東京で暮らす女のとりとめのない日記

暮らしとカルチャー、ミクスチャー

2021年度 振り返り

新年快楽。毎年1月は正月というイベントをこなすのに必死なためか、2月に入ってからのほうが年明けを実感する。中国にルーツのある同僚たちが次々と休み始め、社内に冬休みムードが漂うのもそう感じさせる一因かもしれない。今年度の仕事も見通しがついてきたので、2021年度の仕事と生活について振り返っていきたい。

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・仕事について

 マネジメントに積極的に関わるようになった1年だった。この数年で教育を担当した新人たちには「あなたはこの会社で働く上でのナレッジがないだけで、スキルで言えば私より遥かに優秀なので、私と踏み台にしてステップアップしていってください」と言っている。これは本心。なりたいマネジメント像としては少し方向性が変わってきて、自分の弱さを開示しつつ、とるべき責任は取れるマネージャーになりたいと思うようになってきた。そうしたマネージャーがいるチームは人間関係が良い。特にテレワークで働くようになってから、チームにおいて他者に弱さをさらけだせる安心感があることは大事だと思う機会が増えた。

仕事には概ね満足しているものの、社内の意思決定をする層に感じることが増えてきたのがもどかしい。中堅社員が次々と転職していく理由もなんとなくだが察している。ショックを受けても仕方ないのでタフにやっていくしかない。何より怖いのは自分もそうした上司になるのではないか、という不安があることだ。上に行けばいくほど誰も指摘しなくなり、権力があることに無自覚になってしまうのが怖い。僕たちはアサーティブですよ、というポジションをとり、大事なのはダイバーシティだよねと言いながら、何も見えていない彼らに足がすくむ。今は生意気なことばかり言えているけれど、それは私がよそ者だからで、彼らの中に入ったらそうはいかないのだろう。

まだ子供を持つ予定はないけれど、思い切って社内のワーキングマザー向けの集まりにも顔を出すようにしたのはよかった。今の仕事を続けて子供を持つのは正直無理だなと思っていたけれど、先輩社員たちのワークライフバランスの話を聞くことで少しずつ見方が変わってきた。保活、子育てしやすい場所、生まれてからの働き方。彼女たちが社内で密かに共有していたというナレッジシートの存在を知った。

以前ワーキングマザーの先輩に出産後のキャリアが不安で仕方ないと言う話をしたときに、頭の中で考えてばかりだと不安ばっかり膨らんじゃうから、生の声を聞ける場所においでよと誘われたのがきっかけだったのだけど、本当にそうだったと思う。割と私は頭でっかちになって勝手に苦しむところがあるので、これからも悩んだら誰かに相談したり行動するようにしていきたい。でも本当は何も気にせずぽーんと産んで育てられたらいいのにね。子供を産むという決断をするのは、社会に対してはもちろん、自分に対しての信頼がなければできないと感じる。

・生活について

同棲して3年目、日々すこやかに生活している。生活の中に散りばめられた小さな不満も楽しみも、そして感傷も等しくいいものだ。今年は公私ともに大変なことが多かったせいか、例年よりもふたりで日々を乗り越えてきたという実感がある。相手が信頼に足る存在で居続けようとしてくれることがありがたい。彼を自分の都合のいいように見ていないだろうか、刻一刻と変化する内面を知ろうとできているだろうかと内省しつつ、これからも良い関係を築いていきたい。

会えないながらも友人たちには支えられていたように思う。皆たくましく生きている。海外の大学院に進学した友人や、移住した友人の話には影響を受けて、東京以外に住むことも考えるようになった。遠方に住む友人とはお菓子を送りあい、自粛期間を励ましあっていた。私にとって東京のお菓子はいつの間にかウエストの焼き菓子になっていることに気づく。結婚をした報告もちらほらあった。姓を変える友人には、私が結婚したときに作った変更手続きのフローチャートを送った。離婚した友人もいた。どんなライフイベントがあったとしても、大袈裟に反応せず、相手の門出にただ寄り添いたい。中には思想が真逆の友人もいるけれど、それ自体が友人関係をやめる理由にはならないと感じている。遠ざかって線引きするより言葉を交わし続けたい。あるいは余白の期間を設けることで、また築けるものもあるだろう。

SNSは全く更新しなくなった。リアルタイムで言いたいことがない。今は白紙にのびのびと文字を書いては消しを繰り返し、自分の言葉を掘っていくことができるインターネットに居心地の良さを感じている。考えや見たこと、感じたことを文字にしたいという欲求が人より強いので、ブログでの発信は続けているけれど、それを広く伝播させたいという欲求はない。共感されたいわけでもなく、わかって欲しいわけでもない。ただそういう人間がいることを書き残したい。

