東京で暮らす女のとりとめのない日記

暮らしとカルチャー、ミクスチャー

真綿のような毒にくるまれて 山本文緒『ばにらさま』

山本文緒さんの小説と出会ったのは、中学生の頃だった。当時習っていたスイミングスクールの近くにはブックオフがあり、親が迎えにくるまで本を立ち読みしながら時間を潰すのが習慣だった。髪の毛から香る塩素と、古本屋独特の古紙の匂い。店内は薄暗く、J-POPのオルゴールミュージックが流れていて、店員はいつも気怠げだった。

そんなある日、いつも通りブックオフの自動ドアを抜けて文庫本コーナーへ向かうと、一際目を引くタイトルの本を見つけた。それが山本文緒さんの『みんないってしまう』だった。当時思春期の真っ只中にいた私は、この諦念を含んだようなタイトルにとてつもなく惹かれた。沢山の本が並ぶブックオフの本棚で、この本の背表紙だけがぴかぴかに光って見えたのだ。気づけば本を手に取り、無我夢中でページをめくった。そしてなけなしのお小遣いで、その本を買って帰ったのだった。

あの思春期特有の、気持ちのバランスの取り方がわからず、何をしても孤独を感じていた時期。通り過ぎてしまえばよくある感傷だが、当時は嵐のようなエネルギーを持て余し、自家中毒を起こしているようだった。そんなときに文緒さんの言葉と物語を摂取すると、自分の中のバランスがとれていくような感覚があった。人生のままならなさ、厭わしさ。けれど振り返ればどの瞬間もいとしく、やがては終わりが訪れる。その毒を持って毒を制すような物語が、当時の自分を癒してくれていた。それ以来文緒さんは、こころの特等席に座っている作家になった。

そんな思い入れがあるからこそ、訃報を受け入れるには時間がかかり、積読にしていた『ばにらさま』もなかなか手をつけることができなかった。書店で遺作と紹介されているポップを目にしては気が滅入り、神経を逆撫でされ、漠然とした喪失感と現実のはざまで足踏みしている間に一年が過ぎてしまった。

それが今年の繁忙期明けに、ヘトヘトになってソファに倒れ込み、「今の私の人生には仕事しかない」と思ってハッとしたとき、本棚を見るとやはり彼女の本がぴかぴか光って見えた。もういいのかもしれない、そう思って手にとったあと、気がつけばあの頃のように無我夢中でページをめくっていた。

『ばにらさま』は全6篇の短編小説で構成されている。同じ短編集である『みんないってしまう』のテーマが喪失だとすれば、『ばにらさま』はチャイルディッシュがテーマだ。本編に登場する人々は社会では大人にカテゴライズされているが、その中身は幼く身勝手で、常に現実を2ミリずれた視点で見つめている。自分は何がしたくてどのように生きたいのか。目的を見失い、人生の手綱を手放して浮遊し、漂着した人もいれば流されていく人もいる。

例えば表題作の『ばにらさま』では、初めて彼女ができた男の稚拙な恋愛を描いている。儚く白く美しい彼女と冴えない主人公。なぜ自分のような男と付き合っているのだろうかと疑問に思いながらも、彼女に尽くそうとする彼だったが、次第に物語は予期せぬ方向へと転がっていく。自分が軽んじられることに無頓着な傲慢さ、臆病さを棚に上げて他責する愚かさ、そして自分の意思決定を他人に委ねる浅慮さ。ひりつくような幼稚さと、それがもたらす結末が痛々しい。そして物語の終盤で明かされる事実には、思わず背筋がぞくりとした。

一方で巻末に収録されている『子供おばさん』は、大人になりきれない女が自分の幼稚さを受け入れていく物語だ。47歳になる彼女は、都心の狭いマンションに一人で住み、小さな会社の事務員としてそれなりに働いている。休日は友人とコンサートやミュージカルへ出かけ、適切な刺激に甘んじる日々。そんなある日彼女のもとに、故人となった友人から形見分けの機会が訪れる。

かつては共にアイドルのコンサートへ行くほど仲が良く親密だった友人。しかしいくつかの出来事を境に避けるようになり、袂を分かつようになる。訃報を聞き通夜に出ても、涙すら出ない。どんなに仲がよかった友人と言えど、七年も会っていなければ「三年着なかったジャケット」のようなものなのだ。そう思っていたはずが、友人の形見分けをきっかけに彼女の心情は変化していく。

人の縁とは不可思議なものだ。思い出が日常に埋もれ、相手との日々が色褪せていき、やがて思い出すことがなくなったとしても、その人と出会う前の人生にリセットされるわけではない。ましてや切れたと思っていた縁へ向き合わなくてはならないというのはひどくエネルギーがいる。できるなら掘り起こしたくなどないのにーー。しかしそれを文緒さんは「まぁ、そんなに悪いものでもないんじゃない」とほがらかに笑いながら描いているようだった。

他にも本書には恋愛小説家としての本領発揮ともいえる『わたしは大丈夫』や『バリヨン心中』、物書きとして経験を切り売りする様をシニカルに描いた『20×20』、同性との不安定な関係の先に辿り着く『菓子苑』など、色とりどりのフレイバーで用意された毒が目白押しだ。

この先、彼女の新作が発行されることは永遠にない。その事実にいまだに狼狽えてしまう。けれどきっと気がついていないだけで、彼女が遺していった物語はこれからも毒となり薬となり、私の足元を照らし続けるのだろう。そうした作家と出会えたことは、やはり私の人生にとって僥倖だった。

文緒さん、思春期から今日まで人生の傍にいてくれてありがとう。あなたの毒でわたしは今日まで生きることができた。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

赤坂で街歩きを楽しんで韓国料理に舌鼓 OMO3東京赤坂by星野リゾート 宿泊記

7月、hahfの宿泊コインを使い切りたかったので赤坂にあるOMO3に宿泊することにした。赤坂なんていつぶりだろう。最後に訪れたのはコロナが流行る前だった気がする。まだ学生だった頃、赤坂議員宿舎の裏手にあるホットケーキパーラー fru-fullというお店が大好きで、よく友人たちと通っていた。素朴な甘さにカリッとした生地の食感が病みつきになる美味しさで、今でも東京で一番おいしいホットケーキを食べるならここ以外にないと思っている。日本橋の花時計が閉店した今、あの万惣の系譜を汲むホットケーキは、ここと蒲田にあるシビタス、そして経堂にあるつるばみ舎だけになった。

