東京で暮らす女のとりとめのない日記

暮らしとカルチャー、ミクスチャー

白檀の香りから思い出すこと

母方の祖母は私が8歳の時に亡くなった。死後、身内で形見分けを行い、小学生だった私は赤いビーズのついた白檀の扇子を譲り受けた。以来白檀の香りを嗅ぐと、遠い記憶の片隅にある、祖母との想い出が鮮やかに蘇ってくる。

幼い頃の私は祖母が作ってくれる料理が何より好きで、いつも夕飯時になると実家を抜け出し、祖母の家で夕餉をご馳走になっていた。特に南瓜の入ったクリームシチューが大好きで、私が来る日はよくそれが用意されていた。石油ストーブの上でそれが温められていた穏やかな光景は、いまでもよく覚えている。

祖母は祖父と結婚したあと、得意の洋裁や和裁の仕事は辞め、家で家族のための着物や服をよくしつらえていたという。幼い頃、祖母が作ってくれた青海波の生地のワンピースは特にお気に入りだった。今となっては祖母がどういう理由でその生地を選んだのかはわからないが、調べると「無限に広がる波のように、未来永劫に続く幸せへの願い」とあった。いつかこの世に別れを告げて彼岸を渡った時に真意を聞いてみたい。卒業式には祖母が残した振袖を着るつもりだ。

結婚生活は苦労も多く、特に祖父の母には辛い想いをさせられていたと母から聞いている。曾祖母は気位が高く、祖母をいびることが多かった。認知症になってからは暴力やボヤ騒ぎを起こすようになり、症状が酷くなってからは徘徊もするようになった。先日母の友人に会った時に、「私が中学生の時、あなたのお祖母さんが真っ青な顔で人を探していて。私と目が合うと『このことはあの子には黙っていて』って。きっとひいおばあさんを探していたのよね…」という話をされ、私の知らない祖母の姿が脳裏にべっとりと張り付いたようだった。私は祖母のことを何も知らないのだな、と改めて思わされたような気持ちだった。

私の前ではいつも祖母は優しかった。祖母の家の近くにはウサギを飼っている家があり、小さい頃はよくそこに二人で手を繋いで歩いて見に行った。可愛い手袋を買ってもらった日は、嬉しくて手袋の歌を歌って帰った。か弱い祖母の身体が骨になるのが耐えきれず、火葬場ではずっとその場から離れられなかった。

残された家族はそれぞれの道を歩み、当時のことは忘れたかのように生きている。家族の歴史の中で忘れられていく人たちを思う。祖母は結婚生活ではひたすら苦労し、長い闘病の末に亡くなった。祖母の一生は果たして仕合わせだったのだろうか。

白檀の香りを嗅ぐと、どうしてもそうした想い出と結びついてしまい上手く纏うことができない。以前とある香水売り場でたまたま白檀の香りを試してしまった時に、思わず祖母のことが脳裏をよぎり、しばらくその場で雷に打たれたように立ち尽くしてしまった。売り子さんから「オリエンタルな良い香りですよね」と言われ、そう思うにはこの香りに思い入れがありすぎるな、とひとりごちてその場を後にした。

固く閉じた引き出しから淡く香る白檀の香りだけで今は良い。人生における疑問の一つに答えが出た時に、初めてこの感傷的で、寂しく、不可解で哀悼が内包されたこの香りと向き合える日が来るだろう。