東京で暮らす女のとりとめのない日記

暮らしとカルチャー、ミクスチャー

美味しい暮らし #8月編

はじめに

夏を感じる間もないままに、あっと言うまに過ぎていってしまった8月。旬の食べ物がある食卓の風景から、ささやかな季節を感じ取っては慰められた月でした。そんな8月を振り返ります。

 

外で食べたものあれこれ

帝国ホテル リサとガスパールアフタヌーンティー

f:id:lesliens225:20211025105105j:plain

帝国ホテルのアフタヌーンティーチケットをいただいたものの、すっかり忘れていたので慌てて期限が切れる前にと駆け込んだ日。本当なら友達を誘って行きたかったけれど、そんなささやかな願いもままならないので、無理を言って夫に付き合ってもらうことにした。
20代後半を過ぎてからアフタヌーンティーが物理的にきびしくなってきたので、この日はしっかりお昼を抜いて、夕飯も食べずに済むよう夕方前に予約した。もはや心構えはとんかつを食べる時のそれと同じ。

f:id:lesliens225:20211025105109j:plain

この日はリサとガスパールとのコラボとのことで、正直味には期待していなかったのだけれど、さすが帝国!どのピースも完成度が高くて味のバランスも良く感動ひとしきりだった。スイーツの中ではフランボワーズのシューが目を見開くくらい素晴らしかった。通年で販売してほしい。

f:id:lesliens225:20211025105112j:plain

この後ろのブーケのようなサラダは、どれもみずみずしくてドレッシングが重くなくてとっても好みだった。朝起きたらこのサラダを食べたいし、夜も食前にこのサラダを食べたい。おはようからおやすみまで食べ続けられるサラダ…手前のリサとガスパールのミルクパンも素朴な甘さで、スイーツからセイボリーにうつる箸休め的な存在として、とても効果的だった。

f:id:lesliens225:20211025105116j:plain

そしてセイボリーの手堅さにもうっとりする。ほうれん草のサレは塩気の塩梅がよかったし、キャラクターを模したピタパンも飾りにとどまらない美味しさがあった。普段クロワッサンは好んで食べないのだけれど、このジャンボンブール仕立てのクロワッサンもとてもよかった。ハムがジューシーでチーズのバランスもいい、生地はバターでしとっとしていて香り高い。クロワッサンのあのポロポロとこぼれ落ちるパンくずが苦手な人に「ここのクロワッサンは安全ですよ」と教えてあげたい。

f:id:lesliens225:20211025105119j:plain

同じタイミングで運ばれてきたのは、右からスコーン用の蜂蜜とクロテッドクリーム、そしてレモンピールのジャム。スコーンにこのラインナップ、わかっていてくらくらする。味もさることながら、このシルバーの堅実なしつらえが帝国らしい。リニューアルにあたってこのシルバーは是非とも継承してほしいけれど、残ってくれるだろうか…

f:id:lesliens225:20211025105327j:plain

あっと言う間に黄昏時になり、暮れ始めた日比谷の眺めもよかった。パレスホテルのプリヴェエステールと比較してしまうとひけをとるのは否めないけれど、都内のアフタヌーンティーが楽しめるホテルでの景観としては申し分ないでしょう。

何より素晴らしかったのはサービス。紅茶を飲み切る前に常に次のドリンクを聞かれていたので、コップの中身が空になる事がなかった。アフタヌーンティーはお茶を目的に行っているようなものなので、わんこそば形式で紅茶を運んでもらえるのがとてもありがたい。紅茶を飲み切ってから待たされるアフタヌーンティーは手持ち無沙汰でつらいので、そうした気持ちにさせない心配りが嬉しかった。紅茶好きには強く勧めたい。

感染症の対策が徹底されていて、周囲を気にすることなくのんびり楽しむ事ができたのもよかった事のひとつ。まだまだ外食に不安を抱えていた時期だったので、少しでも気になるところがあれば出ていこうと思っていたけれど、それが杞憂に終わったのが何よりも嬉しかった。

