東京で暮らす女のとりとめのない日記

暮らしとカルチャー、ミクスチャー

2021年上半期に読んだ本

今まで読んだ本はブクログに登録していたものの、検索するときにブログにまとめておいたほうが便利かもなと思ったので、今年から読書記録はこっちに書いていこうと思う。漫画編も別でまとめたいけど、仕事が忙しいのでそっちは気が向いたらになりそう。ちなみに最近は今更ながらスラムダンクにハマっています。

 

1月

『建築ジャーナル』1月号

特集が「隈研吾と日本社会」だったので購読。私は隈研吾の建築及びその思想には懐疑的なのだが、大衆にここまで名前を知られ、持て囃されている建築家もまた知らないので、彼が専門家からは現時点でどのような評価を受けているのか知りたかった。
私が彼の建築や発言に違和感を感じ続けるのは好みの問題か、あるいは自分の建築における知識の無さからくるものかと思っていたが、彼の建築をファストファッションと言い表した三井氏の言葉を読み、案外当たっていたのかもしれないと思う。(ただし本書の文脈で使われるファストファッションハイブランドの対義語として使われているに留まっているため、私の所感とは違うが)そういえば早稲田に出来た村上春樹ライブラリーの建築も隈研吾が担当していたが、確かその出資者は柳井正だったなということを、このブログを書きながら思い出している。
とはいえ大衆の欲望に応えることがうまい、時流を読め、コストを考えられる建築家ということで、おそらく彼を超える建築家は今の日本にはいないだろう。それは安藤忠雄でも、妹島和世でも不可能と思われる。苦々しい思いもあるが、おそらく彼の建築の問題点が明らかになっていくのは、10年先になってからだろう。隈研吾建築への熱狂はしばらく続きそうだ。

『読書する女たち フェミニズムの名著は私の人生をどう変えたか』ステファニー・スタール

近年のフェミニズム文学ではキム・ジヨンが有名だが、あれを読んだ最初の感想は「ネオリベラルフェミニズムと相性が良さそうだな」だった。そうして予想通り一部のネオリベラルフェミニストキム・ジヨンを絶賛している姿を見て落胆してしまい、正直フェミニズム文学についても、その熱狂にも懐疑的になったのが昨年以前のことだったと記憶している。ちなみに最近はフェムテックがブームのようだが、私はフェムテック自体が男女平等を実現するとは思わない。
そうは言っても過去のフェミニズム文学から学べることもあるかもしれない、今年はフェミニズム文学元年にするか…と思って手に取ったのがこの本だった。内容は子供を出産したばかりのステファニーがフェミニズム文学を学びなおすために大学に通い、その中で出会った本を彼女の境遇と照らし合わせ、ときには彼女の言葉で解釈されながら紹介していくという形式だ。
この物語の中で紹介される本は、アメリカや欧州のフェミニズム運動に影響を与えたものから、後世でフェミニズム文学として評価されたものまで様々だ。またリベラルフェミニズムからラディカルフェミニズムまで、いわゆるフェミニズムの宗派を問わず作品が取り上げられている。最初の気構えとは裏腹に、読了後はあれもこれも読みたいと思わされる本だった。フェミニズムについてある程度知った上で、先人の轍を知りたいという人には良い手引書となるのではないかと思う。

 『年収は「住むところ」で決まる ー 雇用とイノベーションの都市経済学』エンリコ・モレッティ

大学生時代に教授から読め読めと言われていたにも関わらず、胡散臭いタイトルにどうにも手に取る気にもなれずずっと放置していた本。読んでみたら意外と面白かった、先生本当にすみませんでした。
タイトルから勝手に「年収を上げたいなら都市部に引っ越してビッグになろう」みたいな自己啓発本の類だと思っていたけれど、真っ当な都市論の話だった。似た本だとリチャード・フロリダが書いた『クリエイティブ都市論ー創造性は居心地の良い場所を求める』あたりだろうか。なぜインターネットが発展して誰もが平等なチャンスを持ち得るように見えるにも関わらず、依然として都市部に優秀な人間が集まるのか。また、経済的に発展する都市とそうでない都市の違いとは一体どこにあるのか、と言った疑問に丁寧な理論を展開している。
よくSNSで話題になる都市と地方の不平等(二元論にすることは議論を進めないとは思うが)に関心がある人、いわゆる「まちづくり」に興味がある学生さんにもオススメできる1冊だと思う。

