東京で暮らす女のとりとめのない日記

暮らしとカルチャー、ミクスチャー

美味しい暮らし #4月編

 2019年4月に食べたもの

山東の水餃子

横浜デートついでに山東の水餃子が食べたいと言って寄り道。水餃子の生地はふわもち系かな?餡はとってもジューシー。ココナッツダレがずっとどんな感じなのか気になっていたのだけど、ココナッツ以外にも色々なスパイスが入ってて風味豊かな美味しさで良かった。個人的にセロリ水餃子がすっごく好みだった。

お食事酒処和の海鮮丼セット

本格的に配属が決まってからだとなかなか親に会えないし、ということで週末に彼と二人で地元へ。母と祖父と夫は海鮮丼、私はミニ海鮮丼と魚の煮付けのセット。こういう時はいつも迷って決まらない人間なので、欲張りセットがありがたかった。手前のあら汁もナイスよ。ところで祖父が夫に会うたびに少しずつ笑顔を見せるようになってくれて孫は超嬉しいです。このまま少しづつで良いから仲良くなってほしいな。

福島駅近辺の居酒屋で日本酒と肴

名前を忘れてしまった…がしかしめちゃくちゃ美味しかったので記録。美味しい福島のお酒と郷土料理が食べたい!と夫に言ったら秒で探してくれて愛を感じた。ワガママな妻でごめんなさい。鰊の山椒漬けと、たぶん会津中将。福島のお酒はどれを飲んでも本当に美味しいしご飯にも合うし好き。しかしどこにあったんだっけ…。

お店のお姉さんにオススメされた椎茸の炭火焼。肉厚で歯ごたえもよく、これまた本当に美味しかった…

ところでこの時に夫のお店選びがちょっと私に似てきたような気がして嬉しかった。夫婦、どんどんこの調子で似ていきましょう。 

Patisserie cafe POCHEでキャロットケーキ

花見山公園でのんびり散策した後に気になっていたお店へ。落ち着いた雰囲気で気が緩む。これは夫が頼んだケーキ。確かいちごのチーズケーキだったかな。一口貰おうと思ったらあっと言う間に無くなっていたので、多分美味しかったんだと思う…。店員さんは一人で切り盛りしているにも関わらず、感じよくて素敵だった。

私が頼んだのはキャロットケーキ。バターたっぷり焼き込み系。

ティースプーンが可愛らしくて。

花見山近くの屋台

花見山には特設のお土産ブースとお食事どころがちらほらあったのだけど、そこで買った桜のおにぎり。お米ふわふわで塩気が効いていて美味しかった。

800°DEGREES 東京国際フォーラム店でピザ

いつものメンバーと三人でご飯。二人とも謎の安定感があって会うと落ち着く。このあとkitteの屋上で東京駅を見るなどした後、友人の乗った電車を発車後に追いかけてエモい別れを演出することに成功した。しかしナポリピザもちもちで美味しかったな〜。あとここのビール美味しい。いつかここで自分の好きな具を浴びるほど乗せてみたいという密かな野望がある。

ネオ喫茶KINGで平飼い卵のプリン

銀座でお買い物をして疲れたので、そういえば友達がオススメしてくれたなと思い阪急メンズ館地下のカフェへ。なんか色々お洒落だなと思って後から調べたらトランジットジェネラルオフィスが関わっていると知った。バイミースタンドやメログラーノのナポリタンもあるらしいのだけど、この時はプリンな気分だったので平飼い卵のプリンを。カラメル甘めでコーヒーと交互に食べた。チマチマ食べの楽しみよ。

Furutoshiでフルーツサンド

銀座で女子会(言ってみたいだけ)。以前友人がインスタに上げていて、以来気になっていたオープンタイプのフルーツサンド。塩気の効いた食パンに、甘いの酸っぱいのがクリームでまとまっていて美味しかった。バイキングもついてきて、ドリンクはセルフでお代わり自由なのも嬉しい。しかし朝の朝食バイキングってなんでこうウキウキしちゃうんだろうね。研究の話も楽しかったな。

きつね庵 お揚げさんを味わう特製きつねうどん

仕事がしんどくてしんどくて仕方がなく、無性に京うどんが食べたくなり駆け込んだお店。お店に入った途端お出汁の良い香りがして咽び泣くかと思った。よく炊かれよく染みたお揚げが超美味しくて、仕事のしんどさが少し軽くなりました。

