東京で暮らす女のとりとめのない日記

暮らしとカルチャー、ミクスチャー

迎え火と送り火

結局今年のお盆も実家に帰ることを断念し、やり場のない郷愁だけがこころの仄暗いところへと降り積もっていった8月。今年こそ会えるかもしれないと期待に胸膨らませていた親族たちに、それでも帰らないと言うことがこんなにつらいとは知らなかった。しかし、そんな気持ちに浸っていたのも束の間、気がつけば地元でもあれよあれよと感染者が増えていき、今や親族たちは「あんたたち帰ってこなくてよかったわ」と言うのだから笑ってしまう。いつかこれらにまつわる有情無情が本当の笑い話になってくれたらいいのだけれど。
気がつけば今年も半分以上過ぎている。裁量と責任が増えてから仕事にかかる時間も増えた。夫に「偉くなりたくないけど笑って暮らせる程度のお金は欲しい」と駄々をこねたり「私だって本当はちいかわでいたいのに、会社がちいかわでいさせてくれない」などと放言してはどうどうと宥められつつ、どうにか仕事を回している。今年前半を振り返ると、プライベートの記憶はなくほぼ仕事だったなと思う。後輩の教育、プロジェクトの担当、資格の勉強、新しい分野へのチャレンジ。どれも手応えがあったものの、仕事だけの日々は味気なく、振り返るとやはり虚しさが残る。
遠い街並みにあかりが灯る様子を車窓から眺めることや、知らない土地でおろしたてのシーツのような朝を迎えること、きらめく波打ち際をあたたかい飲み物を片手に歩くこと。それらが自分の人生に余白を与えてくれていたのだと、どこにもいけない夏季休暇の日程を押さえながら思う。気のおけない友人との語らいや、ご馳走を囲んでの談笑が自分の生活には必要だったのだと気づく。誰に許可をとるでもなく、楽しい時間を心置きなく過ごせる日々が早くきて欲しいものだ。
母親から「今年も迎え火と送り火焚いといたよ」と連絡があった。亡くなったばかりの祖父はちゃんと家を見つけられただろうか。そしてきちんと帰れただろうかと思う。迎え火を焚く時、私の地元では霊が家に無事に帰ってこれるよう歌をうたう。「ぼんどぼんどのござーれや、この明かりにござーれや」と繰り返すだけの歳時歌なのだが、今年は妙にそれが恋しかった。

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写真は祖父が亡くなる前に、家族で最後の旅行に出かけた時のもの。ホテルの敷地から見える風景を、祖父と肩を並べて眺められたことを懐かしく思う。寡黙な祖父が珍しくはしゃぎ、目の前にいる人は老いているにも関わらず、なぜかその姿に幼さを見たあの日。その時は言葉にできない想いを旅愁かと錯覚していたが、今思えばあれはすでに小さくなった祖父を見て離愁を感じていたのだろう。そして恐らくは、祖父もそうだったのかもしれない。どうかこの時の想い出が、祖父の人生の花向けになってくれていたらいい。