 

 『エロティック・キャピタル すべてが手に入る自分磨き』キャサリン・ハキム

これも教授に読め読めと言われていたにも関わらず、タイトルの胡散臭さに読んでこなかった本。 読んでみたら、今年読んで面白かった本の上位に入る本だった。先生、本当にすみませんでした。
文化資本、いわゆるカルチャーキャピタルは馴染みがある言葉だと思うが、キャサリンはそのカルチャーキャピタルやエコノミックキャピタル、ヒューマンキャピタルの他にエロティックキャピタルが存在すると指摘する。キャサリンはこのエロティックキャピタルをハニーマネーと言い換え、人間が持つ性的な魅力やその希少性は他の資本と同様に代替可能な資本であると言い、女性たちにこれまで男性優位社会が不当に抑圧してきたエロティック・パワーを使用することを推奨している。
おそらくこの理論に反発するフェミニストは多くいるだろう。私も彼女の理論に全て納得したわけではないし、批判的な部分も多くある。しかし納得するものもあった。また、彼女が批判する男性優位社会で女性のエロティックパワーを抑圧してきた人間に、自分も加担しているのではないかと考えるきっかけにもなった。自分がフェミニストであると自認する人には一度読んでみてほしい。ただ素直な人が読むと人生のある種のギアを加速させそうなので、このあたりの話は中村うさぎの「私という病」を併せて読むといいのでは。
ちなみに社会的に高い地位の職業についている男ほどビューティ・プレミアムの恩恵を受けているという話にも納得するところがあった。確かに身近な男性で対人を相手とし、収入が多い職業についている男たちほど、身なりを整えることに積極的だ。眉サロンからネイル、スキンケアからメンズコスメ、果ては美容整形まで…彼らがそれに投資するのは単に余剰資金があるからだけでなく、その恩恵を理解しているからだろう。まさに「武装としてのメイク」である。
本書はイギリスだけでなく世界各国のフェミニストたちに影響を与え、議論をもたらしたとあるが、この内容の本を発表するとは本人にとっても賭けだったろうと想像する。このような本と出会えることは僥倖と言ってもいいだろう。

2月

 『ひとり暮らしの戦後史 ー 戦中世代の婦人たち』塩沢美代子、島田とみ子

戦後、寡婦や生涯独身として生きていった女性たちに聞き取り調査を行い、彼女たちが戦後の日本社会においてどのような立場にあり、それに対して社会保障はどのように働いていたかを分析した一冊。丁寧にヒアリングがされているのはもちろん、彼女たちの言葉をうまく引き出していて聞き取り調査の見本のような本だった。
この本の詳細については西田藍氏の推薦文が詳しいので興味のある人はこちらから。

www.iwanamishinsho80.com戦後の話ではあるが、独り身の女性が経済的自立を獲得する困難さ、また社会保障から零れ落ちていく様は現代の社会構造と通じる。大卒女性と、そうでない女性については仕事の獲得機会や、安定した働き口の有無、賃金に雲泥の差があるし、配偶者を見つけられない女性は歳を重ねるにつれて体力的な限界を感じ、さらに脆弱な立場へと追い込まれ、常に経済的な不安と孤独に苛まれる。
当時より社会保障は少しずつ良くなっているとはいえ、日本の社会保障は未だ発展途上であり、男性稼ぎ主モデルをベースとしている制度は多く存在する。共働き世帯が増え、また生涯独身である人々がスタンダードとなりつつある昨今、社会保障を刷新することは喫緊の課題であることに違いはない。本書に出てくる女性たちのように、男女問わず社会の中で見えないものとされ続ける層が、経済的な不安を感じることなく人間らしい生活を過不足なく送ることが、社会保障に期待される役割であることを本書は示している。

