女ふたり 日帰り鎌倉旅
1月の晴れた日のこと。2年ぶりに友人と会えることになり、なるべく密にならないところで食事をしない?という流れから、じゃあ鎌倉で朝食を食べよう!という話になった。
当日は鎌倉駅で待ち合わせ。彼女に対する記憶が2年前のままだったので、その面影で人を探していたらまったく見つからない。向こうから声をかけられてやっと気づくことができた。それもそのはず、ずっとショートヘアーのイメージだった彼女の髪は肩の下まで伸びていて、装いも変わっていたのだった。久しぶりと声をかけて返ってくる反応は、マスク越しながらいつものそれで、その変わらなさに安心する。
予約していたお店は鎌倉駅を西口から出て、市役所通りのゆるやかな坂をのぼっていったところにある「朝食 喜心」というお店。京都にある草喰なかひがしの三男が料理を監修しているらしい。外で朝食を食べるのは久しぶりでワクワクする。
お店は古い民家をリノベーションした造りになっている。ついた時はまだのれんが出ていなかったので、お店の前のベンチに座って待たせてもらうことにした。時間になるとテキパキとお店の人たちが準備を始め、見ていて気持ちがいい。予約順に名前を呼ばれ、お店の中へと案内された後は、お好きな席にどうぞと言われたので土鍋がよく見える位置に座らせてもらった。
全員が揃うと早速料理の説明から始まった。土日の朝食は2,750円のコース1本のみで、以下の構成になっている。
・向付
・あたたかい前菜
・土鍋で炊いた白ごはん
・本日の汁物
・本日のお魚
・お漬物
もちろんご飯はおかわりあり。これ以外に追加メニューも用意されている。追加メニューは基本的にご飯のお供になるようなもので、焼き海苔や牛肉のしぐれ煮、ちりめん山椒といったクラシカルなおかずから、卵黄エシレバターといったハイカラなものまで揃っていた。
一通り説明が終わった後は、土鍋を目の前のコンロに置いて着火していく。ガスの青白い炎がきれいだ。
ご飯を炊いている間は、向付を食べながら出来上がるのを待つ。この日の向付はわかめと水菜の和え物だった。それぞれの折敷の上に、ひとつひとつ丁寧に運ばれていく。
和え衣はペースト状にした春菊を出汁でうすく伸ばしたもので、さわやかな苦味が印象的。わかめのコリコリとした歯応えと水菜のシャキシャキとした食感がたのしい。
続いて粉引きの器によそわれてきたのはメニューにはない「にえばな」と呼ばれるもの。白米からご飯に変わるあわいの、この瞬間しか食べられないお米のことをこう呼ぶらしい。
おそるおそる口に含むと、舌の上にパッと広がるおだやかな甘さに目を見開いてしまった。お米の少し芯の残ったアルデンテのような食感も美味しい。となりを見ると友人がしあわせそうに目を閉じていて、心の中で(わかるよ!)と呟く。
続いて運ばれてきたのはあたたかい前菜。この日は茶碗蒸しで、上には焦がしネギをペースト状にしたソースと、おろし金で削ったゆずの皮がかけられていた。茶碗蒸しは具なしのミニマルなタイプ。
この茶碗蒸しも、とても奥行きがある味で美味しかった。焦がしネギのペーストの風味を卵が抱きしめている、包容力にあふれた茶碗蒸し。柚子の香りは清涼感があって、ともすればぼやけそうな味をパキッと引き締めていた。この茶碗蒸しに柚子の皮をあわせてくるやり方は、いかにも京都らしいなぁ。
そうこうしているうちに目の前の土鍋からもうもうと湯気がたってきて、ご飯が炊けるいい匂いがお店いっぱいに広がってきた。折敷の上には炭火でじっくりと焼かれた鯛と、同じ鯛の骨から出汁をひいて作った潮汁、ピカピカの白米にべったら漬けとごぼうの醤油漬けが運ばれてくる。
なんともいい眺め!丁寧に盛り付けられたお料理と、それに併せられたうつわがとてもいい。同じく鎌倉にある「うつわ祥見」のセレクトに近いセンスを感じるなと思っていたら、どうもここのうつわはそのオーナーが監修されたらしい。気に入ったうつわをお店に見に行くのも楽しそうだ。
鯛の炭火焼は香りがよく、身はふわっとしているのに皮目はパリッとしていて食感のコントラストがすばらしかった。潮汁はキレがあって清らかな味。大根にもしっかり味が染みていて、仕事の丁寧さを感じる。
白米には追加注文でお願いしていたちりめん山椒をかけて。炊き立てのご飯は、煮えばなよりも粒がふっくらとしていて弾力があり、より甘い。噛めば噛むほど旨味が広がる。
この時点でお腹がいっぱいだったものの、まだ追加メニューでお願いしていた、温泉卵とすっぽん昆布が控えていた。さすがにお茶碗いっぱいにご飯をおかわりするのは諦めて、少なめでお願いする。すっぽん出汁とお醤油で炊き上げられた昆布は、それ単体で食べると強烈な旨味が舌の上に広がった。卵と一緒に食べるとちょうどいい塩梅だ。最後はお漬物を食べて、口の中をさっぱりとさせた。
お米を主軸にしたコースの構成は、他とかぶらない独自のストーリー性があってとても面白かった。ゆっくりと朝食を食べ、五感を使って味わい尽くす贅沢。ごちそうさまですと言ってお店を後にした。
Information
店名:朝食喜心 kamakura
住所:神奈川県鎌倉市佐助1-12-9
URL:https://www.kishin.world/kamakura
