東京で暮らす女のとりとめのない日記

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魅力的な悪役は仮面を被っているーー ゴールデンカムイ 、鶴見篤四郎の仮面を読み解く

はじめに

ゴールデンカムイも残すところあと1話となった。
今は気持ちが落ち着いてきて「ああ、終わるんだな。それを見届けられるんだな」という感慨の方が大きい......

そう思っていたのに、第313話を読んだらそんな凪いでいた気持ちもひっくり返ってしまった。鶴見篤四郎...鶴見篤四郎!これまで大義のためなら犠牲を厭わない鶴見篤四郎という人間が好きではなかったのに、まさか最後の最後で彼に魅了されてしまうなんて。いまだに313話を読み返しては、うめき、奇声をあげ、悶え苦しみ、そして彼のことを考え続けるようになってしまった。もしかして、これまでの鶴見篤四郎についての解釈は誤っていたんじゃないか?

最後の最後に魅せていった男、鶴見篤四郎。今になって夢中になってしまった苦しみ。せめてこの苦しさを紛らわせるために、彼について考察したことを書いていきたい。

※ 以下ネタバレを含みます。ご注意ください。

魅力的な悪役の条件

魅力的な悪役は素顔を見せない。機動戦士ガンダムシャア・アズナブルスターウォーズのダースベイダー、るろうに剣心の志々雄真実、ノー・タイム・トゥ・ダイのサフィンダークナイトライジングのジョーカー....

人は社会で生活をする上で、誰しもが仮面を被っている。仮面というのは、相手や社会から求められるイメージに良い形で応えようとする、いわば内面の最も外側の部分だ。時に仮面は人間同士のコミュニケーションを円滑にし、社会で求められる役割を果たす機能を持つ。

一方で仮面というものは、何かを隠すという役割も併せ持つ。仮面によって隠されているのは、弱くて惨めな自分、情けなくてダサい自分、他人に知られたくない秘密を抱えている自分などといった、役割や規範に呼応できない内面だ。行き過ぎた仮面は、自らを抑圧する対象にもなり得る。

このようにアンビバレントな機能を持つ仮面を、人々は実に巧みに使い分けながら生きている。しかしながら、悪役たちの仮面の使い方は、普通の人々のそれとは一線を画している。彼らは自ら進んで仮面を被り、様々な人間のイメージをそれに投影させることを望んでいるのだ。

仮面という器

社会と自己との関わりを円滑にするための仮面。魅力的な悪役たちはそれを、他者の理想を受け止め象徴になるために利用してきた。
例えば機動戦士ガンダムUCでは、悪役であるフルフロンタル(シャア・アズナブルのクローン)が、主人公のバナージ・リンクスに向かって次のような言葉を放っている。

今の私は自らを器と規定している。
空に捨てられた者たちの想い、ジオンの理想を継ぐ者たちの宿願を受け止める器だ。
彼らが望むなら、私はシャア・アズナブルになる。
このマスクはそのためのものだ。

ーーーーエピソード2「赤い彗星」より

本来脆くて内部との結びつきが強い仮面だが、悪役たちはそこへさらに物理的な仮面を被せる事によって、私的な感情の揺らぎを取り除く事に成功し、確固たる象徴になることに成功する。彼のパーソナルな願いや想い、弱さや哀しさなどは決して外部に流出することがない。そして仮面には、彼らが属する組織の構成員ひとりひとりの願いと理想が投影されていく。

物理的な仮面を被るという行為は、滅私と秘匿という2つを両立させ、全員の理想を反映した象徴になるということだ。よく優れた悪役はカリスマ性があると評価されるが、そこには実体がない。超人的、かつ全ての人間の理想に寄り添う底なしの「イメージ」が彼らの魅力の根源となっている。

