東京で暮らす女のとりとめのない日記

暮らしとカルチャー、ミクスチャー

旅情あふれる街、湯河原で大人の夏休みを満喫した初夏の記録 伊藤屋 宿泊記《前編》

6月の始めに、神奈川にある湯河原町へと足を運んだ。結婚当初に「お互いの誕生日は旅行へ行こうよ」と約束していたものの、気がつけば感染症が流行り、結婚4年目にして初めての記念日旅行になった。夫のリクエストは湯河原。以前、箱根を訪れた帰りに立ち寄ったとき、街の雰囲気がいたく気に入ったそうだ。せっかくなので一泊二日でのんびりと、ふたりでこの地を巡ることにした。

当日は車で湯河原へと向かう。小田原を過ぎて真鶴道路へと進むと、視界がひらけて目の前に海が見えてきた。小田原から真鶴にかけては、横浜や湘南、鎌倉とは違った街の風情があり、訪れる度にのどかでいいところだなと感じる。明治以降、政財界の重鎮たちがこの地にこぞって別邸を構えたがったのも、このうららかさに惹かれてのことだったのだろうか。そのまま豊穣な相模湾を眺めながら、(そして小田原にあるお気に入りのお寿司屋さんに後ろ髪を引かれながら)湯河原へ向かう道へと車のハンドルを切った。

今日の目的地は、湯河原の玄関口にほど近いところにある、伊藤屋という名前の旅館。大正初期に建築された本館は登録有形文化財に指定され、ロマンの香りがする。また、この旅館は近代史とも関わりが深い。「まだあげ初めし前髪の…」でよく知られる文人島崎藤村に定宿として愛されただけでなく、東京都外で唯一2.26事件の舞台にもなった宿でもあるのだ。歴史フリークな夫が泊まるなら、絶対にここがいいだろうと思って予約したのだった。

近くにある駐在所の裏手に、伊藤屋専用の駐車場があるので、そこに車を留めて宿へと向かう。荷物を持って宿へと向かっていると、道の途中で番頭さんが出迎えにきてくれた。一体どうやって気づいたのだろう。まるで忍者のよう。

そのまま番頭さんへついていき、旅館の玄関口へと向かう。玄関口は植栽のアプローチが見事だった。右側には小さな池もあり、鯉がゆうゆうと泳いでいる。昔この池は網をかけていなかったものの、最近は鳶が鯉を突つきにくるので、仕方なくこうすることにしたのだそうだ。こぢんまりとしていながら、きれいに手入れされている庭園で気持ちがいい。このお庭も、創業当時からほとんど変えていないとのことだった。

そのままロビーへと案内され、受付でチェックインを済ませる。番頭さんの履物のあしらいもスムーズで、なんだかとても丁寧な宿に来てしまった…と思う。わたしがチェックインしている間、夫にはロビーとその奥にあるラウンジで待っていてもらったのだが、これがまたなかなか良いものだった。

まずロビー。ガラスケースには、島崎藤村が宿泊した時の宿帳(!)などが展示されていて、とても見応えがある。

宿帳を見ながら、「島崎藤村はトランク2つでここに来たのだなぁ」と思いを巡らせた。こうしたものがあるだけで、まるで玄関口から入ってくる島崎を思い浮かべることができるようだ。

続いて、その奥にあるラウンジ「夜明け前」にお邪魔する。ラウンジ名は島崎藤村の小説からあやかっているのだろう。

ラウンジ内にはロビーと同じソファが置かれ、入り口には氷水が置いてあった。お風呂から上がって、ここで涼む宿泊客も多いらしい。

格天井を洋風に解釈したような天井も、リズミカルに配置されたタイルも可愛らしい。

さらに奥のテーブルには藤村全集だけでなく、湯河原の歴史書なども置かれてあった。旅館やホテルにライブラリーがあると、テンションが上がってしまう性格としては嬉しい限り。こぢんまりとした造りもなかなか良くて、このラウンジが滞在中のお気に入りとなった。

さらにラウンジには、宿の歴史に因んだ写真も飾られていた。思わず食い入るように見つめる。2.26事件前の光風荘と、事件後の消火活動の様子が生々しい。よくこんな写真が残っていたものだなと思う。

