街、湯河原で大人の夏休みを満喫した初夏の記録 伊藤屋 宿泊記《後編》

前回の話はこちらから

lesliens225.hatenablog.com

宿をチェックアウトしたあとは、となりにある小梅堂へ。お茶菓子のきび餅がとても美味しかったので、自宅用に買っていくことにした。写真を撮っていると、伊藤屋から出てきた宿泊客が、次から次へと小梅堂へ吸い込まれていく。みんな同じことを思うんだなと可笑しくなった。

しかしこの店構えよ!あまりにも良すぎる。もし可能ならじっくりと見学してみたい…

さらに中に入ると見事な造りで、口をぽかんと開けてしまった。お店のひとに声をかけられて我にかえり、きび餅とばら売りされていたかるかんを1つだけいただく。なぜ湯河原でかるかんなのか尋ねると、創業当初にここで働いていた職人さんが薩摩出身だったからとのことだった。

さて、車に荷物を置いた後は、宿でもらったまち歩きマップを片手に湯河原町の散策へ。

街の中心に川が流れているので、どこを通っても水の音が聞こえるのがいい。温泉街というと、バブル期に増築した大きな建物が、その後の不景気に耐えきれず老朽化しているイメージだったけれど、湯河原はそうしたものは少ないのが印象的だった。旅館が隣接していてそれぞれの土地が狭いせいだろうか。あるいは街が景観の保存に積極的だったのだろうか。

そのまま藤木橋を渡って湯本通りをぶらぶらと歩く。

この石畳の良さ!通りには大正期の建築が点在していて風情がある。確か小田原は1945年の7月から8月にかけて空襲があったはず。その戦火を逃れてこんなに建物が残っていたとは。通りは静かな小径で、車一台が通るのがやっと。遠くでは季節外れのウグイスの声が聞こえた。

そしてこのあたり一帯を歩いていて驚いたのが、温泉やぐらがあちこちに点在していること!そりゃ源泉掛け流しの宿も多いわけだと納得。

通りの突き当たりには、かの有名な上野屋があった。伊藤屋とおなじくこちらも登録有形文化財の宿で、水戸光圀公が湯治に訪れた歴史がある。湯河原と言えば上野屋、伊藤屋、そして藤田屋が歴史を感じられる3大旅館のイメージ。夫が「いつか泊まってみたいな」と言うので、頭の中にある<いつか夫を連れていく場所リスト>にインプットした。

そのまま小梅橋を渡り、もと来た道を戻っていると、気になる路地が見えてきた。

どうやらこの上には亀屋旅館という温泉宿があるらしい。展望がのぞめるかもしれないないので、奥へとすすんでみることに。

 

 

通りに入ると、狭くて急な坂道が見えてきた。どことなく尾道を思い出す。

到着した亀屋旅館はどうやら休業中のようす。温泉スタンドの営業もされていたようで、いったいどんな人が買いに来たのだろうと想像する。

そのまま奥に進むと、視界がひらけて湯河原の街が一望できる場所があらわれた。もはや全身汗だく。けれど心持ちは爽やかだ。こうしてみると、湯河原は谷あいにできた温泉街なのだなということがよくわかる。

いい景色も見れたので、そのまま来た道を戻る。この傾斜よ!途中、かわいい猫がいたのだが、声をかけるとサッと逃げてしまった。

戻る道すがら、富士屋旅館へとかかる赤い橋が見えた。千と千尋の神隠しを彷彿とさせるらしく、ときどき撮影スポットにもなるらしい。

さて、いい具合に疲れてきたので、万惣公園にある茶室でひとやすみすることに。この階段を登って右手に向かい、さらに2階側に向かって階段を登った先にあるのが、万葉亭と呼ばれる茶室だ。

橋を渡ると、野趣あふれる建物が見えてきた。この万葉亭は、数寄屋建築の名手として名高い堀口捨巳が手掛けた、現存する数少ない茶室なのだ。

ぐるりと回り込んで外観を眺める。なんというか、今まで数寄屋というものは嫌味なくらい洗練されていて、神経質なくらい研ぎ澄まされた空間というイメージがあったのだけれど、堀口の数寄屋はかなりのどかで、やたら土着的な印象を受けた。好きかと言われたら苦手な部類だけれど、数寄屋建築を理解する上ではかなり面白い建築だなと思う。

中に入ると、囲炉裏が足元にあって驚いた。いや、石がでかいな。ここまでくると、数寄屋建築というよりは、かなり縄文建築っぽくないか?そう思って天井を眺めると…

天井はまさに縄文住居とおなじ小屋組みで構成されていた。ああ、これ狙ってやっているのね、ということに気づく。なんとなく堀口が数寄屋という形式を使ってやりたいことがわかってきた。

室内は一見ふつうの茶室に見えるけれど、よく見ればにじり口もなく、かなり開放感がある。床も入り口付近にあり、頭の中にある茶室のイメージと目の前の空間がうまく一致しない。あえて様式やマナーが適用しにくくされている空間だと感じた。

天井部分にもその挑戦は見て取れる。自分の研究をもとに、日本建築の成り立ちをよりプリミティブな立ち位置から解釈することに挑戦しようとしたのだろう。

茶室では500円で抹茶とお菓子をいただけるとのことなので、せっかくだからとお願いした。お菓子はさきほどきび餅を買った小梅堂のもので、この茶室のためだけに作られたものらしい。建物の雰囲気のせいか、いつも緊張感がある茶会が、この日はのどかなものに感じられた。

Information

名称:万葉亭
住所:神奈川県足柄下郡湯河原町宮上567-8
定休日:月・水
URL:https://www.yugawara.or.jp/sightseeing/2100/

さて、そろそろ予約の時間が近づいてきたので、伊藤屋の前まで戻って権現橋をわたり、待ち合わせの光風荘へ。

光風荘へ向かう途中の道には、源泉が湧き出しているところがあった。見た目には熱そうにみえないので、触ってもいいのかと看板の説明書きをみると、「高温なので手をいれないでください」という注意書きが。危なかった…まさかの湯河原トラップに笑ってしまった。

光風荘の前に着くと、すでに今日案内してくださるガイドさんが到着されていた。

現在、光風荘は感染症対策のため、見学は予約制をとっている。当日はボランティアガイドが1名ついて、中を案内してくれる仕組みだ。

今回担当してくださる方が羽織っていたベストの胸元がかわいらしかったので、許可をとって撮影させてもらった。湯河原のゆるキャラでゆたぽんというらしい。足をチョイとあげていてキュート。

ここからの撮影は禁止なので写真はないのだけれど…おおよそ2時間近くのガイドはとても濃密で面白かった。この光風荘には2.26事件を実行した首謀者とその被害者、そして関係者の資料が展示されており、その事件の生々しさが伝わってきた。

2月26日の朝、牧野伯爵の警護についていた皆川巡査は、勝手口から「電報、電報」という声を聞く。不審に思い自ら応じて扉を開けると、河野大尉から銃を突きつけられ「牧野伯爵の部屋を案内せい」と告げられた。部屋へと向かう途中、皆川巡査は案内するふりをして河野大尉に振り向きざま発砲し、重傷を追わせることに成功する。しかし自らも同時に銃弾に倒れた。