鶴見中尉という仮面

では鶴見篤四郎の仮面とはなんだったのだろうか。彼はこれまで被ってきた、3種類の仮面について考えたい。

まず一つ目は彼がウラジオストクでスパイを行なっていた時にかぶっていた「長谷川幸一」という仮面。この時の仮面は職務に従ずるため生み出されたものであって、装着に主体性はない。その証拠にロシア人に攻撃された時に、流れ弾を受けて倒れた妻が「А кто жe т ы?(あなたは誰なの?)」と尋ね、彼自身が眼鏡を外して「鶴見篤四郎」と名乗った時、すなわち任務の失敗と同時にその仮面は剥がれている。

二つ目は二〇三高地時点以前での「情報将校 鶴見中尉」という仮面。この時も職務を全うするための仮面ではあるものの、長谷川幸一の時よりも仮面が増幅するイメージを意図的に使用しているという点で、装着には幾ばくかの主体性がある。

鶴見はその仮面のもとで、のちの第七師団のメンバーとなる鯉登少尉、月島軍曹、尾形上等兵、宇佐美上等兵らと言った主要なキャラクターをたらし込んでいき、彼らにとっての唯一無二の存在へとなっていった。様々な登場人物の中に存在する「情報将校 鶴見中尉」というイメージは常に運動していて「理想の人」でありながら、捉え所がない。そして彼らのイメージは、戦後北海道で暗躍する「鶴見中尉」に受け継がれていくこととなる。

そして三つ目が、琺瑯の額当てをつけた「鶴見中尉」という仮面である。
この時初めて作中では、彼が自ら物理的な仮面を装着するシーンが描かれている。

琺瑯で作らせた
どうだ、似合うか?

ーーーゴールデンカムイ  15巻 第150話「遺骨」より

この時私は彼の琺瑯を「傷跡を隠すためにつけたのだな」と思っていた。しかし改めて読み返してみると、彼がその傷を隠すために額当てをつけたという描写が見当たらない。中には自らの傷を肯定するかのような発言もしている。

頭蓋骨と一緒に前頭葉も少し損傷してまして
それ以来カッとなりやすくなりましてね 申し訳ない

それ以外はいたって健康です
向かい傷は武人の勲章 ますます男前になったと思いませんか?

ーーーゴールデンカムイ 第2巻 第13話「憑き神」

自分の傷を肯定しているのにも関わらず、なぜ彼は琺瑯の額当てをつけることを選んだのだろうか。彼が額当てをつける事によって隠そうとしたのは、本当に傷跡だったのだろうか?おそらく鶴見篤四郎は、自分が牽引する組織の象徴となる覚悟のもと、三度目の仮面を被ったのではないだろうかーー。その証拠を裏付けるかのように、作中で彼の金塊探しの目的は次のように描かれていた。

金塊をただ分け合うのでは駄目だ 資金にして武器工場を作る
夕張の石炭 倶知安の鉄鉱石
高品質な兵器を国内生産するための大きな拠点を資源の豊富な北海道におく

父親を亡くした子供たち 息子を亡くした親たち
夫を亡くした妻たちに... 長期的に安定した仕事を与える
凍てつく大地を開梱し 日々の食糧の確保さえままならない生活から...救い出す

それが死んでいった戦友たちへの せめてもの餞である

ーーーゴールデンカムイ 第4巻 第31話「二〇三高地

作中で描かれる金塊探しの目的の中では最も重い。普通の人間ならここまでの責任を負おうとはしない。けれど鶴見はそれを引き受け、額当てをつけることを選んだ。そしてその額当てには部下たちの理想の人としての鶴見、満州の地に眠る戦友たちの無念、そして新しい理想郷へと人々を導くリーダーというイメージが常に循環し続ける。

今回、313話に至るまで彼の額当ては衣類と同じ意味合いのものだと思っていたが、それは違っていた。鶴見篤四郎は、琺瑯の額当てという仮面を着けることによって、自ら第七師団の象徴的存在になったのである。そしてそれが、本作における「鶴見中尉」のイメージになっていった。

だが一方で、もう一つの疑問が生まれてくる。それは「鶴見中尉は額当てを着けてまで、何を隠したかったのか?」ということだ。

鶴見中尉の仮面の下にあるもの

最後の「鶴見中尉」の仮面が外れたのは、第313話「終着」でだった。仲間を失って一人追い詰められる鶴見中尉。図らずも杉本が彼に加えた一太刀によって額当てが外れる。切り裂かれた懐からはウラジオストクで喪った母子の指の骨、そして奪っていたアイヌの土地の権利書がこぼれ落ちた。

