東京で暮らす女のとりとめのない日記

暮らしとカルチャー、ミクスチャー

アニメ「平家物語」がめちゃくちゃ面白い

今年の1月から始まった平家物語がめちゃくちゃ面白い。学生の頃に古典の授業で「祇園精舎の鐘の声…」を暗記したあの話が、こんなに味わい深い物語だったなんて。まだ2022年が始まったばかりだけど、今年一番面白いアニメだと思う。

あらすじ

主人公のびわは、わけあって平清盛の息子である平重盛の家に引き取られる。はじめは平家に対して反発心を抱いていたびわだったが、重盛や彼の息子たち、のちに安徳天皇の母となる徳子とともに過ごす中で、平家というものがどのようなものなのか、その中で生きる人間たちがどのような想いを抱えているのかを知っていくことになる。

このびわはアニメ版のオリジナルキャラクター。パワフルで屈託がなく、思ったことを口に出す明快な主人公だ。琵琶の奏者でもあり、物語の語り部としての役割も担う。視聴者はびわの目と語りを通して一緒に物語の中を旅するストーリー構成なので、平家物語に対する知識がなくても楽しめる。

権力者としての平家、敵としての平家、家族としての平家、友人としての平家…びわの目線から見た平家一族は、わたしたちが知っていた平家よりずっと身近な存在だ。応援したくなったり、それはダメでしょと突っ込みたくなったり。彼らのことを知れば知るほど、平家物語がひとごととは思えなくなってくる。

ざっくり感想

四季の描写がとてもきれい

春は桜、夏は蛍、秋は紅葉、冬は南天。四季折々の描写がとても美しい。平家が福原へ引っ越すときの描写は「家ごと解体して運ぶのか!」という驚きがあった。どの話でも平家の人々の暮らしが丁寧に描かれていて、生活史を見ているような面白さがある。平家物語と言うと戦の日々というイメージが強いけれど、きっとそれは一瞬の出来事で、こうした日々の方が長かったのだろう。この暮らしの長閑さを見てから戦のシーンを見ると、その無常さがなお一層際立つ。

第一話で重盛とびわが話をするときの雪の描写もいい。遠くに降る雪と目の前を降る雪で、カメラのピントにボケが入ってとてもきれいだ。彼らがどんな道を歩むかは古文の授業で習った通りだけれど、結末を知っていてもしんどいストーリーが続くので、こうした美しいシーンが入るとホッとする。当時の人たちもこうして四季の美しさに慰められていたのかな。

平曲がめちゃくちゃ格好いい

平曲(=平家物語の語り)を聞いたのはこのアニメが初めてだけど、こんなに格好いいなんて知らなかった。それまで琵琶はギターのように演奏するイメージだったけれど、実際に聞くと打楽器に近い楽器なのだということに気がつく。音を奏でると言うより、鳴らしていく感じ。語り手の間合いと琵琶の音色が一体となって波のように押し寄せる様は圧倒的で、いつも平曲のシーンでは息を止めて聴き入ってしまう。全体的にBGMが少ないのもいい。他のアニメと比べると無音のシーンが多いので、そうした余白がかえって平曲を印象づけているんだろう。

普段よく見る歴史モノでは、ストーリーテラーが用意されて幕間ごとにシーンの解説をしてくれるけれど、この平家物語では琵琶法師そのものに語らせているのもいい。はじめは平曲を聞き取れるか不安だったけれど、物語が急展開するときや「ここが今回の見せ場ですよ」というときにパッと入ってきてくれるので、メッセージがわかりやすい。なおかつアニメを見ながらだとどんなシーンか分かるので、どんなことを歌っているのか自然と理解することができた。古典芸能の入り口として、すごくいい体験だなぁと感じる。

オープニングとエンディングがすごくいい

オープニングは羊文学「光るとき」のカットインで始まる。爽やかな声に一瞬でこちらの気持ちが切り替わるような、とてもいい歌だ。

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歌詞が平家物語と現代をオーバーラップするような構成なので、メタ視点で物語を見れるようになっているのもいい。

何回だって言うよ、世界は美しいよ
君がそれを諦めないからだよ
最終回のストーリーは初めから決まっていたとしても
今だけはここにあるよ 君のまま光ってゆけよ

この<何回だって言うよ>でびわは滅亡への道を歩む平家たちの未来を見ていて<最終回のストーリー>以降では滅亡後の彼らを見ている。それでもどこか軽やかさが感じられるのは、オープニングの最後にある<君のまま光ってゆけよ>できらりと光る琵琶のおかげなんだろう。物語は哀しい結末を迎えるけれど、こうして語り継がれて今日まで届くんだなと言う希望がある。

