東京で暮らす女のとりとめのない日記

暮らしとカルチャー、ミクスチャー

2011年3月11日 - 2021年3月11日

本記事には震災当時の描写が含まれます。記事を読んだ後、不安な気持ちが強くなる可能性があるので、自身の状態と相談して読まれることをお勧めします。

2011-3-11

今でもあの日のことはよく覚えている。私は当時働いていた場所で大きな棚の整理をしていた。棚のある部屋には大きな窓があって、そこから見える空がお気に入りだった。その日は空がひときわ綺麗で、青の部分が海の底から眺めたように真っ青に澄んでいた。
こんな日は仕事なんてしていないで外で遊びたいと思いながら、棚の整理を黙々と続ける。棚にモノを並べるのは好きだった。誰かの手に乱される以前のそれらの姿は整然としていて美しく、バレリーナのラインダンスのようでもあった。混沌とは無縁の、つかの間の秩序。
夢中で仕事をしていたからか、気がつくと昼休憩の時間はとっくに過ぎていた。昼ごはんを食べ損ねてしまい、せめて菓子パンだけでも齧ろうかと梯子から降りた瞬間、小さく地面が揺れた。
また地震か。どうせまたすぐやむでしょう。そう思って棚を掃除するためのバケツを見ると、遊園地のティーカップの中身のように、中の水がぐわんぐわんとうねっている姿を見て「いつもの様子とは違う」と瞬時に察した。念の為、パートさん達に避難してもらおうと1歩踏み出した次の瞬間、地面が大きく沈むような感覚を覚えた。
目の前の動くはずがない棚が大きくズレて、上から監視カメラが降ってくる。非常口の看板が左右に揺れて今にも落ちそうだ。あちこちから人の悲鳴が聞こえて「落ち着いてください、大丈夫です、慌てず外に避難してください」と叫んだ。
駐車場に人が出て行ったのを確認して、中に人が残っていないか確認するために一人で店の中に駆け込んだ。立っていられないほどの揺れに体を振り回されながら、必死で「誰かいませんか」「逃げ遅れてませんか」と叫ぶ。
事務所に行くと金庫がいつもあるべき場所になく、違う部屋に移動しているのを見つけた。こんなに重いものが動くのか、誰か下敷きになっていた可能性もあるのか、そう思うとゾッとした。怖くなって事務所を飛び出し、念の為誰もいないことを確認してから店の外へと避難した。
お客さんもパートさんも、みんな駐車場の真ん中に集まってお互いを堅く抱き合って震えていた。現実離れした光景に、身を寄せ合っているハムスターのようだと一瞬のんきなことを考える。そこに向かうとみんな迎え入れてくれて、この世で唯一安全な繭のようだった。今思い返せば、そこにいたのは女性だけだった。それからしばらく、揺れはおさまらなかった。

 

2021-3-11

今日もやはり空は綺麗で、あの日のような穏やかな午後だった。私は部屋でひとりこの文章を書いている。
あの時の揺れは私の身体に深く刻まれ、揺れが来ると「これは平気な揺れ」「これは大ごとになりそうな揺れ」がだいたい分かるようになった。夫は地震が来てもソファの上で読書を続ける私を見ていつもちいさく驚く。のんきなやつだと思っているのかもしれない。
あれからカタカナで表記されるようになった地元の名前を見ると、今だに戸惑いを覚える。以前自分の出身地を知人に伝えたところ、あなたは原発事故が起こった故郷についてどう思っているのかと聞かれたことがあった。「そこに住んでいる人がいる限り、その土地をタブーのように扱うのはナンセンスだと思っている」と伝えた。「TawadaのKento-shiは読んだか」「読んだ。率直に言って不快だった。安全で清潔な場所から特定の地域にインスパイアされたと分かるものを描き、テーマとして扱っていることに疑問を持った。あれが海外で評価が高いのは理解できるが、当地に暮らす人々の生活とその意識からは大きく乖離がある」そう告げると知人は肩をすくめて去っていった。何を言って欲しいかは想像はついたが、思っていないことを言いたくは無かった。
私の故郷は呪われた土地でも穢れた土地でもない。たとえ汚染されていると言われても、何度でもあの海に足を浸すだろうし、砂浜に寝そべって大きく深呼吸をするだろう。しかし一方で気軽に知人に「遊びに来てね」と言えなくなってしまったことも事実だ。あの日からずっと故郷を変わらず懐かしく思う気持ちと、それは誰とも分かち合えなくなってしまったという気持ちで引き裂かれ続けている。
見たくないものも、忘れてしまいたいこともたくさんある。給水車が来ることを市民には伝えず、自分の分のポリタンクを買い占めて行った市議。炊き出しの行列の前でスーツ姿で形だけの写真を撮り、そそくさと帰った国会議員。その場に住み続ける選択をした人たちに向かって「汚染された地域に住むなんて気が狂っている」と侮蔑した人々。「もう私達って赤ちゃんが産めないのかな」と不安そうに呟いた友人の横顔。「ここにしか居場所がないものね」とポツリと呟いた近所のおばあさん。忘れてしまえたら楽なのに、それでも毎年この日になるとあの時の人たちの顔を想い出す。
あんなことがなければ無垢な生き物として一生を終えられていたのかもしれない。しかしもうその時の自分には戻れない。あの揺れと、のちに通うことになる大学での時間が、過去の私を変えていった。