銃声に驚いた看護師の森鈴江と牧野伯爵、そして娘の吉田和子が飛び起きたとき、河野大尉の指示で光風荘に火がつけられた。看護師はまだ息のある皆川巡査を助けようとするが、「自分はいい」と言われて牧野伯爵と和子と共に脱出する。

光風荘から上がった火の手に気づいた、当時の消防団員だった岩本亀蔵が何事かとかけつけ、急いで街の半鐘を鳴らそうとすると、見張りをしていた水上源一に銃をつきつけられ、引き返すように告げられた。しかしこれでは街に被害が出ると思った亀蔵は、いそいで光風荘へと駆けつける。すると光風荘の近くで、女ものの羽織を羽織った牧野伯爵と目があった。和子の機転で牧野伯爵は女ものの着物を羽織り、女性に粉していたのだ。伯爵が拝むようなしぐさをしたことで亀蔵は事態を察し、彼らを安全な場所へと避難させた。

「よければ、そのときの脱出ルートを一緒に歩いてみますか」とガイドさんに提案されたので「ぜひ!」とふたつ返事でお願いする。当時はまだ冬。娘の和子はのちに当時をふりかえり「恐ろしいということより、寒かったことを思い出す」と言っていたそうだ。

光風荘のわきにある階段を登り、牧野伯爵らが震えていたという崖をのぞく。今は草木が生い茂っていて、雑木林のようになっていた。

階段を降り、さらに万惣テラスへと向かってゆるやかな坂を登る。

さらに石段を登ると、熊野神社へむかう参道が見えてきた。

この先にある民家で牧野伯爵らは匿われ、警察などの手によって無事に湯河原を脱出することに成功したそうだ。この2.26事件では、皆川巡査が殉職された。私が知るところの2.26事件はここまでなのだが、光風荘にはその続きの資料も掲載されていた。

まず河野大尉。彼はその後、熱海の陸軍病院で治療を受けていた。その後大尉は、家族から差し入れされた果物ナイフを使用して自決を試みる。しかし果物ナイフでは致命傷を負うことができず、病院の裏手でのたうち回っているところを医師らが発見した。医師らは救命措置を行おうとするが、本人の希望でそのままとされ、結局失血死で河野大尉は死亡した。彼の家族である弟からの手紙には「わたくしは兄様のことが大好きです」という言葉と共に、家族が自決を望んでいることが綴られていた。

次に民間人であり弁理士であった水川源一。彼は事件前に恋愛結婚をし、妻と幼い娘がいた。しかし本事件に参加後、死刑となる。死刑判決後、妻のはつねは2.26事件に関与した人間の家族として、厳しい視線を浴びせられることも多かった。都内でタイプを学んだあとは、満洲へと飛んで仕事を獲得。その後娘を呼び寄せて生活した後、終戦前に日本へ帰国した。一度は再婚したものの、その後離婚。最後は水川家の墓に入り、激動の人生を終えた。光風荘には水川の骨壺をかかえるはつねと、何も知らずにほほえむ幼い娘の写真があり、事件の物悲しさを語っていた。

それ以外では、協力者の渋川善助が死刑判決を受け、残りの6名は禁固刑となった。

2.26事件はこれで幕を閉じるが、これをきっかけに内政では軍部の発言力が増大し、日本は太平洋戦争へと突入していくことになる。

もともと2.26事件に関与した青年将校たちは、貧しい暮らしの中で、家族を食べさせるために軍へ入った者が多かったという。そんな者たちが中枢の人間に利用されたことを哀しく思う。決して暴力によるクーデターは許されることではない。けれど、こうしたときに矢面に立つ人間の影に隠れて、ああ、あいつらは実に都合のいい駒だったと笑っている者たちは、なにひとつ変わらない生活を続けていったことを思うとくらくらする。そして犠牲になった人々と、その後の家族の激しい人生を思えば、なんと虚しいことだろうと感じずにはいられなかった。

ところで、この地に麻生太郎氏が訪れたことは無いそうなのだが、縁があるとして自筆の石碑を寄贈したらしい。それがこの写真。その後、麻生氏の叔母が当地を訪れてこの石碑をみた際に「麻生太郎は字が下手だねぇ」と言った話もおまけで教えてもらった。

湯河原の歴史に触れ、とても濃密な時間を過ごすことができた日。ボランティアガイドの方にお礼を告げて、その場をあとにする。坂を下ると、今日まで宿泊していた伊藤屋が目の前に見えた。

Information

名称:光風荘
住所:神奈川県足柄下郡湯河原町宮上562-3
備考:2022年7月現在、Google Mapでは臨時休業中となっているが、予約をすればガイド付きで見学が可能。予約は1週間前までに湯河原町役場にて。(電話予約可)

帰りは湯河原惣湯 Book and Retreatでコーヒーをテイクアウト。ひさしぶりに訪れたけれど、広場にハンモックやベンチが出ていて、いろいろな人が様々な形でゆったりとくつろいでいる姿が印象的だった。

家の塩を切らしていたので、ついでにマルドンのシーソルトも購入して帰る。わずか1泊2日の滞在だったけれど、とってもリラックスしてユニークな旅を過ごすことができた。夫への誕生日プレゼントだったのに、すっかり私がはしゃいでしまう始末。

湯河原は箱根ほど観光客でごった返しておらず、静かにショートトリップをたのしみたい人にはとってもいい街だなと改めて。わたしも夫もすっかり気に入ってしまった。またこうした風景を楽しめるよう、日々の生活に仕事に邁進していこう。

Information

名称:湯河原惣湯 Book and Retreat
住所:神奈川県足柄下郡湯河原町宮上566
備考:最新情報はInstagramを参照
URL:https://yugawarasoyu.jp(公式HP)
   https://www.instagram.com/yugawarasoyu/(IG)

 

温泉旅行に関連する記事はこちらから

lesliens225.hatenablog.com

lesliens225.hatenablog.com

旅情あふれる街、湯河原で大人の夏休みを満喫した初夏の記録 伊藤屋 宿泊記《中編》

前回の話はこちらから

lesliens225.hatenablog.com

 

到着してからあっという間に時間が過ぎ、気づけば夕食の時間だった。この日は夕食のあとに万惣公園へ蛍を見に行く予定だったので、早めの時間帯で食事をお願いしていたのだが、なんと仲居さんが担当されているお部屋全てが同じ時間を希望されていたらしい。夕食の支度を整えながら、仲居さんが「皆さん、やっぱり蛍を見にいかれるみたいですね」と言う。

続けて「本当だったら丁寧に説明するのですが、今日担当がわたしともう1名しかいなくて。申し訳ないのですが、お品書きの説明は割愛させていただいてもよろしいでしょうか」と申し訳なさそうに言うので「いやいや、もう全然気にしないでください」と労った。

こちらが今回のお品書き。お造りだけでなく、桜海老真薯やしらすのカマチーズ焼きなど、地のものが楽しめるメニューなのがうれしい。夕食の配膳は3回に分けて運ばれてきた。

