東京で暮らす女のとりとめのない日記

暮らしとカルチャー、ミクスチャー

テレワーク・ファッション

気がつけばテレワーク生活も2年目になり、家の中でいかにcomfortableにいられるかどうかが重要事項になっている。ボトムスはヤヌークのデニムにFalke runの靴下。冷えがひどい時はスマートウールの肉厚な靴下を履くこともある。トップスはもっぱらアイスブレイカーのカットソー。ネックレスだけは毎日するけれど、指輪はつけたり付けなかったりだ。日々のコーディネイトと呼ぶにはルーティンに振ったそれだが、結構気に入っている。こうして生活してみると、衣類やアクセサリーから感じる締め付けの類が苦手だったことに気が付く。
思えば子どもの頃からそういった傾向はあったように思う。母親は私の髪の毛を結えるのが好きだったようだが、いくらきれいに結んでも幼稚園から帰ってくる頃には私の髪の毛にヘアピン1つ着いていないのをみて、いつからか縛るのを諦めたようだった。小学校の帽子は顎紐が苦手でハサミで早々に切ってしまっていたし、体操服のゴムも極力のばして緩めていた。運転するようになってからはシートベルトも嫌いで、少しでも身体に触れないような補助具を使っていたし、下着も極力締め付けないものを好んで着けている。
それなのに、就職して出勤していた頃は自分はアクセサリーを好むと思っていたし、衣類の締め付け自体にも鈍感だったのだから不思議だ。おそらく、人からの視線を無意識のうちに感じているからこそ、自分の輪郭を保てるものが必要だったのかもしれない。不便なことは多いけれど、人からの視線から自由になれるという点ではテレワークを経験してよかったと思う。
会社から求められる人物像を内面化しながら、私はあなたたちに消費される対象ではないということを意識して働くのは疲弊する。相手がそれをしない人間であっても、これまでの人生経験からそうした予防線は張らざるを得ず、相手を信頼できない自分にも疲れていた頃だった。幸い今の職場はリベラルな風土で容姿で損得をしたと感じたことや、嫌な思いをしたことはないが、かと言って好き勝手生きていたわけでもない。仕事だけでも疲れるのに、人の視線を気にして生きるのはままならないことだよなぁと思う日は、5分だけと決めてロッカールームで仕事をサボっていた。
感染症が拡大して自粛要請に伴うテレワークが始まってから買った服をみると、自分の身体性を守りつつ、着心地のよさを意識したものが多かった。ヤエカのブラウス、LENOのチノパン、リラクスのシャツ、ジルサンダーのスラックス。ふらっと歩いてどこかでお茶をして、図書館で本を読んで、時々好きなお店でご飯をするに事足りる服。好きな服は着倒す癖があるのでどれも既にクタクタだけれど、馴染みがあるそれらは袖を通すごとに新鮮な驚きと愛着が生まれる。自分がどんな服が好きだったのか、その手触りを取り戻せたような気持ちだった。
久しぶりに職場の後輩に会うと、髪をピンクに染めていた。テレワークを経て他者の視線を気にせずとも良い生活になった今こそ、自分が自分のために装うことを取り戻すチャンスなのかもしれない。