 

 『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』タラ・ウェストーバー

今年上半期ベストの図書を選ぶとしたら、真っ先にこの本を挙げる。心から読めてよかったと思う良書だった。
本書はモルモン教徒でサバイバリストの父と母に育てられたタラが、様々な経験をしながら教育の世界に足を踏み入れ、学びを獲得していく物語だ。タラの父親は終末論に傾倒しており、政府に対する強烈な不信感から、彼らの子供を独特のやり方で育てようとし、その結果彼らを社会的に脆弱な立場へと追いやる。母親も父親と同様に現代医療を否定し、病気や怪我は全てを自分たちが手掛けるハーブ薬やハンドパワーで治療しようとし、結果として家族を危険な目にあわせていく。家庭内で絶えず繰り返される暴力と一時的な承認、信頼可能な大人の不在、命に関わる危険な仕事への従事、子どもらしくいられる権利が失われた環境。そんな中、タラはすでに大学へ進学している兄の影響や周囲のサポートを受けて、大学受験へと挑戦していく。
ここまで書くと、過酷な環境下に置かれた少女が大学進学のチャンスを自力で獲得していくサクセスストーリーと思われるかもしれない。確かに一面を切り取れば、困難にめげず飽くなき探究心と学びへの飢えを持った彼女の知性と努力が大学への進学を可能にしたようにも読み取れる。しかし、タラが学ぶ機会を手にいれることを可能としているのはそれだけではない。物語の中で彼女が学ぼうとするたびに訪れる障壁や転機には、必ずと言っていいほどアメリカの社会保障が登場する。
また、大学での学びは彼女の人生を全て好転させるわけでもない。彼女が教育を受ける中で、次第に自分の家族に違和感を抱き、最後には学びを通じて自分の父親の狂信さの原因を発見する一連の思考プロセスと心の揺らぎは彼女と家族を次第に隔てていく。それでも家族を愛していると断言する彼女とは裏腹に、彼女の両親は政府が提供する教育システムに呑まれた娘の言葉を頑なに遠ざけようとする。
教育とは一体何なのだろうか、学びとは人生にどのような影響を与えるのだろうか。タラが幼少期の経験から現在までの過程を経て見つけた一つの答えに、きっと読者は心が揺さぶられるだろう。

 

3月 

 『自分ひとりの部屋』ヴァージニア・ウルフ

 初ヴァージニア・ウルフはこの本にした。1月に読んだ「読書する女たち」で紹介されており、以来ずっと気になっていた本だった。本書はウルフがケンブリッジ大の女子カレッジで行なった女性と小説というテーマの講演をもとに構成されている。彼女の論点はシンプルで、女は経済的自立=自分ひとりの部屋が必要であるという話である。
本書の中で特に印象的なのが3章から5章に欠けての、もしシェイクスピアに妹がいて、彼女も劇作家として生きたいと願っていた場合、どのような人生を送っただろうかというイメージを聴講者と共有しながら、現実の女性の地位と女性作家たちの活躍へと話を展開していくところだ。
なぜ女性は経済的に豊かではないのか。男性よりも教育機会に恵まれないのか。にも関わらず、彼女たちが不平等を主張しようとすると彼らが激しく怒るのは何故なのか?そんなことを私たちが生きる時代より以前に考え続けていた人がいた。
もちろん彼女の講義内容の全てが正しいわけではなく、今日に至るまでのフェミニズム運動では批判される論点も多い。しかしながら今よりも女性に対する抑圧が強かった時代に、こうして考え続けていたひとりの人間がいたということは、現代に生きる私たちにとって希望の灯りであることに違いないだろう。