部屋によってメニューの内容やサービスに一部変更があるものの、基本はどの部屋も同じくらいの品数が用意されるそうだ。部屋食が苦手な人は、新館に椅子とテーブルが用意された食事場所があるので、事前に希望すればそちらで食べることもできる。

まずは食前酒と先付のひすい豆腐、それから前菜。食前酒はゆず酒でさっぱりとした風味がいい。ひすい豆腐は目に鮮やかで、鰹出汁が効いている。前菜もどれも過不足なく、特にしらすカマチーズが旨味が詰まっていて美味しかった。

続いてお造りと台の物。この日のお造りは鮪と海老、それから鯛と烏賊。隠し包丁が入れられていたり、ねかせてあったりと丁寧で美味しい!そしてツマが大根だけではないところと、薬味に紅蓼があることに、好感度が爆上がりになる。そして台の物は相州牛。メインはもちろん、つけあわせのジャガイモがインカのめざめで、夫婦そろって顔を見合わせた。脂を吸った野菜の旨味よ…

これは絶対に日本酒が必要でしょうと思い、メニューから伊藤屋限定の日本酒をお願いする。

お銚子をそのまま出されるかとおもいきや、丁寧に冷やされて出てきたので驚いてしまった。丹沢のお水で仕込んだ日本酒はキリリとしていて、嫌味のない味。どの料理にも合うのでスイスイいけてしまう。

続いてやってきたのが焼物と蓋物、そしてサービスの煮付け。今年は鮎を食べずに夏を迎えるのかと思っていたので、食べることができてうれしい。蓼酢もいいけど、塩焼きはよりプリミティブなおいしさがある。蓋物の赤紫蘇麩は生麩のようで、もちもちとした食感がよかった。サービスの煮付けも美味しくて、生姜が聞いたさっぱりとしたあしらいにお酒がすすむ。

「あとは揚げ物とご飯ものだね」と夫と話をしていると、器を下げていた仲居さんが「あの、おふたりはお蕎麦はお好きですか」と言う。

「ええ、好きですよ」と夫がほほえんで伝えると「お腹とご相談いただいて、もしよろしければ、次のお料理が出るまで少し間があるのでお蕎麦をお出しします」とのこと。さっきもサービスで煮魚をいただきましたよ…!?とはいえせっかくなのでお願いすることにした。

こちらが2度目のサービスの茶そば。すだちがキュッと聞いていて、わかめもシャクっとした歯ごたえがあり、鰹出汁がしみわたる。あっという間にツルツルと食べてしまった。

続いて揚げ物と酢の物が出され、そのあとにごはんと漬物、赤出汁の味噌汁が提供された。揚げ物のなかでも桜海老真薯は上品なおいしさで、すっかり気に入ってしまった。次の酢の物も、地鯖の南蛮漬けが出汁酢が効いていてよかった。酸味で口の中がすっきりしてありがたい。漬物もシンプルで、欲しいところに味を置きにくるようなおいしさだ。

赤出汁の味噌汁にあさりのつみれも、うまみと香りの合わせがよくて満足。本当は白米も食べたかったけれど、お腹がちょうどいいくらいだったので私はスキップした。なかなか美味しい米だったらしく、夫は2回おかわりをしていた。最後はレモン葛切。さっぱりとしていて余韻がいい。仲居さんが淹れてくれたほうじ茶を飲み、満足してふうと息をついた。

実はこの宿をリサーチした時に、料理に対して酷評されているレビューをみかけたので「あんまり期待しない方がいいのかな」と思っていたのだが、結果的にどれもよくて嬉しい誤算だった。重要文化財の中にある調理場で、これだけの品数を用意して調理するという、料理人泣かせな環境でこれだけのもてなしをされれば重畳だと思う。オーベルジュや通常の料理店と同じ感動を期待するとがっかりするのかもしれないけれど、オーセンティックな旅館の「食事を提供する場として決して優位ではない環境で、お客が楽しめる最適解を提供し、楽しんでもらうスタイル」が好きなひとなら、きっと気にいるはずだ。

料理が終わった後は、番頭さんが一の間に布団を敷いてくれた。手際がよくて、ものの5分も経たないうちに、きれいに2組の布団が整えられていた。やはり忍者のよう。

さて、お腹もいっぱいになったので、この旅行のもうひとつの目的だった蛍の観賞へとでかけることにした。

実は湯河原では、毎年5月の中旬から6月の中旬にかけて、万惣公園で蛍を鑑賞することができる。昔なにかの話の流れで夫が「今まで蛍を見たことがないんだよね」と言っていたので、いつか見せたいと思っていたのだった。

万惣公園に向かう途中、かわいいのぼりを見つけたので写真を撮った。街ぐるみでこういう取り組みをしていてるっていいよなぁ。広場には3店舗ほどフードトラックも出店していて、こぢんまりとしていながらも賑わっていた。

受付でパンフレットをもらったあとは、ちゃんと蛍を夫に見せられるだろうかと、ドキドキしながら会場へと進む。会場は写真撮影もOK。ただしフラッシュ撮影が禁止なので、念のためカメラのフラッシュモードはオフにしていく。わたしも初めて知ったのだが、これらの人工照明は光害と呼ばれ、蛍同士のコミュニケーションを阻害するだけでなく、幼虫の発育阻害にも繋がり、結果的に蛍の数が減少する要因になるらしい。知っておいてよかった…

向かう途中に見える滝に癒される。近くでははぐれた蛍がふよふよと漂っていた。会場は惣湯テラス側にあるので、奥へ向かってどんどん歩く。道が整備されているので、浴衣に下駄でも十分歩きやすい。

会場に到着すると、ひとだかりができているのでなんとなくの目星がついた。どれどれと近づいてみると…

おお!予想していたよりも、けっこうな数のほたるが飛んでいる。夫が「うわぁ…」と見惚れている様子をみて、連れてきてよかったと安堵した。そうだよね、感動して言葉にならないよね。私も見るのは数年ぶり。最後に見たのは去年惜しくも休園になった、渋谷区植物ふれあいセンターでの蛍の群れ。まさか関東で、しかも自然の中で、蛍の群生を見ることができるなんて思っても見なかった。蛍が群生する場所にはベンチが備え付けられていたので、ふたりで腰掛けてのんびりとながめることにした。

だんだんと暗さが深まってくるにつれて、蛍の明かりが多くなってきた。ひかりに透けた綿毛のように、ふわりふわりと闇夜に浮かんでは消えていく。儚く淡いひかりを眺めながら、言葉を発さずにふたりでいる、この贅沢な時間。何よりよろこぶ夫を見れたことが嬉しかった。

ところで、会場ではけっこうな頻度でスマホのフラッシュを焚いて撮影している人に遭遇した。スマホのカメラで蛍の光を写すことはできないので、そのあたりの認知がひろまってくれたらいいねと夫と話をすると、その前に撮影禁止になるかもなぁとのことだった。残念だけれど、確かにそれがてっとりばやいのかもしれない。フラッシュを焚かれると蛍は弱々しい光になり、見ていて胸が痛かった。

