東京で暮らす女のとりとめのない日記

暮らしとカルチャー、ミクスチャー

美味しい暮らし #6月編

はじめに

今年の6月は例年より暑く、それが生活にも影響していたような。そんな6月の暮らしを振り返ります。

 

外で食べたものあれこれ

カネ十 焙じ茶ラテ

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サンプルセールへ行った帰り道、久しぶりにカネ十の前を通りかかったのでお茶をすることに。まだ午前中なこともあってか、休日なのに店内は貸切だった。店内の窓からは裏手にある「ののあおやま」のビオトープがきれいに見える。これも借景のひとつになるのだろうか。緑に乏しい表参道で、こうして自然が感じられる場所があることがただただうれしい。
店内のカウンターは平織りの畳で出来ていて、敢えて縁無しになっている。おそらくは茶道をモチーフとしているのだろう。空間に和の意匠を取り入れながらも、開放感が感じられて居心地がよかった。
この日は夫が頼んだチーズホイップティーが美味しそうだったので、つられて焙じ茶ラテを頼むことに。普段ティーラテ系の飲み物はあまり頼まないのだけれど、ここの焙じ茶ラテは甘さが控えめでさらりとしていてよかった。私のように甘い飲み物が得意ではない人にはおすすめだと思う。お茶の味をきれいに届けたいという意志が感じられる飲み物。そのストイックさが惚れ惚れするくらい格好よかった。
以前はカネ十のお茶を買おうと思うと表参道店に行くかアコメヤに行くかしか選択肢がなかったけれど、いつの間にかオンラインショップを開設していたらしく、手軽に買えるようになったのが嬉しい。シーズナルの檸檬煎茶が好きなので、この夏はそれを飲んでうだる暑さを乗り切ろう。

kaneju-farm.co.jp

 

 新宿高野 フルーツショートケーキ

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頂き物の新宿高野のフルーツショートケーキ。新宿高野のケーキを食べるのは実はこれが初めて。フルーツケーキは日本橋千疋屋びいきだったけれど、新宿高野のショートケーキも負けず劣らず美味しかった。フルーツはどれもちょうどよく熟していてハズレがないのが嬉しい。生クリームは乳脂肪分が高いこってりした味なのでフルーツと相性がよく満足感がある。スポンジは肉厚でしっとりとしてふわふわ。たまにあるフルーツとクリームとスポンジが大喧嘩しているケーキとは一線を画して、それぞれがそれぞれの個性を活かしあい受け止め合う良いケーキ。
おそらく日本の文化に馴染んで育ってきた人たちには、ひとりに対してひとつの「我が心のショートケーキ」があると思う。高野のショートケーキはハレの日に食べる、誰もが心に浮かべるショートケーキの理想像に近い。親しみやすさと特別感が同居するその懐の深さとバランス感覚が素敵な、ある種の憧憬を感じるようなケーキだった。

 

老松 夏柑糖

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毎年この時期になると早めのお中元と称して夏柑糖をいただいていたのだが、今年は別のものが届いたので伊勢丹に行って一つだけ持ち帰ってきた。どうにもこれを食べないと、夏がきた感じがしなくていけない。

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夏柑糖は味もさることながら、包丁を入れる瞬間も好きな理由のひとつだ。スッと刃を入れると透き通ってつやつやとした表面が現れ、あたりに柑橘のいい香りが漂う。それまでの鬱屈とした気持ちが一瞬にして晴れやかになり、まるで夏を迎えるための儀式のようだと思う。
食べ終わった後は皮を千切りにし少しのお砂糖と一緒に煮詰めて、マーマレードにするのも楽しみのひとつ。ほろ苦くて爽やかな甘さのマーマレードはこの時にしか出会えない一期一会の味。今年はうっかり煮詰め過ぎてしまってキャラメリゼになってしまったのだけれど、これがまたお茶うけにちょうどよくて怪我の功名だった。たまにはうっかりしてもいいことがある。

 

 佐藤錦

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実家から「季節を感じる暇もなさそうだから」と送られてきた佐藤錦。箱を開けた瞬間つやつやの宝石が目に飛び込んできて、しばらく見入ってしまった。さくらんぼというものは、どうしてこんなに可憐で愛らしいのだろう。
さくらんぼでタルトでも作ろうか、蜜漬けにしようかと考えたものの、この美しさに手を加えずそのままいただきたいと思って結局全て加工せず食べ切った。こうもどこにもいけないと次第に身体から季節感が失われていく気がするけれど、それでも旬の野菜や果物を摂取することで保っていられるような気がする。母の気遣いがありがたかった。