携帯が鳴る。届いたLINE NEWSを見ると、見出しには次の言葉が書いてあった。

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首相「復興総仕上げに全力」

2年ぶりの震災追悼式で決意 今後政府主催では行わず

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復興総仕上げ、と呟く。ふと脳裏に綺麗にアイロンがかけられた1枚の白いシャツが思い浮かんだ。あの街もこんな風にまっさらになって、何一つ問題など無くなったということだろうか。袖を通してボタンを締め、つるりとした生地を見て満足し、大声で「復興総仕上げ!」とバンザイする自分を想像する。袖のほつれもボタンが歪んでいるのも見なければ同じこと。細かいことまで気にしていたらきりがない、これも復興総仕上げのうちなのだと。しかし同時に思う。津波がきてまっさらになった土地と、これの何が違うのだろうかと。
ひとり親家庭の貧困、配偶者からのDV、震災遺児の困窮、老々介護、独居老人の孤独死、公務員の震災過労死。いずれも被災の影響が大きかったのは震災以前から脆弱性が高いとされていた人々だった。そうした人々は今だに被災し続けているのではないかと思うことがある。またあまり知られていないことだが、福島県の農産物の出荷量は震災以降、それ以前の水準まで回復していない。全国平均との価格差は依然として下回っており、苦しい状況が今日まで続いている。
10年という年はただの区切りだ。これを機に支援をしなくてよい、忘れて良いという免罪符ではない。その「総仕上げ」の中にほつれやボタンの歪みが含まれていることを願ってやまない。
そして私にできるのは、ずっとそのほつれやボタンの歪みを「これはおかしい」と言い続けていくことなのだろう。これに終わりはない。疲れている時はそれを煩わしく感じるし、何もかも投げ出してきれいなものだけ見ていたいと願う日もある。しかし、あの時感じた怒りと悲しみが、それを止めさせてはくれない。
その一方で、もう疲れたという人も尊重したいとずっと思っている。後ろめたさや負い目は感じなくていい。怒り続けられるということも、ある種の特権なのだから。私がここで怒るから、あなたはその間休んでいて欲しい。そしていつか隣に並んでくれたら、こんなに嬉しいことはないと思う。

 

終わりに

この話をきっかけに、以下に記す記事や本を誰かが読み、何かを考える手助けになれば嬉しく思います。

土屋葉ほか(2018) 被災経験の聴きとりから考える
https://seikatsushoin.com/books/被災経験の聴きとりから考える/

竹信三恵子(2012)震災とジェンダー「女性支援」という概念不在の日本社会とそれがもたらすもの
http://www2.igs.ocha.ac.jp/en/wp-content/uploads/2013/04/15-Takenobu.pdf

 

それから福島県には美味しいものがあるので、この機会にぜひ試してもらえたら。

1. にいだしぜんしゅ 糀あまさけ

 さらりとして喉越しのいいあま酒。小腹が空いた時はこれをマグに入れて、レンチンして飲んでいます。

 

 2.三万石 エキソンパイ

三万石はままどおるが有名だけど、エキソンパイも密かに人気があります。バターが香るパイ生地にくるみ入りのあんこがよくあう。

 

 3. 小池菓子舗 あわまんじゅう

koike-manjyu.com

残念ながらオンライン販売は行っていないものの、都内に出張販売に来ているので見つけたら是非食べてほしい!素朴で甘くてもちもちしたあわまんじゅうに癒されます。

 

4. 肉のおおくぼ 馬刺し

会津ブランドに認定された馬肉だけを扱う精肉店。色々食べ比べてみたけれど、ここの馬刺しが一番臭みがなく旨味があって美味しい。

 

5. べこの乳ヨーグルト

濃厚でミルク感が感じられるヨーグルト。水切りヨーグルトにするとチーズのような味わいになるので、よくフルーツ和えやサラダに使っています。

 

それではまた。