東京で暮らす女のとりとめのない日記

暮らしとカルチャー、ミクスチャー

旅行先で感じたこと

昨日から京都を訪れていて、ホテルの部屋でこの記事を書いている。正直に言えば、ここに来るまでは仕事が忙しく、旅行に乗り気ではなかった。どのくらい乗り気ではなかったかと言うと、着替えるための洋服をまったく準備できておらず、九条のイオンの中にあるユニクロで調達したくらいだった。

けれど京都に着いて、街を歩いているうちに、少しずつ元気になってきた。よく歩き、ご飯をたべ、人と会話をして、川を眺める。目の前にあるものに心を留めて、じっくりと味わう。ただそれだけのことが、東京にいるうちはできていなかった。今は心に溜まった澱が、きれいに流れていくように感じている。

今まさに消えていこうとしていく澱について改めて考えてみると、やはりここ最近の悩みの主体は仕事に関することだったなと思う。現状の仕事についてはやりきったところがあり、次のステップをどうするか考えていたところだった。友人と会ったり、転職していった先輩をご飯に誘って、相談に乗ってもらっていたのがここ最近のことだ。友人は「あなたなら転職先はたくさんある」と励ましてくれ、先輩にいたっては自分の会社へ誘ってくれもした。ありがたいことだなと思う。

結局のところ、自分の人生をどうしていきたいかが見えず、漫然と悩んでいたこと自体がストレスだったのだろう。京都の街を歩きながら、会社と自分が目指す方向性に乖離が生じ始めていること、それを打開するためにはやはり違う会社に移ることも検討するべきだということ、それらがやっと腹落ちしてきた。

そのきっかけは明らかに京都に来たことで、さらに言えばこの旅行で出会った人たちのお陰だ。目を合わせて「ありがとうございます、美味しかったです」というと「いいえ、バタバタしてすんまへん。おおきに」と返してくれた女将さん。東京から来たというと、建築の見どころを熱心に説明してくださって、自作のパンフレットまで見せてくださったボランティアの方。酔っ払って「明日も来たいなぁ」というと予約ができるか見てくれたお姉さん。ホテルでエレベーターのボタンを押してあげたら、去り際に「ありがとう、おやすみなさい」と微笑んでいったフランス人の夫婦。そこにリスペクトされる個人として存在している、そのやりとりがあたたかく嬉しいものだった。

とはいえ東京には東京の良さもあり、そこにフリーライドして生きている自覚もあるので、「だから東京はだめなのだ」と言う気は毛頭ない。けれど、会社でいちサラリーウーマンとして働く中で、駒として扱われることに慣れそうになっていたことについて、やっぱりそうじゃないよなぁと思えたのは、そうしたささやかな触れ合いがあったことに他ならない。私は個人として尊重してほしかったのだ。ただそれだけのことが、今いる場所では望めなかった。

以前、転職していく同僚に「自分が嫌な人間になっていく環境なら、見切りをつけて出て行った方がいいのだと思う」と伝えたことがあった。そのことを思い出して、そしてその当時の自分の言葉に、今更ながら励まされている。そもそも仕事はこうして余暇を楽しむためにあるのであって、それすら楽しめなくなるのは本末転倒だった。そんなことに気がつくのに、ずいぶん時間がかかってしまったなと思う。

京都では主に近代建築をめぐって、気になっていたお店を訪問し、場当たり的に過ごしていくつもりだ。この余暇を浴びるように楽しみ、京都での祝祭のような日々を糧として、そのあとの人生を続けて行けたらいい。