東京で暮らす女のとりとめのない日記

暮らしとカルチャー、ミクスチャー

それでも他者との繋がりを信じ続けること - 映画「アメリカン・ユートピア」

TOHOシネマズ日本橋で「アメリカン・ユートピア」を観た。どのシーンも瞼に焼き付いて離れない、そんな映画を観たのはいつぶりだろう。約1ヶ月ぶりの映画館で映画をみると言う体験が、この映画で本当に良かった。なんならもう既に2回目の鑑賞をいつにするか考えている。
去年から度重なる自粛要請に伴って、都内の映画館は何度も閉鎖を余儀なくされ、その度に観たかった映画は延期や公開中止となった。美術館や文化施設は軒並み予約制となり、「思い立った日に美術展を見にいく」といった気軽に芸術へアクセスする体験が身体から失われて久しい。不要不急にカテゴライズされやすい芸術活動、なくたって生活できると言われる芸術活動。しかし、世界から映画や美術、舞台芸術や音楽などのありとあらゆるアートが無くなったら、私たちはいったいどこに生きる楽しみを見出せば良いのだろう?
思えば去年の最初の自粛要請期間中、萎んで硬くなった心を柔らかくさせてくれたのは、ネットで配信された様々な音楽や舞台芸術などだった。PCにかじりつくようにして眺めたトゥーランドット。バットシェバ舞踏団の熱気あふれるダンス。Spotifyで聞いたビートルズホワイトアルバムNetflixで観たチャップリンのライム・ライト。そう、いつだって芸術は必要不可欠なもので、心の栄養そのものなのだ。
そんな生活があった、あの気軽に文化に触れられていた頃の懐かしさと、アートを享受して生きる楽しさ、そして芸術が持つ可能性を「アメリカン・ユートピア」は連れてくる。あの観客と観客の肌が触れ合い、密という密を享楽して空気がうねるような一体感を、ぜひスクリーンであなたにも体験して欲しい。

youtu.be

製作:2019年
原題:AMERICAN UTOPIA
公式HP:映画『アメリカン・ユートピア』公式サイト

※以下感想にネタバレを含みます。(この作品は前情報無しで観た方が体験として残ると思うので、未見の人は読むことをオススメしません)

 

 

 

 

 

 

 