オープニングとは逆にエンディングの「unified perspective」は寂寥としていて、まさに諸行無常を感じる。平家物語を現代でやるならこんなのもアリじゃんと思えるようなラップのアプローチがめちゃくちゃかっこいい。

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エンディングでびわの両目の色が同じになっているのは、最終的に彼女は盲目になることを示唆しているのだろうか。途中から音が転調してこれまで流れていた映像が逆再生されるのは、歴史が繰り返すことを表現しているのだと解釈している。オープニングとエンディングを使って「これって現代でも同じですよね」と静かにわからせてくるのが上手い。

これまで語られてこなかった目線での平家物語がとても新鮮

何より「おお!」と思ったのが、オープニングでパッと表示される平家物語の<平>の文字。<平>の字は左右が反転していて、色合いはびわの目と同じになっている。

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物語が進んでいくうちにこの<平>の字が反転しているのは「平家の女たちから見た物語」という意味が込められているんだな、と思うようになった。それはびわの存在もそうだし、清盛の娘である徳子もそうだ。例えば主人公のびわが初めて徳子に出会ったとき、二人の間では次のような会話が交わされる。

徳子 あなた女の子でしょ
びわ うっ
徳子 わかるわよ。なのにどうして男の子の格好をしているの
びわ わ、わしは
徳子 そのほうがいいかもしれないわ。女なんて…

徳子は平家の基盤を磐石のものとするため、平家から宮家へと嫁がされる存在だ。彼女の役目は天皇との間に子供をなす事のみ。そんな彼女は自分が父親の駒でしかないことを悟っている。子どもが産まれなければ祈祷までされ、産まれたあとも両家の動乱に翻弄される。彼らの振る舞いによって自分の居場所が宮中になくなっても、徳子はひたすらに許し周囲の人々をケアし続け、自分に求められる以上の生きる意味を見出そうともがく。そんな様子がこのアニメでは丁寧に描かれている。

またアニメでは清盛の愛妾や白拍子にもスポットライトが当てられる。自分の意志とは関係なく、清盛に寵愛されることがよしとされる社会で生きる虚しさ。そしてたとえ寵愛を受けようとも、清盛が愛しているのは若さや美しさで、自分の代替は飽きるほどいるのだと気づくわびしさ。人としての心を踏みにじられながら、それでも女たちが互いにいたわりあおうとする姿には、現代の「連帯」が重なって見える。そもそもこのアニメの元となった平家物語は、それ自体女性の活躍や目線が取り入れられた物語であるということを初めて知った。

今までフィクションの世界では声なきものとして、あるいはその他大勢として扱われてきた人々の声。そのひとつひとつを創造のつばさを広げて掬いあげ、その力によって現実を照らそうとする挑戦が、この作品の魅力のひとつだと思う。

勢い余って平家沼へ

この平家物語に出会ってから古典に興味を持つようになり、もっと平家のことが知りたくなった。最近ではアニメを見た後に、大河ドラマの「鎌倉殿の13人」と「平清盛」を見ることが1週間のルーティンになっている。(どちらもAmazonプライムNHKオンデマンドで視聴できるのがうれしい)

平清盛を見ると、清盛は貴族中心の社会で武士の身分を確立していった人なんだなぁと感心するけど、鎌倉殿の13人を見ると権力を傘に好き放題している権力者に思えるし、平家物語を見ると老いてなお権力の座に執着し、そのためなら女や自分の息子たちを駒として扱う人に見える。様々な視点で歴史の人物を見る面白さ。何よりもののあはれというような、平家物語に通底するこの無常さに惹かれてやまない。

他にも休日はNHK高校講座の平家物語を聞いてみたり、Spotifyでコテンラジオを聞いたり…まさかアニメがきっかけで、ここまで平家物語にハマるとは思っていなかった。この勢いのまま、今年は平家物語の通読に挑戦してみたい。とりあえず今は図書館で予約した『平家物語の女たち』の到着を楽しみに待っている。

気がつけば物語も折り返しだ。終わらないで、もっと見ていたいよ〜!と思う気持ちと、びわたちがこれからどうなっていくのかを見届けたい気持ちでぐちゃぐちゃのまま、最後まで一緒に走り抜けて行きたい。