5月も美味しいものを沢山食べて生き延びるぞ〜。

 

かつて私が貧困だったとき

2020/12/13追記

本記事は有料記事へ移行しました。

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今年の4月くらいにこの記事がバズりました。今でもネット上のどこかでこの記事のリンクが漂っているのではないのでしょうか。おそらくそこから記事を読みに来てくれた人もいるかもしれません。この記事は特に有益な内容は書いておらず、それまでの経験を決して忘れることがないよう、昔の自分が今の自分に宛てて出した手紙のようなものです。おそらくこれを読んで得られるものは特に無いでしょう。本人の予想を超え、あまりにも多くの人の目に触れたため、ピークは過ぎたであろう頃合いで有料化をすることに決めました。
この記事がバズってから今日まで様々なコメントがこのブログにも寄せられ、その殆どがかつてのご自身の境遇と重ねるものが殆どであり、その切実さに胸打たれたこともありました。ネット上のやりとりではありますが、相手の肩を抱いてなぐさめたい衝動に駆られたこともありました。好き勝手書いた手記のようなものですが、誰かの魂にこの記事が寄り添えることができたのであれば、人の目に触れられる形にしておいて良かったとも思います。一方でこの記事を読んで傷ついた人もいたでしょう。
記事がバズってからは極力コメントに反応しないという方針をとっていました。それはその人の声を掬い上げて消化させる役割は自分では無いと思っていたからです。とは言え、肯定的なコメントも否定的なコメントも等しく届いていたことはここに記しておこうと思います。
一つだけお返事させてもらえるとすれば、一人の方から寄せられた「こんなのは貧困では無い」というコメントについてです。文面から察するにおそらく大学生では無いかと推察しています。もしかしたらご自身も辛い境遇にいるのかもしれません。このコメントを書いた意図が八つ当たりなのか、何か考えがあってか、見下してかはわかりません。しかし、このブログに綴った内容は一人の人間が経験した貧困です。それはあなたに違うと言われてもそうなのです。
記事にもあるように当時の収入は相対的貧困に該当する水準でした。貧困と聞いて多くの、とりわけ裕福な人々がイメージする飢餓状態で医療を受ける機会もままならない極限の状態は絶対的貧困と呼ばれます。相対的貧困とは日本において普通の人々が享受できている標準的な生活ができていない状態です。
当時の私の状況は記事に記した通りです。これは普通の状態でしょうか?もっと苦しまなければなりませんでしたか?
私は怒っています。この状態を貧困では無いといってしまうあなたに対して。この状態の人々が増え続けている現状に対して。何よりそれがあなた自身を追い詰め、精神を喰い潰し、腸を抉り出すほどの苦しみを与えることにならないことを祈っています。
また、人の目に触れる記事なのでこのブログにはなぜ私がこの状況に陥ったのか・このような経験をしなくてはならなかったのかといったパーソナルなことは記載していません。それは私の大切な部分を見ず知らずの人たちに明け渡すことになるからです。この記事だけにかかわらずネットの言説は断片的です。それを読んで相手を全て否定できる材料があると思った、あるいはそれを読んで相手を理解できたと思ったのであれば、それは素直すぎるでしょう。ここに書かれているもので私があなたに明け渡したものなど一つもありません。
もし今自分が貧しく、苦しい状況に置かれているのであれば、まず周りの人に救いを求めてください。それは行政などの公的な機関です。間違ってもあなたの苦しみを利用しようとする大人を頼ってはいけない。
そしてもし少しでも自分の置かれた立ち位置を学び見つめたいと思うのであれば、以下の本を読んでみてはいかがでしょうか。

いつかあなたが同じような境遇の人間を見たときに、決して同じことをその人へ伝えることがないよう祈っています。

 

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ドライブ旅行の話 長野編#3 旧三笠ホテルとエンボカのピザ

旧三笠ホテルで明治の面影に触れる

白糸の滝を後にして、次にどこに行こうか車内で話し合い、白糸の滝へ向かう道すがら発見した旧三笠ホテルに行くことに。この旧三笠ホテルは国の重要文化財で、明治時代には「軽井沢の鹿鳴館」と呼ばれていたそう。入り口の受付でチケットを購入し、一歩足を踏み入れると、風格を讃えたホテルが出迎えてくれます。