ブロードウェイと言えばミュージカルの印象が強いが、本作はいわゆるコンサートレジデンシーだ。2019年にブロードウェイで上演された同作をスパイク・リーが映像化したもので、元々は2018年に発表された音楽アルバムの「アメリカン・ユートピア」が下敷きとなっている。
舞台はいたってシンプルな作りで、舞台の周囲をチェーンのカーテンが囲み、その中で演者たちがパフォーマンスを繰り広げる。チェーンのカーテンは一見無機質で不穏にも見えるが、時に演者への楽器の受け渡しとして、時に自由自在に出入り可能な扉として姿を変える。
もう一つの特徴的な演出が照明だ。空間を自在に規定し、効果的に陰影を操る、シンプルながらも考え抜かれた照明は観客の心を魅了する。遠くからの照明、近くからの照明、上からの照明、横からの照明。それらの組み合わせが無数のパターンを生み出し、シンプルな舞台に奥行きを与えている。もし「今一番イケている舞台照明は?」と聞かれたら間違いなく「アメリカン・ユートピア!」と答えるだろう。
グレーのスーツに身を包んだ演者が繰り広げる素晴らしい演奏と華麗なマーチング、コンテンポラリー的なダンス、時々繰り広げられる観客とのコールアンドレスポンス。ただのレジデンシーを超え、贅沢な総合芸術として与えられるそれらを次から次へと浴びて息をする間もない。合間合間に聞こえる観客の息遣い、画面に映される彼らの活き活きした表情、いつしか画面を隔てるものすらなくなり、心も身体もブロードウェイに飛んでいるかのように錯覚する。
本作はミュージカルと違ってはっきりしたストーリーはないが、底通するテーマは存在しており、それらをもとにデヴィッドは語る。
David Byrne's 'American Utopia' at Broadway's Hudson Theatre: Review -  Rolling Stone
この作品の狂言回しでもあるデヴィット・バーンはもともと移民だ。ショーの途中で彼はこう言う「移民無しでアメリカは成り立たない」と。作品に登場する12名の演者たちはそれぞれルーツも人種も性も異なり、まさに彼ら無しではこのショウは成り立たない。アメリカの縮図のような舞台の中で、時折デヴィッドは実体験やユーモアを交えて話をしていく。
例えば、アメリカの選挙における投票率の低さについて。特に地方では約20%の投票率であり、さらにその平均年齢は57歳であること(劇中では「若者よ、御愁傷様」と笑いを取っている)。またデヴィッド自身、投票率を上げるために選挙の宣誓書へのサインをしてもらうボランティアに参加しており、こうしたショウの後には有権者登録も支援している。デイヴィットは語る。「宣誓書には法的な拘束力はない、ただの紙切れだ。けれど、書いてもらうことで、その人は自分自身に誓いを立てる」そして音楽は鳴り続ける。
また、パフォーマンスのクライマックスで披露される"Hell you Talmbout"ではアメリカ合衆国の警察組織によって理不尽に命を奪われた何人ものブラック・アメリカンたちの名前が叫ばれる。ここではスパイク・リーらしい演出で、その死者の顔写真がプリントされたパネルを持った遺族の表情が音楽と共に正面から映されていく。"Say his name!", "Say her name!"の掛け声とともに会場の熱気が高潮していく様、これが2019年のアメリカで行われた舞台であること。
そうして会場のライブ感が最高潮に達したところで演者が観客席に降り、縦横無尽にマーチングしながら歌う"Road to Nowhere"は、"Hell you Talmbout"のシリアスなトーンとは一転してまさにユートピアを目指す行進曲となっている。歌詞はまさに今のアメリカの地点を示しており、観客をオプティミスティックなユートピアへと誘う。ピースフルで、素晴らしいパフォーマンスと観客の気持ちが一体となるような演出に、もしかしたら本当にこの先にユートピアが実現できるのかもしれないとすら思う。今は分かり合えなくても、ひょっとしたら。
こう書くと全体を通じてシリアスな作品のように思われるかもしれないが、そこはデヴィッドの力量によってヘヴィーすぎずライトすぎない絶妙なバランスに仕上がっている。いわゆる啓蒙ではなくただ事実を述べていくだけにとどまり、あとは観客に委ねる潔さ。「宿題をやれ」と言われてやる人間がいないのと同じように、ただその人が考えようとする種を撒き続けるしかないのだ。その表現は家族や血縁、政府というものを疑い、解体しようとしながらも、他者を信じ続けてきたデヴィッドだからこそ為し得たものだろう。
2017年以降のアメリカが体験した様々なバックラッシュは、希望を失わせるには十分すぎるものだった。しかしそんな中でも希望を捨てずに、他者との交流を通じて考え続けることでこのような作品が生まれたのだと思うと、ただただ胸を打たれ「今の自分ができることはなんだろう」とすら思う。絶望できるほど何かをやったと言えるだろうか?私もユートピアを目指したい。ハンチング帽をかぶって赤いマフラーを巻き、ダウンコートに身を包んで冬の寒空の下を彼らと同じように自転車で駆け抜ける自由と喜びを享受したい。
ちなみに本作のサントラはSpotifyで聞くことができる。早速映画館から出て耳にイヤホンをはめ、余韻を噛みしめるようにひとつひとつの音を聴きながら帰り道を歩いた。見慣れた帰り道が、その一歩一歩が特別なものに思えて、ずっとこの余韻から醒めたくないとすら願う。

また、本作で使用されたジャネール・モネイが歌うHell you Talmboutは以下のリンクから聞くことができる。ドナルド・トランプアメリカ大統領の就任式当日である2017年1月21日に行われたウィメンズ・マーチで披露された時の音源で、デヴィッド・バーンはこの曲を聞いてアメリカン・ユートピアに使用したいと思ったという。その際に直接ジャネールと会話をし「白人の壮年男性が自分の舞台でこの曲を使用しても良いか?」と許可を求めたところ「もちろん。これは人類に対する歌だから」と彼女は答えた。

open.spotify.com

余談だが、デヴィッドは2020年9月に自身が過去に「Stop Making Sense」におけるプロモーションの寸劇としてブラックフェイス、またブラウンフェイスに顔を塗りつぶして有色人種を演じたことについて自身のTwitterで公式に謝罪している。

デヴィッドは過去の過ちを認め、謝罪したのちに"One hopes that folks have the grace and understanding to allow that someone like me, anyone really, can grow and change, and that the past can be examined with honesty and accountability."と伝えている。
決して自分は過ちを犯さない人間ではないということを認め、過ちは過ちとして受容しながら、それでもより良い人間でありたいと努めるその姿勢は、めまぐるしく変化する時代の中で「どのように老いていくか」という問いにおける一つの指針のようにも思える。こんなに爆イケな壮年男性がいると思えば、老いていくことも怖くない。
どうかこれから見ようと思っている人は、ぜひ映画館で上映しているうちに足を運んでほしい。ビフォア・コヴィッド・ナインティーンの、あの観客のレスポンスが混ざりあって会場全体にうねりが生まれるようなライブ感を大きなスクリーンで味わい、懐かしみ、楽しみ、時に笑って時に泣いて思い切り堪能してほしい。そうして生まれた活力は、きっとあなたの人生を照らす光となり、ユートピアを築く道しるべとなるはずだ。