東京で暮らす女のとりとめのない日記

暮らしとカルチャー、ミクスチャー

美味しい暮らし #7月編

はじめに

月の半ばから緊急事態宣言が発令された7月。私も夫も仕事が忙しく、振り返ると家で作った料理の記録が残っていませんでした。確かこの時はふたりとも作り置きのおかずや冷凍ご飯、はたまたお惣菜をそれぞれ自分の食べる分だけ用意して食事をするスタイルだったはず。無理にお互いの生活リズムを合わせないと決めていたのでストレスなく過ごせたけれど、振り返ってそれが苦になっていなかったということは、夫が細やかにコミュニケーションをとってくれていたからなんだろうな。そんな7月を振り返ります。

 

渋谷 松濤カフェ 

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渋谷のBunkamuraアレサ・フランクリンの映画を見てボロボロに泣いた後、このあたりに友人がおすすめしていたカフェがあることを思い出し、足を運んでみることにした。映画館で泣くと、なぜだか無性にお腹が減る。

折しも感染者が増え始めてきていた頃だったので、テイクアウトをしようとショウケースを覗き込むと、目当てにしていたシフォンケーキは売り切れ。隣にロールケーキの札があったので、目の前にいたヒップな店員さんに「まだロールケーキはありますか」と尋ねると、目の前で指をパチンと鳴らされ「ちょっと待ってね」と言われた。呆気にとられていると、奥へ確認に行っていた店員さんが戻ってきて、今度は目の前でサムズアップをし「ラッキー!ラスト1個!」と微笑む。その瞬間このお店がめちゃくちゃ好きになってしまった。

この日は夫が在宅ワークの日だったので、ふたりで半分にすることに。家に持ち帰ってさっそく箱を開け、お皿に乗せると開口一番「で、でかい!」と声が上がった。赤子の顔くらいはあるだろうか。分厚くてどっしりとした、なんて気前のいいロールケーキ。ラスト1個のそれは端っこの部分で、なんだか当たりを引いたようなくすぐったい気持ちだった。

見た目のインパクトもさる事ながら味も秀逸。日本一のロールケーキを競う選手権があるなら、私はここに一等賞をあげたい。きめ細やかで密度の高い生地は卵の味がやさしくて、ふわふわと言うよりふかふか。生地の上で飛べるとすら思う。生クリームの滑らかさ、コクがあるのに後味は軽やかなのもいい。店内で提供されるロールケーキはテイクアウトの倍近くあるようなので、おそらく飽きないよう工夫されているのだと思う。そういえばここを勧めてくれた友人も、無類の生クリーム好きだった。

思いがけず愉快で明るいお店を見つけ、久しぶりに心が晴れやかになった水曜日。ロールケーキの入った包みを揺らさないように持ち帰る時、店員さんの愉快な接客のせいかケーキの入った箱がピカピカして見えた。この柔らかなものを大切に持ち帰る行為が好きで、時々ケーキをテイクアウトしたくなるのかもしれない。書いているうちにあのヒップな店員さんが恋しくなってきたので、きっとまたすぐ行くと思う。

新宿三丁目 チャンパー

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夫と伊勢丹へ出掛けた後、お昼を食べ損ねてチャンパーへ。冷やしトムヤムヌードルなるものが気になったので好奇心から頼んでみたのだけれど、これが予想外に美味しかった。通年で出してくれないかな。
久しぶりに夫と外食して、そういえば私はこの人の食べている姿が結構好きなんだよなということを思い出した日。最近はふたりとも仕事が忙しく一緒に食事をすることもままならなかったので、こうして過ごすと改めて気がつくことがたくさんある。別々に食べることもいいけれど、やっぱり私はこの人と食事をすることが好きだ。次にゆっくり食事をできるのはいつになるだろう。
お店の中は私たちとおそらく伊勢丹で働かれているだろう女の人、このあたりに住んでいそうな飄々とした中年男性がぽつんぽつんといて、新宿三丁目玄人の集いし場所という雰囲気でよかった。都市のど真ん中なのに客層に偏りがある、いかにも生活圏というような趣のある店が好きだ…
さっと入れるし、遅いランチも食べられるし密にならないし、料理が出てくるのは異様に早い。基本的に一人客ばかりなので店内も静かでいい。ストレスなく外食ができてありがたかったので、今度から新宿でお昼を食べる時はここを頼りにしようと思う。

 

青山 ナプレ

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仕事で青山方面に行く用事があり、中途半端なお昼時にリリースされてしまったのでナプレでさっとランチを済ませることにした。上京した頃、女友達とランチに行く時はよくナプレを使っていたので、いつもナプレに来ると我が心の東京という思いがある。ちょうどその頃ナポリピッツァブームだったので、中目黒の聖林間や三茶のラルテにもお世話になった。しょうもない話ばかりしていたけれど、楽しかった思い出だけがきらきらと残っている。時々そういうお店に行くと、あの頃の自分がいた景色を反芻して懐かしさが込み上げる。

当時はここのレモンパスタが好きだった気がするのだけれど、数年ぶりに食べたそれは某曲を思い出す「こんな味だったっけな」で、経年と共に趣向が変わったのであろう自分に気がつき寂しさを覚えたのだった。歳を重ねてこうした感傷を持て余すのも、案外悪くはない。