 

『炎上CMでよみとくジェンダー論』瀬知山 角

この本を読んで、良い感想を持つ人はどのくらいいるのだろうか?これがジェンダー論を標榜していることにただただ驚くのだが、なぜかインターネットでは意外とこの本が支持されているようだ。もし広告担当がこの本を読んで「弊社の広告はジェンダー論を考慮した上で制作しました」と実際に発表したとしても、これでは形を変えて炎上し続けるだろう。その人が今どの視座に立っているのかを図るような、ある種のリトマス紙的な本だった。

 

4月 

 『刑務所図書館の人びと ー ハーバードを出て司書になった男の日記』アヴィ・スタインバーグ

BLMについてもう少し本を読みたいと思い、アメリカで運動を行なっている友人にオススメの本を聞いた。その中の1冊がこの本だった。 
本書は刑務所図書館からマルコムXが誕生するサクセスストーリーではないし、司書が受刑者に読書の楽しみをわからせて真っ当な道に導く物語でもない。ただ司書である彼が刑務所図書館に勤務する中で受刑者と関わり、自分の仕事をやり抜く話である。
刑務所図書館をブツのやり取りに使う受刑者もいれば、恋人との逢引に利用する受刑者もいる。司書をたらしこんで上手く操作しようとする受刑者もいれば、秘密を抱えたまま孤独に利用する受刑者もいる。どの受刑者もどうしようもない奴らではあるが、現実に起こった話の数々を読みながら、そんな彼らに更生を望むことの方が傲慢ではないかとすら思わされる。
もちろん本書の中では人々が好みそうな更生を目指す受刑者の話も出てくる。その結末はあなたの目で見届けてほしい。
更生するしないに関わらず、どの受刑者にも刑務所図書館は必要であり、本を読める権利は生きる権利と同等だと私は思う。その後彼らがどんな人生を歩もうとも。

『暇と退屈の倫理学國分功一郎

去年の今頃、大学の同期がグループラインで勧めていた本。
読んでみたものの、目新しいことは特に書いていなかった。また、主張の強度を下げないよう恣意的に避けている論点や、矛盾点などもあり書いている内容は必ずしも一貫性がない。ただし、自己啓発書としては上手い。恐らくはあからさまな自己啓発の類の本が苦手だが、自己啓発されたい人に響くのだろう。
同期には「いやこういった類の話は大学でずっと習ってきただろう」と思ったが、おそらくこういった言葉が響く時期というものがあるのかもしれない。

 

『明日、何を作ろう くらしのきほん』松浦弥太郎

暮らしについて書き綴ること、またそのニーズの高さに責任を感じるところがあり、今後自分の暮らしをブログに書き記していく中で、自分の文章がどう受け取られるのか見直そうと思っていた時期だった。
暮らしを豊かにしたいと願うことは、政治や経済と向き合うことでもある。また、それは暮らしの手帖の初代編集者であった花森安吾が実践してきたものでもあった。しかし、2011年の松浦弥太郎編集下の暮らしの手帖では、花森らが培ってきた暮らしにおける政治性を漂白していくことに成功する。東日本大震災の出来事を暮らしの手帖が無視し続けたことは記憶に新しい。そうして「それはそれ、これはこれ」で生活だけを丁寧にすれば良いものとして取り上げていった結果、生まれたのは従順な消費者と無関心だった。
あれから約10年、暮らしの上澄みだけを見つめ続けるのはオールドファッションではないか。2019年以降、そんなことをぼんやりと考えるようになった。手仕事をして、目の前の暗い気持ちが一瞬晴れたとして、その向き合うべき対象が霞のように消えてなくなるわけではない。そんなことを考え続け、このブログでもなるべく暮らしを砂糖菓子の城とせず、政治や経済と結びつけて記録するよう意識してきた。しかし、それがうまく伝わっているかは分からない。
そんな経緯があり、自分の文章が無責任な暮らしの礼讃とならないよう、日本で丁寧な暮らしブームを起こした人間の本をちゃんと読んでおこうと思い松浦弥太郎の本を読むことにした。しかし思ったよりひどい内容で、これを読んで暫くショックを受けてしまった。
家庭料理に対する知識も先人へのリスペクトもなく、稚拙で思慮が浅い自己流の料理理論を展開するだけにとどまっており、彼の提唱する暮らしに憧れ続けている人間がいることも相まって泣きたくなってしまう。これを「くらしのきほん」と言い切ってしまう傲慢さに愕然としてしまった。一通り目を通し、彼が東日本大震災が起こった当時、それらの出来事を雑誌に一切取り上げなかったのも合点が行った。彼の言う「くらし」とは砂糖菓子の城だった。日本の女性は世界的にみて家事労働の時間が長いということを考え抜いていた人間であれば、このような本は出版できなかっただろう。