 

作った料理あれこれ

小堀紀代美 ハムマーマレードとパセリサンド

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以前、家に大量にあるクスクスをやっつけるためにタブレを作ったとき「パセリってこんなにも美味しいのか!」と開眼し、それ以来スーパーで見かけては買う癖がついた。それまでパセリは洋食のプレートにある脇役という印象だったけれど、タブレを食べ、パセリというものは本来は料理に香味と深みを与える主役級の底力を持つ食材なのだということに気がついた。以来こんなにも美味しく高い栄養価を含んでいるのにも関わらず、いまだに脇役のイメージが強いパセリを不憫に思っては、売れないアイドルを応援するファンのような気持ちでパセリを気にかけている。もっと世間はパセリの良さに気づいて欲しい、パセリを愛する人が増えて欲しい…。トマトが王道路線のアイドルで、茄子が縁の下の力持ち的なアイドルだとしたら、パセリはチームの中で突出した個性を持っていながらその価値をまだ見いだされていないアイドルだ。売れて欲しい気持ちと、自分だけがその個性をわかっていたい気持ちの狭間で今日も私はパセリを応援する。
写真はみんなのきょうの料理に掲載されていた、小堀紀代美さんのハムマーマレードとパセリサンド。こんなにパセリ愛に満ちたレシピはないと思う。ハムの塩気とマーマレードの爽やかさとほろ苦さがパセリと地続きになって、良いバランスで調和している。パセリの良さが存分に活かされていて、推しに良い楽曲が提供されたファンの気持ちというのはこういうものなのかもしれないなどと思った。

www.kyounoryouri.jp

 

冷や汁

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こうも蒸し暑さが続いてくると浴びるほど薬味が食べたくなる。我が家の冷や汁鯖缶をアルミホイルに並べて魚焼きグリルでこんがり焼いたもの。このやり方は身を骨から取り除きほぐす手間がないのがいい。自分が食べたいものを、自分を疲れさせずに自分で用意できると、小さな誇らしさが生まれる気がする。そうして毎日、自分に「頑張ったで賞」をあげるのだ。
もちろん茗荷も大葉も生姜も、薬味というものは山ほど入れる。特に玄米と一緒に食べるのが好きで、プチプチとした玄米の食感と一緒に力強い薬味の味に満たされるのはこの季節の特権だ。食べ終わると、体にふつふつと元気が湧いてくるような気がする。
冷や汁はもともと宮崎の郷土料理で、調べると人によって作り方が様々なのも好きな理由の一つだ。その人がたどり着いた理想の冷や汁のため、絶対にこの工程は省けないというものを見ると、大切なものを覗かせてもらっているようで親しみが湧く。そうしたヒントをもとに、自分だけの冷や汁を探すというのが楽しいと思う。ちなみに最近は植松良枝さんのアクアパッツァ冷や汁なるものが気になっている。澄んだ出汁にオリーブオイルの組み合わせなんて、絶対美味しいに決まっている。

mi-journey.jp

ホワイトアスパラのビスマルク

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ホワイトアスパラがスーパーに並んでいたので食卓に並べることにした。アスパラガスというものは、焼き、茹で、蒸し、炒めといった調理工程で味わいが変わるのが楽しい。ほくほくした茹でたてのアスパラをマヨネーズにつけて食べるだけでご馳走だし、穂先をアルミホイルで包んでこんがりと焼いたアスパラの香りはそれだけで食欲をそそる。何を作ろうか献立が思い浮かばないとき、冷蔵庫にアスパラがあると本当に助かるのだ。
ホワイトアスパラはグリーンアスパラよりも甘味と旨味が強いので、炊き込みご飯にしたかったのだが、最近夫が米を炊くことに熱中していて、冷凍庫にお米を入れるスペースがないのでビスマルク風にすることにした。ぼんやりしていると無限に土鍋ご飯が自然発生していくので、どこかのタイミングで止めさせないとと思いつつも、クオリティが上がっていくのが面白くてなかなか言い出せずにいる。
参考にしたのはラ・ビスポッチャのレシピ。いつか感染症がおさまったら、このレシピの答え合わせにお店に伺いたい。