コロナを経ても赤坂は大きく様変わりしていないように見える。その昔、やっかん通りと呼ばれていた赤坂田町通りの周辺は、以前よりも若い人たちを見かけるようになった。近年は赤坂サカスを中心に観光地化が進んでいるらしい。

目的地のホテルには赤坂駅の出口から歩いて5分程度で到着。もともと2021年に閉業したホテルビスタプレミオを星のリゾートが買収してリノベーションしたらしく、外観は当時から変わっていない。

受付を済ませて中に入ると奥にはリラックススペースがあり、赤坂にちなんだ本などを読めるように整えられている。

その正面にはイベントスペースが設けられていて、この日は赤坂の名所に因んだダーツが行われていた。この他にも早朝のガイドツアーや、知る人ぞ知る赤坂をめぐるアクティビティなどがあり、町歩きが楽しくなる仕掛けがたくさん企画されている。

さて、そのまま奥にあるエレベータに乗って宿泊する部屋がある3階へ。ロビーのポップなイメージとはうらはらに、宿泊フロアはモダンで落ち着いたデザインだ。

部屋の間取り自体もビスタ時代から大きく変わっていない。バストイレは別で、ベッドをかこむようにしてソファスペースが設けられている。

ベッドサイドにはUSBポートにコンセントが左右に1つずつ。

ソファスペースの脇には冷蔵庫とコップにケトルがある。お水や茶葉などはないので、自宅からティーパックを持参した方が良さそう。

ベッドの目の前は洗面台にテレビというめずらしい作り。戸棚の中には金庫とバスタオル、それからホテルのパンフレットとドライヤーが収納されていた。ドライヤーはテスコム製。

ちなみにこれ以外のアメニティはなく、歯ブラシやパジャマは有料扱いになる。普通のホテルに期待するアメニティを想像していくと、あれもないこれもないと焦ることになるので注意が必要だ。

一通り部屋を見て、全体的にデザインはおしゃれ風だけど使い勝手は悪く、必要なアメニティが削られているところに、ビジネスホテルともデザイナーズホテルともつかないチグハグさを感じたのが正直なところ。コンセプトやターゲットがわからないホテルだなと思いつつも、唯一いいと思ったのが、このゆったりとしたバスルーム。カビひとつなく、清掃が行き届いていて素晴らしかった。

さて、せっかく赤坂に来たのだし、街をぶらぶら歩いてみようかと外へ。イベントスペースにある地図をみていると、スタッフの方が来ておすすめのルートを教えてもらった。今回は円通寺坂を登り、牛鳴坂を下って戻るコースにする。OMO3の町歩きと提携しているお店は、ホテル名を出すと割引やサービスもしてくれるとのことだった。

円通寺坂は表通りと違ってのんびりとした雰囲気。小さな公園もあり、地元の人らしき人々が憩っていて、下町のような風情がある。

坂をのぼり、地名の由来になった円通寺にたどり着くと、軒先におそらくお寺に住み着いているのであろう三毛猫がいた。香箱座りがとってもキュート。

撫でさせてもらえないかとジリジリ近寄ってみたものの、距離を保ちながら離れていくので、追いかけるのをやめた。静かな時間を邪魔してごめんね。

寺をあとにした後は、薬研坂をてくてくと歩く。すると近くのマンションから2頭のコッカースパニエルが飛び出してきて、足元にすりよってきた。謝る飼い主さんに「犬が大好きなのでうれしいです!」と言って笑いを誘う。

薬研坂を登り切ったあとは、青山通りを歩いていく。区民センターと警察署を横目に通りすぎ、散歩の目的地であるとらやに到着した。

開口一番「うわー、これはめちゃくちゃいい建築だ」と声が漏れる。曲線と木の融合は有機的でやわらかさが感じられる。一方でガラスを使用したファサードは抜け感とシャープさがあり、かなりメリハリがあるデザインだ。植栽のバランスも抜群で、眺めているだけで心地いい。

目的だった茶寮は食べ物が売り切れで仕舞いとのことだったので、明日また訪ねることにする。地下ではかき氷の歴史に関する展示をやっているということで観覧していく。これがなかなか面白かった。

とらやを出た後は牛鳴坂を通り過ぎて、ホテルがある一ツ木通りへと戻る。ちょうど目の前に土橋園というお茶屋さんがあったので、ホテルで飲むためのお茶を買うことにした。

ちょうど粉末タイプのお茶があったので、それで間に合わせることにする。お会計のとき、この粉末タイプのお茶を作ったのはここが初めてなのだという話を聞かせてもらった。

そのままホテルで少し休んだあとは、赤坂に来た一番の目的であるチョンギワへ。ここの冷麺が大好きで、久しぶりに食べたかったのだ。

お通しとキムチは変わらない美味しさ。隣の席ではきっぷのいいマダムたちがふたりでものすごい量の肉とキムチ、それからケランチムに冷麺とビビンバを一人前ずつ平らげていた。

マダムたちの気にあてられて、わたしたちも骨付きカルビと牛タンを焼くことにする。やっぱりチョンギワのお肉は美味しい。

最後はハーフサイズの冷麺で締め。韓国の冷麺は様々な種類があって、このタイプは水冷麺と呼ばれるものだ。淡麗な出汁に酢と辛子が効いてさっぱりとした味は、夏の蒸す時期にぴったり。かみごたえのある麺は食感が楽しく、ああやっぱり冷麺はチョンギワだなぁと思う。ときどき鼻にぬけるからしの香りを楽しみながら、あっというまに平らげてしまった。

翌朝は晴れ。夜とは打って変わって人通りも少なく、さっぱりとして何食わぬ顔の赤坂だ。赤坂サカスではハリーポッターのイベントが行われているらしく、朝から長蛇の列ができていた。