やきとり お㐂樂 コレド室町テラス店

f:id:lesliens225:20211025105123j:plain

ボランティアに出かけた帰りにお腹が減ったので、比較的空いていてサッと食事を済ませられる場所を探して飛び込んだお店。入り口には「従業員ワクチン摂取済み」との張り紙が貼られていた。その後から同じような張り紙を街の飲食店で目にするようになったことを覚えている。

焼き鳥を食べながらボランティアであったいろいろなことを反芻していたので、あまり味を覚えていないのがくやしい。つくねが軟骨入りで好きなやつだったので、次はもう少し落ち着いた心持ちの時に食べに行ってみたい。

Comme’N tokyo

f:id:lesliens225:20211025105246j:plain

ここ最近、なぜか東京に地方の名高いパン屋が次々と出店している。コム・ンもそのひとつ。群馬の友人に「とにかく美味しいから行ってみて」と強くお勧めされて足を運んでみることにした。

休日だったけれど朝の早い時間だったこともあって、まったく並ばずにお店の中に入る事ができた。お店には趣向を凝らしたいろいろなパンがずらりと並んでいて、まるでテーマパークのよう。何種類か試してみたけれど、ハード系よりはふわふわのパンを好む人に刺さるようなお店だと思う。日常と非日常の間にあるようなパンは見ているだけで楽しく、子供の頃こんなお店に出会えていたらパン職人を志していたかもしれない。

今でも群馬県民には東京進出を惜しまれているらしく、Instagramを見ているとまた戻ってきてほしいと言うコメントをよく見かける。どうかここでも人々に愛されて根付いていきますようにと願いつつ、いつかここのパンを群馬をドライブしながら車の窓を開け放って食べたいとも思う。うつくしい四万ブルーの湖を眺めながら、浅間高原を走り抜けながら、このパンが傍にある時その旅はかけがえのないものになるはずだ。

日本橋ふくしま館 MIDETTE  ふくしま桃スムージー

f:id:lesliens225:20211025105102j:plain

自粛が要請されるようになってから、定期的にお米とお酒を買うために日本橋のミデッテにいくようになった。しばらく実家に帰れていない中、こうしたサテライト福島があることにどれだけ助けられたか。この日はイートインコーナーで丸ごと凍らせた桃を使ったスムージーを飲めると言うので、それをいただいて休むことにした。ひどく暑かったこともあって、スムージーのひんやりとした滑らかな喉越しが心地よかった。帰りは大好きな太郎庵のチーズまんじゅうと駒田屋本舗のみそぱんを買って帰る。

都内のアンテナショップでは表参道の新潟館ネスパスとふくい南青山291、銀座のおいしい山形プラザが好きなのだけれど、特にこの時期は足を運ぶだけで小さな気晴らしになった。今振り返れば閉塞感漂う日常から離れるために、そうやってささやかな非日常を必死でかき集めていたのかもしれない。

いただきもの・作ってもらった料理あれこれ

福島県産 あかつき

f:id:lesliens225:20211025105053j:plain

今年も実家から大量に桃が届いた八月。ダンボールをそうっと開けると、芳しい桃の香りがあたり一面に漂った。香りを胸いっぱいに吸い込みながら「桃と一緒に夏が届いたみたいだ」と夫が微笑む。感染症が流行る前は友人たちにお裾分けをしていたけれど、こうも感染者が増える一方では誰かに分けることも躊躇われるので、夫婦でせっせと消費にいそしんだ。

f:id:lesliens225:20211025105056j:plain

桃モッツァレラやアールグレイマリネなど、去年はいろいろな食べ方を試してみたけれど、やっぱり桃は厚めに切ったものを口いっぱいに頬張るのがいちばん好きだ。カットされた桃を頬張ると、みずみずしい桃の果汁が溢れ、馥郁とした香りが鼻腔に抜けていく。古代中国では桃には魔を払い寿命を伸ばす力があると言われていたけれど、確かに桃を食べている間は妙に集中してしまって、その間は胸のモヤモヤをきれいさっぱりと忘れていられるのだから不思議だ。食べ終わることには涼やかな心持ちになれていて、いい暑気払いになった。

