東京で暮らす女のとりとめのない日記

暮らしとカルチャー、ミクスチャー

誰かと胃袋をシェアしたい

先日友人と水天宮の甘味処であんみつを食べたところ、半分しか食べられなかったことにショックを受けた。たまたまだろうと思っていたけど、どうやらそうでもないらしい。週末にカジュアルなフレンチでランチを食べた時も、すでにコースの途中で腹八分目を過ぎていて、デザートにたどり着いた時にはもう限界だった。
食欲はあるので恐らく内臓機能の低下による食欲不振といったところか。食べたいものはごまんとあるのに辛すぎる。そう言えば、夫の誕生日祝いで食べたお寿司も終盤から詰め込むようだったことを思い出す。このままどんどん食べられなくなってくると思うと、今のうちに食べたいものは食べておかなくてはと焦る。

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これまでそれなりの数の親族を看取ってきたが、皆最後は食べられなくなっていった。食べられないということはどんな気持ちなのか、私には想像もつかない。最後にあの人と食べたもの、あの人が残したもの、これなら食べられると喜んでいたもの、食べられないから他の人にやってと言われたもの。食べられるものがあると一縷の望みを見つけたように嬉しくなって、そればかり買っていったような気がする。ケアする側だったはずなのに、振り返ればどの人たちにも労られていた。
皆若いのに、世間ではもっと長生きする人たちもいたのにと思うが家系なのだろう。仏に供えた白米が、乾燥して透き通っていくのを美しいと思ったのは何歳の時だったか。私の食事にはいつも彼らの想い出がついて回っている。
私の生まれ育った街には港が見下ろせる位置に墓があり、学校から帰るとそこで本を読むのが日課だった。悲しいことがあると彼らの墓の前で報告をした。一般に死は忌避されるものなのだろうが、私には暖かい居場所でもあった。しかし怖くないかと言われるとわからない。少なくとも以前より大切に想うものが増えた。墓に供えられていた菓子や惣菜を思い出す。故人の好物を供える時、まだ彼らは生きていることを実感する。
最近気に入っているイタリアンがあるのだが、恐らくそこの料理もあと何年食べられるかというところではないかと想うと恨めしい。大食らいの友人とご飯にいくとペースが合わせにくくなってきた。まだ食べたい料理も知りたい味も山ほどあるというのに、自分の身体がままならない。せめて誰かと胃袋をシェアできればいいのに。
健康な時はなんの不調も抱えずに一生生きていけるような気がするけれど、その時間は限られていることを思う。今の自分ができること、今の自分しかできないこと、考えては焦るばかりだ。