東京で暮らす女のとりとめのない日記

暮らしとカルチャー、ミクスチャー

冬の北海道を巡る旅#1 2年ぶりのフライト、セコマで昼食、そして網走監獄へ

ずっと冬の北海道に行ってみたかった。夏には行ったことがあるものの、冬の北海道には行ったことがない。冬の北海道に行きたい理由はいくつかあって、そのうちのひとつが流氷を見たいからだった。

感染症が流行ってから旅行に行けるタイミングが限られてしまい、指をくわえて北海道を思い続けていたこの2年間。もうこれを逃したら来年の冬まで北海道に行けないかもしれない。そう思って、4日間の旅程で冬の北海道へと飛び立つことに決めた。

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当日は楽しみすぎて、目的地にだいぶ早く着いてしまった。久しぶりの羽田空港はあまり変わっていなくて、浦島太郎のような気持ちになる。ゲート内には有名でなかなか手に入らない「バターのいとこ」の専門店ができていた。出来立てのバターのいとこが買えますよ、という呼びかけにつられて1枚だけいただく。まだまだ時間があるので、ラウンジでのんびりして出発時間まで待つ事にした。

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第二ターミナルのゲートをくぐって、お気に入りのラウンジへと向かう。北ウイングのエスカレーターを昇った先にあるラウンジは、ゆったりとした空間で見晴らしもよく、晴れた日は飛び立つ旅客機を間近で見ることができる。ふかふかのソファ席に座ってトマトジュースを飲み、リチャード・シドルの『アイヌ通史』を読んでいると、これから北海道に行くんだなという静かな実感が湧いてきた。搭乗口を抜けて、飛行機に乗ると、いよいよ気持ちが高まってくる。離陸直前に身体にかかる重力も懐かしく、飛び立ったときはフワフワとした心地だった。

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遠ざかっていく窓の外の景色に、まるで初めて飛行機に乗った子どものようにはしゃいでしまう。ウィリアム・エグルストンのオマージュみたいな写真を、飽きることなく何枚も撮った。

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眼下に見下ろす関東平野。普段こういうところで私たちは生活しているんだなと、不思議な気持ちになる。

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しばらくすると、美しい峰々が見えてきた。雪を被った山脈の荘厳なうつくしさ!前の席の親子が「見て見て!」「きれいだね!」と話している様子が聞こえてくる。

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次第に興奮も落ち着いてきたので、機内誌に手を伸ばした。AIR DOが発行している機内誌rapora(ラポラ)は、ローカルな情報が満載で密かなお気に入り。久しぶりに手に取ることができて嬉しい。雑誌をめくって気になったお店や観光地などは、そのままスマホにメモしていく。

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しばらくすると、飛行機が北海道上空に差しかかったという機内放送が流れた。窓の外を見ると、少しずつ雲の中に入っていくところだった。

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飛行機はぐんぐん高度を下げていく。もう少しだけ空にいたい気持ちと、早く降りたい気持ちがない混ぜになる。窓の外にはただただ広がる雪原。まっすぐに伸びた道と、整然と並ぶ木々に、あぁ北海道に来たんだなぁという実感がこみ上げてくる。その後、アナウンスが流れて飛行機は着陸態勢に入った。

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やっとたどり着いた安堵感に包まれてターミナルに降りると、”MEMANBETSU”の文字が見えた。女満別という地名はアイヌ語の「メマンペッ」または「メムアンペッ」が由来だという。意味は「冷たい川」または「泉池のある川」。今は整備してわからないが、昔このあたりは湿地帯だったらしい。

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空港で荷物を受け取った後は、ゲートの外にあるレンタカーの受付で予約名を告げて、送迎バスに乗る。外に出ると、あちこちに立派なつららができていた。担当の人が「今年はよく道が凍っているので、スリップに気をつけてくださいね」と言う。事務所に熊出没注意のポスターがあったので「この時期も熊って出るんですか」と聞くと「この間、根室の方で目撃情報が上がったみたいですね。見たら近づかないで逃げてくださいね、前に車ダメにされちゃったんで」という回答が返ってきた。やや緊張しながら車の確認を済ませていざ出発。

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広大な平野に降り積もった雪がどこまでも広がっていく。まっさらな雪道の上には、生き物の足跡がてんてんと続いていくのが見えた。気がつくと時刻は昼の12時だった。さすがにお腹が減ったので、目的地に向かう途中で見かけたセイコーマートで昼食を買うことにした。

