東京で暮らす女のとりとめのない日記

暮らしとカルチャー、ミクスチャー

美味しい暮らし #9月編

残暑が続いていた9月。それでもふと気づくと金木犀の香りがしたり、木葉が色づいたりと秋の気配はすぐそこにあって、身近なものから夏の終わりを感じました。

 

外で食べたもの

バンダラランカ スリランカ カレー

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久しぶりのスリランカカレーはバンダラランカで。感染症対策で、バイキング形式からプレート形式の提供に変わっていた。変わらない滋味深いスパイス使いに安心する。胃が小さくなってしまったのかデザートまで辿り着けず、残すのも申し訳ないからと断ると「どうして?美味しくなかった?」と言われて思わず微笑んでしまった。その逆なんです。

すっかり東京のカレーシーンを追いかけなくなって久しいけれど、今はどういうカレーが人気なんだろう。孤食が推奨されるようになってから、BRUTUSやPOPEYEでも特集がされていた気がするけれど、結局追いかけられずじまいだった。最近はただただサンバレーホテルの店主がパキスタンを旅している様子に癒されている。

サンバレーホテル→ @ sunvalleyhotel

自粛が明けてからは新しい美味しいお店を開拓するより、馴染んだお店を訪ねたい気持ちが強くなっている。

シヅカ洋菓子店 焼き菓子いろいろ

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友人に「ここのクッキーは絶対あなたにハマるから」と勧められて以来気になっていたシヅカ洋菓子店。桜田通りを下って慶應義塾の前を通り過ぎ、グーテ・ド・ママンがある通りの1本隣の道に入ると、リノベーションされたお店が見えてくる。

店内は至ってシンプルかつミニマルなレイアウトで、焼き菓子に主眼を置いた構成になっているのが珍しい。奥には季節のプティ・ガトーが整然と並んでいる。どのお菓子も素朴で飾り気のない見た目ながら、洗練された佇まいなのが印象的。ともすればクラフト感を強調することもできるだろうに、それを残していない作り手の心意気が好ましく感じられた。

私が買ったのはナチュラルビスケットとナチュラルハニービスケット、それからレモンパウンドケーキにチョコレートサンドビスケット。クッキー缶はもちろん、どの焼き菓子もひとつずつから購入できるのがうれしい。本当はシュークリームも勧められていたのだが、お中元でいただいた生菓子が家を占拠している状況だったので、そちらは泣く泣く諦めた。

購入したクッキーは、小休憩と称して自分のためにお茶を淹れる時間の楽しみに。特に美味しかったのがナチュラルビスケット。全粒粉のかみごたえがある食感と風味のよさに、ひとりきりの部屋で「うわー!美味しい!」と思わず叫んでしまった。こんなにシンプルなのに素朴さとは対極にある、洗練を超えて磨き上げられたピュアさ。日常にきらめく小さな星。次こそはプティ・ガトーも食べてみたい。

蕪木 コーヒーゼリー

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夏らしいことができずに8月が終わってしまった無念を晴らすべく、少しでも季節を感じたいと蕪木へ。季節ごとに提供されるドリンクやデザートが好きで、この日はラム酒の効いたコーヒーゼリーだった。ミルクをかけると味にまとまりが出るのが面白い。

蕪木に行く時はいつも必ず乗れない本を1冊持っていく。作者の文体のリズム感が合わない本や、読み進めるための前提知識がなくページを捲るのに手こずる本。そうした本を蕪木に持っていくと、驚くほど読み進めることができるから不思議だ。静かでほのぐらい空間が集中力に影響しているのか、あるいは単純にカフェインの一時的な効果なのか、またはそれらの複数の要因が重なったものなのかはわからない。この日読んでいたのはジョセフ・チャプスキの『収容所のプルースト』だった。

仄暗くて読書にぴったりな場所がもっと欲しいと思う。本を読んでも迷惑にならず、美味しい飲み物とお菓子がある清潔でほのぐらい場所。そんなお店が東京にいるうちに見つかればと願っている。

