東京で暮らす女のとりとめのない日記

暮らしとカルチャー、ミクスチャー

1泊2日京都旅行【前編】 街角のちいさな喫茶店から始まる旅

同じ街で暮らし続けていると、ふとした拍子に馴染みのない街を歩いてみたくなることがあります。ひと所に留まることができない性分なのか、年に何度か訪れる遠くへ行きたいという衝動。どこかに物理的に行けるということは、自分が本来自由であることを自覚できる手段なのかもしれません。
旅に出る日の弾けるような高揚感と、新品のような朝の空気を感じたい。地元の人々が生活している空間に身を寄せて、土地の文化に触れたい。そんな気持ちと急かすような秋の気配に背中を押され、まだ紅葉が色づく前の初秋の京都へ向かうことに決めました。

旅の始まり

東京から京都へ向かう車窓

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東京駅の改札を通り過ぎて東から西へ向かう新幹線に乗ると、まるで違う次元にタイムワープしたような錯覚に陥ります。車内の独特な匂いに「これから旅に出るんだ」という実感が伴い、柄にもなく浮かれている自分に気がつきました。車窓から見える住宅地、トンネルを抜けると手品のように現れる富士山。生活圏から次第に離れていく景色を眺めていると、馴染んだ場所から身体感覚が剥がれていくような心地よさがあります。浮かれた気持ちを鎮めるために車内販売でコーヒーを買い、鞄から本を取り出しました。目的地に到着するまでは長谷川氏の「建築有情」を読むことに決めていたのです。

f:id:lesliens225:20201011212614j:plain示し合わせたように旅行の前日に届いた建築有情。パラパラと読み進めていると、京都タワーを設計した山田守について次の一節が出てきて、ますます京都へ向かうのが楽しみになってきます。

同じ時期にできた東京タワーは依然として私たちの心になじむものが全くといっていいほどないのに、なんやかやといわれながら、京都タワーは京都人の心にはいりこんでしまっている。それは多くの京都人が告白しているところである。

車窓から見えていた景色は、新横浜を過ぎたあたりからだんだんと高層マンションが減り、それと入れ替わるように二階建ての住宅が増えていきます。さらに厚木を過ぎると、田畑が増えて平屋がちらほらと点在するようになり、名古屋へ近づいてくると、これまでの風景を逆再生するかのように高層マンションが生えてきました。少しでも貨幣を獲得しようと上へ上へ伸びゆく雨後の筍のようなビル群を眺めていると、どの都市も詳細な形は違えども皆似ていることに気がつきます。

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そんなことを考えながら車内の暖かさにうとうとと微睡んでいると、停車を知らせる電子音が聞こえてきました。寝ぼけ眼をこって車窓に目をやると、朝陽に照らされた京都タワーがくっきりと見えました。その佇まいにハッと目が覚め、急いで鞄からカメラを取り出して写真に収めます。
何年かぶりにみる京都タワーは、旅の高揚感も相まってか想像していたよりずっと趣があります。きっと京都へ訪れる旅人たちは、この姿を京都の原風景として胸の中に携えていくのではないでしょうか。

朝の京都をめぐる 

東山七条の喫茶店でモーニング

さて、朝の早いうちに京都についたので、この日は東山七条にあるアマゾンという喫茶店でモーニングをすることにしました。京都駅から歩いていける距離だったので、そのままお店に向かって歩いていると、バスに乗っていた小学生の女の子に窓越しに手を振られたので大きく振り返します。彼女にとっていい一日になりますようにと願いを込めて。

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喫茶アマゾンは1972年創業という、京都の中では古顔の部類に入る喫茶店。朝8時にも関わらず店内は既に観光客や地元の人で賑わっていました。

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赤とストライプのサンシェードが素敵。どことなく地元にある喫茶店と雰囲気が似ていて、不思議な懐かしさがあります。入り口上部に掲げられている看板もレトロで、フォントに味があっていい。
お店では家庭用にコーヒー豆も販売しています。この日も首元にレモンイエローのスカーフを巻いた年配の女性が豆を買いに来ていました。家の近所にこうした普段使いのできる喫茶店があることを羨ましく思います。

