東京で暮らす女のとりとめのない日記

暮らしとカルチャー、ミクスチャー

誰かと胃袋をシェアしたい

先日友人と水天宮の甘味処であんみつを食べたところ、半分しか食べられなかったことにショックを受けた。たまたまだろうと思っていたけど、どうやらそうでもないらしい。週末にカジュアルなフレンチでランチを食べた時も、すでにコースの途中で腹八分目を過ぎていて、デザートにたどり着いた時にはもう限界だった。
食欲はあるので恐らく内臓機能の低下による食欲不振といったところか。食べたいものはごまんとあるのに辛すぎる。そう言えば、夫の誕生日祝いで食べたお寿司も終盤から詰め込むようだったことを思い出す。このままどんどん食べられなくなってくると思うと、今のうちに食べたいものは食べておかなくてはと焦る。

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これまでそれなりの数の親族を看取ってきたが、皆最後は食べられなくなっていった。食べられないということはどんな気持ちなのか、私には想像もつかない。最後にあの人と食べたもの、あの人が残したもの、これなら食べられると喜んでいたもの、食べられないから他の人にやってと言われたもの。食べられるものがあると一縷の望みを見つけたように嬉しくなって、そればかり買っていったような気がする。ケアする側だったはずなのに、振り返ればどの人たちにも労られていた。
皆若いのに、世間ではもっと長生きする人たちもいたのにと思うが家系なのだろう。仏に供えた白米が、乾燥して透き通っていくのを美しいと思ったのは何歳の時だったか。私の食事にはいつも彼らの想い出がついて回っている。
私の生まれ育った街には港が見下ろせる位置に墓があり、学校から帰るとそこで本を読むのが日課だった。悲しいことがあると彼らの墓の前で報告をした。一般に死は忌避されるものなのだろうが、私には暖かい居場所でもあった。しかし怖くないかと言われるとわからない。少なくとも以前より大切に想うものが増えた。墓に供えられていた菓子や惣菜を思い出す。故人の好物を供える時、まだ彼らは生きていることを実感する。
最近気に入っているイタリアンがあるのだが、恐らくそこの料理もあと何年食べられるかというところではないかと想うと恨めしい。大食らいの友人とご飯にいくとペースが合わせにくくなってきた。まだ食べたい料理も知りたい味も山ほどあるというのに、自分の身体がままならない。せめて誰かと胃袋をシェアできればいいのに。
健康な時はなんの不調も抱えずに一生生きていけるような気がするけれど、その時間は限られていることを思う。今の自分ができること、今の自分しかできないこと、考えては焦るばかりだ。

美味しい暮らし #お取り寄せ・レシピ編

四・五月は政府からの緊急事態宣言の発令に伴う外出自粛要請、また東京都の休業要請の影響があり外食ができなかったので、今回はテイクアウトしたものやお取り寄せしたもの、または自分で作って美味しかったレシピについて書きました。
皆さんはこの期間どう過ごされていましたか?そして今はどう過ごされていますか。私は最近仕事が忙しく、息をつく間も無いです。毎日もうだめだ〜と言っている気がする。 一日の仕事が終わったと思ったら勉強に移り、終わったらジムへ行く。たまに気分転換がしたい時は銭湯に行ったり、ランチは外で食べたり図書館へ行ったり映画を見に行ったり。自粛要請が解除されて、こうしたことができることを新鮮な喜びとして感じると共に、自分の生活様式は自分で自覚している以上に外部に依存していたのだなと感じています。
最近は梅雨時期ということや、都内の感染者が増えてきたこともあって、家の中で過ごす時間がまた徐々に増えつつあるのですが、そんな時はAmazonプライムと本、そしてラジオに助けられています。最近Amazonプライムで観た映画だと「国家が破産する日」が良かったな。1997年のIMF通貨危機から2008年のリーマンショックの影響を受けてのウォン下落、2009年の通貨危機。こうした通貨危機を経て「パラサイト」のアボジのような境遇の人が多数生まれたのかと思うと、彼の「何も計画しないことが一番傷つかずに済む」という言葉をふっと思い出す。
読んだ本だと岡田憲治の「なぜリベラルは負け続けるのか」と善教将大の「維新維持の分析」が印象に残っていて、七月に都知事選が控えていたこともあり、ここ何ヶ月かは小説よりも政治関係の本を読み漁っていた。
ラジオだと昔放送されていたラジオの「SUNTORY SATURDAY WAITING BAR AVANTY」のポッドキャストを発見して大歓喜。2013年に放送終了になって以降、二度と聞けないと思っていたので本当に嬉しかった。ありがとうTOKYO FM

www.tfm.co.jp
そして、何より生活の楽しみだったのは外食だったのだなということを実感しています。美味しいものを食べた時の一切の考え事を放棄して目の前に没頭できる瞬間や、目の前の美味しさがどのように構築されているかを考える時間。お店に行けない時間が長くなるにつれて、あれらは生活の逃げられないしんどさから一瞬だけでも解放され、思考が休まる時間だったのだなと思いました。
たまに自分のこの食への過剰なこだわりと執着心にどうなの?と思うこともあるのですが、執着できるうちに執着することで一切を手放せるような気がするので、今は執着しておこうと思います。 それと、これまで自分の美味しいを探そうと色々なお店に足を運んだお陰か、最近は美味しいと思えないお店に当たった時すら楽しくなってきました。自分の予期せぬ変化に驚きつつ、このことはまた次にでも話そうと思います。

 

テイクアウト・お取り寄せ

藤むら れぇずんくっきぃ

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以前友人にお勧めされてから気になっていた藤むらのれぇずんくっきぃ。外出自粛要請が始まって入院中の家族にも会いに行けず、外食や映画といった気晴らしもできず、ジムで思い切り身体を動かしてスッキリすることもできなくて、どんどんくさくさしていった時に「そういえば」と思い出して取り寄せました。
普段甘いものにあまり興味のない友人が「ここのレーズンバターサンドは日本一美味しい!」と豪語していたのを微笑ましくも大袈裟だなぁと思っていたのですが、ひとくち食べてちょっとびっくり。なんといえばいいのか、とにかくバターの印象が強い。生地がしっとりしていて触っただけでも自らの重みで崩れてしまいそう。そうして慌てて口元に運ぶとほろっと崩れてフレッシュなバターの香りが口いっぱいに広がります。クリームの軽やかな口どけもすごく美味しい。今まで色々なバターサンドを食べてきたけど確かにこれは食べたことのない味。もはや生地がクッキーというよりスコーンみたい。他のバターサンド以上に、賞味期限に近くなればなるほど表面はよりしっとりとして、口に運んだ時のほろほろ感が強くなるのもいい。
バターサンドは賞味期限ギリギリまで寝かせる派なのですが、特にここのバターサンドは追熟させるような楽しみがありました。ちなみにレーズンの味は相対的に弱いように感じたので、レーズンの存在感が好きな人や洋酒を効かせた味を好む人には刺さらないかもしれないです。期限ギリギリを攻めつつ、美味しい頃合いを淡々と待つ孤独で愉快な戦い。遠い昔に「肉は腐りかけがうまいって言うけど、腐るなよ」と言われたことを思い出し、余計なお世話だとソファーにダイブしてバターサンドを齧る。こうやって日常にささやかな小休止を用意することで、腐ろうがどうあろうがたくましく生き延びていけるような気がします。

365日と日本橋 クロッカンショコラf:id:lesliens225:20200714003108j:plain

近くを通りかかった時に365日の「営業中」という看板が目に入ったので吸い寄せられるようにお店へ。いつもは並んでいるので素通りしていたのですが、この日は私以外にもう1人しかお客さんがいませんでした。人気店でこれだもの他の飲食店への影響はいかほどか。店内に入って店員さんにオススメを聞くとクロッカンショコラを紹介されたので、好奇心で買ってみました。
コッペパンのようにふわふわとした生地にザクザクとしたクランチ状のチョコレートの食感が相反していて面白い。普段菓子パンを食べないこともあり、好きか嫌いかと言われると解像度が低くてわからないのですが、それはそれとして「これトーキョーのパンっぽいなぁ」と思いました。
代々木や日本橋にあるお店にたどり着くまでの道には面白そうなショップが目移りするくらい並び、移動している間も絶え間なく消費欲が刺激される。そうしてたどり着いたお店はコンセプチュアルな内装で、店内には珍しいヴィジュアルのパンがずらりと並んで、オシャレそうな味をしたためた可愛らしいポップがお行儀よく挨拶をする。
自分が高校生くらいだったら、このお店を目指してトーキョーを胸いっぱいに吸い込みワクワクしただろうな。そんな時に出会っていたら、もしかしたら東京の思い出のパンになっていたのかもしれません。

 

Ăn Đi バインミーサンドイッチ

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神宮前までいく用事があったのでアンディでバインミーをテイクアウト※。日によって具材が変わるみたいで、この日はロメインレタスとスパイスチキンのバインミーでした。
食い道楽を地でいく友人が「あなたここ絶対好きだと思う」と勧めてくれてからずっと気になっていたものの、タイミングが合わずなかなか行けなかったので念願叶って嬉しいやら、こんなタイミングで来て情けないやら。次こそは店内で食事をしたい。
パンは柔らかめで間に紫玉ねぎのピクルスとパイナップルが入っていて美味しい。ロメインレタスの食感も良くてバリバリと噛みちぎっていると一匹の青虫になったような気がします。そのあとふんわりスパイスが香り、自分は青虫ではなかったと気がつくのでした。

※お店のfacebookによると、2020年6月12日付でテイクアウトは終了されたとのこと。7月にオープン予定の姉妹店では引き続き購入できるそうです。(2020/6/12現在)

www.facebook.com

おうちでともすけ no.1自家製ふきのとうみその香るラザーニャ 

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写真はおうちでともすけ公式HPより

自粛が要請された日々の中で、とりわけ印象に残ったのがともすけのラザーニャです。巷に溢れるテイクアウトの情報に疲れていて「あの名店がテイクアウトを始めました!」という知らせを見ても「そう…」としか思えなかった頃。名前の売れている店とそうでない店にどんどん差がついていく状況や、自分の消費活動に対していつも以上に検閲のようなものがかかってしまい、「食べたい」にたどり着く前に色んなことに思いを巡らせて、次第にしんどくなっていきました。
そんな時に友人のInstagramで見つけたのがこのおうちでともすけ。そういえば昔一度だけ連れて行ってもらったことがあったなぁ、居心地が良くてどのお料理も美味しくて…と想い出が呼び水となってホームページへ。見てみると、テイクアウトはラザーニャのみ※とのこと。今にも美味しい匂いがしそうな写真と、自宅まで配送してくれるという気軽さに背中を押されてエイッと購入しました。
宅配されたそれは受け取るとずっしり重く、急いで冷蔵庫にしまって結婚記念日のご馳走として食べることに。当日オーブンでじっくり焼き、とっておきのワインを開け、どんな味がするのかドキドキしながらナイフで切り分けると、ラザニア生地の優しい香りが漂ってただただ癒されました。どの野菜もおさまるべき所に収まり、一切の味わいが柔らかく調和していてすごく美味しい。ラザニアというと途中で飽きる印象があったのですが、これは全く重くない。気づけばあっという間にふたりでぺろりと食べてしまいました。
翌朝まったく胃がもたれていないことにも驚き。美味しいのに胃が疲れない料理は胃弱体質なのに食いしん坊の身としてはありがたかったな。またここのラザーニャを頼みたいね、美味しかったねと会話も弾み、結婚記念日をここのラザーニャで祝えて本当によかったなと思いました。