だんだんと蛍のあかりも消え始めてきたので、宿へときた道を夫と戻る。その途中、気になるビアバーを見つけたので立ち寄ってみることにした。

お店の名前はかどや。もともとお土産やだった場所をリノベーションして、去年オープンしたのだそうだ。1階は立ち飲みメインで、2階は普段はテーブル席、時々フリースペースとして落語などが開かれているらしい。

ビールを注文したあと、わたしたちは2階の席へ。ビールをちびちびと飲みながら蛍の余韻に浸りたかったので、テーブル席でのんびりすることにした。蛍の宴に合わせて、店内は薄暗くされていたのもちょうどよかった。

私は伊勢角屋の黒ビール、夫はIPA。こうしてのんびり話をして、感想を共有できることがうれしい。「来年も蛍を見に来れたらいいね」と約束する。こうした小さな約束が、これからの生活の糧だ。

Information

名称:かどや
住所:神奈川県足柄下郡湯河原町宮上566
URL:https://y-d-h.info

そのまま宿に戻ると、夫は部屋につくなり早々に布団へと転がってしまった。「もう寝るの?」と「寝ない」の応酬のあと、寝息が聞こえて思わず笑う。ひとりで酔い覚ましに広縁側の椅子で本を読み、水を飲んで物思いに耽ったあとは、睡魔が誘うままにわたしも夢の世界へと誘われていった。

翌朝、目が覚めると外は晴れ。しらない部屋からの眺めのはずなのに、やっぱりどこか懐かしい。起き抜けに白湯を飲んであたたまったあとは、ひとりで温泉へ。身体の芯までほぐれたあとは、眠っている夫を起こして朝食が運ばれてくるのを待つ。

部屋に入ってきた仲居さんと朝の挨拶を交わし、「昨日は蛍、見れましたか」と聞かれたので「はい!とってもきれいでした」と返す。

いやぁ、朝ごはんも豪華!中央から右回りに、小田原産のアジの干物と、だし巻き卵に里芋の炊き合わせ。それからまぐろの山かけとポテサラ、お漬物と梅干し。写真には写っていないけれど、この他に肉豆腐と炊き立てのごはん、それからお味噌汁。どれも美味しかったけれど、とくにだし巻きがお気に入り。宿泊先の出汁巻きってなんとなく苦手なのだけれど、ここの卵はほの甘くてホッとする味だった。

どれも過不足ないおいしさで、すっかり満足。床上げされてさっぱりした畳に寝転がって、おおきく伸びをすると幸せだなぁと感じた。

朝の結霜ガラスもやっぱり素敵。退室の時間がせまっているのとは反対に、もっとこの部屋でのんびりしていたいという気持ちが強まっていく。

次に泊まるときはもうすこし長めに逗留してもいいな。チェックアウトの時間が迫ってきたので、後ろ髪を引かれながらも旅館を後にした。

外から自分たちが宿泊した部屋をみていると、なんだか一炊の夢のよう。とてもいい体験だったなぁ。

旅館の方に見送られつつ、名残惜しくて写真を撮っていると、番頭さんがそばにきて「この壁も文化財に含まれているんですよ」と教えてくださった。さくらんぼ餅を積み上げたような、なめらかで角のない石材のあしらいが素敵。

最後まで丁寧にもてなしていただいて、満足度の高い滞在だった。仲居さんに「うちは田舎の家みたいでなにもないですけど、よかったらまたいらしてくださいね」と言われたことが心に残る。次はぜひ、五十番代の部屋にも泊まってみたい。

いよいよ旅も中盤。このあとは、事前に予約していた光風荘の見学へ。予約の時間まではもう少しあるので、湯河原の街をぶらりと散歩することにした。

 

光風荘の歴史・堀口捨巳の万葉亭でお茶をした記事はこちらから

lesliens225.hatenablog.com

旅情あふれる街、湯河原で大人の夏休みを満喫した初夏の記録 伊藤屋 宿泊記《前編》

6月の始めに、神奈川にある湯河原町へと足を運んだ。結婚当初に「お互いの誕生日は旅行へ行こうよ」と約束していたものの、気がつけば感染症が流行り、結婚4年目にして初めての記念日旅行になった。夫のリクエストは湯河原。以前、箱根を訪れた帰りに立ち寄ったとき、街の雰囲気がいたく気に入ったそうだ。せっかくなので一泊二日でのんびりと、ふたりでこの地を巡ることにした。

当日は車で湯河原へと向かう。小田原を過ぎて真鶴道路へと進むと、視界がひらけて目の前に海が見えてきた。小田原から真鶴にかけては、横浜や湘南、鎌倉とは違った街の風情があり、訪れる度にのどかでいいところだなと感じる。明治以降、政財界の重鎮たちがこの地にこぞって別邸を構えたがったのも、このうららかさに惹かれてのことだったのだろうか。そのまま豊穣な相模湾を眺めながら、(そして小田原にあるお気に入りのお寿司屋さんに後ろ髪を引かれながら)湯河原へ向かう道へと車のハンドルを切った。

今日の目的地は、湯河原の玄関口にほど近いところにある、伊藤屋という名前の旅館。大正初期に建築された本館は登録有形文化財に指定され、ロマンの香りがする。また、この旅館は近代史とも関わりが深い。「まだあげ初めし前髪の…」でよく知られる文人島崎藤村に定宿として愛されただけでなく、東京都外で唯一2.26事件の舞台にもなった宿でもあるのだ。歴史フリークな夫が泊まるなら、絶対にここがいいだろうと思って予約したのだった。

近くにある駐在所の裏手に、伊藤屋専用の駐車場があるので、そこに車を留めて宿へと向かう。荷物を持って宿へと向かっていると、道の途中で番頭さんが出迎えにきてくれた。一体どうやって気づいたのだろう。まるで忍者のよう。

そのまま番頭さんへついていき、旅館の玄関口へと向かう。玄関口は植栽のアプローチが見事だった。右側には小さな池もあり、鯉がゆうゆうと泳いでいる。昔この池は網をかけていなかったものの、最近は鳶が鯉を突つきにくるので、仕方なくこうすることにしたのだそうだ。こぢんまりとしていながら、きれいに手入れされている庭園で気持ちがいい。このお庭も、創業当時からほとんど変えていないとのことだった。

そのままロビーへと案内され、受付でチェックインを済ませる。番頭さんの履物のあしらいもスムーズで、なんだかとても丁寧な宿に来てしまった…と思う。わたしがチェックインしている間、夫にはロビーとその奥にあるラウンジで待っていてもらったのだが、これがまたなかなか良いものだった。

まずロビー。ガラスケースには、島崎藤村が宿泊した時の宿帳(!)などが展示されていて、とても見応えがある。

宿帳を見ながら、「島崎藤村はトランク2つでここに来たのだなぁ」と思いを巡らせた。こうしたものがあるだけで、まるで玄関口から入ってくる島崎を思い浮かべることができるようだ。