いただきもの・家で食べたものあれこれ

セブンイレブン 台湾スイーツ 五種素材の豆花

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友人にセブンイレブンに売っている豆花がなかなか美味しいよ、と教えてもらったので買ってみた日。コンビニスイーツを買う習慣がないので、お会計をするまで妙にソワソワして落ち着かなかった。

肝心の豆花は期待していたよりずっとその味で、コンビニスイーツの再現性の高さにびっくりした。特にトッピングにはと麦が乗っていたことがうれしい。フランスのリオレがそうであるように穀物の味とビジュアルを残したお菓子は日本人に馴染みがない。手に取ってもらいやすさを考えるならトッピングにしない選択肢もあったはずだったろうに、決して外さなかったことに信念を感じる。

そういえば昔、親友の姉がセブンイレブンの商品開発部で働いていて、その商品が並んだ時に「これうちのお姉ちゃんが考えたんだ」と教えてくれたことがある。子供の頃、コンビニはいろいろな文化を運んでくるおもちゃ箱のようだと思っていた。その一端を彼女の姉が担っていることに、子供ながらに誇らしい気持ちになったことを思い出す。

もしかしたら今もあの土地で、珍しい食文化と出会う下地をコンビニが運んでいるのかもしれない。何かワクワクするようなものに出会えるかもしれない期待に胸を膨らませ、私は今日もコンビニへゆく。

ウニのカッペリーニ

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頂き物のウニを消費するために作ったカッペリーニは、思いがけず夏の味がしてとてもよかった。夫は「贅沢だねぇ」と喜んでくれていたけれど、港町で生まれ育った私はいまだにそのありがたさが分かっていない節がある。雲丹が高級品という意識が芽生えたのは街にチェーンの回転寿司屋ができて、食材にランク付けがされたことがきっかけだった。資本主義のインストール。

わたしの父母の幼少期の頃は、海で取ってきた雲丹をその場で割って、海水につけて食べると言うことをよくやったと聞く。さらに祖父の代になると、街を回るリヤカーから水揚げされたばかりの鰹や秋刀魚が道端に落ちていたらしく、それを拾って庭の七輪で焼いていたらしい。今や秋刀魚が高級魚となりつつある状況が嘘のようだ。

子供の頃は当時の街並みを映した写真が好きで、よく眺めては過去と今を行き来していた。その写真も津波でほとんど流されてしまって手元には残っていない。

昔大学の友人に「一番贅沢だなと思う寿司ネタは何なの」と聞かれて「青魚」と返したことを思い出す。足が早く扱いが難しいそれを、東京にいてもそこそこの鮮度で食べられる時、なんという贅沢だろうと思わずにはいられない。

広島県産 牡蠣

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外食ができずに辛抱できるのは2ヶ月が限度だと思う。このあたりではもう気が狂っていて、広島から牡蠣を取り寄せたりしていた。当たるわけには行かないので加熱調理をしたものに、タバスコをかけてアイラ島のウィスキーで流し込む。束の間外食気分、とは言え虚しさもあった。

外食ができないと日々の小さな楽しみがなくなるだけではなく、自炊を外注できないことで生活が圧迫されると気づいたのは自粛2ヶ月目になってからだった。今日は何も作りたくないと言うときに、自宅近くの居酒屋で一人でサクッと飲んできたり、ファミレスで作業をしながら好きなものを頼んだりと言うことができない。何よりこの辛さをつらいと言えないこともまた辛かった。

夫婦二人でこれなのだから、子供を抱えている家庭や、変則的な勤務体系の人らはどれだけ大変だっただろう。

名取製餡所 十割そば羊羹

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長い付き合いの友人から頂いた蕎麦羊羹。何を隠そう私は蕎麦の実が大好きなので、わかられている感がくすぐったかった。

