東京で暮らす女のとりとめのない日記

暮らしとカルチャー、ミクスチャー

いい音楽を聴くと、心が帰ってこなくなることを知った Robert Grasper Torio :Blue Note Tokyo 2023

年末に音楽仲間の友人から連絡があり、ロバート・グラスパー・トリオがブルーノート東京でニューイヤーライブを行うことを知った。2020年に計画されていた来日公演がCovid-19の影響で立ち消えて以来、しばらくは単独ライブはしないだろうと思っていたので、まさに寝耳に水だった。急いで予約サイトをひらくと奇跡的に席が残っていたので、そのまま2シートをブッキングする。予約完了のメールをぼんやりと眺めながら、しばらくソファの上で放心していた。本当にグラスパーのライブにいけるんだ。その瞬間、唐突に実感が湧いてきて、胸の奥にこみあげるものを感じた。

ライブ当日は、楽しみすぎて1時間も早く到着してしまった。同じようにだいぶ前から並んでいるであろう人たちがいてホッとする。入り口のポスターを見て、あともう少しでグラスパーに本人に会えるのだという実感が湧いた。

ポスターに描かれたサイン、そして”TONIGHT”というネオンを何度も確かめるように見る。そうして待っていると入り口の扉が開き、前の回に参加していた観客たちが、スローモーションのように吐き出されてきた。観客たちが身体全体に纏っているライブの余韻と、現場を離れがたい気持ちがこちらにも伝わってくる。ひとり、またひとりとその場を後にするのを見届け、落ち着いたタイミングで会場の中に入った。

入り口に掲げられてるミュージシャンたちの顔をゆっくりと眺める。外の喧騒とは打って変わって、ここだけ別空間のようだ。階段を下ると受付とクロークがあり、名前を告げて荷物を預けた。

カウンターを見ると、グラスパーがプリントアウトされた升が、クリスマスツリーのように重ねられていた。お茶目な演出に少しだけ緊張が緩まる。ぞろぞろと人が集まってきて、あっという間にフロアは人でいっぱいになった。「そろそろ席にいこうか」と夫に声をかけ、さらに地下へと伸びる階段を下る。一段一段降りるごとに、いよいよだという気持ちが強くなっていく。

会場の中は薄暗く、間接照明の明かりとステージに映し出された"2023 HAPPY NEW YEAR"のスクリーンがぴかぴかに光っていた。会場の雰囲気、そしてやっとここに来れたんだという思いで頬が熱くなる。

係の人にアテンドされて自席へ向かう途中、見たことがある人とすれ違った。歩きながら思い出そうと考えてしばらくした後、バンドメンバーのバーニス・トラヴィス、そしてジャスティン・タイソンだということに気がついた。なるべく平静を装って席へと着いたが、内心は興奮状態だった。これは頭を冷やさないとと、早々に飲み物を注文する。

頼んだのは”Relaxin”という、ラベンダーとローリエのハーブティとブルーベリーをつかったモクテル。鼻に抜けるラベンダーの香りに、やっと平静を取り戻す。会話をしたり、食事を楽しんだりしているうちに、いつもの状態まで戻ってきた。そうして、ライブが始まった。

あっという間の1時間。気づけばライブは終わっていた。とにかく目に映るもの耳に聞こえるもの、すべてが素晴らしかった。こういう人たちが本物のアーティストなんだ。セッションってこういうことなのか。今日に至るまで私は音楽とは何かを知らなかった、そう感じた。

個人に注目して言えば、グラスパーの演奏と歌声は勿論、ベースのバーニス・トラヴィスが本当に素晴らしかった。彼が6弦ベースで紡ぎ出す音には切れ目がなく、指が100本あるんじゃないかと錯覚した。ドラムのタイソンが時々走り気味になるのを、バーニスの音が入ることでグルーヴとして調和させていたのも見事だった。彼の演奏を聴いて、「バンドはベースがいてこそ遊べるんだ」ということを、初めて耳で理解できたように思う。

また、ロングソロでバーニスはギターのようにベースを奏でていて、これがとてつもなく格好よかった。目の前できれいな川がとうとうと流れていくような、素晴らしく心地がいいフロー。緻密なのに余白もあって、ベースひとつでこんなにもドープな音を奏でられるのかと感動した。彼のソロが終わってグラスパーがステージに戻ってきたとき、観客から歓声が上がったのだが、そのときに拍手をバーニスへ促すような仕草を見せたのも、彼への熱いリスペクトが感じられた。

一方で、ライブの中でとりわけ印象に残った演出はフレーズの使われ方だった。これによって彼らのアルバム『Black Radio Ⅲ』にも込められたメッセージを、よりクリアに感じることができた。冒頭でジャヒ・サンダンスが繋いだ「音楽は人生」と繰り返される言葉には、ライブの構成から"音楽=Made By  The Black People"という意味を読み取ったし、それが現在ステージで演奏しているグラスパーたちの人生を作り上げたものであること、そして彼らは一生をかけてそれを表現していくのだという覚悟を感じた。

また「Everybody Wants To Rule The World」のイントロでは、"Pray is the music, music is the pray"というフレーズや、ジョージ・フロイドたちの名前、そして「アメリカで自分は自由に生きられる」と信じている少女の無邪気な言葉が何度もリピートされた。グラスパーは常々インタビューで、アーティストとしての社会的責任について答えていたけれど、このライブではその想いをより強く感じることができた。

あのライブからもう1ヶ月。なのに私の足元は、いまだに地面から1センチ浮いているような感覚がある。きっと人はいい音楽を聴くと、心が帰ってこなくなるのだ。今でも私の心は、ブルーノート東京の薄明かりが照らすあの席にある。心の中にある静かなライブ会場。そこにはいつも彼らがいて、耳をすますと音楽が聞こえてくる。この日を、そしてこの日にたどり着くことができた自分の人生を、私は生涯忘れないだろう。

 

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