続いて、その奥にあるラウンジ「夜明け前」にお邪魔する。ラウンジ名は島崎藤村の小説からあやかっているのだろう。

ラウンジ内にはロビーと同じソファが置かれ、入り口には氷水が置いてあった。お風呂から上がって、ここで涼む宿泊客も多いらしい。

格天井を洋風に解釈したような天井も、リズミカルに配置されたタイルも可愛らしい。

さらに奥のテーブルには藤村全集だけでなく、湯河原の歴史書なども置かれてあった。旅館やホテルにライブラリーがあると、テンションが上がってしまう性格としては嬉しい限り。こぢんまりとした造りもなかなか良くて、このラウンジが滞在中のお気に入りとなった。

さらにラウンジには、宿の歴史に因んだ写真も飾られていた。思わず食い入るように見つめる。2.26事件前の光風荘と、事件後の消火活動の様子が生々しい。よくこんな写真が残っていたものだなと思う。

資料を満喫していると、仲居さんが部屋の準備ができたと声をかけてくれた。そのまま館内を案内してくださるそうなので、カルガモのひなよろしく後をついていく。

館内の温泉は源泉掛け流しで、4つのお風呂がある。現在は感染症対策のため、全てのお風呂が30分の時間制で貸し切りなのだそうだ。入浴するときに使用中の札を扉にかけて、出るときに戻す仕組みになっていた。

始めに案内されたのが半露天風呂。リノベーションされたばかりなのだろうか、とてもきれいで木の香りが心地いい。あかりも柔らかいので、眩しがりにとってはありがたい。段差もないので、足の悪い人でも安心だろう。

脱衣所はクリーンでミニマルな造り。シャンプーや化粧水などのアメニティはクラシエのものだった。

こぢんまりとしていながら湯量がたっぷりあり、湯船の淵からとろとろと流れていくお湯を眺めていると、なんとも贅沢だなぁと感じる。仲居さんに「ぜひ全部のお風呂に入ってくださいね」と言われたのにもかかわらず、この湯船が気に入ってしまい、結局滞在中はこのお風呂ばかりだった。

続いて案内されたのが露天風呂。こざっぱりとした植栽もあり、展望はないながらも解放感は十分に味わえる。ここが気に入ったのか、何度かここに出入りする同じ顔ぶれのお客さんを見かけて、思わずにやりとした。

最後はふたつの内湯。元は男湯と女湯として使われていたそうだ。以前訪れたカフェ金澤園の浴槽にそっくり。この手の溶岩を模した浴槽は、大正期の旅館建築の流行りだったのだろうか。

さて、4つのお風呂を案内された後は、いよいよ部屋へと案内される。

昔の木造建築なので、階段は急だ。えっちらおっちら登って振り返ると、なかなか肝が冷える眺め。

鍵を開けてもらって部屋へ入ろうとすると、目の前に登録有形文化財登録証が掲示されていた。改めて部屋含め、本館まるまる一棟が文化財ということにおどろく。

ちなみに本館客室の五十番代は、大正5年に建造されている。もともとは明治天皇侍従長であった、徳大寺実則公爵の滞在のために建てられたものらしい。今の世相からは想像できないが、皇族の関係者ですら手厚くもてなされていた時代があったのだなと思う。その10年後に建てられたのが十番代の部屋で、隠居していた16代目の徳川将軍、家達公が宿泊した歴史を持つのだそうだ。

今回、わたしたちが宿泊するのは本館にある十九番の部屋。

中に入ると、ほの明るい明かりに照らされて、よく磨きあげられた部屋の広縁部分が目に入ってきた。あまりにも清潔で新しく見えるので、思わず仲居さんに「あれ?中はリノベーションされたんでしたっけ」と尋ねると「水回りや痛みが激しいところなどは現代に合わせていますが、基本的には創建当時のままですよ。日々の清掃はわたくしどもが、それ以外は文化財専門の業者さんへお願いしているんです」とのことだった。

入り口左手にはウォシュレット付きのトイレと洗面台。萌黄色ののれんがいい。

洗面台の周りには必要最低限のアメニティとドライヤー。こざっぱりしていながら、統一感があって、趣味のよさを感じる。文化財の宿やホテルに宿泊するときは、清潔感を期待しすぎず、少し気になる点があっても味として楽しむものと思っていたけれど、ここは誇張なく黴もなければ塵もなくて快適だった。

中に入ると二部屋あり、一の間は寝室として、二の間は食事などの場として使われる寸法だ。趣深い光景に、小津安二郎のカメラアングルを意識して、なるべく低い視点で写真を撮った。雪見障子も欄間も、そして広縁を囲む繊細な組子入ガラス障子の意匠も素晴らしくて…うっとりしてしまう。

床の間には掛け軸と小さなお坊さんの置物、そしてテレビとフロントへ繋がる電話という潔さ。書院造を使い勝手にふっているけれど、いい具合に良さが残っているなぁと思う。付書院のように広縁側の障子が開くのも楽しい。子供の頃、こうしたところから顔を出して大人を驚かせるのが好きだった。

部屋の奥にある広縁部分もとてもいい。春はここから庭の桜がきれいに見えるそうだ。揺らめくような窓ガラスから眺める風景はとても幻想的。あまりにも気持ちが良いので、夜は網戸だけにして開け放っておいた。部屋の雰囲気を損なわないようなカーテンのしつらえや、天井の迫力、長押や鴨居のよく磨かれた深い色、どれをとっても素晴らしい。

通路側の窓ガラスはよく見ると結霜ガラスで風情がある。広縁全体が部屋の周りをぐるりと囲むようになっているので、一の間と二の間を通らずとも、窓側へ出入りできるのも良い。思えば祖父の実家の造りに似ている。童心にかえって、広縁部分をヨーイドンで駆け抜けたくなってしまった。

玄関口の近くには冷蔵庫もあり、ソフトドリンクやアルコールに、おつまみまで常備されていた。旅館内には飲食物の持ち込みができないので、宿泊客は仲居さんにたのむか、ここから飲み物を選ぶようになる。ビールが3種類揃っているのもありがたいし、旅館限定の日本酒があるのも良い。私は地域限定のみかんジュースを選んだ。この地域は日当たりが良好で温暖なので、みかんが名物なのだそうだ。

そのまま広縁側をぐるりと一周して一の間に戻る。部屋の造りは二の間とほとんど同じだ。エアコンもあるので、快適に過ごせる。ああ、しかしこの欄間、やっぱりいいなぁ…

探索中、ふと一の間に扉があることに気づいたので開けてみると、中はクローゼットになっていた。上段には浴衣と陣羽織にタオルと歯ブラシ、そして下段には金庫が備え付けられている。陣羽織を羽織れば、館内だけでなく外まで出歩いていいとのことだった。

机の上には旅館の案内とお茶菓子。このきび餅というのが湯河原の名物らしい。伊藤屋のとなりにある小梅堂という和菓子屋のもので、島崎藤村だけでなく、あの夏目漱石も好んで食べたそうだ。封を開けると、きなこが塗された琥珀色のきび餅がきらりと現れる。