行列を避けるようにして転坂を登り、やってきたのは赤坂氷川神社。季節外れの紫陽花が出迎えてくれてうれしい。

境内には都心とは思えないほど豊かな緑が残っていた。ここのスズメは人に慣れているのか、近寄っても警戒心があまりない。地面をつついて虫を喰んでいるようで、ちょこまかとした動きが愛らしい。

境内は早朝にも関わらず人が多く、聞けば縁結びの神様として愛されているとのことだった。わたしは神社仏閣を衆生向けのエンタメと捉えているところがあるので、ご利益自体はまったく信じていないのだけれど、こういう場自体はいいものだと思う。

境内にはいくつか狛犬が置かれているのだが、社殿近くの狛犬は歴史が古いせいか、他のものよりもかなりプリミティブな印象を受けた。重要文化財にも指定されている社殿は趣があり、江戸から続く歴史を感じさせる。

そうして氷川神社をめぐったあとは、境内の奥を抜けて檜坂を下っていくことにした。もうひとつ行ってみたかった場所があるのだ。

歩くこと数分、目的地の毛利庭園へ。江戸時代の大名屋敷を再整備した庭園は、開放感があって気持ちがいい。

池の石ではミシシッピアカガメが甲羅を干していた。外来種もすっかり馴染んだ風景だ。

庭園内では近隣の子とおぼしき子供たちが走り回っていたり、水辺で遊んでいてのどかだった。庭としての趣はないものの、公園としてはかなりいい。都心に緑があるとホッとするなぁと思う。

ひととおり毛利庭園を散策したあとは、昨日振られたとらやの茶寮で朝食をいただくことに。

夫は季節のうどん。花豆を煮たものと、てんてんと添えられた梅とわさびが上品だ。

わたしは抹茶グラッセにあんず氷。毎年この暑い時期にいただく抹茶グラッセがとても楽しみ。テラス席は眺めもよく、風が通って気持ちがいい。

気がつけばわたしの氷が呼水となり、夫も宇治金時を頼んでいた。「あなた、抹茶の類はきらいじゃなかった?」と尋ねると「うん、でもここのは別だから」という。

いい風に吹かれながら赤坂御所の緑の波を眺めていると、デートと思しき恋人同士がテラス席にやってきた。女の子が「こんな素敵なところで食べられるの?うれしい!」と言ってはしゃいでいる。それを見てはにかむ男の子がかわいらしい。かつてはこの人たちのように初々しかったであろう、昔のわたしたちを振り返る。

帰りはまた坂を下って、ホテルに戻った。赤坂は名前の通り、どこに行くにも坂だらけだなと思う。そして一口に赤坂といっても、場所によって雰囲気が変わるのだなと。赤坂でホットケーキを食べていた学生のころと、自分の中身はさほど変わっていないのに、最近はとりまく環境がめまぐるしく変わっている気がする。安定した場所に身をおきたい気持ちと、そうでない気持ちが拮抗していて忙しい。大人になったら、自然と軸足が定まるものだと思っていたけれど、どうやらそうでもないらしい。なら今の心で動くまでか、そんなことをぼんやりと考えた。

都内のホテルステイに関する記録はこちら

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改姓についての覚え書き

最近友人たちから、結婚について相談を受けるようになった。なかでもよく聞かれるのが改姓についての話だ。
改姓についての実体験を言語化していくうちに、自分の考えが整理できて興味深かったので、忘れないよう残したい。

前提

法律婚にするか、事実婚にするか

  • ふたりで話し合い、法律婚を選択した
  • 子の認知、相続、万一の場合の立ち合いなどを考えると、法律婚が最適解だと判断したため

改姓前

どちらの苗字にするか

  • 彼氏は自己名義で何本か論文を出している
  • 社会人としてのキャリアは彼氏の方が長く成果も多い
  • 彼氏の名義で契約しているものも多い
  • 総括すると彼氏が私の姓に変えるコストの方が大きい
  • 結果、私が改姓することで合意した

どのように納得したのか 

思想編
  • 結婚以前からふたりとも夫婦別姓を支持している
  • ただし法律婚を選択せずに結婚することは、互いにとってリスクが高いと判断した
  • とはいえ結婚して名前を変え、政治的立ち位置は夫婦別姓というのはダブルスタンダードではないかと考えたこともあった
  • でもよく考えれば、それしか選択肢がない社会が悪い
  • なので今は気にしていない
コスト編
  • 今後のリスクヘッジのためなら短期的な改姓コストは仕方ないと考えた
画数編
  • 姓名判断をしたら改姓後の名前の画数が最悪だった
  • 判定結果に「色恋によって身を滅ぼす」があった
  • 「金銭を使い果たして身を滅ぼす」ともあった
  • 実際に使う名前は旧姓のままなのでセーフだと考えることにした
アイデンティティ
  • この時点でアイデンティティが失われる実感は薄かった
  • 改姓後も職場や友人たちの前では旧姓を使い続けるので、書面上の名前だけが変わる認識でいた
  • 何より彼氏に何かあった時に側にいられないのは嫌だった
  • なので私の苗字を変えることにした