 現在旧三笠ホテルは、柵や木々に囲まれた場所にありますが、建設当時は果てしなく広がる草原の中に佇んでおり、ホテルからは駅舎がよく見えたそうです。給仕さん達は窓から汽車の到着を把握して、お客様を出迎えるための準備をするなどされていたそう。なんとも可愛らしいエピソードです。

用意されているスリッパに履き替え、右手に進むとロビーが見えてきます。

 

調度品は一部現代のものと差し替えてはあるそうですが、そのほとんどが明治時代から使われているものらしく、暖炉の煤でくすんだ風情やシャンデリアの鈍い光、窓から入る光に照らされた床の艶加減に胸が高鳴ります。

こちらはホテルの受付。なんだかグランドブダペストホテルのワンシーンのようです。ちなみに奥のキーボックスも、明治時代から使われているものだそう。

明治時代、多くの紳士淑女や文豪らが訪れた旧三笠ホテル。ずっとロビーにいると、当時の賑やかさが思い起こされるかのようです。

また、廊下の天井部分に細工された木の梁や、ランプシェードの優しい光がとても印象的でした。

この見学途中、中国人の若いお嬢さん達に写真を頼まれてカメラマン役を行ったのですが、皆さん元気で礼儀正しくて、こちらまで愉快な気持ちになりました。大学の冬休みで旅行に来たそうで、あれから無事に帰国しただろうかとこの思い出を振り返るたびに考えます。彼らの明るく元気に充ち満ちた姿を見て、明治の上り坂を駆け上がっていくような日本人達もこのように溌剌としていたのだろうか、などと思いを馳せました。

それから、客室には「軽井沢彫り」と呼ばれる細工が施された棚や机も展示されていて、こちらもとっても素敵でした。写真に残すのを忘れてしまったので、足を運んだ際はぜひ見て頂きたいです。

明治の文化遺産が悠久の時を超えて、こうして様々な人々を楽しませていることを知ったら、当時の人々はどんな風に思うだろうと、少し不思議な気持ちになりました。

エンボカのピザでランチタイム

旧三笠ホテルを満喫したところで、お腹が空いて来たので軽井沢でそのままランチをすることに。以前から気になっていたエンボカに連絡をしたところ、運良くお店に入れるということでお願いしました。

緑のモダンな玄関を開けるとボタニカルなテーブルアレンジが目に入り、テンションが上がります。

店内は明るく天井が高く、窓から光が差し込んで気持ちの良い空間です。また、カウンター越しには石釜があり、スタッフさんがピザを焼いている様子を見ることができます。

この日は夜にご飯の予定もあったので、店員さんにお伺いして連れとハーフアンドハーフでピザを一枚頼むことにしました。

写真を撮り忘れてしまったのですが、食前に頼んだ炭酸水が美味しかったです。次に行くときは忘れず銘柄を控えておかなくては…

この日頼んだのは松の実と蓮根のピザとキノコとチーズのピザ。どちらも味が濃くてとっても美味しかった!生地は香ばしく、モチモチっとした弾力のあるナポリピザでした。メニューに載っている他のアラカルトもどれも魅力的で、胃袋と時間が許せば長居したかったです。

www.enboca.jp

エンボカは京都・東京にもお店を構えているそうなので、何かの折にまたぜひ伺いたいなと思います。

 

続く

ドライブ旅行の話 長野編#2 白糸の滝

白糸の滝で清涼な自然の空気を感じる

目当てのジェラートを堪能して満足したところで、次の目的地の白糸の滝を目指して車を走らせます。白糸の滝はリビスコから車で30分くらい。軽井沢の別荘地を軽快に通り過ぎ、山道をぐるぐると登り降りしつつ向かいます。

白糸の滝がある有料道路「白糸ハイランドウェイ」の入り口で、係りのおじさんにお金を渡し、そのまま進むとすぐに白糸の滝の入り口が見えてきます。

無料の駐車場があるので、そこに車を停めて、歩いて白糸の滝へ。暖房の効いた車内から降りた途端、顔にひんやりとした冷気が当たり、それすら心地よく感じました。

滝に向かう遊歩道沿いには湯川が流れ、この光景だけでも充分気持ち良いです。

この川の流れ着く先は信濃川だという話を聞き、川がゆく旅路のロマンに思いを馳せます。

ちなみに冬場でも遊歩道はきちんと整備されていて、スニーカーで歩けるくらいでした。夜はプロジェクションマッピングもやっているそうです。(2018年時点)