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北海道出身の友人が「セコマのホットシェフはうまいよ」と言っていたのを思い出して、ハーフサイズのカツ丼を買う。蓋を取るといい香りがただよった。腹が減っては旅ができぬ。柔らかめのご飯にあまじょっぱい卵とカツのしんなりした衣は、慣れ親しんだお惣菜の味でホッとする。ちなみに道民の人たちはセイコーマートをセコマと呼ぶらしい。気づくと旅の終わりには、すっかりその愛称で呼ぶようになっていた。

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そのまま車を走らせて網走へ。走っても走っても雪原が続いていく。途中、ワカサギを釣りをしている人たちを見かけた。のどかな光景に目を細める。

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そうして20分ほど車を走らせると、目的地である網走監獄のゲートが見えてきた。駐車場に車を停め、そのまま博物館へと向かった。

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少し歩くと、小高い丘の上に見張り台があった。これは高見張りと呼ぶらしい。悪いことをしているわけではないのに、なぜだか緊張してしまう。

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そのまま博物館へと続くスロープを登っていく。坂が凍っていて滑るので、慎重に体重をかけて踏みしめていった。

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スロープを上り切ると鏡橋と呼ばれる橋までたどり着いた。隣の看板にはこの橋の説明が書かれている。

網走刑務所の囚人は皆、収容される時も出所の時も、刑務所の外堀に沿って流れる網走川に架かる橋を、必ず渡らなければなりません。「川面に我が身を映し、襟を正し、心の垢をぬぐい落とす目的で岸に渡るように」と、誰とはなしに鏡橋と呼ばれるようになりました。

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網走監獄は廉価な労働力を集める目的で建てられた側面もあるので、この説明文は監獄側の見方が入っている気もするけれど、それはそれとして橋を渡らせて「あちら」と「こちら」をゾーニングする設計は感じるものがある。周囲を川が囲んでいるのも、脱獄を阻止するのにちょうどいい地形だったのだろう。

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そのまま橋を渡ると、目の前には網走監獄の門がそびえたっていた。奥にあるレンガ造りの建物が当時の正門になるらしい。中に入るため門の左隣にあるチケットセンターへ行き、入場料金を支払っていざ網走監獄へ。受付のお姉さんに「気をつけていってらっしゃい」と声をかけられ、そうだ、別に収監される訳ではないのだとハッとした。

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中に入ると、目の前にそびえたつ煉瓦造りの正門に圧倒された。堅牢で威風堂々とした佇まい。左右に設置されているドーム屋根の詰所と、アーチ型の入り口にはリズム感もあり、優美さすら感じされる。網走監獄という看板さえなければ、どこかの博物館の入り口だと言われても信じてしまいそうだ。ちなみに向かって右側の部屋は面会人待合室、左側は看守控え室として利用されていたらしい。

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焦げ茶色の煉瓦は、入り口のコンクリートの柱と連動していて美しい。ちなみに目の前に立っている看守はマネキン。遠目から見ると人間に見えたので、気がつかずに挨拶をしてしまった。

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そのまま正門をくぐると、目の前に庁舎が現れた。庁舎は全体がグレイッシュブルーで統一されていて、清廉として上品な印象を受けた。人々はここを「最果ての不夜城」と読んでいたらしいが、こうして見ると「最果てのシルバニアファミリーの家」の方がしっくりくる気がしてしまう。旭日章の入った破風がなければ、それこそアメリカ南部にあるコロニアル様式の建築だと思ってしまいそうだ。

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しかし一見洋風の建物でも、よく見ると和洋折衷な作りになっていることに気付く。押上式の窓に、下見板張の壁。擬洋風建築の系譜を感じる作りは、いかにも明治初期の建築という風情だ。和と洋の建築技術がうまく融合していて、モダンさすら感じる。

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さらに庁舎内に入ると、網走監獄に関する資料の展示と、お土産売り場が設けられていた。お土産売り場には、ゴールデンカムイに因んだお菓子だけでなく、北海道の受刑者たちが作った刑務作業品も数多く販売されていた。また庁舎には典獄室もあり、室内ではゴールデンカムイにも登場した犬童典獄が館内を説明する動画が流れていた。

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そして館内には、ゴールデンカムイに登場する囚人、白石由竹の色紙が!白石!白石じゃないか!予期せぬ推しとの遭遇にテンションが上がる。網走監獄の囚人には白石由竹のモデルになった人物がいたらしく、作者の野田サトルは2017年に取材に訪れていたらしい。うーん、この憎たらしい顔。可愛いぜ。

