東京で暮らす女のとりとめのない日記

暮らしとカルチャー、ミクスチャー

ミニマルに生きることは可能なのか「ハッピー・オールド・イヤー」

この日は誕生日だったので夫に「今日は一切の家事をしない日にする」と宣言して、久しぶりに映画館へ映画を見に行った。ひとりで映画を観ることが嬉しく、新宿駅中央東口からルミネエストの中を一目散に通り抜けて、足早にシネマカリテへと向かう。
2020年は4月以降どうしても映画を観る気になれず本を読んでばかりいたが、こうして映画館へぐんぐん向かっていると、今年はもっと映画を観れそうな気がしてくる。思い返せば東日本大震災の後、私は文字通り寝食を忘れて狂ったように映画を観た。1日あたり平均5本もの映画を観ては、感想をノートに書き綴ってまた映画を観る日々。あの頃の経験が何の役に立っているかと聞かれたら上手くは答えられないが、少なくとも人生の中の豊穣な時間であったことに間違いはなく、今の自分を形作る欠片にはなっていると言えるだろう。そしてなんとなくだが、今年はあの頃のような情熱が再燃しそうな気がするのだ。
そんなわけで誕生日は映画館で映画を2本、自宅で1本観ることにした。1作目はずっと気になっていたナワポン・タムロンラタナリット監督の「ハッピー・オールド・イヤー」である。

※以下ネタバレを含みます。

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製作:2019年
原題:Happy Old Year
公式HP:「HAPPY OLD YEAR ハッピー・オールド・イヤー」公式サイト

物語は主人公のジーンが真っ白な塵ひとつない部屋で、インタビューを受けているシーンから始まる。ここはデザイナーとして働く彼女の事務所のようだ。インタビュアーが事務所を作り上げるまでの経緯を訪ね、そこからジーンの回想が始まる。
帰国したばかりのジーンはデザイナーとしての仕事のチャンスを得て、それにふさわしい事務所を構えようと奮闘している。目標はミニマルなライフスタイル。自分にとって本当に価値のあるものだけを手元に残し、モノへの執着を捨て去って、感情に囚われない豊かな生活を手に入れるのだ。しかしそんな目標と裏腹に、事務所を構えようとする実家の雑居ビルは母と兄と過去の自分、そして幼い頃に家を出て行った父の荷物が山のように積み上がっている状態である。
始めは家族の想い出もなんのその、目についたあらゆるモノをがむしゃらに捨てて、兄に「破壊王サノス」と名付けられるほど断捨離に熱中するジーン。しかしそんな中、ジーンの元を訪れた親友のピンクが、ゴミ袋から昔ジーンにプレゼントしたCDを見つける。「モノを捨てても相手の気持ちは消えない」とピンクに諭されたジーンはそれならと、過去の人間関係を清算するために家に散らばるモノを持ち主たちに返し始める。
始めは「返してくれてありがとう!」と言われ、いい気分になったのもつかの間、もう顔も見たくないと言われたり苦い思いをすることも。ゴミ袋に捨てようとしていた「しがらみ」や「感情」に次第に振り回され始めるジーン。そして元カレから託されたカメラを彼に返しに行くのだが、彼女の清算したい気持ちとは裏腹に人間関係は交錯していく。

ハッピー・オールド・イヤー : 作品情報 - 映画.com
本作の主人公であるジーンはかなり身勝手で頑固な女だ。「モノも人間関係も気持ちよく清算したいから相手に返しにいこう!」と考えてしまう思考回路や、元カレに「あなたは運命の人ではなかった、私は最良の選択をした」と言い放ってしまう独善さ。伝えただけで、モノを返しただけで、これまでのしがらみや感情は完結する!と考えているジーンのおめでたさは滑稽ですらある。しかし本人はいたって真剣なのだ。始めはその空回りが可笑しくさえあるのだが、次第にその相手不在のコミュニケーションに痛々しさを感じてくるようになる。
断捨離を始めた頃、ジーンの視界にはジーンしかいない。断捨離の極意は「決して感情に振り回されず想い出を振り返らないこと」なので、相手の気持ちをいちいち考えることは非合理的だからだ。自分がこうしたら相手はどう思うか?を徹底的に排除して突き進むのは、感情の負担が少なく作業も進んで気持ちがいい。相手に借りたままのイヤリング、溜まった写真のデータ、元カレに「向こうの写真を撮ってきてよ」と手渡されたフィルムカメラ。胸にチリつく感情もゴミ袋にどんどん入れて行けば、やがて入れたことも忘れる。しかし、本当に忘れられるだろうか。
親友のピンクに諭されたことをきっかけに、ジーンは少しづつ「許されるために・過去を清算するために」モノを返し始める。その一環として元カレに再開し「なぜ自分が彼から離れたのか」を全て吐露するシーンは、彼女の思慮の浅さを際立たせていて静かな迫力に満ちている。ここでも彼女の視界には許されたい自分しかおらず、目の前の人間は存在しない。彼は断捨離の対象でしかなく、そうすれば彼の想いも自分の後ろめたさも全て清算できると思っているからだ。しかし、たとえモノや関わってきた人を目に見えないところに追いやって蓋をしたとしても、時々何かの拍子に蓋が開いて、後ろめたさや気まずさが胸を小さな針でつつくことからは決して逃げられない。そんなジーンを嘲笑うかのように、人間関係はどんどん拗れ、捨てようとしていた感情にも向き合わざるを得なくなってくる。モノが手元から無くなったからといって、相手に自分の想いを伝えたからといって、線引きをするかのように相手から向けられる感情や自分の血肉となった過去と決別することなど、誰ができるというのだろう。
明日、チュティモンちゃんが戻って来る! 『ハッピー・オールド・イヤー』 - アジア映画巡礼

この物語の焦点はジーンと元彼のエムに合っているが、一方で年老いた母とのやりとりは若者と親世代との相容れなさを表していて秀逸だ。グローバリゼーションによって個人化が進み、西洋文化に慣れ親しんだ若い世代と、家族の結びつきを是として生きる親世代。同じ母語を話しているにも関わらず、お互いの意図が噛み合わずに話し合うことすらままならないジーンの家族は現代タイ社会の縮図でもある。
そもそもミニマリズムとは現代の消費社会において注目されるようになった思想の一つだ。シンプルライフという耳触りのいい言葉やコンマリというキャッチーな言葉まで、その思想はありとあらゆる所に隠れている。なぜモノが無ければ無いほど「豊か」になれると人は思うのだろう。また、その状態を思い浮かべる時に、寂れた団地の一室に置かれたパイプ椅子と作業用のテーブルではなく、高い天井とミッドセンチュリーの家具にデザインが洗練された調度品を連想するのはなぜだろう。ジーンや、それらに憧れた人々が目指すその像は一体何によって刷り込まれ、憧れるようになったものなのだろうか。それらを考えたときに、ジーンと母親の立場がよりクリアに、そして一種の皮肉さを持って立ち上がってくるように思えてならない。
HOW TO TING: Q&A WEEK - DESIGN / ARCHITECTURE - art4d

見終わった後、きっとこのシンプルでミニマルな事務所へと変貌を遂げた家には彼女の母はいないだろうと想像する。文字通り漂白された部屋には家族の歴史も、過去の想い出も残らない。この部屋で、ジーンはどんな人間になっていくのだろうと思う。捨て切れなかった心の澱が、時折何かの拍子に彼女の胸の内で舞い上がればいいと思う私は、到底ミニマリストにはなれないのかもしれない。