一口食べると、もっちりとろりとした食感に、ほのあまさが感じられ、きな粉の香ばしさと相まってなんとも美味しい!ついでに仲居さんが淹れてくれた煎茶をすすると、天にも登る心地だった。

すっかりくつろいで旅館の案内がつづられた冊子をめくると、この十九番の部屋の歴史が綴られていたので目を通す。実はこの部屋、湯河原で起こった2.26事件の舞台になった場所でもあるのだ。

話は昭和11年まで遡る。なんの因果か当時、元内大臣麻生太郎氏の曾祖父にあたる牧野伸顕伯爵が、伊藤屋本館の離れであった光風荘へと湯治に訪れたのだそうだ。もともと新英米派でリベラルな立場だった彼は、対する皇道派の陸軍から目をつけられており、天皇を惑わす者として「君側の奸」と呼ばれていた。そんな彼を襲撃する機会を狙っていた2.26事件の参謀者のひとりが、まさにこの部屋に宿泊し、伯爵の動向を見張っていたのだという。

実際に部屋から光風荘を確認すると、たしかによく見える。この写真で言うところのタンクの奥にみえる日本家屋が復元された光風荘だ。事件当時は手前にある消防団の建物などもなく、また季節が冬だったので、木々の葉もよく落ち、監視するにはうってつけだったのだろう。夫にリクエストされて選んだ部屋だったのだが、すっかり私が夢中になってしまった。

歴史にひたりながら温泉に浸かり、ラウンジや部屋でまったりと過ごす大人の夏休み。自由研究は湯河原の近代史といったところだろうか。あっという間に時間は過ぎて、気がつけばいつのまにか夕食の時間になっていた。

 

夕食・蛍の鑑賞編はこちらから

lesliens225.hatenablog.com

 

Information

店名:伊藤屋
住所:神奈川県足柄下郡湯河原町宮上488

URL:https://www.itouya-net.jp

 

映えない身体を受けいれる難しさ モナ・アワド『ファットガールをめぐる13の物語』

 2020年にInstagramの仕様が変更され、フィードには様々なpostがサジェストされるようになった。ファッション関係のアカウントを立て続けにフォローすると、画面にはほっそりとした女たちが”also you like this...”と言わんばかりにズラーっとサジェストされる。ひたすらに”Not interested”ボタンを押しまくっても、何かの拍子にまたサジェストされ、もはやもぐら叩きだ。その時はっきりと「あ、これは結構しんどいな」と感じた。

 もういい大人なので、世の中には様々な見た目の女がいることを知っている。加齢とともに自分の見た目も内面も、チャーミングさとして受け入れられるようになってきた。にもかかわらず、夜中に均一な女体のサジェストを浴びていると、画面を見ながら「この身体が世間のスタンダードなのではないだろうか。私はもっと痩せなくてはならないのではないか」という、はるか昔に決別したはずの感情が、ざらりと立ち上がってくる気配を感じる。自分の身体は自分のものであるはずなのに、油断すると他者の目線が入ってきそうな居心地の悪さ。この感覚はいったいなんなのだろう。

 モナ・アワド『ファットガールをめぐる13の物語』は、自分の容姿に自信がない女の子が、努力して理想のボディ・イメージに近づこうともがき、思い描く幸せを手に入れようとする物語だ。物語の主人公であるエリザベスはXXLサイズの女の子。母子家庭に育ち、アパートメントで二人暮らしをしている。インディーズバンドやマイナーな映画を好み、ハイカロリーな食べ物を愛する彼女は、自分の身体に劣等感を持っている。

 容姿というものは他者と最初に出会う「自分」だ。エリザベスは自分の身体を通して、他者の視線や憧れのボディ・イメージを内面化し、徹底的に「わたしは美しくない」と刷り込んでいく。そしてその劣等感をダイエットに励むことで補おうとする。それと同時に彼女は、自分の身体にあるもう一つの身体的価値を試していく。それは性的な魅力を備えた女体としての価値だ。

まるで映画の中の女の子になった気分。タクシーが停まる瞬間までは。ホテルに着くと、料金を払うためにエントランスまで出てきたあいつが手を振っていて、それを見ると本当の自分が戻ってくる。今日もいい感じだねえーー上の階に向かうエレベーターの中で、誰もいなければそう言ってくるはずだ。いい感じは、きれいだよ、にはならない。この人も他のどんな人も、きれいだよ、とはわたしには言わない。

 自分の身体に劣等感を持つことと、性的価値があることを確認する行為は両立する。なぜなら自分の身体を他者の評価に委ねずには価値を実感できないからだ。女体としての一時的な需要はあるにもかかわらず、一番欲しい「きれいだよ」という言葉を言われないことで、エリザベスの劣等感はより強固なものになっていく。

 結局、物語の回を追うごとにエリザベスの体は細く、そして薄くなっていくが、それでも彼女は痩せようとすることをやめない。食べ物はオレオの入ったマックフルーリーからアーモンドとしなびたサラダへ、着ている服は「何かを覆い隠したい人たちの服」から、タイトなカクテルドレスへ。頭の中にはチョコレートファッジや砂糖まみれのケーキがあるのに、手にとって食べるのは金柑のような果物と鳥の餌のようなナッツだけ。それでも理想には遠い。試着室で着たいワンピースのチャックが閉まらなかった時の惨めさが、友人と一緒に撮ったときの写真写りの悪さが、ダイナーでポテトを食べている時の彼の気まずそうな視線が、彼女にもっと痩せろと急き立てる。

「これ着てみていいですか?」と彼女にたずねた。
目がわずかに見開かれる。油の膜のようにかすかに、まさかという表情がちらついていた。
「どれですか?フォン・ステファンバーグ?」
「はい」
フォン・ステファンバーグからわたしへと視線を移し、またフォン・ステファンバーグに戻す。そうやって彼女はサイズを見比べていた。これとあなた?これとあなたは、絶対ないわ。

 求めていた身体に近づいていけばいくほど、理想の身体はますます遠のいていく皮肉。それでも痩せることはやめられない。さらに物語では、貧富の差におけるボディ・イメージについてもほのめかされている。主人公のエリザベスが住む地域はロウアーミドルに位置する。仲のいい友人はお世辞にも痩せているとは言えない身体だ。そしてエリザベスの母親は、肥満体で糖尿病でもある。住んでいる地域は決して裕福ではない彼女が、自分の出自は貧しい階層ではなく、適切な自己管理ができる人間であることを他者へ知ってもらおうとするとき、一体どのような身体になろうとするのだろうか。

 エリザベスのひりつくような理想の身体への渇望を追体験していると、「ありのままの自分を愛せばいいのに」という言葉が、当事者にとっていかに空虚なものかを思い知らされる。ファッションビルのポスター、youtubeのCM、Instagramのサジェスト、雑誌のモデル、テレビに映るアイドルグループ。これらを見ていると、この社会においては痩せなくていいと思える努力よりも、痩せる努力の方が簡単なのではないかとすら思う。ふとした時に自分の中に入ってこようとする「痩せろ」というメッセージ、痩せたら幸せになれるかもしれないという甘いささやき。余程訓練されていない限り、これらをシャットアウトすることは難しい。

