東京で暮らす女のとりとめのない日記

暮らしとカルチャー、ミクスチャー

3年2ヶ月ぶりのハングオーバー

今朝は久しぶりに二日酔いの状態で目が覚めた。冷蔵庫の扉を開けて、ウィルキンソンの無糖ソーダを選ぶ。蓋を開けるとプシュ、という音が鼓膜に響く。その音がやけに心地よくて「まーだ酔ってんな」とひとりごちる。そのままソーダを流し込むと、胃が炭酸に刺激されてカッと熱くなった。

久しぶりの飲み会は楽しかった。華の金曜日らしく、街にはキラキラした笑顔が溢れていて、コロナ以前の街の活気を思い出す。2年ぶりに会う友人たちは、みんな変わりないようでホッとした。キャリアや近況報告の話もそこそこに、初見で犬や子供に懐いてもらうにはどうしたら良いかや、ロシア料理や北欧料理の味が薄いのは塩が希少だからかという話、サブスク時代の音楽は開始10秒のインパクトが全てなのかや、良い建築は導線で判断するべきかデザインで判断するべきか…などなど、くだけた話をたくさんする。そうそう、こうした会話がしたかったんだよと嬉しくなった。

キャリアの話やライフプランの話、そうした話をするのも良いのだけれど、最近はもうその手の話がお腹いっぱいになってきた。会えなかった間の話をしようとすると、近況報告になってしまって、どの飲み会に出ても同じ話題がループするというものあるし、そもそもキャリアの話やライフプランの話を気軽にできる年代ではなくなってきたというのもある。

先日会社の飲み会で、後輩が無邪気に「子供が欲しいと思わない、東京で子育てするにはコスパが悪い」と言っていたことがあった。別に彼女が何を言おうが自由だけれど、この場には養子縁組をした人や、不妊治療中の人だっているんだよな…と思いつつ、そこまで思い至れないのは若さだから仕方ないかと話題を変えた。きっと私もこうして無作為に年上の大人たちの心に細波をたて、許されてきたのだろう。

キャリアもライフプランも、相手のパーソナルな領域と直結しているし、安直に踏み込めない領域のひとつだと思う。気軽に話題にするにはあまりにも神経を使うし、それがテーマの飲み会でないならできる限り避けて通りたい。もっとくだらなくて、飲み会が終わる時に「なんかよくわかんないけど楽しかったな」とふわふわ感じることができる話をしたい。

そんなことを思っていたからか、この久しぶりのくだらない飲み会が涙が出るほどおかしくて、そして心から楽しかった。メンバーの雑談力に助けられたので、私もその力を磨いていきたい。アラサー以降の飲み会の楽しさは、この雑談力にかかっているんじゃないかとすら思っている。