資料を満喫していると、仲居さんが部屋の準備ができたと声をかけてくれた。そのまま館内を案内してくださるそうなので、カルガモのひなよろしく後をついていく。

館内の温泉は源泉掛け流しで、4つのお風呂がある。現在は感染症対策のため、全てのお風呂が30分の時間制で貸し切りなのだそうだ。入浴するときに使用中の札を扉にかけて、出るときに戻す仕組みになっていた。

始めに案内されたのが半露天風呂。リノベーションされたばかりなのだろうか、とてもきれいで木の香りが心地いい。あかりも柔らかいので、眩しがりにとってはありがたい。段差もないので、足の悪い人でも安心だろう。

脱衣所はクリーンでミニマルな造り。シャンプーや化粧水などのアメニティはクラシエのものだった。

こぢんまりとしていながら湯量がたっぷりあり、湯船の淵からとろとろと流れていくお湯を眺めていると、なんとも贅沢だなぁと感じる。仲居さんに「ぜひ全部のお風呂に入ってくださいね」と言われたのにもかかわらず、この湯船が気に入ってしまい、結局滞在中はこのお風呂ばかりだった。

続いて案内されたのが露天風呂。こざっぱりとした植栽もあり、展望はないながらも解放感は十分に味わえる。ここが気に入ったのか、何度かここに出入りする同じ顔ぶれのお客さんを見かけて、思わずにやりとした。

最後はふたつの内湯。元は男湯と女湯として使われていたそうだ。以前訪れたカフェ金澤園の浴槽にそっくり。この手の溶岩を模した浴槽は、大正期の旅館建築の流行りだったのだろうか。

さて、4つのお風呂を案内された後は、いよいよ部屋へと案内される。

昔の木造建築なので、階段は急だ。えっちらおっちら登って振り返ると、なかなか肝が冷える眺め。

鍵を開けてもらって部屋へ入ろうとすると、目の前に登録有形文化財登録証が掲示されていた。改めて部屋含め、本館まるまる一棟が文化財ということにおどろく。

ちなみに本館客室の五十番代は、大正5年に建造されている。もともとは明治天皇侍従長であった、徳大寺実則公爵の滞在のために建てられたものらしい。今の世相からは想像できないが、皇族の関係者ですら手厚くもてなされていた時代があったのだなと思う。その10年後に建てられたのが十番代の部屋で、隠居していた16代目の徳川将軍、家達公が宿泊した歴史を持つのだそうだ。

今回、わたしたちが宿泊するのは本館にある十九番の部屋。

中に入ると、ほの明るい明かりに照らされて、よく磨きあげられた部屋の広縁部分が目に入ってきた。あまりにも清潔で新しく見えるので、思わず仲居さんに「あれ?中はリノベーションされたんでしたっけ」と尋ねると「水回りや痛みが激しいところなどは現代に合わせていますが、基本的には創建当時のままですよ。日々の清掃はわたくしどもが、それ以外は文化財専門の業者さんへお願いしているんです」とのことだった。

入り口左手にはウォシュレット付きのトイレと洗面台。萌黄色ののれんがいい。

洗面台の周りには必要最低限のアメニティとドライヤー。こざっぱりしていながら、統一感があって、趣味のよさを感じる。文化財の宿やホテルに宿泊するときは、清潔感を期待しすぎず、少し気になる点があっても味として楽しむものと思っていたけれど、ここは誇張なく黴もなければ塵もなくて快適だった。

中に入ると二部屋あり、一の間は寝室として、二の間は食事などの場として使われる寸法だ。趣深い光景に、小津安二郎のカメラアングルを意識して、なるべく低い視点で写真を撮った。雪見障子も欄間も、そして広縁を囲む繊細な組子入ガラス障子の意匠も素晴らしくて…うっとりしてしまう。

床の間には掛け軸と小さなお坊さんの置物、そしてテレビとフロントへ繋がる電話という潔さ。書院造を使い勝手にふっているけれど、いい具合に良さが残っているなぁと思う。付書院のように広縁側の障子が開くのも楽しい。子供の頃、こうしたところから顔を出して大人を驚かせるのが好きだった。