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さらにお土産売り場の奥に進むと、こぢんまりとした休憩スペースも設けられていた。カーテンボックスや、漆喰風に塗られた壁面はまさに西洋建築そのもの。日本が先進国にも恥じない人権意識を持ち、人道的な施設を運営していることをアピールする目的もあったのだろう。庁舎だけで見応えがあり、この時点でだいぶ時間を使ってしまったので、他の施設へと急いで向かう。

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外に出て監獄へと向かう途中、雪で作った懲罰房風のかまくらがあった。シュールすぎる。網走監獄の学芸員さんはいったいどんな気持ちでこれを作ったんだ...

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ちなみに実際の懲罰房(独居房)は、もっと入り口が狭く、窓もない空間だった。煉瓦の厚みは40cmにもなるという。外の音も聞こえず、暗い空間に閉じ込められ、食事の量も減らされるという、囚人にとってはひたすらに辛い空間だったらしい。

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監獄へと向かう途中にも見どころのある建物がずらりと並ぶ。地方裁判所を駆け足で巡ったり、囚人飯用の味噌醤油蔵を見たり。ゴールデンカムイに出てきた職員官舎や、休泊所など、とにかく見るべきものが多い!

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火災や囚人が脱走した際に鳴らす警鐘を鳴らしてみたりもした。カーンという甲高い音が真っ白な雪に吸い込まれていく。

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続いて二見ヶ岡刑務支所にやって来た。内部には舎房だけでなく、炊場や、農作業をするための鍵鎖附着所などがあり、囚人たちの暮らしぶりが伺えた。普段は食堂で囚人と同じ飯が食べられるらしいが、この日は感染症対策のため休止。

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二見ヶ岡刑務支所内をあとにして次に辿り着いたのは、旅の目的でもある舎房と中央見張所。ゴールデンカムイではのっぺらぼうが収容されていた施設だ。鉄格子が嵌められた窓が、これまで見てきた建築とは異なる物々しさを醸し出している。

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中に入ると正面に中央見張所があった。この見張所は、後方に向かって放射状に伸びる5つの監獄を見張れるよう、八角形で出来ている。これなら少人数で多くの囚人を見張れるという、実に合理的な建築だ。

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備品の管理はこのようにしていたらしい。決して窓の視界を遮るところでは管理されておらず、また上部に置くことで監視の目線を下に向けない工夫がされている。

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見張所内部の机は、建物に合わせて作られていた。これなら看守の導線を妨げることなく、必要な事務作業は十分できるというわけだ。

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見張所から舎房までは一切の死角がなく、とにかく見通しがいい。これなら舎房で不審な動きがあった時に、いち早く気付くことができる。

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さらに少し引いて見ると、この建築の凄さが伝わってきた。立つ場所によっては、一度に3箇所の舎房を監視することができるのだ。人間の視野は左右合わせて平均で約120度。これなら少ない労力で難なく監視をすることが可能だ。

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パノラマモードで撮影すると、あまりにも均等に舎房を見渡せるので、パラレルワールドか何かと錯覚してしまうほどだった。

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続いて舎房側へと進む。建物は木造のクイーンポストトラス構造で、支柱に頼らず見通しのいい空間になるよう設計されていた。牢屋は斜め格子で外からは中の様子が見えるものの、中からは外が見えにくい構造になっている。これは囚人同士で交流するのを阻害する目的があったそうだ。それなりの広さがあるところは、近代化に進む過程で囚人に対しても人権が浸透して来た様子が窺えた。「昭和の脱獄王」と言う二つ名を持ち、白石由竹のモデルとなった白鳥由栄の脱獄シーンを再現したマネキンもあり、なかなか臨場感がある。

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白石が割って脱獄したとされる天井のガラスは本来(?)明かり取りのためのもの。等間隔で窓枠があるのは、当時の技術では大きなガラスを作れなかったからだろう。また窓枠の感覚が狭いので、割ったところで成人男性がひとり脱出できるとは思えない。これを脱獄するなんて、いったい誰が想像できるだろう。

また、館内には白石の脱獄エピソードも掲示されていた。特に味噌汁を手錠と監視牢の釘の部分に吹きかけ続けて、塩分で腐食したタイミングでそれらを外して脱獄に踏み切った話と、彼が「人間が作ったものは必ず壊せるんですよ」と言っている話が印象に残った。死後は仮出所時に仲良くしていた近所の子供が彼の遺骨を埋葬するなど、晩年は穏やかなものであったらしい。