改姓後

実際に変えてみてどう感じたのか 

思想編
  • ふたりとも夫婦別姓に賛成の立場は変わらない
  • 今後中国や韓国のように別姓に切り替えるか、スウェーデンのsamboやフランスのPACSのような制度の導入が進むことを望んでいる
コスト編
  • 免許証・銀行口座・クレジットカード・保険などの改姓手続きが煩雑だった
  • まず改姓後の諸手続きについて、体系化した手順書が存在しないことに驚いた
  • さらに各機関によって認識にバラツキがあり、事前調査が役に立たないことが多々発生した
  • とはいえインターネットの女たちが情報を発信してくれていたことにかなり助けられた
  • 情報が少ない異性やパートナーシップ制度利用者の場合はさらに大変だろう
  • また改姓手続きは平日のみ対応可能な機関が多い
  • 仕方なく有給を1日分消化したが、手続きのためだけの有給消化には心が荒んだ
  • 結局、改姓に伴う実作業は1人日だったが、事前調査などを含めると最低4人日は必要だった
  • ちなみに改姓から数年後、私の祖父が亡くなり相続手続きが発生した
  • その際、旧姓と新姓の私が同一人物であることを証明しなければならず、書類集めに苦労した
  • 当初、改姓コストは短期と想定していたが、長期にわたってランダムにコストが発生することがわかった
  • これが生涯に渡って夫は無いと思うと羨ましかった
画数編
  • いまのところ姓名判断は当たっていない
  • 色恋沙汰で身を滅ぼすことも、金銭感覚で身を滅ぼすこともなさそうだ
  • しかし画数が悪いことは地味に引っかかっている
アイデンティティ
  • 改姓後、アイデンティティに変化があった
  • 普段の生活では旧姓を使用しているが、公的な場面では新姓を使うことがある
  • そうしていると、使用頻度よりも重きを置いて選んだときの名前が「重要な名前」だと認識するようになった
  • 公的な場面で「わたしは新姓〇〇です」と選ぶことが自己認識が変わるトリガーのようだ
  • 今私の自己認識は「旧姓は仮、新姓が正式名」になっている
  • 喪失感というより、知らない間に自己認知が変化していて奇妙な感覚だった

改姓後の夫婦関係について

  • 恋人同士だった頃からふたりの仲は変化していない
  • 改姓することが決まった時、夫が「あなたに負担をかけて本当にごめん」と言ったことは今でも覚えている
  • 悪いのは制度であって夫ではないが、この時に傲慢な態度を取られていたらつらかったかもしれない
  • 長期的な共同体として円滑にやっていくために、互いが理解を示せるパートナーであることは大切だと感じた
  • 今後夫婦別姓が実現した場合、旧姓に戻すことも合意している
  • もし子供ができたら、その人には家に囚われず好きな姓を選んで欲しい

改姓後の考えについて

  • 現与党が夫婦別姓に反対しているが、よくよく考えると不思議だと思う
  • 人口減少下で消えていく伝統的な姓≒家を守るためなら、別姓が最も適切な手段だと思うので
  • また夫婦別姓同性婚に否定的なのも不思議に思う
  • 社会保障でカバーしきれない保育や介護などを各世帯の構成員に負担させている以上、家族単位を増やすことが必要不可欠だと思うので
  • さらに異性愛者にのみ法律婚を認め、同性愛者に法律婚を認めない理由が、「子どもを産み育てながら共同生活を送る関係に法的保護を与える」ため*1というのも不思議だと思う
  • それならば希望する同性愛者が子育てを実現できるよう制度を整えていくべきだから
  • そもそも私は子どもを産み育てるためではなく、パートナーとこの不確実性の高い社会を生きていくためのリスクヘッジとして法律婚を選んだ
  • 結婚前に私に十分な稼得があったり、キャリアとして優位だったら異なる検討軸があったのかもしれない

終わりに

姓を変えるということを実際にやってみて、変える側のコストが高いし面倒だし、なにより無力感を感じた。法に基づいて夫婦になる場合、いくら学生時代に研究を頑張ってきた自負があったとしても、結局は成果をあげている人間の姓に変える必要があったからだ。経済的合理性で動くなら、きっとこうした決め方を多くの女性が経験するのではないだろうか。頭では理解も納得もしていたけれど、ふりかえると確かに傷ついていた。そんな個人の思いを内包しつつ、夫婦関係は続いていくのだろうけれど。

それから私は夫婦別姓推進派だけれど、これ自体が女性の地位向上へ与えるインパクトの大きさは疑問に思っている。結局のところ、姓がある限り家制度の概念は存続する。そうなると女性の地位は、夫婦別姓を実現するだけでは不十分で、女性が経済的自立を果たせるようになるということも両輪で進んでいかなければ、地位向上の実現は難しいのではないだろうか。

そのためには夫婦別姓はもちろん、女性が家計の状況によって進学をあきらめないための支援や、子育てや介護でキャリアが断絶した人間が労働市場に復帰したときに稼げる仕組み、非正規雇用の労働者がその給与のみで生計を立てられる仕組みや、ケア労働を行政がサポートする仕組みを、社会全体で作っていく必要がある。それはめぐりめぐって男性にも還元され、生きやすい社会の醸成につながるはずだ。

結婚したときに、まずは夫の年収の半分まで稼げるようになるというのが私の目標だった。その目標を今年、ようやく達成することができた。少なくともあのとき失った自信は少しずつ取り戻してきている。自分で稼げると言うのは自信になる。そしてこの自信と稼いだお金を、やはりわたしは学問に費やしたいと思っている。

いろいろ書いたけれど、あくまでもこれはうちの話で、パートナーの数だけ色々な決め方があるのだろう。他の人たちはどんな選択をしているのか知りたいし、聞いてみたい。そしてこれから結婚しようとしている人たちは、それぞれのパートナーにとっての最適解が見つかることを願っている。そして姓を変えずともパートナーシップを結びたいと望んだ相手と共にいられる権利、あるいは相手の性別を問わずパートナーシップが保証される権利が、早々に実現することを。

11月、東京のとあるデパートにて

春から夏にかけての澄んだ空気はこころが踊るのに、秋から冬にかけての冷えた空気は妙にもの悲しく感じるのはなぜだろう。ときどきどこからか風に乗って金木犀の香りが運ばれてくる。今年もこのあまったるい薫りに、顔をしかめる季節がやってきたのだ。すっかり東京はアフターコロナの様相で、マスクをつけずに歩いている人たちや、訪日外国人を見かけるようになってきた。

ひさしぶりにデパートのコスメフロアにいくと、一部のタッチアップが解禁されていた。せっかくなので、ずっと気になっていたアイシャドウを試すことにする。席に案内されてケープをかけられ、この感覚もいつぶりだろうと感慨深く思った。

担当についたのは20代くらいの青年だった。マスク越しでもはっきりとした鼻梁の形がわかる。刈り上げられたうなじは清潔感があってぴかぴかしていた。

「今日はアイシャドウをお探しなんですか」
「はい、ずっと欲しかったんですけど、コロナでタッチアップができなくて。実際に肌に乗せたものを見て決めたいので、お願いしてもいいですか」
「もちろんです。まずはメイクをオフするところから始めていきますね」