※現在はラザーニャの他にオリーブオイルやバルサミコ酢も販売されているようです。(2020/7/15現在)

tomosuke.jp
話は変わりますが、ここのお店のホームページも好きで好きで。手書きのメニューやイラストを取り入れたクラフト感のある画面をスーッとスクロールしていくと、なんだかお店の中にいるみたいで気持ちが浮き立ちます。お店のメニューをまるっとPDFでダウンロードして眺めることもできるので、メニューを眺めるのが好きなひとはきっと楽しくなってしまうはず。私もそのひとりです。
ちなみに6月よりワインの通信販売を行う「エノテカともすけ」もオープンされました。お客さんがポチポチと気になるワインをセレクトするのではなく、注文用のカルテを記入してソムリエのヒラセさんに選んでもらうスタイルです。とにかく注文書の熱量がすごい!これなら直接お店に伺えなくても、きちんと好みを汲み取ってもらえそうで安心感がある。今はお酒があまり飲めないので、いつかまた祝い事があった時に利用しようと先の楽しみにしています。

enotecatomosuke.com


マイスター東金屋 レバーパテ

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写真はマイスター東金屋公式HPから

夫がまだ恋人だった頃、週末になると必ず二人で通っていたビストロが閉店するという知らせが舞い込んできたのは5月の終わりだった。建物の老朽化に伴って閉店するという知らせを受けたものの、このご時世のため最後のお別れに向かうことも叶わず、せめてここでいつも頼んでいたレバーヴルストを取り寄せようという話に。それにしても、まさか、確かなのだろうか、という思いがぐるぐる回って途方に暮れる。あのお店は私たちの髪に白髪が混じっても、変わらずそこにあると思っていたのに。なんならあの店があるからあの街に移り住もうかと、半ば本気で思っていたのに。
席数が二十にも満たない小さな店ながらいつも店内は活気にあふれていて、ここで金曜の夜を過ごすのが本当に楽しみだった。ビストロなのになぜか入り口には赤提灯が灯っていて、ドアを開けると美味しそうな匂いと一緒に気のいい音楽とおしゃべりがワッと溢れてくる。壁一面にぎっしりと書かれた手書きのメニューを眺めながら今日はどれにしようかと悩んでいると、豊かな髭とでっぷりとしたお腹、ドングリのようにまん丸な目が特徴のマスターが「今日は何にしましょうね」と声をかけてくれて、そのいつもと変わらなそうな振る舞いにホッとした。おそらく相当な食いしん坊であろうマスターが全国各地から取り寄せたクラフトビール自然派ワインに日本酒、焼酎はなんでも美味しく、おつまみはどれを頼んでもハズレがない。特に海老をシナモンで香りづけしたフリットが大好物だった。そうしてあれこれ頼んでは背中に背負い込んだ憑き物を落とすようにお酒を飲み、千鳥足になりながらコンビニで水を買って彼の住むマンションへ帰る。そんな週末に、幾たびも救われてきたのだった。

www.meister-toganeya.com

フリットと同じくらい気に入っていたのが、マイスター東金屋のレバーヴルスト。きめ細かく滑らかでクリームのように口どけが良く、バゲットにたっぷり乗せて食べるのが好きだった。このお店で出会ってその魅力に取り憑かれ、以来他のお店で見かけては注文するようになったけれど、やはりここのレバーヴルストを食べている時が一番しっくりくる。他にもポークアスピックとパテドカンパーニュなど、どれを食べても本当に美味しい。その美味しさに目を光らせながら、うまいうまいと食べていた日々が懐かしい。
好きなお店がなくなることは、あそこにいけば美味しい料理が食べられるという甘えにも似た安心感だけでなく、そこで出会った馴染みの人たちとの淡い繋がりもごっそり失うことなのだなと思う。Googleマップでいつか行ってみたいお店に立てていたピンも、改めて見ると「閉業」の赤い文字がちらほらと見えるようになった。この2ヶ月間の飲食店の窮状を考えるとやるせない。家や仕事以外の居場所を、そしてそこで過ごす時間を、現世で流されてしまわないための棹に変えて生きている人の切実さを思うと胸が痛い。あの店を知る前の私はどうやっていただろうか。そんなことを考えて、私も一つ棹を失ったことに気がつく。
街中を歩いていてたまにマスターに似た背格好の人を見かける度に、今は元気でいるのだろうかと思う。繁華街の片隅に赤提灯が見える度にもしかしてと思う。もしかするとあのお店で過ごしたひと時は全て私の幻想で、もとよりなかったのかもしれない。赤提灯が掲げてあるビストロなんて、人間の商いを見よう見まねで始めたたぬきやきつねがやっていたと思う方が自然ではないか。
調べると、あのお店があったあたりは高度経済成長期に開発された土地で、それまでは野生のたぬきが生息していたという。もしかするとあの晩、マスターの背後にふわふわとした何かが見えたのはそういうことだったのかもしれない。

作って美味しかった料理

中原淳一氏のいちごのコクテイル

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煮込み料理が好きです。食材を鍋に入れて煮るだけで立派な料理になるところも、煮ている間に良い香りが辺りに漂ってくるのも趣があり、とりわけその良さを実感するのは果実を煮るとき。
この春は中原淳一の「幸せな食卓 昭和を彩る料理と歳時記」からいちごのコクテイルのレシピをアレンジしてコンフィチュールを作りました。以前いちごのコクテイルを作った時に、そのマリネ液がとても美味しいことに驚いたので、それならその材料で丸ごと煮てしまおうという魂胆。結果、大成功でした。
加熱したいちごのとろりとした舌触りに、ふんわり香るブランデー。ヨーグルトに混ぜたり、ソーダで割って飲んだりバニラアイスに添えてみたりと、ひと瓶で思い思いの楽しみ方ができ大満足。最後のひと匙を食べてしまうのが勿体なくて、こんなことならもっと作っておけば良かったと思ったり。
煮込み料理をする時は鍋の前にスツールを持ってきて本を読むのが常なのですが、いちごの甘い香りが漂うキッチンでそれをしていると、ちいさな非日常といった風情があり、まるで自分も一緒に煮詰められているようです。時々焦げ付かないようにかき混ぜては本を読み、あくを掬ってはまた本を読み。そうして出来上がったコンフィチュールを瓶へ注いで蓋をすると、不思議と気持ちがスッキリしていることに気がつきます。
キラキラ輝く茜色の瓶を見ていると、小さい頃好きだったセボンスターの宝石の部分にも似ていてキッチンのそこだけピカピカと発光しているよう。半透明のいちごを眺めながら、きっとこれは来年も作るだろうと思ったのでした。

books.shueisha.co.jp

ホテルオークラのフレンチトースト

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知人からツオップの牛乳だけで作った食パンをいただいたのですが、普段はお米派なこともあってなかなか食べる機会がなく、そうこうしているうちに賞味期限が迫ってきてしまったので焦ってフレンチトーストに。せっかくなのでオークラのレシピで作ることにしました。

theokuratokyo.jp

レシピのコツは蓋をして弱火でじっくり焼くこと。そうすることでお店に出てくるようなプルプルなフレンチトーストになります。急いて蓋を開けてしまうとせっかく膨らんだ生地が萎んでしまうので、フレンチトーストに対する信頼と忍耐が試されるレシピです。
私はお菓子作りのように計量をきっちりしないといけない料理が大の苦手なのですが、フレンチトーストはそんな人間にも懐深く、美味しく仕上がるので助かります。休日の前に仕込んでおくと、翌朝起きる楽しみができるのも良いところ。朝起きて冷蔵庫を開けた時のワクワクした気持ちや、フライパンから立ち昇る香ばしく甘い香りは作り手の特権。
現金な人間なので、こうして朝起きるための楽しみを自分でこしらえておくと、自分や日常に対して愛着が湧いてくるような気がします。自分を労わるためのフレンチトースト、なかなかおすすめです。

冷水希三子さんのグリーンピース空豆のミントバター煮

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今年は空豆が安かったので、色々なレシピを調べては試していました。その中でも特に気に入って何度も作ったのが、冷水希三子さんのInstagramで紹介されていたグリーンピース空豆のミントバター煮。


www.instagram.com

私はグリーンピースが苦手なので(小学生の頃、給食の時間に苦手なミックスグリルのグリーンピースを無理やり先生に食べさせられたことがあってからどうしても克服できず…)レシピからは抜いて作りました。あぁ、そら豆は無理やり食べさせられなくて良かった。
写真のものは火を入れすぎてしまってしまい、ややグズグズになってしまったのですが、これはこれで空豆のとろりとした甘さが感じられて美味しかったです。火加減を覚えるまで少し練習が入りましたが、ちょっと失敗したかもと思っても自ら良い塩梅にまとまってくれる良いレシピ。疲れて帰ってきて自分が作ったご飯が美味しくないと悲しくなるので、こういったレシピを知っていると少し気がラクになる気がします。
冷水希三子さんといえば京都御所西にある四季十楽という、一棟貸しの長屋の料理を担当されていた方。母が彼女のファンなことや、私の暮らしぶりもようやく安定してきたこともあって、今年の初夏はここへ母娘で旅行に行こうと考えていたのですが、なんとこの度六月三十日をもって閉業されたとのこと。いつかの楽しみにしていたので、この知らせにはおおいに落ち込みました。公式Instagramには「いつの日かまたどこかで皆様とお会いできる日を」と残されていたので、そのいつの日かを心待ちにして。

