東京で暮らす女のとりとめのない日記

暮らしとカルチャー、ミクスチャー

1年前の今月、東京五輪が始まったらしい

1年前の今月、東京五輪が始まったらしい。

当時の自分がどう感じていたかを知りたくて、そのときのブログを読み返してみたら、けっこう参っていたようだった。

lesliens225.hatenablog.com

 

しかしこうして思い返してみると、東京五輪に関する記憶がない。感染者が爆発的に増えていた時期で、外に出ることも控えていたので、東京にいながらも五輪を感じることはなかった。

唯一五輪がやっていることを感じたのは、放送業界に就職した大学の同期が現地入りしている様子をグループラインで送ってきた時と、地方に住む親戚が「今東京の上空にこんなのが浮かんでいるんだって!」と奇怪な人の頭の写真を送ってきたとき。自宅からは見えることもなく、東京といえども広いものだなと、どこか他人事のように感じてもいた。

そんな当時を思い返していたとき、ブログの下書きに当時の気持ちについて書きとめていたエッセイを見つけた。今なら放流してもよいだろうと思ったので、節目として公開することにする。記事のタイトルは「失われたことばを求めて」だった。

夏が来ると、スイミングスクールに通っていた頃を思い出す。子供の頃のわたしは呼吸器系が弱く、医者の勧めを受けたことがきっかけで、水泳を始めるようになった。

泳ぐことは好きで、気がつけばそれなりに大きな大会にも出ていた。水の中はいつもひんやりとしていて心地よい。手を動かすと水がうねり、身体を前へ前へと運んでくれる。足を動かすとその流れが加速して、まるで身体全体が泳ぐために生まれた獣のように躍動した。

ちょうどその頃、競泳界も盛り上がっていた。「水の超人」と呼ばれたイアン・ソープのクロールは、寸分の狂いもなく波を捉え、彼の泳ぐレーンはそこだけ異空間のように見えた。
「水の怪物」と呼ばれたマイケル・フェルプスのバタフライはシャチのように猛々しく、他者の追随を一切許さなかった。

彼らの美しいフォームに憧れ、暑い日も寒い日もプールに飛び込んでは、ひたすらトレーニングメニューをこなす日々。そんな日々も高校に進学してからは遠くなり、プールサイドから足が遠ざかって久しくなった。

あれから10年以上の月日が流れた。あの時代の競泳選手たちは一人残らず引退をしたらしい。さみしさよりも先に、彼らはセカンドキャリアとして何を選んだのだろうかということに興味を持った。スマートフォンを片手に調べてみると、そこにはわたしが知らなかった選手たちの姿があった。

世界中を熱狂の渦に巻き込んだイアン・ソープは、10代の頃からうつ病を発症しており、長い間苦しんでいたという。さらに2014年には、自身がゲイであったことをカミングアウトしていた。彼はインタビューで、次のように答えている。*1

“I wanted to make my family proud. I wanted to make my nation proud of me. And part of me didn’t know if Australia wanted its champion to be gay .”
(家族に誇りに思って欲しかった。国にも誇りに思って欲しかった。何より、王者がゲイであることをオーストラリアの人々が望んでいるのか、わたしにはわからなかった。)

また、マイケル・フェルプスも、長年うつ病に苦しんでいたという。2014年に飲酒運転で逮捕されたことを契機に、彼は自身のメンタルヘルスについて向き合ってきた。彼はインタビューで、アスリートのメンタルヘルスについて、次のように答えている。*2

"For years I stuffed my emotions away because I couldn't show that weakness or that vulnerability — it could give my competitors an edge," he says. "As an athlete, it's challenging, especially for a male. We're supposed to be big and strong and macho, not somebody who struggles with their emotions. "
(わたしは何年も自分の感情を押し殺してきた。なぜなら弱みや欠点を見せてしまうとーー他の選手たちに差をつけられてしまうから。アスリートにとって、特に男にとって、それは困難なことなんだ。なぜなら我々アスリートは、大きく強くたくましくあるべきで、自分の感情に振り回されるような人間ではないはずなのだから。)

現在、マイケル・フェルプスは、スポーツ選手のメンタルヘルスのサポートに取り組んでいる。2021年5月に、同じくうつ病であることを公言した大阪なおみ選手に対しては、支持する姿勢を表明した。