そうして彼は微笑みながら、わたしにリムーバーを染み込ませたコットンを手渡した。以前はメイクオフからスキンケアまで美容部員にお任せだったのが、今は自分で行うことになっていたのだった。

「ああ、そうか。今はお客さんと美容部員さんでタッチアップを分担するんですね」
「はい、館やブランドの方針にもよりますが、わたしたちはご協力いただいています」

聞けば直接肌に触れること、また口元への化粧は感染のリスクが高いとされ、いまだに禁止されているらしい。まぶたにやさしく触れるブラシの感触を感じながら、彼の話に耳を傾ける。

「そもそも私が入社したのが、コロナ全盛期だったんです。そのときは部分的なタッチアップすらできなくて。でもやっぱりメイク品って実際に色味をつけないと、良さがわからないじゃないですか」
「確かに。手元で見るときと、実際につけてみるとだいぶ印象が違いますよね」
「そうなんです。なので当時はとても歯痒くて。まだリップメイクはできませんが、こうして少しずつお客様に試していただけるようになったのがうれしいです。ちなみに口紅へのメイクは禁止されていますが、お客様が苦しければマスクは外していいルールになっているんですよ」

不思議なルールですよね、と言って笑う彼を見て、私もマスク越しに表情が伝わるようにっこり笑ってみせる。

「そうなると、この2、3年間の売り上げも厳しかったんじゃないですか」
「そうですね。ただメイク品が売れない分、スキンケアやフレグランスが前年比の倍で売れるようになりました。この数年はいかに心地よくなれるか、ということがテーマだったように感じています。うちの館に入っているフレグランス部門も売り場を拡張しましたし、実際にそのブランドさんはボーナスもすごかったと聞いています」

確かに以前銀座シックスに行った時、フレグランスショップに長蛇の列ができていて驚いたことがある。アクアディパルマ、ルラボ、フエギア。以前はニッチな層が知るフレグランスだったのが、コロナ以降は香水に興味のないひとにまで認知されるようになっていた。

「あとはタッチアップができますよとお声がけしても、断られることが多くなりました。この数年で肌に触れられることへのハードルが高くなったことを感じています」
「そうなんですね、それは意外です」
「なので本当にお客様が購入されたあとも、こころから満足されているのか、それは気にしていますね」

たった数年のことなのに、購買行動が変容していることに今更ながらおどろく。

「少しずつお客さんの足も戻ってきているし、海外からの観光客も増えてきましたし、コロナ以前の仕事ができるようになっていくといいですね」
「本当にそうですね!触れることで気がつけることってたくさんあるので、その日が待ち遠しいです」

気づけば私のまぶたには、きれいにメイクが施されていた。シルクサテンのようにしっとりとしたツヤ。光を受けて細やかなパールがチラチラときらめく。澄んだベージュはマスク生活を経てナチュラルになった、今のメイクとハマっていた。

「かわいい!これ、いただいていきます」

鏡で見る表情は、いつもよりイキイキとしているように見えた。色や塗り方を変えただけで、いつもと違う表情になるのが楽しい。鏡に映る自分を見て、やっぱり私はメイクが好きだと思った。なにより、こうして誰かとメイクについての話をして、肌に触れてもらう時間がわたしの大切な癒しだったのだと。

お店を後にする前、彼にお礼をいってから「また来ます。応援してますね」と告げた。未曾有の感染症の中でこの業界に入り、現場で試行錯誤しながらプロフェッショナルを目指そうとする彼に影響されたのか、自然と足取りが軽くなる。仕事でくさくさすることがあっても、やはり元気をもらうのは、こうした人の仕事ぶりからなのだ。自分も頑張ろうと背筋を伸ばした。

 

 

 

 

時空を超えて愛されるモダニズム建築の名作 帝国ホテル・ライト館(設計:フランク・ロイド・ライト、遠藤新)

2021年11月の初めに、愛知県にある明治村へと足を運んだ。明治村とは明治時代から昭和時代にかけての建築を保存・展示している文化施設で、現在は夏目漱石の旧邸宅や小泉八雲の別邸など約67件もの文化財が所蔵されている。

今回明治村に来たのは、帝国ホテル・ライト館を見学することが目的だった。日比谷にある帝国ホテルに宿泊して以降、もういちどライト館をこの目で見比べたいと思っていたのだった。

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当日は気持ちがいい秋晴れ。目的のライト館は明治村の入り口付近にあるので、すぐに見つけることができた。初手からこの美しさ!平等院鳳凰堂にインスパイアされたというファサードは、マヤ遺跡を模したようにも見える。正面から左右対象に広がる存在感のある建物は、ともすれば圧迫感を与えそうなのに、手前にあるランドスケープがみごとに余白をもたらしていて、調和の美を完成させていた。

まずは外観をじっくり眺める。やや雨風にさらされて痛みが見えるものの、この建築の前ではそれすら瑣末なものだと思う。むしろ経年変化が建物に重厚さを与えるよう、計算されたように見えた。

大谷石に銅、テラコッタにスクラッチタイル…独特の素材選びと、見ている人間に違和感を与えるデザインは、やはりライトだなぁと思う。窓のひとつひとつがどれもひとつとして同じデザインではなく、中央の窓を中心にシンメトリーとなるような設計がされているのも、とてもライトらしい。

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池の上に浮かぶようにしてデザインされたモニュメントも格好いい。ファサードの作り自体は芦屋にあるヨドコウ迎賓館に似ているように感じた。

それではいよいよ、満を辞してホテルの中へ。

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館内に入って赤い絨毯の敷かれた階段を登っていく。一段一段あがっていくごとに、目の前のロビーの光景が変わっていくのが面白い。最後まで登り切ると、ロビーの全貌が現れた。ふんだんな装飾に、三層の吹き抜け!当時ここを訪れたひとたちも、おなじように息をのんだに違いない。

