東京で暮らす女のとりとめのない日記

暮らしとカルチャー、ミクスチャー

葛藤と越境 グレゴリー・ケズナジャット『鴨川ランナー』

東京で暮らすことは、異国で過ごすことに似ていると思う。

先日、3年ぶりに地元の友人たちと再会したときに「ちょっとー、東京の女って感じだべ」とからかわれ「んなことねーべ、変わってねべした」と答えたことがあった。

この3年間はほとんど標準語で生活していたにも関わらず、友人たちの言葉を聞いただけで、自分の口からすらすらと方言が出てきたことに驚く。それと同時に、地元の言葉で話すときの心地よさを思い出し、途方に暮れたような気持ちになった。

それが単なる感傷なのか、あるいは「東京にいるかぎり私はこの方言を使うことはない」という事実に気づいたことによるものなのかはわからない。

けれど地元の言葉で話している時に感じる「自分」という人格は確かにあって、そのことを東京では誰とも共有できないのもまた事実なのだった。

グレゴリー・ケズナジャットの『鴨川ランナー』は、異国の地で言語を学ぶ男のエッセイだ。彼もまた、言語を獲得しようとする過程でアイデンティティがゆらぎ、葛藤しながらも母国語と日本語の垣根を越境していこうとする。

この物語の主人公は、16歳のときにアメリカから京都を訪れ、その光景に魅了された「きみ」だ。物語は語り手を通じて「きみ」の状況を俯瞰しながら進んでいく。結局「きみ」は16歳の頃に見た光景が忘れられず、文科省の英語指導助手プログラムに応募をし、京都へと渡ることになる。しかし、憧れの土地での暮らしは順風満帆とは言えない。

この物語の中で、筆者はふたつの違和感を用いている。ひとつは母国語以外の言語を使い、異国で暮らしていくことへの違和感だ。この違和感は物語の語り手を主人公である「きみ」ではなく、三人称を使うことで表現されている。慣れ親しんだ母国語を離れて他言語話者になった瞬間、肉体と精神が乖離していくような感覚。話したいことと心がリンクせず、自我と言語の間に薄い膜が付きまとうような経験。

そしてもう一つの違和感は、その見た目から異邦人として扱われ、外国人らしい振る舞いが求められるもどかしさだ。どれだけ自分が日本人らしく振る舞おうとも、決して「同じ」とは認識されない疎外感。いくら望んでもコミュニティには受け入れられず、澱のように積もっていくフラストレーション。

主人公がいかにこれらの違和感と向き合い、言語を獲得しながら越境していくのか。そもそも言語を獲得するゴールとはどこにあるのか。それがこの物語の見どころでありテーマだ。

 

物語の中盤、英語指導助手を辞めた「きみ」は、市内に移り住んだ後に日本語のライティングを始める。

 特に書くことはないが、今日見たことを書こうとする。今回はすらすらと言葉が出てくる。文章の意味はどうでもいい。重要なのはマス目を埋めることに伴う快感のみ。極めて肉体的で、純粋な感触だ。

 きみは書き続ける。深夜まで書き続ける。一枚、二枚、用紙がなくなるまで、ペンに注入したインクの最後の一滴を絞り出すまで。

手を使って言葉を身体になじませていく行為は、言語を学習する際に使われる最も一般的な方法だ。小学生が漢字ドリルを使うように、人は反復動作を行うことで身体で文字を覚えていく。

かく。書く。描く。みる。見る。観る。よむ。読む。詠む。

母国語とは異なる文字や文法のストラクチャー。窮屈な服のようなそれに、肉体も精神もフィットさせなければいけないという葛藤。言語を習得すると言う過程でアイデンティティは揺るがされ、強制的に再構築されていくような違和感を、何度も何度も経験しなければならない。

さらに主人公は、もうひとつのトレーニングを行う。それは朝に、京都市内を走るという習慣だ。

 春になるときみは急に身体を動かしたくなる。(中略)マンションを出て、鴨川デルタへと向かう。

 鴨川に続く商店街の道はまだ静かだが、それぞれの店から微かに生活の音が漏れてくる。豆腐屋の人は店先のケースを引っ張り出している。小さな古着屋のシャッターがガタガタと音を立てて上へ上がる。うどん屋仏頂面の店長はラジオで朝のニュースを聞いている。いつものリズムだ。

異郷の言葉。異国での暮らし。その街の匂いや風景、そして音。走ることで言語が街と結びつき、次第に身体へと刻み込まれていく。本書に登場こそしないが、異国の料理を味わうこともそうだろう。東京に引っ越してきたばかりの頃、この街の味が知りたくて、さまざまなお店を渡り歩いていたことを思い出す。

こうした異なるふたつの肉体的アプローチを繰り返すことで、次第に「きみ」の文体にもリズムが生まれ、言葉がソフティケートされていく。

 

他言語を学ぶ時、一般的にはその言葉をいかにネイティブらしく話せるかどうかがゴールとされる。しかし本当の意味で言語を獲得するというのは、その文化や土地の記憶を知り、そこで培われた経験を自らの血肉として、言葉を理解したときではないだろうか。

英語と日本語という極端な例を挙げるのであれば、前者は必ず主語や目的語が発生するのに対し、後者は文法体系からそれらがぼやけ、意思表示や目的が曖昧になりやすい。

このまったく構造が異なる言語を獲得しようとするとき、人格を再構築するほどの強制的なアプローチが必要であるということは、避けて通ることができない。何よりこのような経験をしても、一生自分はよそ者なのだという意識は消えることはない。

けれど、それでも他言語を習得することに理由があるとすれば、その過程で解体されゆく自意識と、それを再構築することで、新しく世界をとらえられる可能性が生まれるからなのかもしれない。

私は以前、東京で生まれ育った友人に「あなたは牡蠣と柿の発音が違うね」と言われたことがあった。それを機に何度か矯正しようと試みたが、結局もとのイントネーションのまま生活している。

あと数年で東京で過ごしてきた年月が、地元で暮らしていた時間を上回ってゆく日が来る。それでも自分のイントネーションにわずかな訛りが残っている時、故郷で暮らしていた私を見つけて懐かしく思うのだ。