部屋の奥にある広縁部分もとてもいい。春はここから庭の桜がきれいに見えるそうだ。揺らめくような窓ガラスから眺める風景はとても幻想的。あまりにも気持ちが良いので、夜は網戸だけにして開け放っておいた。部屋の雰囲気を損なわないようなカーテンのしつらえや、天井の迫力、長押や鴨居のよく磨かれた深い色、どれをとっても素晴らしい。

通路側の窓ガラスはよく見ると結霜ガラスで風情がある。広縁全体が部屋の周りをぐるりと囲むようになっているので、一の間と二の間を通らずとも、窓側へ出入りできるのも良い。思えば祖父の実家の造りに似ている。童心にかえって、広縁部分をヨーイドンで駆け抜けたくなってしまった。

玄関口の近くには冷蔵庫もあり、ソフトドリンクやアルコールに、おつまみまで常備されていた。旅館内には飲食物の持ち込みができないので、宿泊客は仲居さんにたのむか、ここから飲み物を選ぶようになる。ビールが3種類揃っているのもありがたいし、旅館限定の日本酒があるのも良い。私は地域限定のみかんジュースを選んだ。この地域は日当たりが良好で温暖なので、みかんが名物なのだそうだ。

そのまま広縁側をぐるりと一周して一の間に戻る。部屋の造りは二の間とほとんど同じだ。エアコンもあるので、快適に過ごせる。ああ、しかしこの欄間、やっぱりいいなぁ…

探索中、ふと一の間に扉があることに気づいたので開けてみると、中はクローゼットになっていた。上段には浴衣と陣羽織にタオルと歯ブラシ、そして下段には金庫が備え付けられている。陣羽織を羽織れば、館内だけでなく外まで出歩いていいとのことだった。

机の上には旅館の案内とお茶菓子。このきび餅というのが湯河原の名物らしい。伊藤屋のとなりにある小梅堂という和菓子屋のもので、島崎藤村だけでなく、あの夏目漱石も好んで食べたそうだ。封を開けると、きなこが塗された琥珀色のきび餅がきらりと現れる。

一口食べると、もっちりとろりとした食感に、ほのあまさが感じられ、きな粉の香ばしさと相まってなんとも美味しい!ついでに仲居さんが淹れてくれた煎茶をすすると、天にも登る心地だった。

すっかりくつろいで旅館の案内がつづられた冊子をめくると、この十九番の部屋の歴史が綴られていたので目を通す。実はこの部屋、湯河原で起こった2.26事件の舞台になった場所でもあるのだ。

話は昭和11年まで遡る。なんの因果か当時、元内大臣麻生太郎氏の曾祖父にあたる牧野伸顕伯爵が、伊藤屋本館の離れであった光風荘へと湯治に訪れたのだそうだ。もともと新英米派でリベラルな立場だった彼は、対する皇道派の陸軍から目をつけられており、天皇を惑わす者として「君側の奸」と呼ばれていた。そんな彼を襲撃する機会を狙っていた2.26事件の参謀者のひとりが、まさにこの部屋に宿泊し、伯爵の動向を見張っていたのだという。

実際に部屋から光風荘を確認すると、たしかによく見える。この写真で言うところのタンクの奥にみえる日本家屋が復元された光風荘だ。事件当時は手前にある消防団の建物などもなく、また季節が冬だったので、木々の葉もよく落ち、監視するにはうってつけだったのだろう。夫にリクエストされて選んだ部屋だったのだが、すっかり私が夢中になってしまった。

歴史にひたりながら温泉に浸かり、ラウンジや部屋でまったりと過ごす大人の夏休み。自由研究は湯河原の近代史といったところだろうか。あっという間に時間は過ぎて、気がつけばいつのまにか夕食の時間になっていた。

 

夕食・蛍の鑑賞編はこちらから

lesliens225.hatenablog.com

 

Information

店名:伊藤屋
住所:神奈川県足柄下郡湯河原町宮上488

URL:https://www.itouya-net.jp