ウー・ウェンさんのたけのことそら豆の炒め物

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高橋書店から刊行されている「ウー・ウェンさんちの定番献立」から。写真はそら豆をいんげんで代用して、冷蔵庫にあったゆで卵を彩りとして加えたもの。
毎年たけのこが出回ると、だいたい灰汁抜きをしてご飯と一緒に炊き込むか、若竹煮や土佐煮にするか。美味しいけれどどこかマンネリ気味だし、できればもっと違う形でたけのこの美味しさを味わいたい。そんなことを考えていた時に出会ったレシピです。初めて作ってその美味しさに驚いて以来、家庭で作るたけのこ料理はこれが一番だと思っています。コツはたけのこをじっくりじりじり焼くだけ。これだけでたけのこの香気がグッと引き立ち、いつも以上に旨味が感じられて誇張抜きでお箸が止まらなくなります。以前、高山なおみさんの「れんこんのじりじり焼き」を作った時に、焼き目がつくまでじっくり焼いた根物はそれだけでうまいということを知ったのですが、このレシピもそれと相通じるところがあるような気がします。
ウー・ウェンさんのレシピ本は季節の食材を取り扱っていることが多く、家庭料理がマンネリ化しにくいところや、調理の工数が少ないので失敗しにくいところ、簡単なのに美味しくてまた次も作ってみようという気持ちになれるところなど、どれをとっても頼もしい限り。手元に一冊あるだけでお守りになってくれるような、日々を共に乗り切ってくれるような、家庭料理における相棒のような本です。そういえば、自粛要請期間中に料理をする頻度が増え「もう限界だ〜」という時に助けられたのも、彼女のレシピでした。私が愛用しているのは次の二冊。どちらもとってもおすすめです。

honto.jp

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ほたるいかなめろう

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 今年はほたるいかが軒並み安く、たぶん人生で一番ほたるいかを調理したと思います。初めは普段はスーパーに並ばないような富山産のふくふくとしたほたるいかが出回っていることを新鮮な気持ちで珍しく思っていましたが、次第になんとも言えない気持ちに。自分の食卓が卸売や漁業従事者、外食産業に関わる人々と地続きであることをいつも以上に歪な形で感じたのは東日本大震災以来。
あの時は風評被害で福島産の農産物は取引価格が大幅に下落し、廃棄処分になった作物、閉業に追い込まれた農家が多かったことを今でも覚えています。福島県の農作物の価格は現在でも理論価格と実際価格には乖離があり、回復傾向にはあるものの震災以前の価格には戻っていません。観光地では破産申請を申し立てた旅館も多く、緩やかに経済規模が縮小していた地域ではその動きがより加速化しました。
同じことがもうこれ以上繰り返されることがないよう、また起こっても格差を最小限に留め、十分に人々が収入を得て暮らして行けるようになって欲しい。そのためにできることを今からでも行動に移していこうと思っています。


 

美味しい暮らし #3月編

すっかり外食の記録を更新しないまま5月も半ばを過ぎようとしています。書こうと思ってパソコンを開いても、頭の中の文章にたどり着く前に色々な考え事が頭を過ぎり、なんとなく書けないという日々が続いていました。こうして何かを先延ばしにしていると、昔大学生の頃に先輩が「今解決できない悩みは先延ばしにするのも一つの手だよ」と言っていたことを思い出します。何事も考え過ぎる私にとっては目から鱗が落ちる言葉で、特にこの状況ではこの考え方に救われることがいくつもありました。
生活の楽しみにしていた外食。いざそれができない状態に置かれてみると、私にとって外食とは親しい人と交流し、食事を通じて異なる文化や思想に触れ、分け合い、共有する時間でもあったのだなと思います。制限のある環境になって恋しくなったのはタイ料理や中華、イスラエル料理やインド料理などといった様々な国の料理と、美味しいねと言い合える友人たちとの会話でした。
新宿のバンタイでぬるい空調の中、ナンプラーレモングラスの香りにまみれながらシンハーを飲みたい。蒲田の金春で喧騒の中、水餃子を無心で食べたい。少し肌寒い日は曙橋の慶美でスジェビをはふはふと食べ、ぽかぽかになっていい気持ちで夜風に当たりたい。江古田のシャマイムでフムスとファラフェルにピクルスを頼んで、うまいうまいと頬張りたい。銀座のアーンドラでミールスビリヤニをお腹いっぱい食べたい。そして食べながら最近読んで面白かった本や映画や美術の話、政治やジェンダーの話、お互いを取り巻く近況などを親しい人たちと話したい。そしてその傍にいつもいる、過剰なくらい愛想がいい店員さんや、適当にあしらう店員さんたちが今はただただ懐かしい。彼らがここで無事に生きていけることを今は願うばかりです。

KANDY  スリランカカレーランチプレート

3月1日は日本橋のTOHOシネマズへ「1917」と「ジョジョラビット」を観に行きました。1917を見終わったあと、次の上映まで時間があったので近くにあったスリランカカレーのお店へ。

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選んだのはランチ限定のスリランカプレート。チキンと鯖とベジカレーの3種類と、ココナツサンボルやチャツネなど、副菜3種類にパパドにインディカ米という構成です。スリランカカレーは蒲田にあるアユールヴェーダ・カフェディディアンと水戸のコジコジで食した経験しかないのですが、Kandyのスリランカカレーはスパイスの使われ方がとてもマイルドな印象でした。3種類のカレーのうち、特に鯖カレーの出汁感が気になっていて調べたところ、スリランカにはモルジブフィッシュという鰹節のようなフレークで出汁を引く文化があるということがわかりました。ココナツサンボルと合わせると、甘さと香ばしさの上に魚の旨味が感じられてこちらもとても美味しい。南インドもカレーとはまた違った滋味深さ。あっと言う間にぺろりと食べてしまいました。
南インドミールススリランカカレーもそれぞれ単体で十分個性がある味なのに、全部混ぜてしまえばどの味わいも喧嘩せず、さらりと調和するのも好きなところです。合わないと思っていたものが自分の思い込みだったということ、味の濃淡が予想以上に楽しいこと。カレーを食べている間はどんな思想や信条からも自由になれるような気がするので、こんなにも好きなのかもしれません。

tabelog.com

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ちなみに今気になっているスリランカカレーのお店はこの2軒。外出が可能になったら自由に外食ができる喜びとともに、スリランカの味を噛み締めたいです。

汁なし担々麺 キング軒 銀座出張所

休日のお昼、夫がどうしてもどうしても汁なし担々麺の気分だと言うので、銀座にある広島ブランドショップTAU内にある汁なし担々麺専門店へ。ここの汁なし担々麺は広島式と呼ばれていて、通常の汁なし担々麺とは異なり、トッピングに青ネギが使われていることや、細麺で食べる前にかき混ぜることなどがポイントなんだそう。メニューから辛さが選べるので私はちょっと辛いくらいの3辛で、ネギを多めにトッピングしてくださいとお願いしました。

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もはやネギしか見えなくて笑ってしまう。流石にやりすぎじゃないかなと思ったのですが、そんなことはなく、こってりした醤油ベースの混ぜだれがよくネギに絡んで美味しい!麺はモチモチとした細麺で、混ぜだれのよく絡んだネギと一緒にすすると口の中にいろんな味が広がります。卓上調味料が充実していて、追い唐辛子や山椒をかけて味の調整ができるのも良い。痺れと辛さが交互に来るのも楽しくて、夢中で食べてしまいました。確か食べる前に20〜30回くらい混ぜる必要があり、最初は面倒だなと思っていたのですが、実際にやってみると「あと何回…」と数えながらひたすら無心で混ぜることで、やっとありつける時の喜びもひとしおになり、美味しさが格段に増すような気がしました。他にも友人から神保町にあるくにまつという広島式汁なし担々麺のお店が美味しいと聞いたので、近くに立ち寄る機会があれば行ってみたいです。

 もみじ饅頭色々

銀座にある広島ブランドショップTAUにはもみじ饅頭がバラ売りのコーナーがあって、いつも立ち寄る度に真剣に悩んでしまいます。

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今回はこの3つ。もみじ饅頭以外にもレモンケーキと大好きな桐葉菓を購入しました。この中で特にお気に入りなのがにしき堂のチーズクリームもみじ。カスタードクリームのような味わいと生地のふかふか感がとても好き。凍らせるとアイスクリームのような味になるそうなのですが、それまで我慢できた試しがありません。いつか大量に買ってやってみてもいいかもしれない。
もみじ饅頭との出会いは、まだ当時恋人だった夫と旅行で行った宮島がきっかけでした。厳島神社へ向かう参道の途中、あちらこちらに「もみまん」と書かれた看板や「揚げもみじ」という暖簾を見つけてはフラフラとお店の前に吸い寄せられ、その度に夫に笑われたいい想い出です。私が好き勝手にしていても、いつも夫は楽しそうにしてくれるのでありがたい。私が「広島には美味しいものしかないんだね」と言ったことを、今でも夫がお気に入りのエピソードとして話してくれることも含めて良い旅のお土産になっています。

キハチ トライフルロール

頂き物のキハチのトライフルロール。何年振りかというくらい、久しぶりに食べました。

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キハチといえば、友人に連れられて銀座の本店にお茶をしに行ったことがあり、以来そのことをお菓子と一緒に思い出します。「東京にはこんなにお洒落で美味しいものを食べられるところがあるんだ!」と驚いた懐かしい想い出です。以前お店があった場所を通りかかった時に影も形も残っておらず「私の勝手な妄想だったのかな」と肩を落としたことがあったのですが、今回ブログを書くにあたって調べたところ、すでに閉店しているとのことでした。あの頃友人と過ごした想い出の場所がなくなり少し寂しい気持ちになりましたが、とはいえお菓子があればその時のことを思い出せるのも事実です。久しぶりにキハチのケーキを味わいながら、少し背伸びをして振舞っていた私たちを想い出し、懐かしい気持ちになりました。
ところで、この写真を撮った時に我が家にはケーキをのせるデザート皿がないことに気がつきました。今年こそこれだ!と思うようなデザート皿に巡り会いたい。今気になっているのはバーレイのブルーアジアティックフェザンツスージークーパーのトリオです。なかなか商品に巡り会える機会がないのですが、こういうものは出会えるときに必ず出会えると信じているので今はじっと待っています。いつか手元に舞い込んできたら、嬉しくて抱いたまま眠ってしまうかもしれません。

ペストリーブティック ウェスティンデリ ホテルメイドクッキーアソート

今年のホワイトデーのお菓子は、恵比寿にあるホテルウェスティンのクッキーアソートでした。嬉しくて嬉しくて、たくさん写真を撮りました。

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紙袋から取り出すと、誰かが誰かのために手作りしたような、素朴で手にとって安心感のある見た目の缶がコロンと出てきます。シンプルな缶に麻の紐でラッピングが施され、封筒が小さなピンチで留められていて可愛い。

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封筒を開けてみると、クッキーアソートのメニューを説明する紙が入っていました。手書きのイラストや文字でひとつひとつクッキーの内容について書かれていて、なんだか親しみを感じます。

