東京で暮らす女のとりとめのない日記

暮らしとカルチャー、ミクスチャー

真綿のような毒にくるまれて 山本文緒『ばにらさま』

山本文緒さんの小説と出会ったのは、中学生の頃だった。当時習っていたスイミングスクールの近くにはブックオフがあり、親が迎えにくるまで本を立ち読みしながら時間を潰すのが習慣だった。髪の毛から香る塩素と、古本屋独特の古紙の匂い。店内は薄暗く、J-POPのオルゴールミュージックが流れていて、店員はいつも気怠げだった。

そんなある日、いつも通りブックオフの自動ドアを抜けて文庫本コーナーへ向かうと、一際目を引くタイトルの本を見つけた。それが山本文緒さんの『みんないってしまう』だった。当時思春期の真っ只中にいた私は、この諦念を含んだようなタイトルにとてつもなく惹かれた。沢山の本が並ぶブックオフの本棚で、この本の背表紙だけがぴかぴかに光って見えたのだ。気づけば本を手に取り、無我夢中でページをめくった。そしてなけなしのお小遣いで、その本を買って帰ったのだった。

あの思春期特有の、気持ちのバランスの取り方がわからず、何をしても孤独を感じていた時期。通り過ぎてしまえばよくある感傷だが、当時は嵐のようなエネルギーを持て余し、自家中毒を起こしているようだった。そんなときに文緒さんの言葉と物語を摂取すると、自分の中のバランスがとれていくような感覚があった。人生のままならなさ、厭わしさ。けれど振り返ればどの瞬間もいとしく、やがては終わりが訪れる。その毒を持って毒を制すような物語が、当時の自分を癒してくれていた。それ以来文緒さんは、こころの特等席に座っている作家になった。

そんな思い入れがあるからこそ、訃報を受け入れるには時間がかかり、積読にしていた『ばにらさま』もなかなか手をつけることができなかった。書店で遺作と紹介されているポップを目にしては気が滅入り、神経を逆撫でされ、漠然とした喪失感と現実のはざまで足踏みしている間に一年が過ぎてしまった。

それが今年の繁忙期明けに、ヘトヘトになってソファに倒れ込み、「今の私の人生には仕事しかない」と思ってハッとしたとき、本棚を見るとやはり彼女の本がぴかぴか光って見えた。もういいのかもしれない、そう思って手にとったあと、気がつけばあの頃のように無我夢中でページをめくっていた。

『ばにらさま』は全6篇の短編小説で構成されている。同じ短編集である『みんないってしまう』のテーマが喪失だとすれば、『ばにらさま』はチャイルディッシュがテーマだ。本編に登場する人々は社会では大人にカテゴライズされているが、その中身は幼く身勝手で、常に現実を2ミリずれた視点で見つめている。自分は何がしたくてどのように生きたいのか。目的を見失い、人生の手綱を手放して浮遊し、漂着した人もいれば流されていく人もいる。

例えば表題作の『ばにらさま』では、初めて彼女ができた男の稚拙な恋愛を描いている。儚く白く美しい彼女と冴えない主人公。なぜ自分のような男と付き合っているのだろうかと疑問に思いながらも、彼女に尽くそうとする彼だったが、次第に物語は予期せぬ方向へと転がっていく。自分が軽んじられることに無頓着な傲慢さ、臆病さを棚に上げて他責する愚かさ、そして自分の意思決定を他人に委ねる浅慮さ。ひりつくような幼稚さと、それがもたらす結末が痛々しい。そして物語の終盤で明かされる事実には、思わず背筋がぞくりとした。

一方で巻末に収録されている『子供おばさん』は、大人になりきれない女が自分の幼稚さを受け入れていく物語だ。47歳になる彼女は、都心の狭いマンションに一人で住み、小さな会社の事務員としてそれなりに働いている。休日は友人とコンサートやミュージカルへ出かけ、適切な刺激に甘んじる日々。そんなある日彼女のもとに、故人となった友人から形見分けの機会が訪れる。

かつては共にアイドルのコンサートへ行くほど仲が良く親密だった友人。しかしいくつかの出来事を境に避けるようになり、袂を分かつようになる。訃報を聞き通夜に出ても、涙すら出ない。どんなに仲がよかった友人と言えど、七年も会っていなければ「三年着なかったジャケット」のようなものなのだ。そう思っていたはずが、友人の形見分けをきっかけに彼女の心情は変化していく。

人の縁とは不可思議なものだ。思い出が日常に埋もれ、相手との日々が色褪せていき、やがて思い出すことがなくなったとしても、その人と出会う前の人生にリセットされるわけではない。ましてや切れたと思っていた縁へ向き合わなくてはならないというのはひどくエネルギーがいる。できるなら掘り起こしたくなどないのにーー。しかしそれを文緒さんは「まぁ、そんなに悪いものでもないんじゃない」とほがらかに笑いながら描いているようだった。

他にも本書には恋愛小説家としての本領発揮ともいえる『わたしは大丈夫』や『バリヨン心中』、物書きとして経験を切り売りする様をシニカルに描いた『20×20』、同性との不安定な関係の先に辿り着く『菓子苑』など、色とりどりのフレイバーで用意された毒が目白押しだ。

この先、彼女の新作が発行されることは永遠にない。その事実にいまだに狼狽えてしまう。けれどきっと気がついていないだけで、彼女が遺していった物語はこれからも毒となり薬となり、私の足元を照らし続けるのだろう。そうした作家と出会えたことは、やはり私の人生にとって僥倖だった。

文緒さん、思春期から今日まで人生の傍にいてくれてありがとう。あなたの毒でわたしは今日まで生きることができた。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。