まだ午前で冬の寒い時期ということもあり、観光客は数える程。川のせせらぎに遠くで鳥の鳴く声が聞こえ、ただただ心が凪いでいきます。

写真の木彫りのリスの奥に見えるのは、古くから軽井沢で使われる浅間石。

浅間石には①から積み②練り積み③貼り付けの3種類あり、順にそのまま積む方法と、コンクリートを裏から流し込んで接着する方法、そしてコンクリートの壁にそのまま貼り付ける方法を使って石積みを行うそうです。また、白糸の滝は練り積みで行われているとのことでした。浅間山という火山がある地域だからこそできることなんだなと、しみじみ人間の知恵と逞しさを感じます。

そうして歩いて5分も経たないうちに、白糸の滝が見えてきました。

あまりにも均一で綺麗なので、人口滝かなと思い後から調べて見たのですが、やはり湧き水を均一に落水させるため、人口的にほりこんで作られた滝のようでした。しかし、人の手が加えられているとはいえ、豊潤な湧き水がなければ実現し得ない光景です。

山間から差し込む太陽の光や、見る角度によって滝の表情が変わり、ずっと見ていても飽きません。

観光用に作られた木彫りのリスたちも可愛いです。

透明度の高い水のため、滝壺は底まで見通すことができました。

しばらく堪能したのちに駐車場に戻る道すがら、枯れ木の間から姿をのぞかせた太陽が綺麗だったので写真に納めました。

白糸の滝、次は新緑の美しい時期に足を運んでみたいです。

続く

 

ドライブ旅行の話 長野編#1 リビスコの絶品ジェラート

ドライブ旅行のススメ

少し前の話になりますが、12月の連休を使って長野、愛知、三重と車でドライブしてきました。ノリと勢いで決め、ざっくばらんな計画だけを立てて、半ば見切り発車状態で始まった旅行でしたが、思い返してもしみじみ楽しかった。

走行距離を考えると、飛行機や新幹線で現地に赴いてから、レンタカーを借りるのでもよかったのかもしれませんが、今回車で旅行をしたことで、パーソナルスペースが常に確保されて快適なところ、移動が公共機関の運行状況に左右されにくく焦らず観光に時間を割けるところなど、車で長距離旅行をするメリットを実感しました。ドライバーが二人いれば交代で運転できて楽だし、何より車で見知らぬ街を走行する楽しさは、ロードムービーさながらで良い想い出になりました。

1日目は長野県

東京を朝の8時に出発し、真っ青な空の下、車を走らせて目的地を目指します。この日は行く途中に高速道路から富士山が見えてとても気持ちがよかった。

当初の目的地は、ニホンザルが温泉でくつろぐ姿がみれるという地獄谷野猿公苑だったのですが、ナビの示す道が凍結によって通行禁止になったために断念。

jigokudani-yaenkoen.co.jp

私も彼も雪が比較的積もりにくい土地で生まれ育っていたので、雪国あるあるの洗礼を受けてテンションが上がりました。「ゆるキャン△でもこういうシーンがあった!」とはしゃいでいたのは我々だけだったんじゃないだろうか…

 

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※【コマ引用】『ゆるキャン△』(あfろ/まんがタイムKRコミックス)3巻より

気を取り直して、軽井沢方面の道は通じていたため、以前から気になっていたジェラート屋さんに目的地を設定し、雪道を走ります。

長野は山々に囲まれているだけあって、暖冬と言われていた12月中旬でも雪が積もっていました。枯れ木の間から差し込む太陽の光が雪に反射して綺麗だった。少しだけ窓を開けると、清涼な空気が車内に流れ込んできて、清々しい気持ちになりました。

そうして、そうこうしているうちに目的地のジェラート屋さんに到着しました。

目的地はここ、軽井沢にある「リビスコ」というジェラート屋さんです。

以前から気になっていたのですが、最近お店が移転してジェラートのモチーフがキュートな、モダンで清潔感のある可愛らしい空間になっていました。外にある看板も可愛らしくていちいち写真に撮ってしまう…