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缶を開けた瞬間、そのあまりに可愛らしい佇まいと、バターと卵の良い香りに思わず微笑んでしまいました。クッキーはホテル内で焼き上げられ、手作業で詰められているらしいのですが、どのクッキーもひとつも欠けたり割れたりせずに丁寧に並べられていて、製菓部門の技術力の高さを感じました。調べたところ、リュックに入れて持ち帰るなどの耐久実験もしていたそうです。

f:id:lesliens225:20200516225429j:plain細心の注意を払って缶から恐る恐るクッキーを取り出し、お気に入りの豆皿に並べました。たまらなく可愛い。手にとってから開封までのプロセスがきちんと演出されていることもあって、こうして並べてみるとまるで誰かに焼いてもらったお菓子のようです。
どのクッキーも素朴な見た目なのですが、見た目に反してきっちり美味しさの的を射抜いてくる印象です。例えば猫型のクッキーは少し塩気が効いていて、口に含んだ時の甘さの際立ち方が良い。バニラクッキーは口どけがよく、バニラの香りと共にすっきり溶けていってくどさが残らない。どのクッキーも王道でありながら個性があって、あれもこれもと食べている間にあっと言う間に全ての種類を一巡してしまう美味しさです。ちなみに、エグゼクティブペストリーシェフの鈴木一夫さんについて調べたところ、興味深いインタビュー記事を見つけました。

chefgohan.gnavi.co.jp

特にこのインタビューの後編で語られている、お菓子づくりのバックヤードに関するお話がとても印象的でした。ウェスティンデリは特にシュークリームがイチオシとのことなので、落ち着いたらテイクアウトに伺いたいです。どうかそれまで、素敵なお菓子を作り続けて欲しいと願っています。

バイロンベイコーヒー アイスコーヒー

週末、お出かけがてら近くにあったコーヒースタンドでアイスコーヒーをテイクアウト(夫はカフェラテでした)。

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暑い夏日に飲むアイスコーヒーは美味しい。ツルツルしたプラスチックの容器の表面に次第に溜まっていく水滴の美しさ、日差しを受けてキラキラと輝く氷。バイロンベイコーヒーのアイスコーヒーは注文してから豆を挽いてくれるので、しっかりした味のコーヒーが飲みたい気分の時はこっちがいいなぁと思います。酸味は控えめでボディが重く苦味がクリアに伝わる好みの味。他にも焼き菓子やサンドイッチなどのフードメニューも充実していたり、店内は長居しやすい空間づくりがされていたりと良い印象を受けました。浜松町駅周辺のカフェの中では一番好きかもしれない。今度行くときはフラットホワイトを飲んでみたいです。

アトリエうかい カップケーキ 

しばらく残業が続いて私と一緒にいる時間が少なくなるから、と夫がお花と一緒に買ってきてくれたカップケーキ。この他にプリンもあって「こんなに食べられないよ〜」と言った舌の根も乾かないうちに、気がつけば冷蔵庫にあったお菓子は忽然と姿を消していました。おかしいな…。

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かろうじて写真が残っていたシトラスとチョコのカップケーキ。カカオニブのザクザクした食感が美味しい。写真は残っていないのですが、何よりプリンが美味しかった。バニラビーンズが芳香でカスタードの味がはっきりしている、滑らかな舌触りのとても理想的なプリンでした。写真が残っていないものって大概美味しい気がします。
このブログを書いていて、そういえば去年のホワイトデーはここのクッキーだったなということを思い出し、もうあれから1年の月日が経っていたことに驚きました。彼と共に暮らすようになってから時間が経つのがとても早くなったように感じます。ひとりの人から様々な影響を受け、自分が変わっていく驚きと喜び。時々お小言を言ってしまうこともありますが、彼と共に生活することは本当に楽しく、こうして過ごしていると不安なことも恐ろしいことも、今後私たちの人生には一切起こりようがないと思えるから不思議です。
もしかするとこれは私の勝手で独りよがりな妄想に過ぎないのかもしれません。これからお互いの気持ちが変わることだってあるのかもしれない。それでも共にいると決めた以上は、ハンドリングできることもできないことも含め、面白がって労わりあって生きていけたらと思います。どんな関係であれ関係性は変わっていくものだけれど、それがどの方向へ変わっていくのかは誰にもわからないのだし、今は先がわからない不安に怯えるよりも、共に居られることを素直な気持ちで喜びたい。何よりも出会ってから今日まで、いつも彼が誠実さを行動で示してくれているのであれば、それが全てだと思います。
ひとまず今考えなくていいことは先延ばしにして、夫というのも可笑しいような、愛しい人と言うには照れくさいような、何の役割にも関係性にも囚われることのない、私の大切な人との日々を楽しんでいきたい。そして彼も私と同じとは言わなくとも、似たような気持ちを感じてくれていたらと願っています。彼のように優しくて誠実であろうと日々を重ねていきたい。相手を大切に想う気持ちを惜しみなく伝えていきたい。そして、来年のホワイトデーも「楽しい1年をありがとう」と笑顔で言えたらと思うのです。

 

 

ここ最近買ったものの話

東京都の自粛要請が始まってから家の中にいる時間が増えたことで、少しでも家の中で過ごす時間を楽しみ、心地よくしたいという思いからいくつか買い物をしました。

uka  

・カラーベースコート2/0  

・シャンプーWake up!

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自粛期間に入ってからいつも目に入るものといえば、モニターとキーボードを叩く自分の手元だけ。普段ネイルはせず、短く切りそろえてヤスリで軽く整えるのが常でしたが、この自粛期間に入ってなんとなく自分をケアしたいなという気持ちが強くなり、手始めにずっと気になっていたukaのカラーベースコートとシャンプーを購入しました。

もともとネイルをするとすぐ爪が薄くなってしまう体質なのですが、ukaのネイルベースコートは今のところ爪が薄くなって割れたり、ボロボロ剥けてくることもなく、安心して使うことができています。

ひと塗りでちょうど良いツヤ感、ふた塗りで自分が気づくくらいの血色感、三度塗りできちんと色がつく、マルチプルな優秀さ。こんなに小さいのになんてえらいのだろう。それにミニマルなパッケージも可愛い。たまに仕舞うのを忘れて出しっぱなしにしていても、それとなくインテリアと馴染んで「何か?」という風情で佇んでいて笑ってしまいます。

何より速乾性があるところがとても良いです。あのネイルを塗った後の、身動き一つすら許されないような窮屈さを感じずにいられるなんて素晴らしい。ちょっと何かに触れたくらいでせっかく塗ったネイルがヨレてしまいため息をつくことも、また1から塗らないといけない憂鬱さとも無縁で感動しました。

私はもともと髪質が猫っ毛でボリュームが出にくいので、シャンプーは髪の毛にハリコシとボリュームを与えてくれるタイプのものを選びました。期待通り髪の毛が根元からふんわりとする仕上がりで満足しています。ただ、その分少し毛先の広がりも出やすいようなので、たまに部分的にヘアオイルなどを使って落ち着かせています。

このシャンプー、泡立ちや洗い上がりの爽快感は元より特に香りが凄まじく良い。モッシャモッシャと髪を洗うと、弾けるようなオレンジとレモンの香り、意識を遠くへ誘うようなラベンダーとローズマリーのハーバルな香りが周囲に立ち込めて、髪を洗っている間中何度も深呼吸をしてしまいます。普段何気なく過ごしているバスタイムがリフレッシュタイムに変わる気持ちよさ。良い香りに包まれながら指の腹で丹念に頭皮のマッサージをしていると、硬くなった頭皮と一緒に心までほぐれてくるようです。しっかり泡だてた後、2分放置するだけで泡パックができるのも、非日常的なケアという感じで楽しい。

ukaの製品を使うのはヘッドマッサージ用に買ったケンザン以来だったのですが、他社の製品と比べるとパッケージデザインやコンセプトがジェンダーレスな製品が多く、日常におけるセルフケアとして無理なく継続でき、体験も良いというプロダクトばかりなので信頼できるな〜!と感じます。

いつかukaのヘッドスパにも行ってみたいものです。 


FANCL ディープクリア洗顔パウダー

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テレワーク中にファンデーションを塗らなくなったことで、ほとんどクレンジングをしなくなり、そのせいか少しずつ角栓が詰まりやすくなってきたような気がしてお試しで導入した洗顔パウダー。

特に期待せず気休め程度に使ったのですが、肌がピリッとしないのにきちんと角栓の詰まりに働きかけて、洗顔後の毛穴がキュッと締まりツルッとした肌になる!

酵素洗顔を使うと大抵つっぱり感と乾燥に悩まされるのですが、そうしたこともなくストレスフリーな使用感で満足でした。泡も洗顔パウダーによくあるシャバシャバとした水っぽい泡ではなくきちんと濃密な泡ができるので、肌に摩擦をかけることなく洗顔できるのが嬉しいです。

公式では毎日使用可と書いてあるのですが、私が普段ピーリング剤を使っていることや、配合されているプロテアーゼのタンパク汚れに対する洗浄力の強さを考えると、そんなにしょっちゅう使わなくてもいいかな?と思ったので、毛穴のつまりが気になった時にだけ導入しています。

私は混合肌なので特にトラブルはありませんでしたが、念のため敏感肌の人などは一度首元やデコルテなどで部分的に使用して、荒れないか様子を見てから全顔での使用をお勧めします。

 

川俣サテンシルクのピローケース

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以前からなんとなく気になっていたシルクの枕カバー。

知人がシルクのヘアキャップを使ってから髪の毛のダメージが気にならなくなったと言っていたのですが、なんとなくあれを被るのは気恥ずかしさがあり、シルクの枕カバーならと思い購入しました。

ペナペナした薄い生地で安っぽい光沢のものだったらショックだなと思っていたのですが、実際届いたものを手に取ると、作りがしっかりしていてシルク特有のなめらかな光沢感や重さもあり、期待以上のもの。

実際に使用して3週間経ちましたが、まず朝の寝癖が格段に落ち着きました。ガーゼ生地の枕カバーを使っていた時は時々爆発していたのですが、シルクの枕カバーに変えてからは朝起きてもストンと落ち着いていて、毛先の乾燥や絡まりも起きていません。あの爆発はもう見れないのかと思うと一抹のさみしさもありますが…。

加えて肌荒れが格段に落ち着きました。これまで使用してきた枕カバーは物によっては頰ずりした時に摩擦を感じることがあったのですが、シルクの枕カバーはとろけるような肌触りで、頰を預けられる安心感があります。

今の所、洗濯しても毛玉が生じたり生地のへたりが生じたりすることもありません。値段は高いけどその分満足度も高く、総じてとても良い買い物でした。

 

