東京で暮らす女のとりとめのない日記

暮らしとカルチャー、ミクスチャー

2023年の元旦はさわやかに

夫と紅白歌合戦を見て「バブルを生きてきた人間の、若者にポジションを譲るつもりなんか1ミリもない感じが眩しいね」「おじいちゃんがスモークのなかでヨタつく姿を全国民が見守るイベントだ」などと言っていたら2023年になっていた。酒屋で買った売れ残りのシャンパンを開け、おまけでもらったクラッカーを鳴らす。「今年もよろしくお願いします」とお互い頭を下げて、布団に入ると朝だった。

シャワーを浴びたあとは、昨日のうちに仕込んでおいたお雑煮の準備に手を付ける。昆布と鰹節で引いた出汁を温め直し、茹でた鶏もも肉と蒸しておいた里芋、ねじり切りした人参を加えた。汁を温めている間に新潟で買ってきた切り餅を焼く。うつわに温めた汁を注いでから、焼けた餅を乗せ、さらにその上に茹でておいたほうれん草と、吸い口にゆずの皮を加えた。これだけで充分なごちそうだ。一口すするとまろやかな出汁が、五臓六腑にじんわりと沁みた。

今年はおせちをとらなかった。「ふたりで食べ切るのは難しいし作るのも手間だし、お蕎麦とお雑煮を食べればお正月ということにしよう」と決めたのだった。実際、おせちなしのお正月は気楽でよかった。おかげで体調よく過ごせたし身体もかろやかだ。スマホが震えたので画面をひらくと、友人カップルから春餅を食べながらピースをしている写真が届いていた。

雑煮を食べ終えたあとは、初詣へと向かう準備をする。ダウンを着て外に出ようとすると、夫に「寒いからこれつけていきな」と手袋を渡された。マンションの自転車置き場に行き、愛車にまたがると冷えたサドルの温度が直にお尻に伝わってくる。ペダルを漕ぐと風が冷たくて、思わず顔をぎゅっとしかめた。

自転車はいつも漕ぎはじめが苦しい。呼吸がしんどいのを我慢して、心拍数が上がるまでひたすら自転車を漕ぐ。坂道を上り下りしたところで、やっと身体に酸素が回りはじめて楽になってきた。前を行く夫に置いていかれないよう、さらに車輪を回転させる。肉体が疲労していくのと比例するように、頭は集中していくようだ。滑車の中にいるハムスターもこんな気持ちなのだろうかと酸欠気味の頭で考えた。

信号が赤になったので足を止め、コンビニで買ったミネラルウォーターを飲む。ふと空を見上げると、ブルーシートを広げたような雲ひとつない青空が広がっていた。年末年始特有の、少し白みがかった空が気持ち良い。この時だけは東京のいやらしさを忘れて、きよらかな場所にいるように錯覚する。

神社へ向かう表参道を通過すると、露店がずらりと並んでいるのが見えた。いつもポップコーンやキャンディの甘い香りが漂う通りに、この日だけはソースや肉が焼ける匂いが立ち込めている。若い人が地べたに座り込んで、焼きそばやフランクフルトを頬張っていた。

目的地にたどり着いて自転車を駐輪場に停めると、国会議員が神社前に立っている姿を見かけた。ショッキングピンクのダウンに黒いヒールを履いて、ときどき有権者と挨拶をしている。その後ろには若い議員たちが3名ほどが立っていた。著名な議員なので多くの人に囲まれるかと思いきやそうでもなく、手持ち無沙汰なのか時折鳩のように地面を八の字に回っている。通り過ぎた人たちから「あの人ってそうだよね」「元旦からこんなところにいるんだ」と言っている声が聞こえた。

滅多にない機会なので声をかけ、私が今の政治に望んでいる話をする。最低賃金の引き上げ、貧困世帯への支援、夫婦別姓同性婚の合法化など。時折話を遮り自論を展開する彼女に「この辺は会社のおじさん達と変わらないんだな」と思いつつ、粘りながら対話を試みた。話し終えると、緊張のせいか背中にじっとりと汗が滲んでいた。心から聞いてもらえたかどうかはわからない。この言葉が届いてくれることを祈るばかりだ。

彼女と別れたあとは、神社へ向かうため鳥居をくぐる。今年はどんな一年になるのだろうか。様々な形でお正月を迎えているであろう人たちの顔を思い浮かべる。社会が不安定になるときに、真っ先に影響を受ける人たちを。その人たちが心穏やかに過ごせる日が来ることを、もうずっと長いこと望んでいる。自分だけの心の穏やかさや生活を守れればいいと、そう思って生きることだって可能だけれど、それでは結局私が虚しいのだ。自分の生活が安定してきているからこそ、忘れてはいけない視点をいつまでも握りしめていたいと祈る。

帰り道、紅白歌合戦の司会が「来年こそは何も考えないで過ごせる1年にしたいですね」と言った時に、私は嫌だと感じたことを思い出した。今まで何かを考えずに生きることができていたというならば、それは自分が無知でいられる立場に無自覚でいたということだろう。そんなことに気づいたのもコロナが流行し、考えるための時間が多くなってからだった。今でも自分の行動を振り返ったり、友人に指摘されたりして、無知ゆえの発言や行動に気づくことがいくつもある。

それでも人生をより良く生きるために、もう考えることを手放したくない。衣食住ばかりを慈しみ、それの背景については蓋をして、自分の権利が奪われていることや、他人の権利を奪っていることには無頓着で、足るを知った顔を貼り付け、鈍い感受性のまま生きることは私が望まないのだ。正しい人でいることはできないが、せめて考え続ける人でありたいと思う。

顔を上げるとロードバイクに乗った青年が、夕陽の沈む方へ一直線に走り抜けて行った。彼につられて私の髪の毛が舞い上がる。今年も自分の苛烈さに振り回されながら生きる1年になるのだろう。けれど、それが楽しくなってきている自分もいる。自転車を漕ぎながら、去年見ていたドラマの「死ぬまでその性分の奴隷なんだ」という言葉を反芻する。

自分には無理だと思っていたこと、諦めていたこと。2023年はそれを取り戻すところから始めよう。