東京で暮らす女のとりとめのない日記

暮らしとカルチャー、ミクスチャー

小麦粉セラピー

金曜の夜。久しぶりに定時で仕事が終わったので、夕飯は普段作らないようなものを作ろうと決めた。早速キッチンに向かうと使いかけの強力粉と薄力粉、そしてドライイーストが目に留まった。3回目の緊急事態宣言下で購入し、その時は夢中で水餃子や肉餅を作ったりしていたものの、その後仕事が忙しくなってすっかりその存在を忘れていたのだった。
続いて冷蔵庫をあけると、ビールとヨーグルト以外はめぼしいものがない閑散とした庫内に、使いかけのトマト缶と期限切れ間近の山羊のチーズが転がっているのを見つけた。ありものでピザでも作ろうか。そう思うと途端にワクワクしてきて、早速インターネットでレシピを調べた。
「ピザ レシピ 本格」で検索すると、「本格 ピッツァ・マルゲリータ」というレシピが目に入った。目黒にあるPizzeria e trattoria da ISAのシェフがきょうの料理に寄稿したレシピで、香ばしそうな焼き目がこんがりとついたピザの写真と「表面カリッ、中はモチモチのカリモチなナポリスタイルの生地」という文が食欲をそそる。レシピも思ったより簡単そうで、これならできそうと思い、さっそく取りかかることにした。

シンク下からぴかぴかのガラスのボウルを取り出してはかりの上に乗せ、レシピ通り強力粉を250グラムに薄力粉を200グラム、そして塩を12グラム入れる。ドライイーストにはあらかじめ水を少量加えておき、ふつふつと発酵してきたタイミングで同じボウルに加え、最後に氷水をボウルのふちからそろりとそそいだ。
すべての材料がボウルの中に入ったタイミングで、エイッと中に手を突っ込む。ふわふわとした小麦の手触りがここちよく、あたりに漂うイースト菌の香りに気持ちがやすらぐ。そうしてそのままぐるぐるとかき混ぜると、少しずつ指の先がしっとりとして次第に生地が冷たくなってきた。そのまま我慢して混ぜ続けると、ボウルの中央のほうに生地がまとまって、手の先に触れる粉が次第に生地らしくなってくる。ときどき外側へと逃げていく小麦粉をゆびでつまみ、中央の生地と合流させてはまた混ぜる。小麦の粒子をのみこんでツヤを増していくそれを眺めていると楽しくなり、文字通り夢中で生地を捏ねつづけた。

しばらくすると生地全体が手についてこなくなり、表面もさっきよりなめらかになってきた。いったん混ぜるのをやめ、木のまな板にサラサラと打ち粉を振り、その上にボウルから取り出した生地をそっと置く。まだふにゃりとしているそれを、今度は体重をかけながら手首の力を使ってひたすら折りたたむ。こうするとグルテンが形成されてもちもちとした食感になるらしい。気を抜くとときどき生地がまな板にへばりつくので、慌てて何度か打ち粉をふる。
繰り返しつづけていると表面が乾いてうすいヒビが入ってくるので、てのひらを水で濡らしてまた生地を折っていく。これを20分。タイマーを見るとまだ10分にも満たないところで一瞬ひるんだものの、目の前で変わっていく生地を見るのはやはり楽しかった。あれだけ冷たかった生地もいつの間にか人肌まで温もっている。気がつけばすっかり小麦を捏ねつづける魅力のとりこになっていた。

ようやくタイマーが鳴る頃には、讃岐うどんと見紛うくらい弾力がある生地ができていて、さすがに手にも力が入らなくなっていた。レシピをみると耳たぶくらいの柔らかさなら良いと書いてあるので、直に自分の耳たぶをさわって確かめてみる。耳たぶってこんな硬さなんだなと思い、次に生地をつまんでたぶん大丈夫だろうと確認した。地面に落としたらそのままぽーんと弾んでいきそうな生地。落とさないよう慎重にボウルに戻し、その上から固く絞ったふきんを被せて休ませる。洗った手を鼻に近づけると、まだほのかに残っていたイースト菌の香りが鼻腔をくすぐった。ボウルを覗くとさっきよりも生地が膨らんでいて、なんだか妙に可愛らしかった。

生地を捏ねているあいだは大変だったけれど、なにかに没頭する時間はひさしぶりで静かな充足感に満ちていた。ここ最近は頭の中で考え事をしていなかったことがなく、寝ている時ですら頭が休まらずに気怠い朝を迎える日々が続いていた。けれど小麦粉を捏ねている時は、それから自由でいることができる。捏ね終わったあとはここ最近でいちばん頭がすっきりしていた。

あたりに飛び散った小麦粉を濡らしたふきんで掃除しながら、ふと今年の春に転職した先輩が「わたし、最近パンづくりにハマってるんだよね」と言っていたことを思い出す。もしかしたらあの人も、無心になりたくて小麦粉を捏ねていたのだろうか。いつかまた会う機会があったら、今日の話をしてみたい。

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バジルが好きなのでたくさん乗せる。ワイングラスを出す気力は残っていなかった

この記事で紹介したレシピはこちら

www.kyounoryouri.jp