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店内は古いながらも清潔感があって、朝の日差しが差し込んで気持ちがいい。窓からは通りを過ぎる人が見えます。カウンターの端には常連と思われる男性がおり、その後常連らしき人々が次から次へと「ヨッ」と現れては、皆近くに集まって談笑していました。カウンターにある旧式のレジスターは今だに現役で、キャッシャーが開くたびにジャーンと小気味よい音が響きます。店内は禁煙なので、喫茶店で燻されるのが苦手な人にも優しい仕様です。

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この日夫が頼んだのはモーニングセット。私はタマゴサンドのハーフとブレンドを頼みました。きっちり鋭角なサンドイッチに、つるりとしたマグやグラスの清廉さ。添えられたミルクピッチャーの一部の隙も無い清潔感に胸打たれます。アイスコーヒーは赤いストローが差し色となっていて、すべてのしつらえにこだわりを感じました。まさに喫茶店で出てきてほしいモーニングの理想形。もちろん、味もとっても美味しかったです。

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何よりこのタマゴサンドが予想以上に美味しかった。自分の重みでふるふると震える厚焼きのだし巻き卵。そしてそれを包む柔らかくてふわりとした食パン。片面にはハムと辛子マヨネーズ、もう片面にはケチャップが塗ってあって気が利いています。小ぶりな大きさなので、朝から苦しくなるくらい胃が圧迫されないのもいい。京都に降り立って初めて食べるものが、このお店のモーニングで良かったとしみじみ嬉しくなりました。

京都国立博物館を気の向くままに散策

お腹も満たされたところで、近くにある京都国立博物館へ。この日は展示の準備期間のため館内へは入場ができないとのことだったのですが、ここの庭園と建築が見たかったので問題ないことを告げて中へ。博物館のチケット売り場で入場券を購入し、重要文化財に指定されている正門へと真っ先に向かいます。

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正門から見える明治古都館の眺めが実に素晴らしい!この眺めを見に京都に来たといっても過言ではありません。奥には優雅に噴水が舞い、時折水飛沫と入れ替わるようにしてロダン銅像が現れます。まるでこの美しい建築のためにしつらえた花道のよう。気持ちがいいくらいの見晴らしに、神社を参拝しているかのような錯覚を覚えます。言葉を無くし、ただため息がこぼれるばかりです。

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正門の両脇に位置する小さな小部屋は、昔はチケットの販売などで使われていたのでしょうか。明かり取り用の窓のデザインが可愛らしく、思わず写真を撮りました。人魚の尾鰭を2枚合わせたかのような優美な装飾に、石柱の存在感がメリハリをつけていて美しい。昔この中がどのような使われ方をしていたのか、あれこれ想像が膨らみます。

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正門に朝陽が当たって落ちた影すら美しくて、まだ旅の序盤だというのにも関わらず、すでに胸がいっぱいになってしまう。

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さらに歩みを進めると、さっきよりも迫力を伴って明治古都館が眼前にせまり、あまりの豪奢さにたじろぎます。いくら近づいても左右対称の佇まいは決して崩れることがなく、ある種の狂気すら感じるほどです。噴水越しに見えるその姿はあまりにも幻想的で、しばらく惚けたように眺めていました。

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さらに歩みを進めると噴水の後ろにロダン作の考える人が現れます。世界に二十一体あると言われる考える人ですが、そのうちの一つがここ、京都国立博物館の庭園にあるのです。以前、横浜美術館のNUDE展でロダンの接吻という大理石像を見たときも、その迫力を伴った艶かしさにただただ圧倒されたのですが、京都国立博物館の考える人は明治古都館を借景としていることもあり、えも言われぬ凄みがありました。ちなみに京都国立博物館のHPにはロダン銅像について、以下のように記してあります。

この作品の真正面をさがしてみてください。あるいは、もっとも見やすいアングルはどこでしょうか。なかなか決められないでしょう。そのことは、この像を見る視点がたくさんあることを意味しています。

出典:https://www.kyohaku.go.jp/jp/dictio/choukoku/49rodan.html

様々な角度からシャッターを切って、一番良しとした写真がこちら。次に来た時は見方が変わっているのかもしれないと思うと、何度でも訪れる楽しみがあります。

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ロダンの像に別れを告げて明治古都館に近づくと、遠くで見たよりも一層美しく、また装飾に遊び心があるのが見て取れ、ますます魅了されてしまいました。例えば写真上部の2人の像。一見ギリシャ神話に出てくる神々と思いきや、右は芸能を司る伎芸天、左は道具や建築を司る毘首羯磨が掘られていました。なんてチャーミングな発想!