『世界一美しい食べ方のマナー』小倉朋子

去年から今年にかけてフレンチに行く機会が多くなり、今までちゃんとマナーを意識したことがなかったので自身のマナーを見直すために読んでおくかと手に取った一冊。巷のマナー本は、品格という曖昧な定義の言葉を使いながら、相手に劣等感を植え付けて様式を身に付けさせようとするものが多く苦手なのだが、本書は知人の勧めもあって信頼して読んでみることにした。
本書ではマナーの重要性を食事そのものを楽しむためのものと位置づけ、美しいとされる食べ方の所作を理論的に分析し、解説している。作者が読者に期待することはマナーに挑戦し、自身の所作を通じて店や相手にその場を楽しんでいると伝えることであり、誰かより優位に立とうとすることではない。そのため他のマナー本より堅苦しさがなく、シチュエーションを想像しながらマナーを学べるのが特徴的だ。高級店に行く行かないに関わらず、普段から綺麗な食べ方を身に付けたい、より料理を美味しく味わいたいと思っている人にも響くだろう。

5月 

 『目覚め』ケイト・ショパン

ヴァージニア・ウルフと同様、こちらも「読書する女たち」で紹介されていた一冊。 アメリカ南部で暮らすエドナは既婚の身でありながら、青年ロベールと恋に落ちる。ロベールとの逢瀬を通じてエドナはそれまでの性別役割規範を演じる自分から私という自我に目覚めていくが、しかしそんなエドナの気持ちと自身の想いに歯止めがかからないことを知って、ロベールは道徳的呵責から逃げるようにメキシコへ旅立ってしまう…というあらすじだ。
本書には性的な描写が含まれており、それらを理由に出版当初は酷評され、ケイトの作家人生にも影響を与えるものとなった。一方でケイトの死後、アメリカのフェミニズム運動を通じて本書は再評価されることとなり、現在では古典フェミニズム文学の一つとして名高い。
本書はその性的な描写に評価が置かれやすいが、むしろ官能への目覚めというよりもエドナが肉体を通じて自身の孤独に目覚める姿、彼女の内面を巡る変化の描写にこの本の真髄がある。読み進めていくうちに、エドナを肉欲に耽る放蕩な女ではなく、知性を獲得していく女として描いた作者の挑戦が読み取れるだろう。
エドナと夫の性別役割規範に基づく諍いや家庭内や社会での女という立場、自我に目覚めたエドナが孤独と内省を通じて道徳や固定観念から自由に生きようと模索する姿、そして物語が終盤に迫るにつれて変化していくエドナのロベールへの思いは現代を生きる女性にも通ずるものがある。また、途中登場するマドモアゼル・ライツなど、彼女を取り巻く女たちの台詞も興味深い。本書はまだ目覚めかけの女とすでに目覚めている女の物語でもある。
ラストの解釈は分かれているが、私は彼女が舞台となった閉塞的な島を出て、自由にいきられる世界へ泳いでいったと信じたい。フェミニズムに傾倒していることが狂っていると評された時代、ケイトは真っ当な感覚を持っていた女であることをこの本は証明するだろう。