ホルムガード  オールドイングリッシュフラワーボウル

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 ずっと欲しいと思っていたものの、値段に怯んでなかなか手を出せずにいたホルムガード のフラワーボウル。自粛生活が始まってからお花を買う頻度が増えたことに伴ってなんとなくお花を生けたくなり、1年以上購入するかどうか悩んでいるのだから…と意を決して購入しました。

購入したのは19cmのタイプ。

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この写真だとわかりにくいのですが、光が当たった時の影の落ち方が美しい。

普段は水を張り、大村卓さんのFloating Vase を使用して小さい花を水面に浮かべたり、水盆がわりにして剣山を使い花を生けたりと楽しんでいます。花瓶にお花を生けるのとはまた違った雰囲気が出て良いです。 

こうした使い方の他にも小物入れとして活用したり、そのまま花瓶がわりにお花を投げ入れにしても良さそうで、これから暮らしやインテリアの好みがシームレスに変わっても、長く楽しめそうなところも良いなと感じました。

 

植物栽培用ライト LUCHE 

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以前卓上に置けるくらいの小さな鉢植えをいくつか購入したのですが、我が家は場所によっては陽の光が届きにくいので、植物にとってあまり良い環境では無いことが気がかりでした。

一応定期的に鉢ごとベランダに出しては室内に戻すことは行っていたものの、忙しさにかまけてたまに忘れてしまうこともあったり。これならいっそ、きちんと管理できる仕組みを作った方が良いなと思い、今回植物栽培用のLEDライトを購入しました。

植物栽培用のLEDライトというと、映画「未知との遭遇」に出てくるUFOのようなエレクトリックな照明のイメージが強くインテリアになじまないことを懸念していたのですが、この照明はインテリアの邪魔にならならず高さも細かく調整でき、植物への配慮が最大限できるところがとても気に入っています。

太陽光に近い色温度で植物の育成にもちょうどよく、今のところ心配していた植物の葉焼けも起きていません。植物の葉っぱが光に向かって健やかに伸びている姿を見ると、導入して良かったなと嬉しい気持ちになります。

詳細については、購入にあたって参考にしたこちらのブログが詳しいので、ご興味のある方はぜひ。

moja3.com

背丈の高い観葉植物には光の当たる範囲が小さいので向いていないと思いますが、多肉や小さい苗くらいであればこれ一つで十分では無いかと思います。ちなみに背丈の高い観葉植物用には、IKEAのクリップ式のウォールライトにLEDの電球をつけて対応しています。

我が家ではこれに併せて室内の植物を水やりタイマーで管理するようにしてからは、鉢をベランダに出し忘れてがっかりすることや、水やりを忘れていたことに気が付いて慌てるということも無くなりました。

ちなみにインテリアに差し支えがなさそうなウォーターキーパーは無いのか色々探してみたところ、こんなものもありました。

item.rakuten.co.jp

これなら鉢の上にちょこんと置いても邪魔にならず良さそうです。いつかまた鉢が増えたら買ってみても良いかもしれない。

住み心地の良い住まいと植物フレンドリーな環境の両立はなかなか難しいところですが、引き続き試行錯誤試してお互い心地よく過ごせる環境にできればと思います。

 

オリーブの苗木

f:id:lesliens225:20200509131438j:plain 自粛生活が始まった頃に真っ先に購入したのがこのオリーブの苗でした。まだその頃は近所の花屋さんが営業していて、きっと卒業式や入学式といった祝い事もなくなり売り上げも減っているだろうから買い支えたいという気持ちと、ずっと欲しかったオリーブの苗木がちょうど入荷していたからという理由で購入したことを覚えています。
ここの花屋さんのおばさんはとても気持ちの良い方で、ご近所さんがお店の前を通ると「あら出かけんの?いってらっしゃーい」「おかえんなさーい」と声をかけている姿をよく見かけ、その度に関係のない私までほっとするような気持ちになっていました。

「鉢植えは初めて?」と聞かれたので「いえ、2つ育てています」と答えると「そう、じゃあうまく育てられるわね」と言われ、「あのね、鉢うけはこれいらないからね。お水をたくさん注いで、そのまま水が下から出てくるじゃない?鉢うけがあるとうまく水が逃げなくて根腐りしやすくなっちゃうのよ。この子はお水が好きだからたっぷりあげてね。土の表面が乾いてきたらまたお水をあげたらいいわ」と立て板に水のごとくつらつらと説明しながら鉢を持ち運びやすい形に包み、気がつけば「じゃあお会計ね!」と言い渡されていて、あっというまの展開に笑ってしまいました。

それ以来、彼女の言いつけをしっかり守って育てているからか、オリーブは次々と新芽を出してはすくすくと成長しています。若葉色の柔らかい新芽が風にそよいでいる姿を見ると、胸の柔らかいところがくすぐったくなるようです。

4月になってから花屋さんは営業時間を短縮し始め、とうとう4月の末には一時閉店という形をとって、あのおばさんの「いってらっしゃーい」も「おかえんなさーい」も聞けなくなってしまいました。
いつかまたあの声が聞こえることを祈りつつ、オリーブの苗に今日もせっせと水やりをしています。

 

六花亭 花柄クッションカバー 

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 義母の誕生日祝いに好物だというマルセイバターサンドを購入しようとした時に目にとまり、思わず買ってしまった六花亭のクッションカバー。以前、インテリアに柄ものは置かない!という誓いを立てたにも関わらず、秒速で破ってしまうくらいの可愛らしさ。きっとこうして心がときめくものを集めた結果、祖父母の家のように統一感はなくとも味のある部屋になっていくのでしょう。それはそれで悪くありません。

我が家ではソファベッドの上に他のクッションに紛れて置いてあり、欲目かもしれませんが意外と違和感なく自然と馴染んでいるように見えます。

昔好きだった絵本の一つに『私のワンピース』という本があるのですが、なんとなくそこに出てくるお花畑のワンピースのようで不思議な懐かしさがあります。大きさもちょうど良いので、読書中に頭を乗せたり抱えて手元の支えにしたりと、ダラダラしたい時のお供として活躍中です。

買い物振り返り

ここ1ヶ月で買ったものを振り返ると、これまで趣味の旅行・アウトドアにかけていた費用が家の中での暮らしを充実させるものに移行していたことがわかりました。

ukaのところでも少し触れたのですが、自粛期間に入ってからスキンケアやヘアケアなどといった自分をケアするプロダクトに以前より興味を持つようになった反面、メイクへの興味は薄れました。自粛期間に入る前のメイクは自分の肌や顔の気になる部分をカバーする意味合いが強かったのですが、今はいかに室内で快適に過ごせるか、清潔感がある印象に仕上がっているかといった部分が気になるようになりました。そういう意味では香水だけは変わらず生活に必要だと感じています。

そういえば本も買いました。鷲谷花さんが執筆された論考が読みたくて買った『ユリイカ』や、なんとなく長そうだからという理由で読むのを後回しにしてきたレイモンド・チャンドラーの『ロング・グッドバイ』最近よく散歩をするからという理由で選んだ多和田葉子の『百年の散歩』と『言葉と歩く日記』に、以前友人の家に遊びに行った時に読みかけのままにしていたカズオ・イシグロの『遠い山なみの光料理本批評という言葉に興味を持って購入した三浦哲哉の『食べたくなる本』など。4月半ばはなんとなく気分が乗らず本が読めずにいたのですが、今はだいぶ読めるようになってきています。

買い物の動機は「家の時間を充実させたい」が一番だったと思いますが、同時に「消費者として経済に貢献したい」という、言いかえれば罪悪感なく浪費したいという欲求があり、この短期間で自分の浪費に「不要不急か必要火球か」という意味付けを無意識のうちにするようになっていたことが一番の驚きでした。 

約二ヶ月という期間で私にこの価値観が内在化されたように、個人の浪費に対する価値観は少しずつ変化しているのではないか。そしてこの自粛が要請されなくなった頃、私はどのような基準で買い物をしていくのだろうと最近はよく考えるのです。

 


 

自粛期間中に料理が嫌になりかけた話

 

タイトルのままのことです。

東京都が自粛を要請した3月26日を皮切りに、巷では「おうち時間を楽しむ」と称したお菓子作りのレシピや、プロの考案した家庭で再現できるご馳走のレシピなどが次から次へと現れています。

ありがたいと思う一方で、1ヶ月近い自粛期間を経験して、別に楽しむことは強制ではないのだ、たとえ楽しめなくとも淡々と生活すればそれだけで良いのだ、と思うようになりました。

当初私は、外出ができない時間を自炊を充実させることに充てようと思い、スーパーで買った鮮魚を辻調理師専門学校の公開しているレシピで鯛めしにしたり、料理通信で見た好きなお店のレシピや、Instagramで無料公開されているレシピを家で再現してばかりいました。初めはプロのレシピを家庭でも真似することで、家でも外食に近い味が楽しめることができ、外食をしたい!という欲求が解消されることに満足感を得ていました。プロのレシピを一通り追うことで調理の合理性や、鮮魚の保存方法、肉の火入れの加減や、素材と調味料の組み立て方を素人ながら理解できるのも新鮮な学びと驚きがあり、良い経験でした。

しかし1週間もすると、常に手元でレシピを確認しながら調理をしなければならないことや、作る量の加減、栄養素の把握や、1品あたりにかかる時間を体感で把握できないことで、他の料理の段取りや献立の構成を考える時間に影響が出始め、今まで好きだった料理そのものに強いストレスを感じるようになってしまいました。

また、慣れないテレワークと自粛生活で生活リズムも変わっていたこと、それらを考慮せず家事のタスクを詰め込みすぎていたことも影響しました。思い返してみると、4月になってからは家にいる時間を「有効活用しなくては」と思い込むあまり、炊事の他に掃除や洗濯を休みの合間という合間に組み込んでしまい、気がつけば私の休憩時間は殆どありませんでした。

こうして少しづつ蓄積されていった疲労は、ある時不眠という形で現れてきました。幸い一過性のものでしたが、自分の心に余裕がなくなっているのは火を見るよりも明らかでした。

これではいけない。私がなりたいのはプロの料理人やハウスキーパーではなく、自分にとってのプロの暮らし上手ではないか。

自粛期間中「意義のある自粛期間にしなければ」と思うあまり、ハレの料理ばかりを作ろうとしていたけれど、私が私のためにしたい自炊は、自分の疲労度に併せて料理を作り、栄養バランスがよく、食べて元気になるような料理を作ることではなかっただろうか。ハレの料理を作れることは格好いいし憧れるし素敵だなと思うけど、一生続けることなのであれば、もっと自分のよき理解者となれるよう日常食としてのケの料理も愛していきたい。掃除や洗濯だって、確かに毎日できていたら気持ちがいいかもしれないけれど、習慣化できない範囲のことは分割して、自分に無理のないペースでやっていくほうがずっといい。