 2020年以降、Instagramを通して眺める世界はボディ・イメージに対して寛容になったように見える。フィードに流れる女たちはほとんど加工をしていない(あるいは露出補正で明度を落としたり、カメラの位置を低くして撮影するなど、加工技術が洗練されてきていると言ってもいい)し、これまで不揃いとされていた顔の色や造形も、「おしゃれ」として認知されてきているのを感じる。しかし、顔の造形については多様になったところで、彼女たちがみな痩せているという事実については変わっていない。むしろファッションは2022年SSのmiumiuを筆頭に、ヘルシーに痩せている人が着こなせる服がトレンドだ。*1また、格差が広がる中で「痩せている」という意味合いも、変化してきている。*2 

 この本の良いところは、ルッキズム*3というテーマに「ありのままの自分を受け入れてハッピー」という安易な答えを出さないことと、ジェンダーとボディ・イメージ、周囲の認知とギャップ、そして経済格差という生々しい視点から、問題の根幹を描いてみせたことにある。主人公だけでなく、彼女と出会う男たちや女たち。これらの視点を取り込むことで、作者はルッキズムという問題を、単なる「痩せ信仰に囚われた女の愚かさ」に帰結させずに描くことに成功していると感じた。

 結局、エリザベスは細くなってハッピーになることはできたのかと言われれば、答えはノーだ。では彼女は太っていた方がよかったのかと聞かれれば、それもノーだろう。では彼女がありのままの自分を受け入れられるようになったら万事解決だろうか。それもノーだ。なぜなら彼女自身が変わっても、彼女を規定しようとする人々が変わらなければ、他者の目線から決して解放されることがないからだ。痩せようとすることも、ありのままの自分を受け入れることも、他者の目線からの解放を望むという点では同じにすぎない。

 社会活動をするなかで、自分という容姿を介さずにコミュニケーションをとることができない以上、この居心地の悪さがゼロになることはないだろう。では、せめてこの居心地の悪さと折り合いをつけるためにはどうすればいいのだろう。きっとそのヒントはこの本の中にある。この本ではエリザベスが自分を全て肯定して幸せになることもなければ、痩せて幸せになることもない。それこそが現代を生きる身体にとっての生きやすさのヒントになってくれるはずだ。

 痩せようと思うこと、素敵な容姿の人間に惹かれること。それ自体は罪ではないし、絶対悪でもない。けれどそれに過剰に慣れてしまって、自分自身に向けるまなざしが厳しくつらいものになってしまうのなら、そして他者の身体性に無粋な視線を投げかけるようになったならーーそこからは明確に距離をおくべきだ。ふと立ち止まって自分がなぜ痩せたいのか、そしてそんな人たちに惹かれるのかを考えるとき、きっとこの本はその思考の一助になると感じている。

 

合わせて読みたい

*1:余談だが、女性が腹筋を割れた状態にするためには、体脂肪率を平均15~13%以下まで減らす必要がある。一方で、正常な月経周期の維持には、体脂肪率が平均22%程度必要だ。

*2:一部の研究では、労働者が肥満である場合、賃金は下がる傾向にあることが指摘されている。田中賢久(2010)『身長と体重が賃金に及ぼす影響』、慶應義塾大学パネルデータ解析・統計センターより https://www.pdrc.keio.ac.jp/publications/dp/1035/

*3:ここで言うルッキズムの定義とは西洋の美的価値観に基づいて、マジョリティの男性が認める肉体を持つものを優位な立場におき、それ以外の身体を劣等として差別することだと考える。

3年2ヶ月ぶりのハングオーバー

今朝は久しぶりに二日酔いの状態で目が覚めた。冷蔵庫の扉を開けて、ウィルキンソンの無糖ソーダを選ぶ。蓋を開けるとプシュ、という音が鼓膜に響く。その音がやけに心地よくて「まーだ酔ってんな」とひとりごちる。そのままソーダを流し込むと、胃が炭酸に刺激されてカッと熱くなった。

久しぶりの飲み会は楽しかった。華の金曜日らしく、街にはキラキラした笑顔が溢れていて、コロナ以前の街の活気を思い出す。2年ぶりに会う友人たちは、みんな変わりないようでホッとした。キャリアや近況報告の話もそこそこに、初見で犬や子供に懐いてもらうにはどうしたら良いかや、ロシア料理や北欧料理の味が薄いのは塩が希少だからかという話、サブスク時代の音楽は開始10秒のインパクトが全てなのかや、良い建築は導線で判断するべきかデザインで判断するべきか…などなど、くだけた話をたくさんする。そうそう、こうした会話がしたかったんだよと嬉しくなった。

キャリアの話やライフプランの話、そうした話をするのも良いのだけれど、最近はもうその手の話がお腹いっぱいになってきた。会えなかった間の話をしようとすると、近況報告になってしまって、どの飲み会に出ても同じ話題がループするというものあるし、そもそもキャリアの話やライフプランの話を気軽にできる年代ではなくなってきたというのもある。

先日会社の飲み会で、後輩が無邪気に「子供が欲しいと思わない、東京で子育てするにはコスパが悪い」と言っていたことがあった。別に彼女が何を言おうが自由だけれど、この場には養子縁組をした人や、不妊治療中の人だっているんだよな…と思いつつ、そこまで思い至れないのは若さだから仕方ないかと話題を変えた。きっと私もこうして無作為に年上の大人たちの心に細波をたて、許されてきたのだろう。

キャリアもライフプランも、相手のパーソナルな領域と直結しているし、安直に踏み込めない領域のひとつだと思う。気軽に話題にするにはあまりにも神経を使うし、それがテーマの飲み会でないならできる限り避けて通りたい。もっとくだらなくて、飲み会が終わる時に「なんかよくわかんないけど楽しかったな」とふわふわ感じることができる話をしたい。

そんなことを思っていたからか、この久しぶりのくだらない飲み会が涙が出るほどおかしくて、そして心から楽しかった。メンバーの雑談力に助けられたので、私もその力を磨いていきたい。アラサー以降の飲み会の楽しさは、この雑談力にかかっているんじゃないかとすら思っている。

紅茶とクレーム・ブリュレを味わい、新緑にまみれる幸せ 鎌倉「Cafe In The Woods」

一年の中で五月がいちばん好きだ。つやつやとした若葉が芽を出し、緑陰の間を抜けてゆく風は、涼やかな薫りをまとっている。遠くの山を眺めると、まだ稜線にはうっすらと雪が残っていて、緑の裾野との対比が鮮やかだ。水張りを終えた田んぼにはそれらの景色が映っていて、遠くではカッコウの鳴き声が聞こえる。

普段、カフェ巡りというものはあまりしないけれど、思い返せばこの時期だけは、せっせと足を運んでいるように思う。新緑の時期しか出会えない光景。そんな景色を眺めながらあたたかい飲み物を飲んでいると、身体のすみずみまでぴかぴかに目覚めるような気がする。そんな場所をひとつかふたつ知っているだけで、都会暮らしでも季節を愛でる心を失わずにいられるように思う。