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あちらこちらに重厚なデザインがほどこされているものの、不思議と重苦しさは感じにくい。おそらく2階部分に施された大谷石の柱が、下から上にかけて太くなっていることで重力を感じにくくなっていることと、1階から2階にかけて伸びている柱の中に照明が入ることで、あたたかさを感じるように設計されているからだろう。

また館内の入り口の扉や窓にはよくみるとモザイクのような装飾が施されていた。この金色の部分は金箔が使われているそうで、それを合わせて一枚のガラスとして仕上げたらしい。細部に至るまでもの凄いこだわりだ。

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天井の照明ひとつとっても格好いい。放射状にのびた明かりが幻想的で見惚れてしまう。

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そのまま2階部分に上がると、大谷石レリーフが出迎えてくれた。このレプリカは日比谷の帝国ホテルでも展示されていたが、こうして建築と一体となっている姿を見ると、また違った印象を受ける。噴水や花のようにも見え、さまざまな記憶を呼び起こすよう。天井の飾り、あしもとのテラコッタ、そして絨毯とライトが設計した椅子、窓から差し込むひかり…それらが調和することでしか、みえない情景があるのだった。

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階段の踊り場部分は広くとられていて心地がいい。旧帝国ホテル時代は、ここがラウンジとして使用されていたのだそうだ。一気に階段を上らせない、または下らせないという計らいは、当時ここを訪れたであろう富裕層の生活様式にも合っていたのだろう。これならイブニングドレスを着て歩いても、十分エレガントにふるまうことができる。

現在ラウンジ部分には、当時の様子を想起されるような椅子とテーブルが1脚ずつ置かれていた。調度品は当時のものではないものの、ゆかりあるノリタケが使われているところに誠実さを感じる。当時の旅行客たちはどんな思いで、この窓から外を眺めていたのだろうか。

階段の装飾や間取りには規則性があるにもかかわらず、どこから見ても同じ光景がひとつとしてない様子は、まるで森の中にいるようだ。階段の裏にすら几帳面に装飾がほどこされていて、その精緻さにクラクラした。

実際、このホテルの建設費用は当初の予算の3倍まで膨れ上がり、工期は予定より4年もの遅れがあったという。結局経営陣との対立がもとでライトは途中で解任され、その後の設計は彼の愛弟子であった遠藤新が引き継いだ。

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そうして2階部分を歩いていると、おもわずアッ!と息をのむ瞬間が訪れた。ちょうど日が陰り、2階のレストラン部分が影になったのだ。その瞬間、周囲の柱がフレームとなって、唯一無二の影絵がおごそかに現れた。おもわず息を飲んでシャッターを切る。1階部分の導入、2階部分の喧騒、そして3階部分の静寂…ひとびとの人生がうつくしく浮かび上がり、目で交響曲を感じるような感動があった。まるで映画「グランド・ホテル」を思い出す情景に「これか!ライトはこれを見せたかったのか!」とひとり興奮する。実際にはライトの建築よりも映画が後発なので、もしかするとここに泊まった関係者が、インスパイアされたのかもしれない。

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すばらしい光景に胸がいっぱいになり、やっぱり彼の建築が好きだなぁとひとちごちる。外の空間とのつながり、当地の歴史や文化、そうしたものを細部までデザインされている。おおげさかもしれないが、ライトはこのホテルの中の時間の流れすら設計したのではないかと感じた。

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辰野金吾の東京駅舎が代表するように、当時の日本の建築家たちは国の外交と威信をかけて、威風堂々とした建築を立てることに邁進していた。それと比べると、ライト館は西洋と東洋を融合させることに心を注いだように思える。豪奢なのに、とにかく気持ちがいい。この心地よさの正体は、往年の彼の言葉にあるように、建築というものは人間のために作られるべきものであって、それを第一に考えて抜いていたからこそなのかもしれない。

ライト館は2023年に100周年を迎える。帝国ホテル東京では、期間限定で1階のラウンジ脇に資料を展示しているので、今のうちに足を運んで読んでおきたい。きっとそれらを読むことで、まだ知らないライト館の表情がいくつもみえてくるはずだ。

 

過去の建築探訪記はこちらから

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鎌倉アルプスを縦走して猫を撫でた夏の日

夏のある日、ずいぶんと登山から遠ざかっていたので、身体を慣らすために鎌倉アルプスを縦走することにした。由比ヶ浜周辺の駐車場は海開きの直後で混んでいそうだったので、大船駅から離れたところにある駐車場へ車を停める。車を降りると、駐車場の中央にある井戸が目に留まった。

錆びたポンプが時代を感じさせる。昔、このあたりにあった邸宅のものなのだろうか。不思議な井戸を背に大船駅まで歩くと、夏の日差しがジリジリと照りつけた。

駅のホームに向かって階段をリズミカルに降りると、なんだか小学生の夏休みのようで楽しくなってくる。北鎌倉までは横須賀線で向かい、電車を下車したあとは鎌倉アルプスの入山口がある建長寺まで歩くことにした。

ちょうどNHK大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」が盛り上がってきた時期らしく、鎌倉の道のいたるところに登場人物と縁がある場所についての案内があった。途中すれ違った中年の女性たちが鎌倉殿の話で盛り上がっていて、人気なのだなと実感する。太陽の照りつけが激しく、サングラス越しでも眩しい。

首筋を汗が伝っていくのを感じて顔を上げると、「去来庵」という数寄屋風のお店を見つけて思わず足を止めた。もとは別荘だったものを改築し、現在は洋食屋を営んでいるらしい。名物はビーフシチュウにタンシチュウ、そして固めのプリン。想像しただけでお腹が鳴りそうだ。

鎌倉は緑が多く、歩いているだけで目がうるおう。威勢よく電線に接触している木もあって、思わず笑ってしまった。「ここを進んで行ったらどこに辿り着くのだろう」と思うような小路が、あちらこちらにあるのも心を躍らせる。

時折緑に慰められながら数十分、ようやく鎌倉アルプスの入り口がある建長寺にたどり着いた。石畳には木陰がゆらめいている。

入山口はお寺の奥にあるので、拝観料を支払って中を通り過ぎる。立派な門に思わず圧倒された。

お寺の奥まで進むとハイキングコースの案内があった。

案内のまま脇道にそれると、一気に緑が深まってくる。

このあたりは水気が多いのか、イワタバコが群生していた。ちょうど開花の時期で、むらさき色の可憐な花が星のように連なっていた。

あまりの暑さに喉が渇いてきたので、さっそくリュックサックから飲み物を取り出す。ああ、水が美味しい!

