東京で暮らす女のとりとめのない日記

暮らしとカルチャー、ミクスチャー

かつて私が貧困だったとき

2020/12/13追記

本記事は有料記事へ移行しました。

-------------------------
今年の4月くらいにこの記事がバズりました。今でもネット上のどこかでこの記事のリンクが漂っているのではないのでしょうか。おそらくそこから記事を読みに来てくれた人もいるかもしれません。この記事は特に有益な内容は書いておらず、それまでの経験を決して忘れることがないよう、昔の自分が今の自分に宛てて出した手紙のようなものです。おそらくこれを読んで得られるものは特に無いでしょう。本人の予想を超え、あまりにも多くの人の目に触れたため、ピークは過ぎたであろう頃合いで有料化をすることに決めました。
この記事がバズってから今日まで様々なコメントがこのブログにも寄せられ、その殆どがかつてのご自身の境遇と重ねるものが殆どであり、その切実さに胸打たれたこともありました。ネット上のやりとりではありますが、相手の肩を抱いてなぐさめたい衝動に駆られたこともありました。好き勝手書いた手記のようなものですが、誰かの魂にこの記事が寄り添えることができたのであれば、人の目に触れられる形にしておいて良かったとも思います。一方でこの記事を読んで傷ついた人もいたでしょう。
記事がバズってからは極力コメントに反応しないという方針をとっていました。それはその人の声を掬い上げて消化させる役割は自分では無いと思っていたからです。とは言え、肯定的なコメントも否定的なコメントも等しく届いていたことはここに記しておこうと思います。
一つだけお返事させてもらえるとすれば、一人の方から寄せられた「こんなのは貧困では無い」というコメントについてです。文面から察するにおそらく大学生では無いかと推察しています。もしかしたらご自身も辛い境遇にいるのかもしれません。このコメントを書いた意図が八つ当たりなのか、何か考えがあってか、見下してかはわかりません。しかし、このブログに綴った内容は一人の人間が経験した貧困です。それはあなたに違うと言われてもそうなのです。
記事にもあるように当時の収入は相対的貧困に該当する水準でした。貧困と聞いて多くの、とりわけ裕福な人々がイメージする飢餓状態で医療を受ける機会もままならない極限の状態は絶対的貧困と呼ばれます。相対的貧困とは日本において普通の人々が享受できている標準的な生活ができていない状態です。
当時の私の状況は記事に記した通りです。これは普通の状態でしょうか?もっと苦しまなければなりませんでしたか?
私は怒っています。この状態を貧困では無いといってしまうあなたに対して。この状態の人々が増え続けている現状に対して。何よりそれがあなた自身を追い詰め、精神を喰い潰し、腸を抉り出すほどの苦しみを与えることにならないことを祈っています。
また、人の目に触れる記事なのでこのブログにはなぜ私がこの状況に陥ったのか・このような経験をしなくてはならなかったのかといったパーソナルなことは記載していません。それは私の大切な部分を見ず知らずの人たちに明け渡すことになるからです。この記事だけにかかわらずネットの言説は断片的です。それを読んで相手を全て否定できる材料があると思った、あるいはそれを読んで相手を理解できたと思ったのであれば、それは素直すぎるでしょう。ここに書かれているもので私があなたに明け渡したものなど一つもありません。
もし今自分が貧しく、苦しい状況に置かれているのであれば、まず周りの人に救いを求めてください。それは行政などの公的な機関です。間違ってもあなたの苦しみを利用しようとする大人を頼ってはいけない。
そしてもし少しでも自分の置かれた立ち位置を学び見つめたいと思うのであれば、以下の本を読んでみてはいかがでしょうか。

いつかあなたが同じような境遇の人間を見たときに、決して同じことをその人へ伝えることがないよう祈っています。

 

この続きはcodocで購読