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さらに建物の裏手側へ歩みを進めます。雨樋ですらきちんと装飾されていて、一切妥協の跡がないその光景に眩暈がしそう。この優美さと緻密さの同居に、設計者である片山東熊のイズムを感じます。
片山はジョサイア・コンドルに師事し、辰野金吾とは同期という近代建築の言わばエリート。しかしながら、イギリスやドイツの系譜は汲まずにフランスの宮廷建築に倣ったという稀な建築家です。京都国立博物館の煉瓦積み自体はイギリス式ですが、正門にマニエリスム調の柱がつけられていたりと、後期のバロック様式に近いものを感じました。あまりにも見事な建築を見ていると、このような建物を現代で、ましてや公的な資金を投じて再現するのは到底不可能なのではないだろうか、などという俗っぽいことを考えてしまいます。
余談ですが、この明治古都館は事前申請をすればロケーション撮影も可能とのこと。ハイアットリージェンシー京都では、現在挙式プランも設けられているそうです。このロケーションで前撮りなんて素敵だなと思いつつ、さらに庭園を散策します。

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正門から入って右手側にある西の庭。一面の芝生が朝陽に照らされてキラキラと反射している姿に心が安らぎます。

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西の庭でとりわけ目立つ金剛八角灯篭の複製。青みがかった色味が庭園の景観に溶け込み、良いもののように思えます。

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そのままのんびり散歩をしていると見えてきた不思議なオブジェ。何かの建築の土台かと近づいてみたところ、まさかの五条大橋の橋脚とのことでひっくり返りそうなくらい驚きました。あの有名な義経伝説の橋弁慶のシーンで登場するのがこの五条大橋です。この橋脚自体は豊臣氏が作らせたもののため時代は前後しますが、歴史的に有名な建築の一部がこんなところにあるとは俄かには信じがたく、これを庭園に据えてしまえる京都の文化財の潤沢さに慄きました。

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 西の庭を満喫した後は技術資料参考館を横目に東の庭を目指します。

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階段を登るとひょっこりと現れる不思議でどこか愛らしい石像。ほしよりこの漫画に出てきそうな穏やかな風情。柔和な笑みをたたえていて、旅の高揚感も相まって気さくに話しかけてしまいそうです。

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説明書きを読んだところ、この石像は石人・石羊と名前があり、これらをまとめて墳墓表飾石造遺物と呼ぶことが分かりました。これらの石像は朝鮮時代に高貴な人々が亡くなった際に、彼らの噴墓の周りを装飾するという伝統に則って作られたもの。恐らく当時は権威の象徴だったのでしょうが、石像のとぼけた表情を見ていると死者を慰めているようにも見え、これを傍に置くことを考えた人々の気持ちを想像します。

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体に生えた苔が歳月を物語っているよう。背中の丸みが愛らしく、思わず遠くから写真を撮りました。ちなみに東の庭には堪庵と呼ばれる茶室が隣接しているのですが、この日は開館前だったため確認することはできず。次の旅の楽しみとして残しておこうと思います。

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同じ敷地内にある谷口吉生設計の平成知新館を見学し、満足してその場を後にしようとしたところ、ちょうどマスコットキャラクターのとらリンがクイズ大会をしていたので写真をパシャリ。その仕草の可愛さから、観光客から終始かわいいかわいいと歓声が上がっていました。

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 ちゃんとお辞儀まで!中の人、大変お疲れ様です。

蓮華王院 三十三間堂をぶらり拝観

国立博物館を心ゆくまで堪能し、一通り満足して駅に向かおうとしていると、左手に大きなお寺が見えてきました。三十三間堂という歴史あるお寺とのこと。せっかくなので中に入って千手観音坐像と千体千手観音立像を見ることに。 