夏場は行列が絶えないそうですが、この日は気温マイナスということもあって、お客さんはポツポツ見えるくらい。この日はショーケースに4種類ジェラートがあったので、私は小布施牛乳とイチゴにしました。

店員さんによると、ジェラートは鮮度を保つために毎日作り、売れなかった分は廃棄するそう。そのためどうしても集客の少ない冬場は展開できる種類が限られてしまうそうです。

ジェラートひとつに対するこだわりは味にもしっかり感じられ、どれも美味しいの次元が違う…と感じました。例えばイチゴ味のジェラートはフレッシュさと甘さのバランスが絶妙で、延々と食べ続けていられるくらい美味しいのに、印象がはっきり残る。そして小布施牛乳のジェラートは、乳脂肪分のコクがしっかり感じられるのに、舌に残るようなもったり感はなく、甘さがふわっと舌に馴染んで爽やかな余韻がありました。本当にこれは感動した…

連れ合いの塩キャラメル味も一口もらったのですが、これはパンチの効いた美味しさがあって、フレーバーごとに全く異なる様相を見せてくるリビスコジェラートにすっかり虜になりました。

tabelog.com

ちなみに店内は暖房もしっかり効いているので、安心してジェラートを堪能することができます。私たちが伺ったときは、店員のお姉さんに「ここが一番暖房が聞いていますよ!」と教えていただいて、ぬくぬくしながら楽しむことができました。

 

帰りに通りかかったタバコ屋さんの看板が可愛かった。

満足してジェラート屋さんを後にし、次は白糸の滝へ向かいます。

続く

 

 

白檀の香りから思い出すこと

母方の祖母は私が8歳の時に亡くなった。死後、身内で形見分けを行い、小学生だった私は赤いビーズのついた白檀の扇子を譲り受けた。以来白檀の香りを嗅ぐと、遠い記憶の片隅にある、祖母との想い出が鮮やかに蘇ってくる。

幼い頃の私は祖母が作ってくれる料理が何より好きで、いつも夕飯時になると実家を抜け出し、祖母の家で夕餉をご馳走になっていた。特に南瓜の入ったクリームシチューが大好きで、私が来る日はよくそれが用意されていた。石油ストーブの上でそれが温められていた穏やかな光景は、いまでもよく覚えている。

祖母は祖父と結婚したあと、得意の洋裁や和裁の仕事は辞め、家で家族のための着物や服をよくしつらえていたという。幼い頃、祖母が作ってくれた青海波の生地のワンピースは特にお気に入りだった。今となっては祖母がどういう理由でその生地を選んだのかはわからないが、調べると「無限に広がる波のように、未来永劫に続く幸せへの願い」とあった。いつかこの世に別れを告げて彼岸を渡った時に真意を聞いてみたい。卒業式には祖母が残した振袖を着るつもりだ。

結婚生活は苦労も多く、特に祖父の母には辛い想いをさせられていたと母から聞いている。曾祖母は気位が高く、祖母をいびることが多かった。認知症になってからは暴力やボヤ騒ぎを起こすようになり、症状が酷くなってからは徘徊もするようになった。先日母の友人に会った時に、「私が中学生の時、あなたのお祖母さんが真っ青な顔で人を探していて。私と目が合うと『このことはあの子には黙っていて』って。きっとひいおばあさんを探していたのよね…」という話をされ、私の知らない祖母の姿が脳裏にべっとりと張り付いたようだった。私は祖母のことを何も知らないのだな、と改めて思わされたような気持ちだった。

私の前ではいつも祖母は優しかった。祖母の家の近くにはウサギを飼っている家があり、小さい頃はよくそこに二人で手を繋いで歩いて見に行った。可愛い手袋を買ってもらった日は、嬉しくて手袋の歌を歌って帰った。か弱い祖母の身体が骨になるのが耐えきれず、火葬場ではずっとその場から離れられなかった。

残された家族はそれぞれの道を歩み、当時のことは忘れたかのように生きている。家族の歴史の中で忘れられていく人たちを思う。祖母は結婚生活ではひたすら苦労し、長い闘病の末に亡くなった。祖母の一生は果たして仕合わせだったのだろうか。