しばらく平坦な道を進むと、鎌倉アルプスの難所である半僧坊の階段が見えてきた。250段もある階段をひたすら登っていく。登っている間、汗は拭いても拭いても滝のように流れ、次第に呼吸が苦しくなってきた。足が重くなってくるのを必死に動かして、なんとか頂上へとたどり着くと、おもわずその場にしゃがみ込んだ。

あまりにも疲れたので、境内のベンチで少しだけ休ませてもらう。ぐったりしていると、半僧坊のひとと目があってお互い笑い合った。きっとおなじみの光景なのだろう。

一息ついたあとは、気合をいれて山の中へ。さっきまでの景観とは打って変わって緑豊かな山道だ。

足元に視線を落とすと、木漏れ日のまあるいひかりが落ちていた。森の中は涼しくて気持ちがいい。

ひんやりとした森の中を歩いていると、すっかり元気になってきた。木の葉の音に混じって、季節はずれのウグイスが時折「ホー、ホケキョ」と鳴いている。

森の様子を眺めながら歩いていると、目の前が一気にひらけてきた。ここが鎌倉アルプスの最高地点、大平山の山頂だ。

山頂からは鎌倉の街並みを一望することができ、歴史の講義で習ったとおり、山に囲まれていることがよくわかる眺めだった。浜が近いせいか、ここまで磯の薫りが運ばれてくる。

大平山からの眺めを満喫したあとは、出口がある瑞泉寺を目指して下っていく。途中、蝶々が目の前をかろやかに通り過ぎていったり、物音がしてふりかえるとリスがいたりと、生き物を愛でることにいそがしい。

この時点で飲み物がなくなってしまったので、中腹にある茶屋「天園」に立ち寄り、自販機でポカリスエットを購入した。茶屋では軽食やアルコールが販売されていて、地元住民らしき人たちが気ままに楽しんでいた。

さらにこの茶屋には黒猫がいて、うつらうつらと日向ぼっこをしていた。ミントグリーンの目とつややかな毛並みが美しい。撫でられるのにも慣れているようで、触ると喉をゴロゴロと鳴らした。

ここからの道はやや勾配があって、足をとられそうになる。正午を過ぎてからは、道ですれ違う人の数も増えてきた。壮年の男性やフランス人のカップル、親子連れに老人夫婦。このあたりに住む人たちの、いい運動場所でもあるのだろう。

階段を下ってうっそうとした茂みを抜けると、目の前が眩しくなってひらけた場所へ出た。出口の瑞泉寺だ。心地よい疲労感と達成感で思わず伸びをする。あとは舗装された道を歩いて、鎌倉駅へと向かうだけだ。

駅へ向かって二階堂のあたりを歩いていると、静かな住宅街にベイクショップがぽつねんとあるのを見つけた。だいぶお腹も減ってきたので、お店の中へ入ってみることにする。

リノベーションされた店内は、白を基調とした楚々として落ち着く空間だった。お店の名前はokashi nikaido。店員さんがきびきびと働いていて、凛とした空気がただよう。ガラスケースの中には、ふわふわのマフィンやさまざまな種類のクッキー、それからしっとりとしたパウンドケーキにシリアルと、豊富な種類の焼き菓子が並べられていた。

どれもこれも美味しそうで迷ってしまう。悩みに悩んで、メープルクッキーを1枚とレモンのパウンドケーキを1つ、そしてプレーンのマフィンを1つ買った。

さっそくお店のテラス席で、マフィンを半分に割って夫とシェアする。しっとりした生地に、ほんのりと香るバニラの香り。頬張るとほろほろと口の中で溶けていく。かなり好みのマフィンで、おもわずにっこりと笑った。残りのお菓子は家でたのしむために、リュックの中に詰め込んだ。ひとやすみもそこそこに、雪ノ下を通って鶴岡八幡宮の方面へと歩いていく。

途中、とおりかかったビストロに「ワンちゃん用に仔牛の骨を差し上げています」という看板をみつけた。このおおらかさが、いかにも鎌倉らしいなぁと感じる。

街の景色を楽しみながら歩いていると、あっという間に八幡宮前までたどりついた。朱色の本殿が緑によく映えている。

小町通りを抜けて駅へと向かう途中、夫がお腹が減ったと言うので、久しぶりにこ寿々へ向かうことにした。

私はもり蕎麦を頼み、夫はとろろ蕎麦を頼んだ。疲れていたのと暑かったのとで、ひんやりとした蕎麦がいっそう美味しく感じられる。

蕎麦をぺろりと平らげた夫が、すっかり満足した面持ちで「鎌倉はハイキングするのにちょうどいい山があるし、下山したあとはご飯屋さんでのんびりできるし、すばらしい街だね」と笑う。思わず「鎌倉に住んじゃおうか」と冗談めかしていうと、「いずれ隠居することになったらね」とお決まりの返事が返ってきた。

いつかふたりで老後を過ごすことになったら、こうした街で穏やかに過ごしたい。そんな日々はまだ遠いけれど、それまではふたりで日々の小休止をしていこう。

 

これまでの街歩きの思い出はこちらから

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桃のもっとも美味しい食べ方を研究した 2022年夏の記録

今年も福島から桃が届いた

今年も福島から桃が届いた!段ボールを開けると馥郁とした桃の香りが部屋いっぱいに広がって、今年も夏が来たことを実感する。農家を営む親戚が厳選したという桃は、ひとつひとつが玉のようにぴかぴかだ。ああ、ふるさとの香り、手触り。冷凍都市の暮らしに爽やかな香りが舞い込む。この悦びを忘れないよう、そして来年も楽しめるよう、いくつか試して気に入った桃のレシピについて記していこう。