スポーツ選手について想像するとき、頭の中に思い描くのは、優れた肉体を持ち、どんなプレッシャーにも屈しない、強靭な精神力を持った人間だ。そのような人間は存在しないにもかかわらず、なぜかアスリートと聞くだけで、そんなイメージを持ってしまう。少なくとも、かつてイアン・ソープマイケル・フェルプスに熱狂していたわたしはそうだった。彼らのセカンドキャリアについて知ったとき、私ははじめてアスリートが弱い人間だということを知った。

振り返れば、オリンピアンに対する歪な構造は、以前から指摘されてきた。過剰なプレッシャーや、アスリートのライフサイクルを無視した育成計画、使い捨てのキャリア。IOCは、選手たちが活躍できるために充分なサポートをしていると主張しているが、それは彼らをメダルを獲得する商品としてサポートしているに過ぎず、弱さを抱える人間としてのサポートや、長期的なキャリアに対する支援が充分にあるとは言いがたい。

また、アスリートが政治発言を行うことに対しての忌避感はいまだに根強く、それに対するサポートも十分とは言えない。日本ではよく、アスリートが「人々に勇気を与える」ことが公共に影響を与える好例として挙げられる。しかし、この「勇気を与える」ということは、「競技に打ち込み勝利する姿以外を許さないこと」以外に他ならないと感じることも多い。以前、大阪なおみ選手がBLMについて支持を表明したときには、SNSを中心に彼女に対するバッシングのコメントが相次いだ。「アスリートは政治を語るな」と言い、抑圧しようとすることもまた、彼らが弱く、脆いひとりの人間であることを認知できないという証左なのだろう。

アスリートのプライベートや人権は守られる必要があるのはもちろんのこと、自身の人種や国籍、ジェンダーなど、アスリートが自分のアイデンティティに基づいて政治的主張をすることは当然の権利だ。彼らが勇気を出して声をあげた時にサポートできるようなサポーターが、東京五輪以降では増えていけばいいと切に願う。

 

つい先日、東京五輪の開幕の報せを受けて選手たちのInstagramを見ていた時、国内外問わず誰も政治的な発言をしていなかったことに、もはや私は驚かなかった。語るべき時に語る言葉を持つことを許されてこなかった彼らが、今になって突然意見を表明することなどできないだろう。公の場で自身の思いを適切に言語化するには、地道な訓練と心理的安全性が必要だ。その両方がオリンピックの舞台には欠けていることを、アスリートたちのInstagramは物語っているようだった。

今は語る時に語るべき言葉を持ち合わせていなくとも、仕方ないと思う。混乱のさなかで、自分の意見を表明することを諦めてしまった選手もいるのだろう。せめてこれから先、オリンピックに参加した経緯や背景、また参加に駆り立てた理由、そしてそれに対してどのように感じていたのかを、少しずつ自分の言葉で語ってくれればと願う。

もう五輪は始まってしまった。ずさんな開会式に準備不足の目立つ運営、内部で働く非正規雇用労働者の劣悪な労働環境、観客席での性的暴行事件、五輪スタッフの薬物乱用。耳を疑うようなニュースが次から次へと飛び込んでくる。そんな中で、自粛の皺寄せを受けて依然として経済的困難に陥っている人々や、感染者数が増加する中で必死に目の前の命をつなぎ止めようとしている医療従事者を思う。そして、そうした中で五輪を開催することを。

アスリートは競技以外でも人々を勇気づけることができるし、元気を与えることもできる。その可能性は、彼らの言葉にある。五輪が終わった後、粗末なこの現状を見つめ、スポーツの力とは一体なんだったのかを振り返ったとき、東京五輪というものは初めて意義のあるレガシーになるのだろう。

東京五輪から1年経過しようとしている。思うことは多々あれど、特に気になるのはその経済効果だ。東京五輪は異例の無観客試合、かつ市民の反対の声を押し切っての開催だったが、果たして東京都が試算した通りの経済波及効果はあったのだろうか。雇用を生み出すことが期待されたにもかかわらず、東京都の令和3年における失業率は改善したとは言いがたい数字だった。その内訳も、非正規雇用の増加が失業率に歯止めをかけていた。せめて開催後のデータだけでも取得していてほしいものだが、そうした取り組みは聞こえてこない。

すでに次は2030年札幌冬季五輪への誘致が予定されているらしい。誘致が始まってる中で、こうしたエビデンスがすこしでも活用されていくことを、東京五輪から1年明けた今、ただただ願うばかりだ。