東京で暮らす女のとりとめのない日記

暮らしとカルチャー、ミクスチャー

冬支度

夫のアウターが好きだ。もともと身体を締め付けられるような衣類が苦手なこともあり、この時期になると夫のクローゼットからアウターを拝借して出かけることが多い。その中でも特に彼のライダースが好きで、袖を通すたびに独特の革の匂いと重さ、完全無欠な暖かさにいつも魅せられる。そうしてさも自分のものであるかのように「これいいでしょう」と言って夫に見せては「いや俺のだよ。いいけど」と笑って返されるのがお決まりだ。
そんなことを寒くなるたび繰り返していたが、やはりメンズの衣類は所詮彼らの体躯に合わせて設計されているものである。久しぶりのデートで彼がそのライダースを羽織った時、やっぱりこのライダースは彼が着た時に完成されるものなのだなと悟った。ライダースも誰が主人かを理解している。「私も自分だけのライダースが欲しい」と思い立ったが吉日で、その日は夫に買い物に付き合ってもらうことにした。
クリスマスの音楽が流れるテナントを真剣な面持ちで周り、渡り鳥のようにあの店この店と足を運んでは様々なライダースを試着する。しかし夫のライダースのような、肉厚で着た瞬間に暖かく、スタイルが美しく見えるものが中々見つからない。途中から投げやりな気持ちになって、暖かくて可愛かったらなんでもいいやとテディベアのようなコートに吸い寄せられる。私がfluffyな素材に弱いことを知っている夫は始め「またそうやって!」と笑って眺めていたものの、流石に5軒目で思うところがあったのか、もはやライダースには目もくれずにプードルライクなコートへ真っ先に向かおうとした私に両腕を広げ、通せんぼの形で行く手を遮られた。予想だにしなかった夫の行動にびっくりして見上げると「今日はライダースを探すって言ってたでしょ。君は静電気に吸い寄せられる毛玉か?」と言うので口を開けてぽかんとしたのちに、お腹を抱えて笑ってしまった。確かに言い得て妙である。静電気に吸い寄せられる間抜けな毛玉。
気を取り直して色々なライダースを見てはみるものの、やはりしっくりくるものが中々見つからない。所謂セレクトショップにあるライダースは薄手のものが多く、恐らくライダース特有の重みや硬さが利用するユーザーの求めるニーズと一致しないのだろう。餃子の皮のようなそれらを一瞥し、袖も通さず店を後にする。
6軒目の某ブランドでようやく「あら素敵」というライダースを見つけたものの、恋人同士と思われるカップルの男性が終始悩んでいる女性に対して「もっと自分に自己投資しなよ」と言葉を放った場面に出くわしてしまい、完全に興をそがれてしまった。時々こうしたところに買い物にくると、ヒギンズ教授の十番煎じを見かけることがあって正直気分が悪い。赤面したお嬢さんを気の毒に思いつつ、外野が口を出してもなと踵を返し、素敵さが褪せたライダースを横目に店を後にした。
7軒目に向かう途中、ちょっとお腹が空いたので夫にチョコレートを買ってきていい?と聞くと「じゃあ俺も」と人混みの中に消えていった。お腹が空いていたのかなと思いつつ、買ってきた板チョコを一欠片だけ口に放り込むと、後ろから夫の「お待たせ」という声が聞こえた。両手にはフレッシュジュースがあり、「シャインマスカットとピンクグレープフルーツどっちがいい?」と言われて「シャインマスカット」と間髪入れず返すと「だと思った」と微笑まれる。嬉しい気持ちとこれ以上甘やかさないで欲しいという気持ちが一瞬拮抗する。
糖分を摂取して機嫌も良くなってきたので、手を洗って消毒をして7軒目のお店に入ろうとする。しかし店内の圧が他のテナントよりも圧倒的に強く、思わず怯んでお店の前を通り過ぎようとしてしまった。夫に「後生だから先に入ってよ」と懇願し、親鳥の後をついていく雛鳥よろしくひょこひょこついていく。店内に入ってみればそれほど緊張感もなく、何より「これだ!」と思えるライダースがどのお店よりも多かった。久しぶりに値段と関係なく「これが欲しい」という状態になっている自分に気がついて高揚する。声をかけてくれた柔和な店員さんが好きに着てくれと言うので、遠慮なく自分が強烈に惹かれた一着を出してもらい、試着をすることにした。
袖を通した瞬間「これ買います」と口から言葉が漏れていた。横で夫がくつくつと笑う声が聞こえる。きちんと肉厚で重くて、クラシックな作りのライダース。表面はザラザラとした革の風合いが残っており、着ると暖かくレザー独特の匂いがある。自分の身体の一部の様な荒々しくも美しい一着。やっと見つかった!という気持ちだった。このライダースは一生着れますよと店員さんに言われ、今後の人生の傍にこの服がある未来を想像して嬉しくなる。
思えばファストファッション以外で服を買うなんて何年振りだろう。学生の頃から今日までずっと倹約していたこともあって、何年か振りに服飾費へお金を使っている状況に胸がいっぱいになるような感覚を覚えた。一度倹約すると中々支出しても良いと思えるラインが元に戻らない。以前よりも買うことに対してシビアになってしまった自分が、またこうした買い物をできるとは思っていなかったので素直に嬉しかった。仕事を頑張って良かったと思う気持ちと、ストレスが溜まっていたんだなという視点と、仕事を頑張ろうという気持ちがさざ波のように寄せては返してゆく。
帰り道、夫が「楽しかった!」と言うので「今日は私の買い物に付き合わせてごめんね、ありがとう」と言うと「いや、本当に楽しかったんだよ」と微笑まれて何も言えなくなってしまった。こういった返しをさらりとできる夫を心底得難い人だと思う。
とうとう手に入れた、私だけのライダース。これから少しずつ自分に馴染んでいく過程がすでに楽しみで仕方ない。いつかまた運命の一着に出会った時に、きちんと捕まえられるよう働いていこうと思いながら。

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家で何度も着ては夫に似合うと言わせている