余白のある桃

試したのは、料理家のなかしましほさんが考案された「余白のある桃」というレシピ。半分に切った桃の種をくりぬき、そこに水切りヨーグルトとはちみつを添えるという、かんたんで見栄えのするデザートだ。

様々な種類のヨーグルトを試した結果、生乳をうたうタイプで、かつ脂肪分が3.5以上のものとの組み合わせが最も美味しかった。カギはヨーグルトのフレッシュさと乳脂肪分。桃の香りはとても繊細なので、強い香りや酸を加えると感じにくくなってしまう。発酵が進みすぎたヨーグルトは匂いと酸味が強く、かえって桃の香りを阻害してしまうので、前発酵で作られた「生乳」をうたうフレッシュなヨーグルトがいい。

また、乳脂肪分が多ければ多いほど、桃単体が持ち合わせていないコクが加味されるように感じた。チーズで代用するときも同様に、フレッシュタイプで高脂肪のチーズを添えるのがいいのだろう。

桃のクランペット

作る過程が最も楽しかったのが、料理研究家の細川愛さんが考案された「桃とチーズのクランペット」だ。たっぷりのバターで焼いたクランペットは香り高く、モチモチとした食感が美味しい。おおぶりにカットした桃の果汁を受け止めて、味わいに豊かなグラデーションが感じられるのもいい。簡単なのにお店のような出来栄えで、休日の食卓にこの料理があると、日常がきらきらときらめいた。

食べてみると、思いの外「おかずっぽい」レシピなのも面白かった。クランペットに塩気があるのでセミハードからフレッシュタイプのチーズと相性がいい。デザートのように食べたいならクランペット生地の塩分を減らし、フレッシュチーズにきび砂糖少々がいいかもしれない。

なによりこのレシピの楽しさは、自分でクランペットの生地を作るところにある。朝起きて、ぷくぷくと泡立った生地をみると、なんだかかわいいなぁと和む。現金なもので、美味しいものが冷蔵庫にあると思うと、翌朝起きるのがたのしみになった。

桃のカラメリゼとラべンダーのパンナコッタ

来年も絶対に作りたいのが、この桃とラべンダーのパンナコッタ。ラベンダーを一晩浸して香りをうつした牛乳でパンナコッタを作り、キャラメリゼした桃をトッピングした。

スプーンですくってひとくち食べると、脳がふやけるような重層的な香りに恍惚とする。桃に含まれるリナロールという香り成分は、ラベンダーにも類似のものが含まれている。おそらくは似た成分を保有する食材をあわせることで、香りにレイヤーが生まれて味わいに奥ゆきが出るのだろう。

材料に生クリームがなければヨーグルトで代用してもいい。そうするともっちりとした食感になる。桃はカラメリゼするとバナナのような風味になるのも発見だった。正直、カラメルの工程はトゥーマッチに感じたので、来年はダイス状に切ってシロップにした桃を、パンナコッタの上にのせるようにしたい。きっとそのほうが色合いが可憐で、いっそう桃の良さが感じられるはずだ。

桃のスムージー

もたもたしていると、あっという間に桃は熟れてしまう。毎年熟れすぎた桃を見ては「やってしまった!」と落ち込んでいたけれど、今年からそうした桃はスムージーにすることにした。

材料は桃に氷とはちみつ、それから色止めにレモン果汁をほんのすこし。あとは材料をブレンダーでミックスすれば、桃スムージーの出来上がり。手持ちのワイングラスに注げば、桃の香りを余すことなく楽しむことができるし、気分転換にもなる。

もちろんこのスムージーでお酒を割ってもいい。ペールエールで割れば即席のフルーツビールになる。スパークリングワインで割れば、桃のベリーニ風カクテルの出来上がり。

晩夏の夜に、夏を惜しみながらゆったりとグラスをかたむけるとき、人生が手中にあるような実感を静かに感じることができる。このやり方を覚えてから、熟れた桃をみても落ち込むことがなくなった。朽ちていく中にも、違ったたのしみを見出せることがうれしい。

冷蔵庫で少し冷やしてカットした桃

ここまで散々桃に関するレシピを試してきたものの、結局のところ桃のいちばん美味しい食べ方は、食べる直前に冷蔵庫ですこし冷やして食べる桃だなぁと思う。我が家の桃剥き担当は夫と決まっているので、いつもすこし厚めに切ってもらう。あるいはそのままの状態で桃にかぶりつくのもいい。したたる桃の果汁は、一気に夏を連れてくる。

素のままの桃を食べると、甘味・苦味・酸味が揃っていて、香りも食感も一切の非の打ち所がない、唯一無二の果物だなと実感する。そんな桃をあえて調理するたびに、ちいさな罪悪感にも似た気持ちを感じる。

結局のところ、どんなレシピを試したとして、この目が醒めるような果物の良さを味わうには、それ自体を愉しむことにほかならないのだろう。ほんとうに桃というものは、四季を生きる喜びに満ち、こころに一片の爽やかな風が吹きこむような、いとしい食べ物だ。

備忘 桃との食材の組み合わせについて

いくつか試作を試してきたことで、桃と相性がいい食材がわかってきた。
ひとつめが乳脂肪分が高い乳製品。次にラベンダーやバジルなどのハーブ。あとは試していないけれど、アーモンドやココナッツミルクも相性がいいのではないかと推測している。もともと桃が持つ香り成分と近しい成分を持つ食材か、コクを足すために脂肪分の高い食材で組み合わせるのが間違いなさそうだ。

一方でレモンの使い方には発見があった。桃を愛して育ってきた人間としては「なぜわざわざ酸味で桃の良さを打ち消すような食べ方を…?」と長年謎だったけれど、これは桃を活かすのではなく、他の素材と調和させるためのレシピだということがわかってきた。

香りの成分が近しいものを組み合わせてレイヤーを作ること。あるいは素材に足りない成分や味を補ってピースを埋めること。あるいはあえて相性が悪い素材を組み合わせることで、その個性を消して調和させること。これが桃のレシピを考えるときの骨子になっているようだ。

なにはともあれ、今年の課題は来年の楽しみとして、また桃と再会できる夏を楽しみに待ちたい。今は愛する桃へ、惜しみながらも別れを告げて。