そんなことに気がついてからは、自粛期間に入ってから特に狂いが生じていた料理の工程を見直し、これまでのルーティンに戻しました。

朝は固形物を食べると胃が重く仕事にならないので白湯で胃を温めてから、ヨーグルトに蜂蜜をかけたものを食べる。これだけだと栄養バランスが偏るので、足りない分はプロテインとビタミン剤で補う。

昼はあらかじめ土曜のうちに炊いて1食あたり80gで冷凍しておいた玄米を解凍し、その間に魚焼きグリルに切り身を入れて焼き魚にするか、スーパーで買ってきたサクを漬けにしておいたのものを乗せて海鮮丼にする。余力があればインスタント味噌汁に適当に葉野菜を入れて熱湯を注ぐ。これならそこそこ栄養バランスも良く、会議中に眠くなることもない。料理の時間もせいぜい10分かかるかかからないかくらいなので、食事の時間を合わせても過不足なく休む時間が確保できる。

夜は冷蔵庫の中にあるものを確認し、足りなければスーパーに買い出しに行く。予算と冷蔵庫の在庫管理、栄養バランスを考慮して献立を決め、料理をする。疲れている時や仕事が終わらない日はお惣菜や冷凍食品の力を借りる。自分ができないことに罪悪感を持たない。

加えて、メインになる肉や魚は買ってきたその日のうちに酒と塩胡椒で下ごしらえをしておいたり、昆布しめにしたり、酒粕と味噌を1:1で仕込んだ粕床につけておく。そうすることで翌日の料理がうんと楽になるし、何よりうっかり使うのを忘れてしまってもある程度日持ちしてくれる。

作るときは、我が家にはガスコンロが3口と魚焼きグリルが1口あるので、目が離せない焼き物や炒め物は1品だけ作り、あとは目を離しても、つまり煮過ぎても蒸し過ぎても味に影響の少ない調理工程を組み合わせて作る。

例えば卵とトマトの炒め物を作るときは、蒸し器に茄子とキノコも入れて同時並行で調理をしていく。炒め物ができたら茄子は練りゴマとにんにくと塩、キノコは黒酢と塩で和えれば30分足らずで3品できる。

と、ここまで濃密に自炊と向き合ってはたと気がついたのは、自分は台所に立つことが1日に45分が限界だということでした。薄々感づいてはいましたが、もともと体力がないので45分以上台所に立つと「もう家のことは何もしたくない!」という気持ちが加速してしまう。そりゃそうだ、台所仕事以外のこともしているのだから。

1日のうちに労働し、勉強も読書も掃除も洗濯も買い出しもして、台所に1時間以上立てるのは超人です。自分のキャパシティを動物を入れる檻に例えるならば、ライオンの檻に象を入れることはできないということに気がつきました。どれかにかかるリソースを調整しなくては檻が壊れてしまいます。

今日はもう1品作れると思っても、作らない。新しいレシピを試すのは週に2回までで、うち平日は1回までとする。新しいレシピを作るときは1品だけ作り、他の料理は作らない。毎回料理のあとはコンロと、水回りだけ綺麗にして眠りにつく。このルールを守ってから、料理をするのが楽しいと再び思えるようになってきました。

素敵なお菓子もプロのお料理もたまには良いかもしれないけれど、余力のない時、ましてや不安や怒りで心が乱れがちな今、かえって手を出すと自分を追い込みかねません。もともと象の檻を持っている人はできるかもしれないけど、他人の檻が自分に合っているとは限らない。それらは時間・予算・体力といった限られた制約の中でできることを考慮された家庭料理のレシピとは異なる別の楽しみ方がある物だということに気づき、考えなしに飛びついた自分を反省しました。

そして、これらをできない自分がいたとしても、それはできるできないに個体差があって当たり前のことなのだなと思うと同時に、改めて料理を生業とする人たちを尊敬し、外食に行けるようになったらまたその喜びを噛み締めよう、そのためには日々自炊をして体調を管理し、旬のものを味わいながらその日を待とうと思ったのでした。 

 

最近SNSでも「自粛期間で時間があるのに丁寧に暮らせない自分に落ち込む」と行った言葉を見かけます。確かに、Instagramをひらけば「おうち時間」のステッカーをつけたおびただしい量のストーリーが流れ、#ステイホームといったハッシュタグの利用回数は4月27日時点で16.1万回にも登り、誰も彼もが素敵な暮らしをしているように見えます。

けれど、そうした素敵な手作りお菓子の写真がアップロードされる暮らしには、シンクに溜まった洗い物や、台所に飛び散った生クリーム、オーブンについた焦げだって付き物なはず。そして、そうした部分を引き受けても作りたいという欲こそが暮らしの可笑しみと愛おしさのように思います。

それに、そうした暮らしがあるのなら、この自粛期間に文字通り何もしないという暮らしだって立派に暮らしていることになるのではないでしょうか。

何か特別に過ごすこともせず、「おうち時間を楽しむ」こともしなくたっていい、いつも通り淡々と暮らしたり、ひたすらダラダラしてもいい。怒りながら総理官邸の意見フォームに粛々と意見を述べてもいいし、不安で仕方ない気持ちを認めたら、いつも飲んでいる紅茶を淹れて自分を落ち着かせてみたり、近所のスーパーで買ったお菓子を添えて気持ちを慰めてみてもいい。今味わう感情という感情に折り合いをつけて、何か作ってみようかなという気持ちになったら、そこから始めてみればいい。人には人の、自分には自分の暮らしがあるだけです。

きっと暮らしというものは高級で上等なものでも特別なものでもなく、社会における自分の立場を見つめ、限られた制約の中で自分を適切にケアをしていくことなのだと思います。他人と比べてうまく暮らせない自分を卑下せずに、淡々と自分に合うオーダーメイドなライフスタイルを模索していく過程こそが、その醍醐味なのかもしれません。

そして、もしそれが実現できない時は「それは自分の努力が足りていないから」と思う前に、自分の立場が社会とどのように関わっているのか、一度考えてみる。暮らしとは社会と密接な関わりを持ち相互作用しあっているものなので、もし今の暮らしが辛いと感じるのであれば、もしかするとその原因は自分の外にもあるのかもしれません。

他人から見えて粗末な暮らしに見えたとしても、自分が自分のよき理解者としてそれを適切に選択できているならそれで良い。初めからうまく暮らせなくてもいい。ただしおかしいと思ったら声をあげてみる。暮らしの範囲を狭めず、自分を生涯の良いパートナーとして認め、共に生きていくために暮らすことを楽しんでいこう。そんなことを考えている今日この頃です。

美味しい暮らし #2月編

最近、阿古真理の「小林カツ代栗原はるみ 料理研究家とその時代」を読んだばかりなのですが、これがものすごく面白かった!「もっと早く読みたかった…」と思うような本に出会うのは久しぶりで、終始ページを捲る手が止まりませんでした。

明治から平成の料理研究家を取り上げながら、彼女たちが時代に求められた理由と家庭料理に与えてきたインパクト、さらにその思想まで知ることができる素晴らしい本。小さいころ小林カツ代監修の絵本で料理に興味を持ち、もっと作りたい、美味しいものが食べたいと彼女やケンタロウのレシピで育ってきた私には感慨深く、カツ代が家庭料理に持ち込んだ「思想」を知ってはちゃめちゃに痺れました。

栗原はるみがアイドルだという例えも非常に納得。日々料理する女たちにとって偶像に近い存在ですよね。辰巳芳子の「いのちのスープ」は一時期母親が凝りに凝って作っていたのですが、辰巳が現れた時代と母の台所を想像し、なぜ母がそうしていたのかを今更ながらわかることができ、少し胸がギュッとなりました。

レシピには必ずその料理研究家の思想があり、自分と相性の良い料理研究家を探す楽しみを発見することができるような本です。途中閑話休題的に挟まれる筆者の「やってみた」エピソードもエッセイとして楽しく読めます。老若男女問わず、美味しいご飯が好きだという人にはぜひ読んでほしい!新書なら880円でKindleなら660円です。

続けてちくま文庫版「昭和の洋食 平成のカフェ飯」も読んだのですが、あとがきに出てくる上野千鶴子の鋭い問題提起も含めて本当に素晴らしかった。村井理子さんとの対談も面白かったので、興味のある方はぜひ。

kangaeruhito.jp

 

開運堂 白鳥の湖

以前知人に教えてもらい、松本へ行く機会があれば、絶対に自分用のお土産として買ってこようと決めていました。

両手のひらに収まるくらいの箱に、薄紙に慎ましやかに包まれ、可愛らしいシールが貼られたクッキーがお行儀よく並べられている、その繊細な佇まいを見るとうっとりしてしまいます。

クッキー缶の絵柄も美しく、今にも飛び立ちそうな可愛らしい2羽の白鳥と、雄大アルプス山脈が柔らかいタッチで描かれており、眺めるたびに松本の想い出を確かなものにしてくれます。

ちなみに空き箱となった今は、ヘアゴムやイヤホンなど、細々したものを収納しています。普段クッキー缶は捨てるようにしているのですが、どうしてもこれだけは手元に置いておきたくて。昔祖母がクッキー缶を捨てられないと言っていた気持ちが、今になってわかるような気がします。

クッキーはポルボローネというスペインのアンダルシア地方でよく作られているお菓子と同じ製法らしく、一口かじるとシナモンの香ばしい香りが口いっぱいに広がり、噛むよりも早く舌の上でホロホロとほどけていきます。あまりにも儚く、そして夢のように美味しい。

個人的にオススメなのは、ココアやチャイなどの甘くて香りの強い飲み物と合わせること。予定がない冬の朝、台所で牛乳を沸かし、飲み物とクッキーを用意して、本を読みながら大切に大切にいただく時間が至福でした。

日持ちもしますし、かさばらないので、大切な人へのお土産にもぴったりだと思います。お店でゆっくり選びながら、あるいはオンラインショップで眺めながら「あの人が好きそうだな」と思う時間も良いものだと気づかせてくれるようなお菓子です。

この他にも真味糖、ピケニケカステラなど可愛らしく美味しそうなお菓子がたくさんあったので、また松本に行った折には必ず伺おうと思います。

 Peg

松本を観光してきた友人たちが口々に「絶対行ってきて!」とオススメしてくるので、ずっと気になっていた、ヴァンナチュールと自家製シャルキュトリ、そしてスペシャリティコーヒーを扱うワインバー。

松本駅から大通りを抜け、なまこ壁の建物が並ぶ通りを歩くと、その中に小さな看板と可愛らしい佇まいのお店が見えてきます。

私は元々タンニン系の渋みとえぐみが得意ではなく、煎茶やワインなどは進んで飲まないのですが、1年ほど前に友人に美味しいヴァンナチュールを教えてもらってから、ワインは少しずつ楽しめるようになってきました。年々食べられないものの方が増えてきている中で、まだ開拓できるものがあると知った時の喜びはひとしおです。