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館内は撮影禁止のため写真には残せていないのですが、夥しい数の仏像が並ぶ姿はまさに圧巻の一言。もの珍しさよりも、これらの仏像に込められた人々の願いへの畏怖が勝り、このような仏像が建てられた時代の人々の暮らしに想いを馳せました。
ちなみにこの千体ある観音立像には、必ず会いたい人に似た像があると言われているそう。それが救いになる人もいるのかもしれませんが、私はそれを酷なように感じてしまいました。仏像にその存在を見出すとき、生きれば生きるほどそれは激しい感情を伴うものになるのではないだろうか。果たしてそれは救いと呼べるのか、自分の救いは自分で決めたくはないだろうか、などと様々なことを考えながらこの場を後に。

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次の目的地に向かうため七条駅で電車を待ちます。

お昼から夕方にかけて

伏見稲荷で予定外のハイキング

到着したのは伏見稲荷駅。目指すは伏見稲荷神社です。駅の作りが神社のオマージュになっていてなんとも可愛い。貸衣装屋が近くにあるのか、着物で歩いている若い人をちらほら見かけました。

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境内まで行く道は屋台が並んでいて、目があったお兄さんに「俺を助けると思って寄ってって!」と誘われましたが、先を急いでいたので「ごめんね!」と断って先へ。旅は見知らぬ人との他愛ないやりとりすら楽しい。他にも参道にはお土産やさんなどが所狭しと並んでいて、かなり賑やかでした。
目的地の伏見稲荷へ到着したところ、ちょうど巫女舞が執り行われており、近くで観ることに。緊張感のある空間に響く琴と笛の音に、いっとき静かな心持ちになります。

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さらに境内奥に進むとかの有名な千本鳥居が目に飛び込んできます。よく写真で見る鮮烈な赤とは少し違って、柔らかい朱色で親しみやすい印象。それが日差しなどの加減によって色に濃淡を与えており、とても良い眺めでした。

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千本鳥居を抜けるとおもかる石があることで有名な奥社奉拝所が見えてきます。今回はさらにその先にある、四つ辻という京都市内が見渡せる展望台を目指して進むことにしました。途中、祠や神社が点在していたのですが、なんとなく物々しい雰囲気でシャッターボタンを押せませんでした。
さて、この四つ辻までの距離が、これまでの参道とは違って傾斜もきつくなかなかハード!息は上がり、足に途轍もない疲労感を感じます。中腹ですらこうなのに、もし頂上を目指す場合はいかほどなのだろう。途中モンベルで身を固めたご婦人方とすれ違い、あれが正解だなぁと思うなどしたのでした。

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なんとか到着して展望近くにある売店ポカリスエットを購入し、息を整え汗を拭いながら京都市内を眺めます。身体はヘトヘトになっているものの、その見晴らしの良さにこれまでの苦労は忘れて晴れやかな心地に。こうして眺めると京都市内は見事に山々に囲まれていて、地理の教科書の見本にあるような盆地であることを実感します。福島県会津地方には平家の落人伝説があるのですが、まさにこの地形にそっくり。もしかしたらあの伝説は本当なのかもしれない、育った土地を離れても結局は似た風土を求めるのかも…などと思いつつ下山したのでした。

ヴォリーズ建築で北京中華を

伏見稲荷でヘトヘトになった身体を引きずってやってきたのは京都四条。目的地は四条大橋から見えるこの建物です。もうランチの時間はとうに過ぎている午後3時、お腹をすかせてどうしようか決めあぐねていたところ、東華菜館が通し営業をしているということで伺うことに決めました。

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四条大橋のたもとにあるこの建物は、かの有名な建築士、ウィリアム・メレル・ヴォリーズが手がけた唯一のレストランです。いつか行きたいと憧れていたので、訪れることができて嬉しい限り。