お店を後にしたあとは、少し散歩をすることに。おなか苦しいね、と笑いながら人通りが少ない道を歩く。せっかくなので、この近くにある鎌倉文学館を目指すことにした。
重厚な門をくぐってチケット売り場で入場券を買う。しばらく林の中を歩くと、本館が見えてきた。
工夫が凝らされた瀟洒な造りのファサードを抜け、靴を脱いで館内に入る。館内は撮影禁止。中に入ると係りの女性に「今おみくじをやっているから、よかったらひいていってください」と声をかけられた。サイコロを振って出た数を告げると、文豪のひとことが書かれたおみくじを手渡される。私がひいたのは夏目漱石だった。芥川がいいなと思っていたので思わず「夏目かぁ」と言うと友人が「あまり好きではない?」と言う。好きだよ、あなたはどんなところが好きなんだっけ、と尋ねると「日本語をこねくり回しているところが好き」とのことだった。友人らしい答えだなと思う。
展示をみた後は庭園に出て、建物の全貌をのんびりと眺めた。旧前田公爵邸の元別邸ということもあり、見所が多いすばらしい建築。5月には庭園のバラが咲き、とてもよい眺めなんだそう。状況さえ許せば、またその時に訪れたい。茂みにはシジュウカラが潜んでいて、ツピーツピーと鳴いていた。
鎌倉文学館を満喫した後は、そのまま由比ヶ浜大通りに出て鎌倉駅方面へ。
途中気になる建物があったので写真を撮った。元は1972年に旧鎌倉銀行が建てた出張所で、今は1階部分がバー、2階部分はイベントスペースとして使われているらしい。
途中には気になる看板も。友人が「コーヒーとウィスキーって面白いね、飲み物推しなんだね」と言い、確かにと笑う。
御成通りを歩くと五叉路に出た。左手には大正13年に建てられ、鎌倉市景観重要建築物に指定された旧安保小児科医院が残っていた。当時の面影が残る建物は、御成通りの景色をより情緒豊かなものにしていた。
そのまま小町通りへと出る。最後に鶴岡八幡宮で参拝していくことにした。人通りを避けて、表参道を歩くことにする。由比ヶ浜からまっすぐ伸びた参道は、マスク越しでも潮の香りがはっきりとわかった。
ふと狛犬を見るとマスクがかけられていることに気がついた。一昨年の最初の緊急事態宣言の時に、民家の軒先にある動物の置物などにマスクがかけられていて、戸惑ったことを思い出す。一見するとそれはユーモラスにも見えるけれど、自らの生活に新しい規範を導入しようとするだけでなく、他者の生活にも積極的に介入することをよしとしているようにも思えたのだった。
「過剰な従順さというか。何よりそれをメタファーを使って伝えてこようとする様子がしんどかったんだよね」と言うと「わかるよ」と友人が言う。あの時のあれは同調圧力のように感じて怖かったと友人が言い、あぁ、確かにねと返す。隣をおだやかに通り過ぎてゆく芝犬を眺めながら、マスクをしたくてもつけられない疾病がある人だっているのにね、ヘルプマークみたいなものがあればいいのかな、などと話した。
そんな話をしていたからか、通りすがりのおじさんがまじまじとこちらの顔を睨みつけて通り過ぎていった。マスク反対派だと思われたのかも、というといやうちらめっちゃマスクしてんじゃんと友人が笑う。友人という関係に何もかも分かり合うことは求めていないけれど、やはりこうして話をするだけで、心にあった整理のつかない何かが落ち着いていく。
しばらく表参道を歩いて八幡宮にたどり着くと何やら儀式の最中だった。結婚式かなと思っていて周囲の看板をみると、厄除け大祭があるらしい。混む前にさっさとお祈りして出よう、ついでにわたしたちの厄もさっぱりさせてこようと言って先を急ぐ。
神様、ここはひとつハッピーな2022年でよろしく!とお祈りを済ませてすみやかに神社を去る。振り返ると遠くに由比ヶ浜のきらめきが見えた。
駅へと向かう帰り道、ロミユニが空いていたので、留守番をしている夫へお土産を買うことにした。以前は軒先で焼き立てのクレープが食べられるようになっていたのがいつの間にかなくなっていて、空いたそのスペースはコンフィチュールの量り売りとケーキの販売に使われていた。
ショウケースには夫が好きそうなフラン・ヴァニーユがあったのでそれをテイクアウトすることにする。ラッピングされたケーキを受け取ったあとは、付き合ってくれた友人にお礼を言って駅に向かった。
楽しい時はあっという間とはよくいうけれど、2年の隔たりを感じさせない時間に名残惜しさばかりが募る。最近読んで面白かった本の話、仕事の悩みやこれからのキャリア、恋愛や結婚生活についての話。私ばかり楽しかったので無理させていないかなと気遣いつつ、彼女の楽しかったという言葉と笑顔に安堵する。私もとても楽しかった、また会おうねといってそのまま鎌倉駅で別れた。
一抹のさみしさを胸に、車を留めた由比ヶ浜の駐車場に向かってひとりで歩く。
思えば友人との付き合いも6年以上になる。大学時代、具合がわるい彼女を家に泊めて看病したことや、とるに足らない話をしながら終電ギリギリまで居酒屋で飲んだ日々がなつかしい。この会えなかった2年間も、そうした過去のわたしたちが会話の中に時々顔をのぞかせて、今日までをつないでいる実感があった。これからもこのつながりを大切にしよう、彼女の生活が朗らかなものでありますようにと願いながら、由比ヶ浜から吹いてくる潮風の輪郭をマスク越しから確かめるよう、胸いっぱいに吸い込んだ。