この日はゴールデンウィークの最終日。ずっと行ってみたかったカフェへ、念願叶ってやっと訪れることができた。お店の名前はカフェ・イン・ザ・ウッズ。鎌倉の静閑な住宅街の中にあり、緑豊かな場所にたたずむロッジ調の建物が印象的だ。

ドアを開けてお店の中に入ると、外観とは裏腹にモダンな内装が出迎えてくれた。洗練された作りながら、インテリアや植栽に持ち主のセンスが感じられて、どこか親しみやすさがある。榛野なな恵Papa told me」や深見じゅん「悪女」に登場するような、自立していて好みがはっきりしている、素敵な女の人が住んでいそうだ。ドキドキしながら消毒液に手をかざし、お店の奥へと進んでいく。

そのままステップを上がって奥へと進むと、開放感にあふれたカフェ・スペースが現れた。なんて素敵なんだろう!ウッド調ながら、窓の配置や家具の置き方などから、ほっこりとはさせまいとする意匠を感じる。シンプルモダンな空間に、色味を統一してまとめられた花が、テーブルごとに置かれているのもいい。まるでどこかの邸宅のホームパーティへ招かれたようだ。

視線を先に送ると、その奥にはテラス席もあった。ウッドデッキに細いアイアンの柵がめぐらされていて、景観を損ねないような工夫がされている。まるでツリーハウスのようだ。周囲を囲む緑が借景となって、この空間にうるおいを与えている。

予想以上の空間に惚けていると、お店の人に「どこでも好きなところに座っていいんですよ」と微笑まれ、思わず我にかえった。いったいどこに座ればいいのだろう。できることなら、時間ごとに座る場所を変えて、この空間を堪能したい。テラス席に出ると、趣味のいいパラソルの向こうに相模平野が広がっていた。

「天気がいいと富士山がそれはもうきれいに見えるんですけどね。今日は隠れてしまっているみたいで」と店員さんが言う。残念ではあるけれど、またここに訪れる理由ができたと思えば楽しい。ここから眺める夏の夕暮れも、きっとうっとりするくらい美しいのだろう。

散々どの席に座るか悩んだ結果、キッチン近くにありテラスに面している席を選んだ。他にはないキャンバス地のチェアが気になったので、座り心地を試してみたかったのと、ここならテラスの緑を思う存分眺めることができること、それが決め手になった。

ああ、やはりこの席にしてよかった。テラス越しの緑を眺めながら、自分の選択に満足する。時折目の前の木々にどこからか現れたモズや雀がとまっては、枝を揺らしてまた飛び去っていく。風も適度に抜けて気持ちがいい。お店の方へ散々悩ませてもらったことにお礼を言って、早速カフェメニューを注文することにした。

渡されたメニューに目を通すと、予想していたよりもメニューの種類が豊富で驚いた。

CAFE MENU
<メイン>
 オニオングラタンスープ
 有機野菜のオリジナルサラダ 黒豆や色とりどり根菜入り
 エッグスラット トースト付
 ジェノベーゼトースト
 有機野菜のビーツのポタージュ
<サイド>
 有機野菜のサラダ(スモール)
 有機野菜の2色のニンジンサラダ
 有機野菜のビーツのポタージュ(スモール)
 トースト オリーブオイル添え
 しいたけのチーズ焼き
 グリルドソーセージ 2本
<デザート>
 コーヒーゼリー
 フレンチトースト
 クレーム・ブリュレ
 シフォンケーキ
<飲み物>
 コーヒー    カップまたはポット
 紅茶(TWG) カップまたはポット
 アイスコーヒー
 アイスティー
 自家製ジンジャーエール ホットまたはアイス
 カプチーノ
 カフェラテ

たくさん種類があるメニューから、自分が食べたいものを真剣に悩むしあわせ。ここでも散々悩んで、結局クレーム・ブリュレを注文することに決めた。もちろん飲み物は紅茶で。

ほどなくして運ばれてきた紅茶は珍しいプレス式だった。カップは温められていて、紅茶を注ぐとふわっと華やかな香りが広がる。続いて運ばれてきたのは、気前がいいサイズのクレーム・ブリュレ。琥珀色のカラメルがきらめく姿にうっとりした。

クレーム・ブリュレのカスタード部分であるアパレイユはアイスクリームのように冷たく、口の中で少しずつ溶かしながらいただく。このタイプのアパレイユは初めて食べる。これをうだるように暑い日にここでいただいたら、さぞかし気持ちがいいだろう。スプーンでカラメルを砕き、自分好みの量に調整して食べる。崩しては食べ、崩しては食べを緩慢な動作で繰り返しながら、私はクレーム・ブリュレの味はもちろん、何よりこの小さな破壊行為に感じる背徳感が好きなのかもしれない、と思い至った。

デザートを食べ終えた後は、お店の方に許可をもらって再度室内を散策した。薪ストーブは現役で、肌寒い時はこれを利用しているそうだ。いつかこの薪ストーブの火に当たりながら、ゆっくりとお茶を楽しみたい。

薪ストーブの斜向かいにはピアノもあった。時々ライブイベントも行われるらしい。そしてこのピアノと対照的に、キッチンへと続く壁面が曲線になっているのも素晴らしい。

その後、オーナーさんにこの建物について話を聞かせてもらう機会があった。実はこの建物は娘さんが設計されたそうで、元々は二人でこのカフェをひらく予定だったのだそうだ。しかし娘さんは軽井沢で手掛けた仕事がきっかけで多忙を極めため、現在こちらのカフェはオーナーさんが他のスタッフと共に切り盛りされている。娘さんが手掛けた軽井沢の別荘の写真も見せてもらったが、ここと同じくらい開放的でおおらかな空間だった。

すっかり日没が近づいてきたので、いろいろと教えて下さったことにお礼を言ってお店を後にする。去るのがあまりにも名残惜しくて、最後にもういちどだけ振り返った。

駅から離れていることもあり、店内が人で混み合うこともなければ、何時間も待つということもない。観光地化がすすみ、週末になると常に賑わっている鎌倉駅周辺と比べて、時間や人を気にせずに、ゆったりと過ごせることがうれしい。なんていいカフェを見つけてしまったのだろう。今度から鎌倉に訪れたら、このカフェを定席にしたい。

カフェを出るとブラックのラブラドールレトリーバーが2頭歩いていて、そのうちの1頭が懐っこく近寄ってきた。よろこびにニヤつく表情を隠しきれぬまま、飼い主さんに許可をとって撫でさせてもらう。続いておずおずと近寄ってきた、年上のもう1頭もワシワシと撫でさせてもらった。完璧なくらい幸福な週末。この余韻にしばらく浸っていたかったので、帰りのドライブではAaron Taylorを流して帰った。

 

Information
店名:Cafe In The Woods
住所:神奈川県鎌倉市寺分1-10-28
営業時間:金・土・日 10:00〜日没まで
備考:電子マネー非対応、テラス席はペット可(オーナーさんは犬好きです)
URL:https://www.instagram.com/cafe_in_the_woods/

 

鎌倉に関連する記事はこちらから

lesliens225.hatenablog.com