そのまま食べても良いけれど、少し温めるととろけるような食感で、まるでお蕎麦のお汁粉みたいになる。暖かい煎茶と一緒に大事に頂いた。

友人とは去年一緒に旅行に行く計画を立てていた。今年こそリベンジできると良いよねといいながら、こうして大人になって一緒に旅行に行きたいと思える友人がいることに、得難い幸せを噛み締める。おばあさんになっても彼女と美味しいものを交換したり、お茶をできる関係でありたい。

今月のおまけ

ソファを探して三千里

自宅のソファが痛んできてしまった。夫が一人暮らしをしていた頃から使っていた思い出のソファ。二人とも読書をするときにソファにいることが多いので、次は座り心地重視で探しているのだけれどなかなか納得がいくものが見つからない。

最有力候補はalfrexのマレンコだったので、予約をして広尾のショールームへ行ってきた。10年以上憧れていたソファだったので8割がた買う気持ちに傾いていたのだけれど、座ってみると意外と堅くて長時間読書をするには不向きそうなのが気になってしまった。思いの外よかったのは同じarflexのasofaで、フェザークッションの沈み込むような心地が素晴らしかった。多分この2つでしばらくは悩むと思う。

実際にソファや椅子を試して気がついたのは、ミニマルデザインで座面がシングルシートタイプのソファは座り心地が硬めなこと。逆に座面が2枚重ねになっているようなデザインのものは座り心地が柔らかかった。座ってみないとわからないことだったので、ショールームに行ってみてとてもよかった。

カトラリーや器もそうだけれど、機能性とデザインの両立を追求したプロダクトがやっぱり好きだなぁと思う。ちなみにカトラリーで有名なクチポールのゴアシリーズは清々しいほどデザインに全振りしていて「そりゃそこまでユーザビリティを無視すればなんだってお洒落になるでしょう!?」といつも思う。あれを使うといつも歯のどこかしらに金属が当たって辛いし、持ち手が安定しなくて神経を使うので、いっそのことレストランでは出さない法律を作って欲しい…

arflexの担当さんはみんな親切で、展示のセンスも素晴らしくよかった。ショールームでの体験が楽しかったので、もう少し都内のお店を巡ってみようかなと思う。もう欲しい服もあまり無いし、新婚旅行用に貯めていたお金も宙に浮いたままなので、インテリアくらい良いものを選んでもバチは当たらないでしょう。

木彫り熊の申し子 藤戸竹喜 アイヌであればこそ

この記事でも詳しく書いたが、9月は東京ステーションギャラリーで藤戸氏の彫刻をみた。

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かわいい彫刻、うつくしい彫刻、そして哀切と祈りがこもった彫刻。こんなに優しくてフェアな彫刻を見たのは初めてで、会場を後にする時は胸がいっぱいになってしまった。

それと同時に、かつてアイヌが受けていた迫害を知って胸が詰まる思いだった。無知なことに自覚的であろうとすること、忘却することからあらがい続けようとすること。等身大の日常を過ごしながら、少しでもよい人であれるよう日々を積み重ねていきたい。

良い夜を聴いている

最近好きなポッドキャストに「良い夜を聴いている」がある。大学を卒業してからは本と出会うきっかけが自分の興味主導になっていて、そのことに対して窮屈さを感じていた時に、このポッドキャストに出会った。lo-fiなイントロで始まり、ふたりの女性が静かな語り口で読んだ本の感想を紹介していく。就業後の疲れた心でも聞ける温度感なのがありがたい。

open.spotify.com

ちょうど昨日は、ここで紹介されていた『アラブ、祈りとしての文学』を読み終えたばかり。読み手の無知を照らし、新しい地平を切り開くような本で、心から読んでよかったと思えた。長年読書を続けていると「この本と出会うために生きていた」と思える本に運よく巡り合えることがある。

そう言えば昔、中国から来た留学生に「あなたはなぜ本を読むの」と問われたことがある。その時はまごついてうまく答えられなかったのだけれど、今はこう思う。

「私は出会っていない人や、出会っていながら真には出会えていない人と、本当の意味で出会いたいからだ」

 

過去の記録はこちらから

lesliens225.hatenablog.com

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