少し話は逸れますが、このヴァンナチュールを教えてくれた友人が、横浜に日本料理とヴァンナチュールのペアリングをやっているお店があると教えてくれたので、何かの折に伺えないかなと考えているところです。

tabelog.com

とはいえ、ワインの経験に乏しいので、ワインバーに行くといつも少し緊張してしまうのですが、Pegの店員さんは気さくで優しく、心からくつろいで楽しむことができました。

特に女性の店員さんの説明がわかりやすく丁寧で、なんとなくですが「西洋骨董洋菓子店」の橘を思い出すなどしました。ワインの経験値がなくても「これ飲んでみたいです」が言えること、その意思疎通ができることが嬉しかったです。こんな評価をするのはおこがましいですが、ぼんやりとしていた私の美味しい/よくわからない/美味しいと思えないを、様々なワインと言葉を通じて解像度を高められていくような体験で、本当に楽しい時間を過ごせました。

自家製シャルキュトリも、おつまみパンもどれもこれも素晴らしく、特にハーブが効いたソーセージはタイムとにんにくの香りが良すぎてクラクラしてしまいました。

お店のインテリアもいちいち素敵で、棚の上に置かれた真空管のアンプや一つ一つ個性のある椅子などが可愛かったです。

食後にスペシャリティコーヒーがいただけるのですが、確かコーヒーだけでカフェインレスも含めて6種類ほどあり、カフェラテやカフェモカなどを含めると10種類以上あったように思います。こんなに沢山の種類から選ばせてもらえるのが嬉しい。

注文と同時にコーヒー豆がミルでゴリゴリと轢かれていくのですが、ふんわり漂ってくるコーヒーの良い香りに程よく酔いが醒めていくようでした。ステンレスのカップから湯気に乗って香る香ばしい豆の香り。お酒を飲んだ後に「コーヒーが飲みたいな」と思うことがあり、そんな時はコンビニに寄って帰るのですが、こうしてカウンターでのんびりできるととても贅沢なことのように思えました。

この日は売り切れでいただけなかったのですが、自家製の生チョコが絶品と聞いたので次回はぜひコーヒーと合わせていただきたいです。まるで天国にあるお店で飲んでいるような、とても良い時間でした。

エリックサウス 八重洲

なんだかんだ結構な頻度で来ている気がするエリックサウス。最近ポイントカードが始まっていたので作ってきました。

この日はマトンカレーと菜食カレー。サフランライスはいらないですと伝えたら、その分バスマティライスを多めに盛ってくれました。

ミールスって本当にどれを混ぜてもダメな組み合わせがなくて、いつも食べるたびに「これってこれと合うんだ!」という驚きがあり、自分で創意工夫を凝らす楽しさがあって好きです。

今年はもっとミールスビリヤニも開拓してみたい。今気になっているお店はサンバレーホテルとアジアカレーハウスなのですが、いずれも生活圏から遠いのが悩みどころ。何か用事ができるのを待つか、いっそ食べるのを目的で行くか…

tabelog.com

tabelog.com

ところで、スパイスカレーを食べることにハマってからは自宅でも時々作っているのですが、基本の4つのスパイス(クミン・コリアンダー・チリペッパー・ターメリック)があれば、簡単にできるというこのレシピには本当にお世話になりました。

www.hotpepper.jp

 市販のルゥを使ったレシピは工数が多く、時間と手間がかかり、また小麦粉と油がベースなので胃もたれしやすくカロリーも高いので、家事のタスクと食事管理の調整、自分の体調を考えないといけないのがネックだったのですが、このレシピだと所要時間が30分くらいで済みますし、油の量も調整すればヘルシーにできるのがとても良いです。おかげで「今日のご飯はカレーにしようかな」というハードルがぐっと低くなりました。

食事管理をしているのでカレーは食べられないという人や、家でカレーを作るのが億劫な人にこそぜひ試してほしいスパイスカレー。最近エリック・サウスのイナダシュンスケさんが出版した「南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー!」という本もとても良かったので、こちらも良かったら。

 

恵比寿 きたぽん酒

以前ブルータスに載ってた紹介記事を見てから気になっていたお店。日本酒が好きな友人が仕事終わりに飲もうと声をかけてくれたので、女二人で行ってきました。 

コースでお願いしたのですが、まず初めに自分の好きなお猪口を2つ選ばせてもらえるのが既に楽しい。うつわ謙心さんから揃えたものが多いらしいので、気になったらそこで購入するのも良いですね。

www.utsuwa-kenshin.com

 コースは前菜4種盛り合わせ、魚料理2皿、自家製生ハム煮りんご添え、苺の白和えでどれも日本酒によく合い、お腹いっぱいになりました。うつわも美しく、飽きずに過ごすことができます。

よく食べる人には少し物足りないかもしれないので、2軒目で使うかアラカルトでご飯ものを頼むのが良いのではないでしょうか。

特に写真の生ハムと熱燗の組み合わせが美味しかった。ふわふわの生ハムを食べた後に熱燗を口に含むと、油分が溶け出してふわっと香った後、ゆっくり消えていきます。こんな楽しみ方ができるのかと目から鱗でした。

周りのお客さんも静かに飲まれる方が多く、ゆっくり料理とお酒を楽しむことができました。

これなら日本酒を飲み始めたばかりの女の子にもオススメしやすいように思います。

 サービスエリアで買ったあれこれ

写真はないのですが、八ヶ岳パーキングエリアで買ったレアチーズタルトと、パン屋さんで淹れてもらったコーヒーがとびきり美味しかったです。

こぢんまりした可愛いパーキングエリアなのですが、産直野菜や燻製されたベーコンなどが並んでいて、いつも立ち寄ってしまいます。ここで売っているソフトクリームも勿論美味しい。

パン屋さんのコーヒーはなんとネルドリップで、時間をかけてゆっくりと抽出してくれます。売店でレアチーズケーキとパン屋さんでコーヒーを買い、ベンチに腰掛けて周りの美しい山々を眺めながらぼんやりする時間が、至福のひとときでした。

 

私の好きな韓国映画とパラサイト所感

友人とTOHOシネマズ日本橋でパラサイト(原題:기생충)を観た。

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ポン・ジュノ監督の作品を観るのは「吠える犬は噛まない」以来だったので、およそ20年ぶりになる。

鑑賞前にこれまでの彼の作品も併せて振り返ろうと思い、パラサイト以前の作品も見た。作品を重ねるにつれて、カメラワークや演出手法、観客のカタルシスの作り方などが洗練されていき、彼の映画に対する「好き」を超えた執着心というべき制作への想いや、それを後押しできるだけの土壌とここまで文化を育てる力量がある韓国の映画業界をあっぱれだな、と思った。彼の作品が国内外で適切に評価され、それが社会に影響を与えるのであれば、それはとても喜ばしいことだと思う。ちなみに今回も犬が出てきたので、またマンションから犬が放り投げられるのではないかと終始ハラハラしていたけれど、そんなことはなかったのでホッとした。

 

ところで、観終わって映画館を出て「良かった…」という友人に「パラサイトを良かったと思うならきっと他の韓国映画もハマれるものがあると思うよ」と言ったものの、じゃあ具体的にどれがオススメなのか伝えていなかったので、自分なりにまとめてみようと思う。

ちなみに一緒に映画をみた友人はグロい描写がダメなので、パラサイトに似た系譜のオールドボーイ親切なクムジャさん、哀しき獣、荊棘の秘密、息もできないなどの暴力的な表現があり、フィルムノワールに分類されるような作品はなるべくオススメからは外した。

 血で血を洗うような描写は苦手だけど、もっと韓国映画を観てみたいという人には次の作品を勧めたい。友人は小津が好きなので、少しだけ彼女の好みも意識している。

 

 

1.オアシス 

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監督・脚本:イ・チャンドン

製作:ミョン・ゲナム

あらすじ:オアシス : 作品情報 - 映画.com

数ある韓国映画の中で、どの監督が好きかと聞かれたら真っ先に彼の名前を挙げる。彼が編み出す映画は繊細で心に残るものが多く、それでいてメロドラマ的なわざとらしさがない。こんな素晴らしい作品を作れる監督は、今のハリウッドにもいないのではないかと思う。

以前宮崎駿チャップリンの映画を「映画館を出た後に一段見る世界が変わっている」と評したと記憶しているが、イ・チャンドン監督の映画にもそれと同じ魅力があると感じている。限りなく現実に近い苦しみと、しかし現実ではどうにもできない困難を物語の力によって軽々と飛び越え、観客の内面をも深く掘り下げていくような、そんな体験をさせてくれる。

テーマはいずれも重い作品がほとんどだが、彼の作品には激しい暴力表現はほぼ無いため、暴力的な表現が苦手な人でも安心して見てもらえると思う。ただしこの作品には性的な描写、詳細に言えば合意形成のないものが含まれているので、そうした表現を観られない方にはオススメしない。

それでもこの監督に興味を持った人は、まずはこの作品から鑑賞してみて欲しい。その上で、彼の作品と旅をする体験を気に入ったのであれば、ぜひ続けて「ポエトリー アグネスの詩」や製作側として関わった「私の少女」も見て欲しい。

 

2.それから

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監督・脚本:ホン・サンス

あらすじ:それから : 作品情報 - 映画.com

ホン・サンス監督の手がける作品はダメな男とダメな女が特徴的で、いつも焦ったさと可笑しみを持って眺めている自分がいることに気がつく。日本の映画だと小津に例えられることが多いが、私は成瀬巳喜男が最も近いと思う。

また、監督の演出はとにかく丁寧で役者の演技に嘘を感じることがない。ポン・ジュノ監督が伏線の回収を得意としている監督だとすれば、ホン・サンス監督は心の機微を回収するのが得意な監督だと思う。

例えば近年の日本のドラマでよく見る光景として、俳優が過剰なオーバーリアクションをして見せたり、決して泣けないだろうという場面で心の文脈を無視してわんわん泣き始めるなどの演出が見られるが、これを観て白けた気持ちになったことはないだろうか。しかし、彼の手がけた映画ではそのように感じたことはない。役者の心の動きを中心に演出が組み立てられていくので、違和感を感じることなく、気がつくとあっと言う間に時間が過ぎている。