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 店の前に立つと、ファサードの重厚な外観に圧倒され、本当にここに入っていいのか気後れします。柱の細部まできっちり仕上げられており、作り手の尋常ではないこだわりを感じる。1歩踏み入れると完全に別世界。まるでナルニア物語のクローゼットのように、外界と遮断されたおとぎの空間にヒョイと身体を放り込まれたようでした。
玄関にはタコのチャーミングなモチーフがあったり、素敵な待合室がしつらえてあったり、現役の手動エレベーターが稼働していたりと、とにかく見応えがあり時間が足りません。まるで建物自体が博物館のような素晴らしさ。全て余すことなく写真に収めたかったのですが、丁寧に接客をして下さる店員さんの前で無尽蔵に写真に収めるのが無粋に感じられてしまい、ぐっとこらえて目に焼き付けました。

f:id:lesliens225:20201015073444j:plainさて、席についてメニューから食べたいものを選びます。まずは前菜盛り合わせ。上から時計回りに、セロリの冷菜とイカの和え物、焼豚、蒸し鶏、鶏皮揚げ、最後に真ん中はクラゲの酢の物。どれもきちんと味が被っておらず、美味しいものを少しずつ食べられる幸せを噛み締めます。八寸とか盛り合わせとか、美味しいものをちょっとずつの類が大好き。全体的に塩のバランスが良く、この時点で「きっと何を食べても美味しい中華屋さんだ」と確信しました。

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頼んだ中でどれが一番印象的だった?と聞かれたら「全部!」と答えるくらいどれも美味しく甲乙つけがたいのですが、それでもどれか一つを選ぶとしたらこの炸春巻と答えます。ここの春巻きは薄焼きの卵に包まれ、豚肉と筍、青菜が一緒に揚げられたもの。これが本当に美味しい。歯ごたえの良さと、香りの良さ。一口サイズなので食べやすく、つい次から次へと手が伸びてしまいます。今後、京都の中華を思い出すとき、これが真っ先に思い浮かぶでしょう。

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辣椒鶏。カリッカリに揚げられた鳥もも肉に、甘辛い餡がとろりとかかっている間違いない味。このあたりですでにお腹がいっぱいだったので、具を一つずつだけいただいたのですが、どの食材の火入れも完璧で惚れ惚れしてしまいました。絶対に自宅で真似できない炒め物。前半の前菜や春巻きは、しっかり味がありながらも淡麗な印象でしたが、これはパンチが効いていました。

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最後は思い出すだけでうっとりしてしまう五色炒飯。芯が程よく残ったお米は一粒も水っぽさがなく、ぱらりとしていて儚い。初めにねぎで香り出しをしてから炒めているのか、全体的に甘やかな香ばしさがあり、噛めば噛むほどじんわりとした美味しさが溢れます。メニューにかやく入り炒めご飯と説明書きがあるのも風情があって良い。中華料理で炒飯が好きという人の気持ちが初めて分かった気がします。
全体を通して特に印象的だったのが調味のミニマルさ。MSGはもちろん、恐らくにんにくや生姜といった薬味を使っていないにも関わらず、ここまで味にインパクトを持たせることができ、こんなにも美味しい中華ができるのかと驚きました。またそのせいか、食べた後の強烈な喉の渇きやむくみといったものがなく、中華で食べ疲れなかったのはここが初めて。本当に何を頼んでも美味しいお店でした。
とはいえどれも1品1品ボリュームがあったので、できれば3人以上で来ることをお勧めします。北京料理、とても奥が深くて一気に魅了されてしまいました。

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そして何より印象的だったのが店内の内装。間接照明はポール・ヘニングセンのPH2/1で、見た瞬間「してやられた!」と感じました。ヴォリーズ建築との組み合わせにこの照明を選ぶなんて、一体誰が思いつくのでしょう。あまりの趣味の良さに平伏し、ここを住処としたいという衝動に駆られます。ちょうど夕暮れ時ということもあり、時間が経つごとに明かりが部屋と調和していく様に胸がいっぱいになりました。

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物を置く場所と化しているバースペースと思われる部屋ですらこの仕上がり。ルイス・キャロルのアリスが纏うようなワンピース色の壁紙に漆喰の天井、半円形のアーチの窓。雑然と置かれた醤油瓶ですら、初めからこの場に合わせて設えたもののように見えてくるから不思議です。

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 向かいには南座が見え、それ以外に高い建物がないことに気がつきます。他に人がいなかったので、心置きなく眺めていると「遠くには伏見、天気が良ければ比叡山も見えるんです」と店員さんが教えてくれました。京都で暮らす人々が長い営みの中で育み守ってきた景観。これを今でも享受できることに、奇跡のような感慨深さを覚えます。