labisboccia.tokyo

白ごはん.com トマトとオクラの夏豚汁

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夫が作ってくれたトマトとオクラの夏豚汁。あまりにも美味しくて、自分で材料を買ってきては作って欲しいとおねだりしていた。多分トマトのグルタミン酸が旨味として溶けているのと、千切り生姜がアクセントになっているのが好きだったんだろうと思う。
ふたり暮らしをするようになって3年目、夫との家事分担もだいぶできてきて、最近は洗濯と衣類を畳むのは夫、料理とゴミ出しはできる方、掃除と後片付けは私が担当して回している。私たちの場合はお互いに得意だったりこだわりのある家事を担当することで、生活するストレスが軽くなったように思う。それからお互いが持っている日々の家事のルーティンに感謝すること。やってくれていることに気づいたら「ありがとう」と必ず言うようにしたり、褒めて欲しい時は素直にお願いすることは、結構家事をする上で大事なことだよなと思う。これからもお互いの家事にリスペクトを払いつつやっていきたい。

www.sirogohan.com

 

今月のおまけ

東京都美術館 イサム・ノグチ 発見の道

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都美でイサム・ノグチ展を観に行った日。彼の手掛けた照明と彫刻に焦点を絞った展示で、とても面白かった。写真は会場の一角に吊り下げされていた照明。下に落ちた明かりの影が可愛らしくて思わずシャッターを切った。今回の展示で彼が広島平和公園の慰霊碑での選考ではアメリカ人という理由で外され、ケネディ大統領墓所のデザイン選考では日本人という理由で外されたことを初めて知る。
帰り道「いつかイサム・ノグチのコーヒーテーブルが欲しいと思っているんだよね」と夫が言っていたので、いつか何かの折に家に迎えられたらいい。私はいつか香川と北海道に彼の作品を観に行きたいので、その時は夫に付き合ってもらいたい。

マンションの見学に行く

今住んでいる家から引っ越す必要が出てきたので、 人生で始めてマンションの見学に行った。とりあえず自分たちが欲しいものがどんな物件か知るためにお試しで観に行ったけれど、1回観に行くだけでも自分たちが求める条件がクリアになるので結果としてよかったなと思う。営業の人もいい人で、この人から購入できないことを申し訳なく思うくらいだった。
ところで東京に来て驚いたことの一つが、2世代や3世代前からマンションで暮らしている人がいること。地方生まれ地方育ちの私は何となく将来は一軒家に住むものだと思っていたので、このままマンションで一生を終えるかもしれないということが、いまだに実感できない。東京のように地価が高く一軒家の需要が低い土地では、マンションに住む方が何かと便利ということはわかるのだけれど。
本当なら地方都市に住んで比較的安価な値段の家を買い、大型犬を迎えて楽しく暮らしたい。仙台や京都あるいは博多や広島もしくは金沢のように、徒歩で様々な環境にアクセスすることができ、料金を払わなくてもそこにいられるような安心して過ごせる場所が充実しているコンパクトな都市。
夫に「せめて地方が無理なら鎌倉の古民家を買い取って暮らしたい」と言っては「通勤がなぁ」と却下され続けている。そのうち周りにも物件購入の話を聞いてみたい。

終わりに

考えていることを話したい時いつも電話をかける友人がいる。その時のテーマは「考えていることを言葉にすることに必要なこと」というもの。色々な話をした後「自分の言葉で話すにはインプットして考えてアウトプットすることの繰り返しで、そのための道具を増やしたり鍛えたりしないといけないんだよね」と言ったのだった。
先日フジロック開催にあたって、出演者の一部が参加する理由とそれを選ぶに至った背景を自分たちの言葉で言語化していて、私はそれを良いなと思った。自分がなぜそれを選択したのか、その背景には何があって、何があれば開催に踏み切らなかったのか。やったことの是非や語っている内容の正誤はあるが、まずは発信してくれたことで議論することができる。
私はしばらく旅行も里帰りもしないだろうし、家からあまり出ない生活を続けると思う。けれど別に他人がそれをやっていても「そうなんだね」以上のことを思わなくなった。以前は「おお、マジか」くらいの温度感で反応していたが、それだってもう2年目だ。それを選択する理由も想像できるし、自分はたまたまそれを選択しなくても生きていける程度だったのだろうから、とも思う。
分断させられずに今を見つめていきたいと思う。秋には衆院選がある。

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