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舎房のいちばん奥まで来て振り返ると、最初に見た見張所が遠くに見えた。小心者の私はやっぱりこれを脱獄しようとは思えないな。白石のモデルとなった人物は、賢くて剛気のある男だった。

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舎房を見た後は教誨堂へ。ここは受刑者に倫理を説き、更生させるための施設だったそうだ。庁舎と同様、こちらも和洋折衷な建築。そして驚いたことに、教誨堂もクイーンポストトラスで作られていた。珍しいクイーンポストトラスの建築を立て続けに見たことで、感覚が少しずつインフレ気味になってくるのを感じる。

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内部は舎房と同様に支柱がなく、開放的な空間になっていた。全体的に教会建築を意識した作りになっているものの、中央にある祭壇には仏様がいて、天草で見てきた教会が頭をよぎった。(最も天草の方は成り立ちが異なるので比較にはならないが...)ちなみにここは、ゴールデンカムイで白石がシスター宮沢に出会った場所でもある。戦後は慰問講演などにも使われ、当地の人々に取っては思い入れのある建物だったらしい。

駆け足で見てきたにもかかわらず、気がつくと到着してからおよそ4時間が経っていた。てっきり庁舎と監獄だけがあると思って来てみたら、ゴロゴロと重要文化財が立ち並んでいて、見る時間がまったく足りない。さながら明治村のようだ。夫に「今度くるときは丸一日時間をとってこよう」と話をして、後ろ髪を引かれつつ網走監獄をあとにした。

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網走監獄を出た後は、少し海が見たくなったので流氷街道・鱒浦へと向かうことにした。目的地につき、適当に車を留めて海を見にいくと、陸地の方にかけて少しずつ凍っていることに気がつく。思わず「海って凍るんだ...」と呟いた。

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こんなに雪にまみれたテトラポットも初めて見た。つくづく日本の海はひとくちに「海」と言っても、その土地によって表情が異なるということを感じる。

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そうして港を出た後は、中標津にあるペンションへと向かった。チェックインを済ませると時間は夜の18時。ペンションの人にこのへんで夕飯をとれるところを聞くと「街のほうに車を走らせると、美味しい回転寿司がありますよ」と教えていただいたので、さっそくそこに向かうことにした。

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着いたお店の名前は「回転寿司 根室花まる」。通されたのはカウンター席で、目の前で職人さんたちが寿司を握っているのが見えた。メニューは卓上と黒板があり、黒板には今日のおすすめが書かれている。隣の席には仕事終わりのOLふたり組。その隣にはおじいさんと孫と思しき少年、向かいのテーブル席ではおじさんたちが談笑していた。注文を書いた紙を職人さんに渡すと、ほどなくしてお寿司が運ばれてきた。

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まずは帆立。ネタが肉厚すぎて、頬張るので精一杯だ。ねっとりとした甘味。生臭さがなくて旨味が強い。これが北海道の回転寿司なんだねと、夫と顔を見合わせる。

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続いて平目の昆布〆、そして真イカ。どちらも気前のいいネタの大きさに圧倒される。まずはシャリから少しはみ出ているところをお醤油につけて食べ、その後はシャリとネタを楽しむ。贅沢だなぁ、美味しいなぁ。

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他には好物の赤海老、それから北海道産の紅鮭もお願いした。えびの弾けるような旨味。いちいち甘さと旨味が際立っているのは、やっぱりネタが新鮮だからなのだろうか。紅鮭は行者ニンニクを刻んだお醤油と一緒にいただいた。私は回転寿司のサーモンが苦手なのだけれど、ここの紅鮭はベタベタした脂っこさがなく、弾力のある身の質感とほのかに感じられる脂の旨味がいいバランスだった。

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締めは花咲蟹の味噌汁。蟹出汁の旨味はもちろん、薬味ネギが効いていて、しみじみと美味しい。全ての予想を上回ってくるお皿の数々に、飲んでもいないのにすっかりいい気持ちになってしまった。お会計を済ませた後は、上機嫌のままコンビニへ向かい、ペットボトルのお茶を買ってペンションへと戻る。美味しかった旅の記憶を反芻しながら、中標津の夜は静かに更けていった。

 

#2に続く

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