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京都府京都文化博物館で歴史に浸る

東華菜館を後にし、そのまま先斗町を通って次の目的地である京都文化博物館へ。

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時折右手に鴨川が見えるのが楽しい。賑わっているように見えるものの、よく見ればいくつか休業や閉業の知らせが並んでおり、切なさがありました。

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狭い路地を通り過ぎて目の前に現れたのは高瀬川。かの有名な森鴎外高瀬舟の舞台になった川です。穏やかな水面を眺めていると、水音に混じって「入相の鐘の鳴る頃に漕ぎ出された高瀬舟は、黒ずんだ京都の町の家々を両岸に見つつ、東へ走って…」という小説の一節が蘇ります。学生の頃ユゴーの死刑囚最後の日や、太宰の駆け込み訴へなどの罪人系文学(?)を読み耽っていたことを思い出しました。もはや人を乗せて渡せはしないであろう川の流れに過ぎた歳月を感じます。近くには復元された高瀬舟もありました。

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近代建築が並ぶ三条通りを抜けて、やっと辿り着いた京都文化博物館京都アニメーションの代表作であるヴァイオレット・エヴァーガーデンの聖地にもなっているそうで、映画の公開前ということもあってファンらしき人がちらほらいらっしゃいました。

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入り口のファサード辰野金吾らしい伝統に則った作り。彼の建築は何故か昔から興味が持てず、この日もあまりテンションがあがらなかったので写真にもやる気のなさが表れています…加えて三条通りの他の建築が素晴らしかったこともあり、文化財に対する感覚がインフレーションを起こしていました。

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もともとこちらは日銀の京都支店の移転先として建設されたもの。手前の格子は上にスライドさせることができ、大理石で隠されている部分には引き出しが備え付けられていました。

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中に入っていいのかなとまごついていると、別室でアートの展示をされていたお姉さんに「入っていいんですよ」と声をかけられお邪魔しました。天井には明かりとりとしての窓が設けられており、あの時代にこのようなものが作れたのかと感心します。

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二階廊下部分の支えに掘られている細やかな装飾が印象的。遥か昔、ここが銀行として使われていたであろう活気ある時代に思いを馳せました。

京都の夜

京セラ美術館でナイトアートを楽しむ

 一度ホテルに帰って荷物を置いた後、バスに乗って東山へ向かいます。以前美術手帖のウェブ記事を読んで、ここの改修工事を青木淳氏が手がけたことを知り、それ以来京都に来たら絶対にここへ足を運ぼうと思っていたのです。

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バスから降りて人だかりのある方へ向かうと、色とりどりの明かりに照らされた京セラ美術館が見えてきてワクワクします。このライトアップは美術館のワークショップに参加された人々によってデザインされたもの。これはどんな人が考えたのだろうと想像しながら眺めるだけで楽しい気持ちになれます。建物は予想の3倍は大きく、全体をカメラに収めることができないほど。

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入り口にあるロゴは杉崎真之助氏がデザインされたもの。タイポグラフィが好きなのでじっと見入ってしまいました。良く見ると京の字や美の文字などにスリットが入っており、遊び心を感じます。個人的には館の字が好きで、少し官の四角部分を大きくすることで全体のバランスをとっているのが印象的でした。手書き文字だとtoo muchだし、明朝体や毛筆だと固さがある。そんな中でこのフォントデザインを選んだことに、この建物がどうありたいかという意思を感じました。

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ガラス・リボンと呼ばれるつるりとした流線型のファサードが美しい。前田氏設計の旧京都市美術館の土台部分に作られたそれは、旧京都市美術館を介して培われた人々の想い出と歴史をより強固なものにしながら軽やかさを取り入れており、より敷居が低く間口が広い開かれた美術館という印象を受けました。
また、その右部分には京都増醸所のビールを始めサルシッチャ!デリのサルシッチャなど、京都の美味しいものを中心に取り扱うミュージアムカフェ・ENFUSEがあります。京都以外にもmitosayaの蒸留酒ダンデライオン・チョコレートなどが揃えられており、東西の今が味わえるセレクトショップのようなカフェ。他にもピクニックセットを販売しているので、天気の良い日はそれらを買って鴨川などに足を運ぶのも良さそうです。選択の余地があり、消費者にそれが委ねられているいいお店だなと感じます。