 

 『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』キャスリーン・フリン

タイトルがミスリードをしている感覚は否めないが、とても面白い本だった。
本書に登場する女たちは真っ当にいきているにも関わらず、料理に対して強烈な苦手意識を持っている。そんな彼女たちにキャスリーンは手取り足取り、一から料理を教えることで苦手意識を取り払い、料理をする楽しさを気づかせていく。
本書では読者も教えられる側の立場で読み進めていくことになるのだが、塩は何を使えば良いのか、包丁は何種類あれば十分なのかと言った基本的なことから、料理が失敗しないコツまで体系的にレクチャーされており、それだけでもとても勉強になった。
この本の良いところは必ずしもやり遂げられなかった人を責めないことで、できないことはできないこととして教える側も受容していたことが印象的だった。料理をすることで自分の体調管理や家計の節約にはなるけれど、包丁が怖くてさわれない人や、ガスコンロの火が苦手で近づけない人が何が何でもそのハードルを超えなくてはならないわけではない。
とはいえ基本的なスキルを身につけるにはなかなか良い本だったので、これから料理を始めたいと思っている人、料理が苦手な人には男女問わず是非手にとってみてほしい。読み終えた頃には何か料理してみようかなと、ワクワクしている自分に出会えるかも知れない。

 

 

 『維新支持の分析 ー ポピュリズムか、有権者の合理性か』

2021年上半期で読んでよかったと思う本の一つ。2011年以降、大阪では維新が強力な支持基盤を持つ一方、橋下をはじめとしてその党員はポピュリスティックな発言が多いことから、大阪府民はポピュリズムに扇動される大衆として批判されてきた。
本書はその固定観念に対して、大阪の有権者に対して行なったアンケート調査の結果を元に、彼らがなぜ維新を支持するのか、一方でなぜ彼らが支持する政党が強固に推し進めようとしていた「大阪都構想」が否決に終わったのかという矛盾点を分析している。
本書を読み終わったあと、小池百合子が発足した「都民ファーストの党」が脳裏を過ぎった。今回の都議選でも、都民ファーストの党は後半から猛烈な追い上げを見せたことは記憶に新しい。東京都民の有権者の動きは、大阪府民の有権者と重なるものがあるように思えた。
有権者は一体どのような動機に基づいて投票するのか、なぜその党を選択するのか。彼らのことが知りたいと思う人にぜひ進めたい一冊である。

 

6月 

 『海苔と卵と朝めし』向田邦子

 食事の記録を書くにあたって、もう少し自分の文体を見直したいと思いたって借りた向田邦子の食事エッセイ。筆者の幼少期から現在まで、様々な食事とともに思い出や心情、自分の食へのこだわりなどを振り返る内容となっている。
食事エッセイに長けていると評される向田だが、私はあまりピンとこなかった。どことなく権威的な思想が漂う文体が苦手に感じるのかもしれない。筆者の思想はともかく、エッセイ自体は短編でさらりと読めるので、軽いエッセイ集を読みたい人にはいいと思う。

 