感染症については絶えず思うところがあるものの、中でも特にショックだったのが千葉県で感染した妊婦を受け入れられる病院がなく、お腹の子が亡くなってしまったことだった。このことについては夫ともたくさん話をした。周囲のワーキングマザーに話をすると、みんなこのニュースを知っていて、その痛ましさを共有するだけで少し救われるものがあった。

芸能人や小説家などの著名人の訃報を聞いて、ショックを受けることも少なくなかった。自分が身近に感じていた人が、パタパタと亡くなっていく年齢になったということなのだろう。中でも山本文緒さんが亡くなられたのは本当に悲しくて、いまだに心の整理がつかない。中学生のころブックオフでタイトルに惹かれて手にとった『絶対泣かない』で夢中になり、『みんないってしまう』で確信を深め、さらに長編の『あなたには帰る家がある』や『ブルーもしくはブルー』でその魅力の虜になったこと。今でも新鮮な気持ちで思い出す。

一方で、今まで読んでもぴんとこなかった小説を読み返すと理解できるようになっていて、過ぎていった月日がギフトとして訪れることを知った。最近読んだ夏目漱石の『思い出すことなど』にあった、次の言葉が忘れられない。

考えると余が無事に東京まで帰れたのは天幸である。こうなるのが当り前のように思うのは、いまだに生きているからの悪度胸に過ぎない。生き延びた自分だけを頭に置かずに、命の綱を踏み外した人の有様も思い浮かべて、幸福な自分とてらし合わせて見ないと、ありがたさも分らない、人の気の毒さも分らない。

最近は明治から大正にかけて存在した作家たちに関心があって、彼らの本を読んでいる。小学生の頃に読んだきりにしていた『吾輩は猫である』も2022年のうちに読み返したい。

こうして人となるべく会わない生活の中で趣味を見つけようとすると、自然と学生の頃のような暮らしに回帰していくことを感じる。好きな作家の本を読み、ラジオや音楽を聞く生活。先日ラジオでスクールオブロックが聞こえてきた時は、その懐かしさに卒倒するかと思った。高校生の頃はフィッツジェラルドヘミングウェイ、三島に寺山修司が好きだった。新潮文庫を読んで集めたyonda?シリーズのグッズは今どこにあったっけ。

歌もまた昔から好きだった音楽を聴きたくなるフェーズのようだ。スティービー・ワンダーローリン・ヒルエイミー・ワインハウスにコモン、ロバート・グラスパーとプリンス、それからアレサ・フランクリン。何よりディアンジェロをよく聞いた1年だった。聞けば聞くほどディアンジェロの、特にクエストラブのドラムが格好よすぎて、とうとう自分でも演奏してみるようになった。今は夫に教わりながらドラムの勉強をしている。いつか彼が弾くギターと一緒にセッションできるようになりたい。

映画は色々見たにもかかわらず、あまり記憶に残るものがなかった。面白くなかったというよりは自分のチューニングの問題だと思う。その中でもスパイダーマン:ノー・ウェイ・ホームは心に残った映画だった。オープニングで流れていた"I Zimbra"はアメリカンユートピアでも演奏されていたトーキングヘッズの曲。曲のテーマは、人生に意味を求めるな。大義を為そうとするより目の前の生活を愛せってこと?と思っていたら、ラストでそういうことかと納得した。
メタバースのどこかにはアフリカ系アメリカ人スパイダーマンがいるかもね、という意味の台詞にはいままでこの作品を見て傷ついてきた子どもたちへの配慮を感じたし、ディズニーの資本が入ってからも、内省をエンタメとして提供できるマーベルでい続けてくれたことがうれしい。同じ年にクルエラを見て、女性の扱われ方にため息をついたので余計にそう感じたのかもしれない。二人がFace Timeで通話するのも今の恋人らしくて超かわいかったな。何よりあの絆創膏を見つめるシーンは素晴らしかった。

振り返ると、生活の中に小さな楽しみを見つけながらつないでいった1年だったように思う。来年度はどんな年になるだろう。そろそろ自分のことばかりに集中せず、その時が来たら若い人たちにも引導を渡していける大人になりたい。かと言って誰かのためにばかり動いて自分がどうしたいか見失うのも避けたい。自分の中の揺らぎをチューニングしながら、アンコントローラブルな身体を受け入れつつ生きていこう。

そして周囲の人への感謝を忘れず、人と関わることをより大切にして生きていきたい。それは私の半径2メートル以内のコミュニティだけでなく、普段は関わらないがこうして生活の一部になっている人たちに対しても。