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検温・消毒をした後受付でいただいたパンフレット。京都市はフランス・パリと姉妹都市ということで、毎年10月の第1土曜日にニュイブランシュという一夜限りで開催されるアートイベントに倣った催しを行っており、今回京セラ美術館もそれに参加するとのことで楽しみにしていました。

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階段を上がって中央ホールへ進むと、神殿の中と錯覚するような整然とした空間が広がります。頭が痛くなるくらいの真っ白な空間を陰影が縁取り、視覚に入ってくる情報が異様に少ない。そのせいか空間の把握がクリアにでき、自然と建物に導かれるままに導線をなぞっていることに気がつきます。「なんとなく水戸芸術館の現代美術ギャラリーに似ているな」と思った所、なんと設計者は同じ青木氏でした。当時は磯崎新のイメージが強く全く気がついていなかったのですが、こうして訪れると納得できる部分が多々あり、建築は足を運びその場に身を置いてわかることが往々にしてあるなと気がつきます。
ホールではちょうどオペラとコンテンポラリーダンスインスタレーションが行われており、久しぶりに見る舞台芸術に感慨深い気持ちになりました。何よりこれを無料で鑑賞できることに驚きます。彼女たちの表現を眺めながら、以前知人が「日本は舞台美術に触れる敷居があまりにも高い。子供の頃から芸術に触れる機会を持っている人がどれだけいるのか」と言っていたことを思い出しました。

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印象的な螺旋階段を登り、きた道を振り返ると黄金比のような図形が浮かび上がっていたので思わずシャッターを切りました。まるでアンモナイトのよう。

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さらに進むとまっさらな空間とは対照的な京都市美術館の名残を残す格調高い空間が現れ、思わずため息がこぼれました。なんて素晴らしいんだ!

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紅色の大理石はルージュ・ド・フランスを彷彿とさせます。柔らかく温かみがありながらも、格式が感じられる。

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素材や全体の設計自体は西洋のものであるにも関わらず、欄干部分に和の装飾が施されていることによって和洋が融合されており、現代においても新鮮なデザインのように感じます。ジャポニズムを再輸入したと表現するのが最も近いでしょうか。うまい言葉見つからず口惜しい。伝統と革新が入り混じる京都の文化を体現した設計に、震えるような感動が押し寄せます。

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天井部分を眺めて思わず息を飲みました。絢爛豪華なステンドグラスの装飾が、美術館という非日常の空間を彩り、いっときの辛さ苦しさを忘れさせてくれるようです。
もともと京都市美術館は1993年に天皇即位の大礼を記念する美術館として建設されたもの。戦後進駐軍に接収されたものの、幸い他の文化財で行われたようなペンキを用いた塗りつぶしは行われず、美しい形を現代までとどめることができました。こうして時を超えてこれらの美しさに触れられることに、心から慶びを感じます。

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一度ホールへ戻り、そのまま2階の廊下を進むとまた異なる部屋が現れます。美しい丸窓とペンダントライトの明かりが幻想的でした。

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部屋の全体像はこちら。床のモザイクタイルの可愛いらしさ、照明のプラケット部分の装飾の細やかさ。こういった建物で働くことができたらどんなにいいことだろう。

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部屋には改装前の京セラ美術館のジオラマと、現在のジオラマが展示されていました。見比べると以前よりも中庭が広くなっていたり、休息所が設けられているなどの違いがあり、この建物がどのような意図を持って改修されたのかが見えてきます。このような資料が誰の目にも触れる形で残されていることに透明性の高さを感じ、この美術館が果たすべき役割を自負されているのだなと感じました。京都市美術館の名前を失ったこと、リノベーションされたことに市内の人々は様々な思いを抱いていると聞きますが、これから先この美術館が市民と良い関係を築けることを願ってやみません。