これまでの「鶴見中尉」であれば、迷わず後者を奪取しただろう。けれど鶴見篤四郎は一瞬迷い、そして権利書を奪いつつも、視線は指の骨に送り続けることを選択した。そして電車に轢かれて指の骨が砕け散った様を見届けた時、読者は初めて鶴見篤四郎という男の素顔に出会うことになる。彼のこの一連の流れから、そのまなざしに至るまで、一体誰が予想できただろうか。

これまでも物語の中では、鶴見中尉に対して「本当の目的は戦友らの弔いではなく、私怨を晴らすためなのではないか」という疑いが度々かけられていた。しかし、その本心は藪の中。現にソフィアに「全部...恨みだっタの?」と聞かれた時、鶴見中尉はこのように答えている。

あくまで私の目的は日本国の繁栄である ロシアの南下...
他国の脅威から日本を守るために戦い続ける軍資金が必要だ
我々が進むべき道のかたわらに
自分の小さな小さな個人的な弔いがあるだけ
(中略)
だがその個人的な弔いだけのために 
道をそらすなどということは断じてない
ーーーゴールデンカムイ 第27巻 第270話「全ての元凶」

結局、鶴見は五稜郭で戦い、多くの部下を失い、そして最後は一人になった。話が進んでいく中で、やはり彼にとっての目的は大義名分だったのだと納得したし、私怨はすでに彼の中で消化しきったのだとも思った。ところがそうではなかったのだ。これが私はたまらなく嬉しくて、あの一コマでこれまでずっとやっていたオセロが一気にひっくり返るような気持ちよさを感じた。

彼の仮面の下に隠されていたのは「小さな小さな個人的な弔い」に囚われ、苦しみ、もがきながらも、その先に進み続けようとする、情けなくて愚かで哀しい男だったのだ。

鶴見篤四郎という味わい深さ

誤解なく言えば、私はここにたどり着くまで鶴見中尉のことを疎んじていた。彼は都合のいいように部下をたらしこみ、それでいて捨て駒にすることは躊躇わず、その死すら組織を指揮するために利用する冷血な人間だと思っていたからだ。

もちろんそれも彼の一側面なのだろう。そして大義名分のため、というのも一つの真実だったのかもしれない。けれどもしかしたらそれは部下たちの理想に応えたが故の、仮面の表層にすぎなかったのではないだろうか。(現に月島軍曹は、鶴見の目的が私怨だった場合「それが本当の目的なら ぶっ殺してやる」とすら思っていた)裏を返せば「鶴見篤四郎」というのは、組織の中で最後まで私を優先することを拒否され、弱い人間であることを許されなかった男だった、そう取ることもできる。

人は仮面を被る。おそらくは死ぬまでそうだろう。そして魅力的な悪役たちは、その仮面すらコントロールしきた。しかしそこに収まりきらない弱さというもの、その悲哀が悪役たちの本当の魅力なのではないだろうか。ダースベイダーの仮面が外れた時のように。

第313話で、鶴見が悪役から普通の人間に一瞬でもなれたことが、かえってこれまでの彼の魅力を増幅させる装置として機能しているようにも思う。あの時の言葉はどんな意味だったのか、あの時の表情はなんだったのか...そうした味わい深さを残していった鶴見篤四郎は、最後まで素晴らしい悪役だったと言えるだろう。

終わりに

まさか、まさか最後の最後になって彼にたらし込まれるとは思わなかった。以前の自分に「鶴見を思って毎晩胸が張り裂けそうになっているよ」と言っても絶対に信じないだろう。ゴールデンカムイ を見ていると「この人はこういう人だから」というイメージがいかに頼りなく、そして傲慢な目線なのかということを常に感じさせられる......たまらないですね。

残すところあと1話。4月28日までは全話無料公開です。

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