『京都の中華』姜尚美

京都の東華菜館で食べたあっさりとしていながら印象に残る中華料理の数々が忘れられず、あの味の系譜を知りたいと思っていたところ、こんな本を見つけた。始めに言うが、とても良い本だった。
本書は京都生まれ京都育ちの筆者が、他の地域では類をみない京都独自の中華料理について、各店を辿って作り手にインタビューし、実際に食べて分析していく内容だ。通常であればただの食事レポートに留まるところだが、筆者は食べた感想にとどまらず、その店がどのような経緯で立ち上がったのか、その時代背景には何があったのかまで丹念にヒアリングして記録しており、とても読み応えがある内容だ。さらには店という枠を超えて、京都という保守的な地域の文化に中華料理がいかに融合していったのかを歴史的な側面からも紐解いている。エッセイというよりはフィールドワークの本に近いだろう。
本書の中で印象的だったのが、料理人が中華を始めたきっかけに「食えるから」という意見があったこと。戦火を免れた京都ではあったが、戦争の影響を全く受けていないわけではない。それぞれがそれぞれの人生を京都という街で生きる中で、街と協働で作り上げてたどり着いた味がこのニンニクやラードを使わない中華だと思うと感慨深いものがあった。
唯一の欠点としてはこの本を読むと今すぐ京都に馳せ参じて中華を食べたい衝動に駆られることだろうか。また自由気ままに旅行できる日が訪れたらその時はどの店に行こうかと、今から胸が踊るばかりである。

 

『人類と病 国際政治から見る感染症と健康格差』詫摩佳代

第42回サントリー学芸賞受賞で取り上げられているのを見てから気になっていた一冊。本書は人類がいかに病気と闘ってきたのか、それに国家や政府、企業などの主要アクターはどのようなインパクトを与えてきたのかを歴史を紐解きながら理解していく内容になっている。
特にWHOが設立された経緯と今日までの歴史は興味深かった。WHOは国際衛生の方針を取りまとめるアクターである以上、中立的な立場にあると思っていたのだが、むしろ各国の外交問題の受け皿となっていたことが明らかになっている。
また、筆者は感染症の予防や治療には先進国と後発国で格差があるといい、感染症の研究や薬の開発への資金援助は依然として平等ではないという。後発国は国際的な立場の弱さから、自国で感染症が拡大しているとしても、先進国で起こるそれより優先度は低いものとされることを私は始めて知った。
新型コロナウイルスという未曾有の感染症の中で、外交上の問題や自国の医療システムに対して次々と問題が明らかになっている昨今だが、そんな時だからこそそれらを立て直すチャンスと捉え、健やかな社会を目指すことが必要となるのだろう。それには自国第一主義に走るのではなく、国際協調が何より必要となる。また、自国の社会保障や医療システムの充実度が他国へ影響を与えることも考えられるだろう。全体を通してとても面白い一冊だった。
話は逸れるが、同じ年にサントリー学芸賞を受賞した酒井正氏の「日本のセーフティネット格差 労働市場の変容と社会保険」も気になっている。2021年の受賞も引き続き楽しみにしたい

 

『フランス料理の歴史』ジャンピエール・プーラン

 フレンチを食べる機会に恵まれて久しいが、せっかく高いお金を払って楽しむのだからもっと美味しさ以外にも理解を深めたいと思って読んだ一冊。
今日までのフランス料理の歴史と、主要なシェフや評論家についての解説が記されており、料理人向けとはされているが、素人でも十分に面白く読むことができた。
特に今日に至るまで、貴族社会での交流の場として設けられていたフレンチという食文化が、イタリアなどとの異文化交流を経て現在の形になっていたことは始めて知った。イタリアンから礼節やサービス、食器を始めとした空間のしつらえといった様式が取り入れられていなければ、いまだにフレンチはメインディッシュをサーベルで切ることが権威づけとして残っていたのかもしれない。
これまでフレンチに行っても「ふーん」くらいの感想だったものが、読後読み解けるものが少しずつ増えてきたので、そういう楽しさを得たという意味でも読んでよかった。料理を味わう上でその料理の文化史を知る大切さを知れた良書である。

 終わりに

今年上半期は残業も多く仕事もそれなりに忙しかったのだが、それでも仕事の本を除いて月平均3冊は読めていたようで嬉しい。資格試験や語学の勉強と併せて読書の時間を確保できたのも、自分に対する自信につながった。いや、本当によく頑張った…。
できればひと月で3冊は読みたいところなのだが、果たして下半期はどうなることやら。仕事が忙しいのはありがたいことだが、本を読めなくなるほど忙しくはならないことを祈るばかりである。