白檀の香りを嗅ぐと、どうしてもそうした想い出と結びついてしまい上手く纏うことができない。以前とある香水売り場でたまたま白檀の香りを試してしまった時に、思わず祖母のことが脳裏をよぎり、しばらくその場で雷に打たれたように立ち尽くしてしまった。売り子さんから「オリエンタルな良い香りですよね」と言われ、そう思うにはこの香りに思い入れがありすぎるな、とひとりごちてその場を後にした。

固く閉じた引き出しから淡く香る白檀の香りだけで今は良い。人生における疑問の一つに答えが出た時に、初めてこの感傷的で、寂しく、不可解で哀悼が内包されたこの香りと向き合える日が来るだろう。

4泊5日四国旅#8 坂の上の雲を巡る旅

最終日は伊予松山で

夜は道後温泉で一泊して、早朝から道後温泉周辺を散策です。

今回四国に旅に行こうと思ったきっかけの一つに、私も彼氏も司馬遼太郎の「坂の上の雲」が好きだと言う理由があり、以来道後温泉はずっと来てみたかった場所の一つでした。

道後温泉を散策

旅館から歩いてすぐ道後温泉駅があり、レトロな駅舎に胸が高鳴ります。

駅舎はスターバックスコーヒーと隣接していて、中でお茶することも可能だそう。

このあと電車にも乗るのですが、一旦駅は離れて周辺散策へ。

駅前のカラクリ時計。8時〜22時に1時間ごとにメロディが流れ、夏目漱石の小説「坊ちゃん」の登場人物がくるくると飛び出して来ます。

近くには若かりし頃の正岡子規銅像も。確か子規は日本における野球の翻訳を行った先駆者なんですよね。晩年の表情に深い翳が刻まれている写真が一般的ですが、この銅像の表情はまたそれとは違ったあどけなさがあり、こうした姿が残っているのは良いなと思いました。

また、子規は夏目漱石とも交友があったと言われており、カラクリ時計の近くに銅像があるのも二人の友情を示しているようで良かったです。

こちらは足湯。まだ8時前の散策だったためお湯のない写真ですが、8時以降はちゃんと誰でも利用できるので、もし散策で足がだるくなったらぜひ。

商店街ではちょうど梅佳代さんの「坊ちゃん」をテーマにした写真が掲げられていました。無邪気で腕白そうな少年たちに、ここが出身地である正岡子規や、日露戦争で活躍した秋山兄弟の姿を重ねます。

そして商店街を通り抜けると見えてくるのが

ご存知、道後温泉です。

早朝ということもあり、まだ人気がなく、一層荘厳な雰囲気を湛えていました。屋根の上にある白鷺のモチーフも可愛らしいですよね。道後温泉は傷ついた白鷺がその傷を癒すために湯治をしていた姿が始まりと言われています。

もちろん温泉にも入ってきました。少し熱め、そして深めの浴槽に肩まで浸かり、とても気持ちが良かったです。

中の写真はないので、興味のある方は公式サイトを参照ください。

dogo.jp

後ろからの光景。緑の屋根の部分は皇族専用の浴室として作られた「又新殿」と呼ばれる部分です。

また、写真は撮りませんでしたが鷺谷墓地にも行き、秋山好古のお墓まいりもして来ました。

近くに猫がいて、お供え物やお花も新しく、死後も愛されている様子が好古らしかったです。

続いて道後温泉を後にして大街道駅へ向かいます。

坊ちゃん列車でガタンゴトン

ホームで普通列車を待っていたのですが、どこからか汽笛の音が聞こえ、「これはもしや…」と思ったところやはり!伊予鉄坊ちゃん列車の登場です。 

せっかくだからこれで行こうと話をして乗車をすることに。

車内はほぼ木造で、当時の作りを再現してあります。

通常の電車より体に電車の振動が伝わりやすく、昔の方はこんな感じだったのかな、と追体験しているようで楽しかったです。

旅は道連れ世は情けで、心なしか車内の皆さんもリラックスしていて、お互いに写真を取り合ったり、談笑していました。

私も隣のおじいさんに、自分は昔新婚旅行で大阪から来たこと、今日は娘たちが連れて来てくれて30年ぶりに松山に来れて嬉しいという話などを聞かせてもらいました。

目的地に到着し、電車を下車して別れを告げます。

車掌さんたちも気さくでとても良かった。

お達者で!

 

我々は旅の目的地である秋山兄弟の生家と坂の上の雲ミュージアムを目指します。

続く