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2階から新館の東山キューブのテラスに向かうと、白夜にちなんだ短歌がいくつかのスピーカーからランダムに流れていました。訥々と語られる言葉とウッドデッキを歩く足音が夜に溶け込み、白昼夢の中にいるみたい。近くの階段に腰を下ろしてしばらく月を眺めながらそれぞれの短歌に聞き入ります。

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東山キューブの外壁は青木氏らしいミニマルで余白のある作り。青森県立美術館と似ているものの、柔らかい色合いのせいかあちらよりも強い圧迫感がなく、京都の景観に溶け込むような印象を覚えました。

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夜空には鈴木康広氏のインスタレーションである空気人形がふわりと浮かび、まるで月で蹴鞠をしているよう。老若男女が広場の階段に腰かけて、海月のようにゆったりと漂う人形を眺めたり、写真をとったり身を寄せ合って会話を楽しんでいる姿が深く心に刻まれました。アートを介して人々の暮らしが豊かなものになっていく場に立ち会えているような瞬間。胸がいっぱいになり、群衆に紛れてしばらく空を眺めていました。

京都伊勢丹デパ地下録

お昼に食べ過ぎたこともあり夜ご飯はパスをすることにしたものの、せっかく京都に来たのだしコンビニでおつまみを買うのも味気ないと言うことで、ホテルで過ごす用のおつまみとビールを京都伊勢丹へ探しに行くことにしました。
エスカレーターを下って催事場を通り過ぎようとしたところ、ずっと気になっていた京都のフルーツパーラー、ヤオイソが出店していてびっくり。今回の旅の日程では行けないなと諦めていたので嬉々としてお店に並びました。おばちゃんに勧められるがまま翌日の朝ごはん用にロイヤルフルーツサンドを購入します。「ありがとうございます。頂いて行きます」と言って受け取ると「よろしうおあがり!」とピカピカした笑顔で返され、不意打ちの接客に好きになってしまいました。かけられた一言が嬉しく、手渡されたフルーツサンドがとても大切なものの様に思えてきます。

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そう言えば昔、東山の方でバスを待っていた時に知らないおばちゃんに飴玉をもらい、お礼を言うと「大阪のおばちゃんやってんねん」とニコニコした笑顔で返されたことがありました。京都の人と言うといけずなイメージが先行しているけれど、実は面倒見がいいのかもしれない。どの土地も住んでみないとわからないことばかりで、こう思うのも旅の感傷かもしれませんが、心の中で「よろしうおあがり」を何度も反芻しては、そんなことを考えました。
しばらく見ないうちに京都伊勢丹のデパ地下もだいぶ様変わりしていて、聞くところによると2018年に大幅にリニューアルしたとのこと。お酒を販売するコーナーには酒のTASHINAMIというバーが増設されていて、日本酒やワインを中心に、京都の老舗料亭が提供する肴とのペアリングが楽しめるとのことでした。お腹がいっぱいになっていなければ入ってみたかったな。
他にも菓子のTASHINAMIという京都伊勢丹のバイヤーがセレクトした季節の菓子と一保堂のお茶を中心としたドリンクが楽しめるイートインスペースもあって、こちらも面白そうでした。こうした体験をカジュアルに楽しめるスペースがあるのは何とも羨ましい限り。東京だと新宿高島屋のパティシェリアが近いかなと思うものの、ここと同じだけコンセプトや魅せ方に土着的な文化を含んでいるかと問われると答えに窮します。

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別行動していた連れ合いは関西のクラフトビールとチーズを購入して上機嫌になっていました。
ホテルに着いてからそれぞれ買ってきたものを冷蔵庫にしまい、先にシャワーを浴びている夫を待ちながら窓から京都の街並みを眺めます。旅先のレストランや居酒屋に行く夜も好きだけれど、こうして自分のペースで自由に過ごす時間も同じくらい良いもの。ベッドに寝転んでパンパンになった足を天井に足を向け、今日の余韻に浸ります。
シャワーを浴び終わった夫と交代し、烏の行水よろしくお風呂を済ませて清潔な部屋着に着替え、洗い立てのシーツの様な気持ちに。先にお酒を楽しんでいる夫に一口ずつ冷えたビールを分けてもらい、今日の楽しかったことを語りつつ、京都の夜はこうして更けていきました。 

 

後編はこちらから

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