このことは、監督とタッグを組んだキム・ミニや加瀬亮のインタビューからも見て取れる。二人とも監督への信頼が厚く、現場では役者として尊重されているように見える。(このようなニュースにも見られるように、アメリカだけでなく日本、そして韓国映画界でも俳優の立場は依然として弱い。そのような中で役者と信頼関係を築けている監督は稀な存在ではないかと感じる。)

www.cinemacafe.net

eiga.com

ちなみに同監督の作品だと、私は「明日の朝は他人」と、加瀬亮が主演を演じた「自由ヶ丘で」も好きなので、ホン・サンスの映画がツボだった人にはそちらもオススメしたい。それまで「加瀬亮って良い演技するよな」と思っていたけれど、この映画を観て「この人ってこんな演技ができるのか」と印象に残った作品でもある。

期待するほど大きなどんでん返しも、予想のつかないジェットコースターのようなエンタメ性もないかもしれない。それでも、もしあなたが映画を観た後に、現実の世界が映画の世界と地続きになっているような、そんな気持ちを体験してくれたら嬉しいと思う。

 

3.国際市場で逢いましょう

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 監督・脚本:ユン・ジェギュン

あらすじ:国際市場で逢いましょう : 作品情報 - 映画.com

戦後韓国の激動の時代を一人の男性の壮大な生涯を通じて描ききった作品。あまり映画の感想で「泣ける」とは言いたく無いけれど、これは本当にただ終演後も気持ちの整理がつかずに泣くことしかできなかった。一人の人間の一生の儚さ。移り変わる常識の中で一人の人間が生きること。未だかつて家長として男性が背負う重圧と苦悩をここまで深く描ききった作品はあっただろうか。身近な作品に例えて言うなら、「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の周作側の物語なのだろうなと思う。そしてこの映画を観て改めて、家父長制度は本当に戦争と親和性が高いと感じた。

韓国映画を語るときに、儒教的価値観について考えることはよくあるが、真っ向から批判せずに、それが一般市民の中に醸成される過程を見ることができる映画は希少だと思う。また、近代韓国史とそれに関わっていた国々を知ることができ、韓国の近代史を知る上でも重要な作品だと感じている。

この映画は誰だって生き方を選べず懸命に過ごす中で、自分の人生に正解を見出すとしたら(そんなものは無いにしても)何だろうか、ということを考え続けているような人にお勧めしたい。私はラストシーンで男性がポツリと呟く一言に深く胸打たれ、今でも時折思い出しては「それ」を言ってもらいたい人は私にとって誰なのだろうか、ということを今でも考えている。

ちなみに主演のファン・ジョンミンにグッときた人はぜひ彼の出演する「新しき世界」も観て欲しい。韓国の映画界には時々怪物という言葉が似合うような役者が彗星のごとく現れるのだけど、彼は間違いなくその中の一人だと思う。

 

以上3つが私のおすすめの韓国映画

上記に挙げたものだけでなく、沢山の作品の中からきっと「これだ!」というものが見つかるはずなので、友人には面白い作品を発掘する歓びをぜひ味わって欲しいと思う。

で、これにてああ素晴らしきかな韓国映画と締めくくりたいところなのだけど、今回のパラサイトでちょっとこれどうなんだろう、と思う部分があったので、それを自分なりに言語化してみたいと思う。

 

 

ーーーーーー以下ネタバレを含むのでご注意ください。ーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回見ていてしんどかったのは女たちの扱われ方だ。

例えば娘のダヘ。

家庭教師として雇われたギウが、問題が解けないダヘの手首をいきなり掴み、受験に合格するためのアドバイスとしてハッタリをかけ、その後ダヘは「先生」としてのギウに好意を持つ、という演出。これによって物語はダヘが「世間知らずなお嬢さん」という記号を観客に与えることに成功しているが、一方で彼女がギウに惹かれた内面は描かれず、それ以上の意味を持たされていない。

また、豪雨のあとにギウが、意を決して地下の家族を殺害しようとする「計画」の前に、裕福な家族たちのホームパーティーの団欒を眺めながらダヘに「僕はあそこに馴染んでいる?」と尋ねるシーン。ここでもダヘは彼の悲哀の演出に最適な女の子という立ち位置を崩さない。

このようにダヘは簡単に騙されて恋心まで持ち、それでいてギウの苦悩には共感できない年相応に浅はかな女の子として描かれており、さらに彼女はラストで大量出血をしたギウを背負って懸命に逃げている。

もしかするとこの演出は意図があったのかもしれない。しかし私は、ダヘが一貫して家父長制度内で求められる女、すなわち尊敬・愛・受容・包容・愛慕といった与える行為を無条件で与えることが義務付けられている「女」であると解釈することが限界だった。また、これはダヘだけでなく半地下の母娘にも共通して見られる描写だ。彼女たちは決して男たちに反旗を翻さず、徹底的に与え、そして奪われることに異を唱えず、場合によっては死んでいく。

何よりインディアン事件後のダヘとギウの関係についても、それが一切描かれていないことにも違和感を覚えた。たとえ彼女が富裕層だったとしても、その立ち位置は脆弱なもの(それは劇中での彼女の家庭内ヒエラルキーや、父を亡くした後の後ろ支えの無い富裕層一家を想像しても明確なように)であるにも関わらず、彼女の物語は語られずに終わる。

また、パク社長の妻であるヨンギョ。

ヨンギョのセックスシーン、あの意図がわからず頭を抱えてしまった。

例えば同じ韓国映画の「オアシス」では、肢体が不自由な女性と男性のセックスシーンがあるが、観客はそれを観ることで女性が愛情を表現したい切実さからその行為に及んでいることをメッセージとして受け取り、それが次の展開で重要なキーとなっていく。しかしパラサイトでのセックスシーンにそのような効果があったとは考えにくい。

それなのにあのシーンが必要だったのは何故なのか。

これは推測だが、以前監督が自身の映画について「観客と呼吸をシンクロさせたい」とインタビューで語っていたことから、テーブル下に潜む役者と観客の呼吸をセックスシーンをいれることによって、効果的な演出を図ったのではないか。

あるいは、キム・ギテクに対して屈辱心を与えるための場面として撮影した、ということも考えられるし、パク社長とヨンギョの関係性を投影するためのシーンなのかもしれない。しかし仮にそうであったとしても、ギテクの尊厳が削られる描写は別のシーンでも表現されているし、またヨンギョの家長夫制度における「女」としての立場は十分説明されているため、敢えてあのシーンを入れる必要は無かったと考える。

もし、このシーンが前者の意図での描写であったとするならば、すなわち制作側の安易な演出とフェティシズムを満たすためにあのシーンを導入したのであれば、本作が韓国国内において貧困世帯の生活に正のインパクトを与えたとしても、その側面だけを切り取ってこの映画を素晴らしい作品だと評価することはできない。わたしはセックスシーンは安易に扱われるべきではないし、それを導入したことで作品に相応の、何より俳優にとってメリットがあるべきだと考えている。

ちなみに、本作のセックスシーンについてを論じている人がいないか検索してみたものの、目につくのは「奥さんの時計回りが〜」といった感想や「ヤるなら娘派」といったコメントばかりでがっかりしてしまった。と同時に、やはりあのシーンは「覗き見」以上の効果を持っていないのでは無いかと感じた。

少し話は逸れるが、先日有罪となったハーヴェイ・ワインスタインは2015年に公開された「キャロル」などの未公開のセックスシーンを私的に保有していたことが報じられており、近年映画業界におけるセックスシーンの在り方は見直されている

以前俳優のイ・ウンジュが望まないセックスシーンの撮影が引き金となって自殺したことを覚えている人は何人いるだろうか。また、キム・ギドクが映画「メビウス」の撮影中に無名の女優にセックスシーンを強要したことで、Me too運動を通じて告発され、裁判になったことは記憶に新しい。

日本でもいわゆる濡れ場を演じた俳優を「女優魂」や「本気の演技を観た」などと評価する場面を目にするが、そもそもなぜ女性の俳優が普段の演技ではなく、セックスシーンを演じることによって過大評価されるのか、またその対象が男性には向かないのかという部分も同時に考えるべきだろう。ちなみにセックスシーンの思想としてはアッシュ・メイフェア監督の誠実なインタビューがとても示唆的だと思った。

今回チョ・ヨジョンがこの演出を強いられたという話は聞かないが、とはいえ仕事の絡む現場での女性の立場の弱さを考えれば、ましてや監督と俳優という立場を考えれば、慎重にこの作品を評価する必要があると考える。

また、ポン・ジュノ監督についてはこのような批判も韓国メディアから挙がっている(現在は撤回されているが、セクハラ被害にあった女性が相手の名誉を庇うことは何も珍しいことでは無い)ため、今後も彼の作品は注視して見ていきたいと思う。

 

この他にもいくつか引っかかるところがあり、(貧困を三項対立で描いたことや、高齢者が出てこないことなど)全体的な評価として、近代韓国経済史と物語をうまく絡めて社会問題を炙り出した意欲作であると同時に、家父長制度と格差社会の中でもがく男たちにとって都合の良い設定の自己憐憫的な作品に留まっていると感じた。

また、パラサイトがアカデミー賞を受賞した時に「アジア初」といった言葉や「多様性が認められた」という評価を見かけたが、一方でBombshell、HustlersやThe third wifeが受賞しなかった側面を考えると、パラサイトが認められたのはハリウッドに「家父長制度の規範に大きなインパクトを与えない作品」だと認められたからでは無いかとも思える。

穿った見方だとは思うが、しかしこうしたニュースや、アメリカのミソジニー研究に関する本を読むと、あながち間違いではないのではないかと思わずにはいられない。

 

 以上が私のパラサイト所感だが、これを読んで「やっぱり韓国は遅れている」とは思って欲しくないし、日本と韓国のどちらが優れているかという話でもない。また、格差社会や貧困に喘ぐ家庭や貧困線ギリギリ(平成27年時点で日本の貧困線は年収122万円)の手取りでなんとか生活できている家庭を無視して良いとも思わない。ただ、パラサイトが賞賛される一方で見過ごしている問題があるのではないか、と言うことだ。

ちなみに、Metoo運動だって「韓国は遅れているから告発が上がっている」のではなくて、日本は同調圧力が強くかつ俳優の立場が弱すぎるので結果として上がってこないだけで、セクハラパワハラなんてうんざりするほどある。

oriza.seinendan.org

www.huffingtonpost.jp

韓国の映画界が表現の自由を手に入れたのは、等級保留制が廃止された2002年から。

そこからわずか10年足らずで映画文化がここまで花開いたことを素晴らしいと思うと同時に、どうか俳優たちの立場が保証されるような制度があって欲しいと願って止まない。それは日本でもそうだ。

ところで、今月の21日にカン・ヒョンチョル監督のスウィング・キッズが封切りになったらしい。今年もたくさんの良い映画と出会いたいし、お金と時間の許す限り劇場に足を運びたいと思う。 そのために今日も坂道を登ったり下ったりしながら、淡々と働いていこうと思う。