ちなみに夫がまだ恋人だった頃、私が桃を剥くのに失敗して親指を深く切ってから、我が家の桃剥き担当は夫になっている。きれいに盛られたつやつやの桃を眺めながら、愛は剥かれた桃の形をしていると思う。

 

きゅうりと香菜にフェンネルの焼き餃子

f:id:lesliens225:20211025105059j:plain

夫の得意料理、焼き餃子。今年の八月は私がキッチンに立てないくらい忙しかったので、夫の餃子がよく食卓に登場した。オーソドックスなひき肉とキャベツにニラを添えた餃子も美味しかったけれど「これは!」と唸ったのがきゅうりと香菜にフェンネルシードを混ぜた餃子。
夫曰くダイス状にカットしたきゅうりを塩もみして、それに2センチ感覚で刻んだ香菜とフェンネルシードを混ぜ合わせて作ったタネなんだそう。きゅうりの青々しさに香菜とフェンネルが寄り添うようなアクセントを加えていて、お肉がなくても十分食べ応えがある。外食をしているような驚きとおいしさがあって思わず夫に「そなた、これから我が家の餃子担当大臣として励まれよ」と言うと、とても嬉しそうにニコニコ笑っていた。いつまでもこの感じでやっていきたい。

ぴょんぴょん舎 盛岡冷麺

f:id:lesliens225:20211025105134j:plain

東京の夏は恐ろしく暑いので日々冷たい麺に助けられる。私が作る冷麺はキムチ、きゅうり、鶏胸肉のほぐし身が乗っているタイプ。夫が作るとトマトやオクラ、ハムに半熟の卵が乗っていて豪勢だ。ぴょんぴょん舎の冷麺はスープがキリッとした辛さで、盛岡冷麺の中で一番好き。冷麺を食べると夏が来たなと思う。もし夏の俳句を作る事があったら、冷麺を季語として一句読みたい。また来年もこの味を心置きなく楽しめますように。

終わりに

先日友人に私がやっている支援活動の話をする機会があった。私自身学生の頃は貧しくて、誰かの貧困を知っても募金すらできないのがもどかしかったから、今こうして支援できる事が嬉しいということ。けれどいつかはそんな活動が必要ない社会になってほしいし、彼らが彼らのままで生きていける社会を実現していける人が増えて行ってほしいということ。

その流れで友人が「SDGs特集を掲げながら貧困に触れないメディアとか、SDGsに取り組んでますと言いながら貧困をスルーしている企業を目の当たりにすると、ここの株は絶対に買わないって思うわ」と言う。社会的責任がある法人やその立場の人間が自分の身銭を切らずしてなーにがSDGsよ、結局他者に自分の痛みを引き受けさせる気満々じゃん!と言う友人の、この歯に衣着せぬものいいとらしい考え方が好きだ。株は投資じゃなくて推し活だからと言う彼女と話していると少し元気になる気がする。できることをしている点では私も彼女も同じだと思う。

個人でできる支援には限界があるし、私の暮らしもあるけれど、それでも当面はできることを続けていこうと思う。生活と政治は不可分だという事がいやと言うほど身に染みてわかったこのコロナ禍で、それぞれが自分でできる等身大の関わり方を模索していけたらいい。あの頃、募金活動を目にするたびに負い目を感じていた私には「あなた投票に行ってたでしょう。まずはそこからで良いんだよ」と言ってあげたい。お金がなくても政治に関わることはできる。日々の暮らしからそれは始まっている。

今年の5月31日に全労連最低賃金を算出し、全国一律で1,500円以上が必要だと提言したニュースがあった。今まで言われていたことだったけれど、それでも団体が声明を発表したのはこれが初めてで、やっとここまできたかと思う。自分ひとりだけのために生きるには人生は長すぎる。自分の善良さを疑いながら、それでも良い道を選んで行けたらと思う。