神楽坂 ル・コワンヴェール パトリック・ルメル

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神楽坂でいちばん愛しているパティスリー。アグネスホテルが閉業した後はここも閉業したものとばっかり思っていたので、営業をしていると知った時はとってもうれしかった。シェフパティシエは変わったものの、求めるものは変わっておらず安心する。

お店は人で賑わう神楽坂通りから道をそれたところにあり、小道をしばらく歩くと魔法のように現れる古風な外観にいつも心が踊る。平日であれば夕方に行ってもショウケースに豊富な種類のプティガトーが並んでいるのもうれしいポイントだ。どれも宝石のように美しくて、時間が許せばずっと店内にいたいとすら思う。この日は店にわたしひとりしかいなかったので、ゆっくり選ぶことができた。

妥協なきビジュアル、仏の伝統を踏襲したクラシックな味、味のブレなさ、どれをとっても大好き。多分私はケーキの好みが保守的なんだと思う。ケーキというものは端正で美しい佇まいで、きっちり甘いものであってほしい。

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持ち帰ったヘーゼルナッツのパリブレストは期待以上の出来栄えだったのでナッツ系の菓子を偏愛している人には強く勧めたい。見て欲しい、このクリームが気前よく詰まった断面を。シュー生地はサクッとしていて、ナッツの香り豊かなクリームとザクザクとしたプラリネのアクセントが小気味よい。

神楽坂にはたくさんの想い出があるけれど、近年その記憶のひとつひとつを彩るお店が消えていってしまいとても寂しい。甘味処花のかき氷、亀井堂のクリームパン、Mojo coffeeのフラットホワイト。もう出会えない味と、そこにあり続ける味と。足が遠のいて久しいけれど、またここを歩く機会があったら懐かしい店々を訪ねたい。

大森 2198

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夫と久しぶりに丸一日休みがあったので、一緒にサイクリングに出かけた日。朝早く起きて目当てのカフェまで自転車を漕いだ。大森あたりに来るのは1年ぶりくらいだと思うけれど、来るたびにいい街だなと思う。特に大森山王の辺りは大正期の建築や高度経済成長期の名残の中古マンションがあり、自転車で通りすぎるのがもったいないくらい様々な建築に富んでいて、いつか機会があればゆっくり歩きたいと思う。

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夫が写真を撮っている私に気づいて食べるのをやめたので、向こう側のフォークにだけ少し生地がついている

カフェには朝早いこともあって私たちふたりだけだった。ご婦人がカウンターを切り盛りされていて、聞けばお店のお菓子はすべて彼女の手作りとのこと。丁寧にドリップされたコーヒーは深みがあって落ち着く。かぼちゃのチーズケーキは素朴な甘さでコーヒーにぴったりだった。

こぢんまりとした店内は居心地がよくてつい長居したくなるほど。常連と思しき方々が「入れる?」とひょっこり顔を出すのもよくて、近隣に愛されている店という風情があった。大森はがっつり自転車を漕ぎたい時にちょうどいい距離なのもわかったので、きっとまたすぐ来るような気がする。帰りに寄ったBAKEMANというお店の蜂蜜パンもとても美味しかった。

今月のおまけ

仕事について思うこと

仕事でトラブルがあり、調整に奔走しているうちにあっという間に7月が過ぎていた。一度調整が発生すると、玉突きのように調整のための調整作業が増えていき、何も進んでいないのにも関わらずやたらと疲労だけが蓄積する。気が付けば終業時間をとっくに過ぎていて、今日も仕事で1日が終わったと気を失うように眠る日々が続いていた。

それでも進捗を確認している時に、後輩のひとりが「いやー、つらいっすね」と言ってくれたことは救いだった。それを皮切りに今彼女が抱えている愚痴を聞き、人員に対して作業量が多い中で頑張ってくれていること、現場の改善を上長に相談していることを伝えた。テレワークに切り替わってからスモールトークをする機会がめっきり減ったせいか、皆仕事について回るフラストレーションを抱え込みやすくなっていると感じる。後輩に対して良いと思っているところ、伸ばして欲しい部分を惜しみなく伝えると、照れますねといいながらも満更でもなさそうで、その後明らかに仕事への反応が良くなったことに安堵した。

様々なプロジェクトを経験して思うことの一つに、つらい時につらいと口に出せるチームであって欲しいというものがある。かえって我慢されることで相手のキャパシティを見誤ってしまったり、スケジュールの見直しを不要と判断してしまったり。無理なものは無理だと言ってもらったほうがこちらも動きやすいことが往々にしてあると気がついたのは、今の立場になってからだった。

ただし、つらいと言ってもらうことを「辛い仕事の大変さを共有できるあなたと私」という、ある種の自己陶酔の材料にはしたくないとも思っている。辛い仕事を経験してくるとそれらを共有している仲間意識というものが生まれてくることがあるけれど、私はそれに抗いたい。過剰な仕事に伴って生まれる連帯と、乗り越えるたびに褒賞としてもたらされる自己陶酔は、一見すると微笑ましいがその実何も解決しないから。しかし私はこの誘惑から逃れられ続けられるだろうか。

もっと色んな人が気軽に弱音を吐けたらいいと思う。仕事は我慢して頑張って乗り越えるだけのものでもない。そして代わりはいくらでもいるのだから。先日後輩に「仕事のやりがいって何ですか」と聞かれたので「お金だよ?」と返したら笑われた。でも本当に、そのくらいがちょうどいいんだと思う。


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