東京で暮らす女のとりとめのない日記

暮らしとカルチャー、ミクスチャー

安心してひとりになりたい人のための、開かれた秘密基地 ヒアシンス・ハウス(設計:立原道造)

埼玉県さいたま市にある別所沼公園。この公園には清らかな水がこんこんと湧き出ている沼があり、その畔には一軒の小屋が建っている。
小屋の名前はヒアシンス・ハウス(風信子荘)。詩人であり建築家でもあった立原道造が、自分自身のために設計した小さな小屋だ。

ヒアシンス・ハウスの近くにはポールがあり、室内にボランティアの方がいるときは空色の旗が掲げられている。情緒にあふれた仕掛けが愛おしい。

建物は屋根を支える部分と窓枠がペールグリーンでペイントされていて、どこかロマンティックな趣がある。屋根には雨水が自然と流れ落ちることを考えて傾斜をつけたのだろうか。全体的に、線がすっきりとしている印象を受けた。入り口のステップ、またその脇にある四角形の石も、外界と建物を明確に分けていて立原のこだわりが感じられる。

雨戸をしまうための戸袋には、北欧のデザインから影響を受けたと言う十字のマークが彫られていて、いいアクセントになっていた。玄関にあるドアの引手にはツタのような装飾が施されていて可愛らしい。

よく見るとドアの色は窓枠と同じだ。立原は建物と外界をつなぐものを意図的に塗り分けて設計したのだろうか、なんて考えるのも楽しい。
ワクワクしながら中に入ると、小屋の内部は外観のイメージを引継ぎつつも、よりパーソナルな雰囲気だった。

寝床と執筆作業のためのカウンター、それから来客用のダイニング。窓が3箇所設けられているものの、うち2つはコンパクトに設計されていて、必要最低限の明かりだけが入ってくる。まるで少年少女がやわらかな感受性で思い描いたような秘密基地のようだ。興味津々で眺めていると、ボランティアの方が設計図を見せてくれた。

立原が残した設計図には、詳細なスケッチや家具のデザインまでもが書き込まれていた。本来この小屋は、寝室側から沼を望めるように設計されていたらしい。起床したあと、寝室の窓から朝日に照らされる沼を眺め、日中はカウンターで執筆作業を行い、午後以降は南向きにある大きな窓からたっぷりと明かりをとって、ダイニングで友人をもてなしたり食事をしたりする想定だったのだろう。4.58坪というミニマルな空間に、自然と人の生活様式を調和させるようなデザインが施されていて、立原のセンスのよさに思わず唸った。

改めて寝室の窓を見る。確かに朝早くに目覚めて、この小さな額縁のような窓から、太陽に照らされて小波の立った水面を眺めることができたなら。そしてこの蔦のような取手を引いて窓を開け放ち、涼やかな風を顔いっぱいに浴びることができたのなら。それは人生において、忘れ難い時間になるだろう。

視線を脇にずらすと、ベッドボードの棚には立原の写真や、ヒアシンス・ハウスが掲載された雑誌が並べられていた。立原の豊かな感受性が光る眼差しと神経質さを感じさせる口元には、青年期を過ごす人特有のアンバランスな魅力がある。彼はヒアシンスハウスの竣工を実現することなく夭折したが、今この姿を見たら何と思うのだろうか。

彼が実際に使用していた燭台も、またこれに合わせて設計された椅子も、情緒的でとてもよかった。椅子に座ってカウンターに肘をつき、窓の外をじっと眺めているだけで、自分の時間を生きている実感がふつふつと湧いてくる。

あまりにも心地よい空間にすっかりくつろいだ気持ちでいると、ボランティアの方が「ダイニング側にある大きな窓を開けてみせましょうか」と提案して下さった。せっかくなのでお言葉に甘えてお願いする。

角を取り囲んだ窓は、その一枚一枚が驚くほど滑らかに戸袋へと吸い込まれ、外からは爽やかな風が入ってきた。「窓を開けただけでこんなに開放感があるんですね」とボランティアの方に伝えると「ええ、夏場なんかはここを開けているだけで、だいぶ体感温度が変わりますよ」とのことだった。出窓のような作りになっているので、気分転換をしたくなったら、ここで腰をかけて外を眺めてもいい。なんて素晴らしいのだろう。

うっとりした気持ちのままボランティアの方にお礼を告げて、ヒアシンス・ハウスをあとにする。せっかくなので、公園をぐるりと散歩していくことにした。驚くことに、水辺を歩いているだけで、沢山の野鳥と遭遇する。川鵜に白鷺、そしてカイツブリ

沼の水は底が覗けるくらい澄んでいて、歩いているだけでとても気持ちがいい。立原がここに移住したいと思った気持ちもわかるような気がしてくる。そうして沼を半周ほどしたあたりで、視界の端に青い生き物が映った。

カワセミだ!まさかここで出会えるとは思わなかった。ふくふくとした蜜柑色のお腹に空を写したような青い羽、上下にちょこちょこと動く様子、どれをとっても可愛らしい。カワセミがいるくらいなのだから、動物たちにとっては恵まれた環境でもあるのだろう。

すっかり満足して公園を後にしようとすると、猫が2匹仲睦まじく並んでいる様子を見かけた。この公園では人間も動物たちものびのびと生活している。その姿は、立原が生きていたころと同じだろうか。

ヴァージニア・ウルフが「女性が小説を書こうと思うなら、お金と自分一人の部屋を持たねばならない」と『自分ひとりの部屋』で記しているように、自分の人生をまっとうするためには、安心してひとりになれる部屋が必要だ。そのことを立原は感覚的に知っていて、ヒアシンス・ハウスを設計したのかもしれない。

ひとりで集中できる空間にいるときにだけ感じることができる充足感。何者からも介入されずに、自分だけの時間を生きることができる場所。そうした場所があるからこそ、人は社会で他者と関わり、生きていくことができるのではないだろうか。かつてそれを望んだ人によって残された建築が、今も誰かのための居場所としてその扉を開いている。そのことが、とても幸福なことのように感じた。

夕陽は沼の水を照らして黄金色に染め上げていく。鳥たちが巣へと帰ってゆく。それを眺めながら、立原が夢見た牧歌的な風景に思いを馳せた。

 

Information
建物名:ヒアシンスハウス
住所:埼玉県さいたま市南区別所4丁目12-10

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