先週末、箱根にあるポーラ美術館に行ってきた。9月から始まったロニ・ホーン展「水の中にあなたを見るとき、あなたの中に水を感じる?(原題:When you see your reflection in water, do you recognize the water in you?)」をずっと見たかったのだ。
ポーラ美術館は関東にある美術館の中では3本の指に入るくらい大好きな場所。このエントランスへの道なりを心底愛している。
最後に来たのが感染症が流行る前だから、少なくとも2年近く経っているのだろうか。歩きながら無事ここに来れたよろこびを噛みしめる。
この日は昼過ぎに着いたので、ちょうど光が真上にあって陰影がきれいだった。
エスカレーターを下りると、受付までの道のりはアートのような作品で導線が作られていた。前に来た時はあっただろうか。あえてそこを通ってみたいと思わせる演出がいい。
エスカレーターの脇には別のアート作品が展示されていた。浮遊感と構造の美。
この日は朝から何も食べておらず、流石に血糖値の低下を感じたので、内部にあるカフェスペースで血糖値が上がりそうなものを食べてから鑑賞することに。
選んだのはミルクレープとハーブティ。カフェスペースを利用するのは初めてだったけど、高い天井から差し込む光や、目の前の森の風景が心地よく、爽やかに過ごすことができた。
しっかり血糖値をあげたところで、やっと展示室へ。ちなみに展示物の撮影は基本的に許可されている。この日も気に入った作品は写真におさめようと思っていたけれど、あまりにも良過ぎて途中からシャッターを切るのを忘れてしまっていた。
会場で最初に出会うのがこの「ガラス彫刻シリーズ」の作品群。無題と記載されていたが、同時に長い副題が付記されていた。
In all the dwelling, on the earthen floors, on mats, on bunks, lay silent, inert people. Their faces ware bathed in sweat. The village was like a submarine at the bottom of the ocean: it was there, but it emitted no signals, soundless, motionless.
展覧会の題にもあるように、水鏡のようなそれはよく見るとガラスで出来ている。何人かは確かめるために直接触ったり、息を吹きかけてみたりもしていた。確かに流動していると言う点においてはガラスも水も同じだ。揺らぎのある表面を眺めていると、次第に水よりも水らしく見えてくる。
角度や距離を変えるだけで見え方が変わるのが楽しい。背景の森を借景として、彫刻を池や溶岩に見立てて眺めるのもいい。
次のフロアにあった一枚の金箔。ぽつねんと所在なく漂うそれが、なんとなくいいなと思ってシャッターを切る。
近づくと金箔らしさは薄れて、水面の揺らぎのような表情を見せた。ミニマルな作品の中に永遠があり、禅のようだなと思う。
同じフロアにあった《エミリのブーケ》と言う作品。固形アルミニウムに白のプラスティックで、物語のテキストが引用されている。
コンテクストから切り離されて1本のポールに閉じ込められた言葉は、見るものの記憶と結びつき、記憶の中の物語と共に再構築される。
《円周率》と言う展示は、作者が7年間の間に北アイルランドで撮り溜めた日々の写真からなる。代わり映えのしない生活とはよく言うが、その日々の営みの繰り返しを反復させることで、鑑賞者にそれが何かを改めて問いかけてくる。
ちなみにこの繰り返し・反復の手法はロニ・ホーンの写真を使った展示全般に見られる。反復させることで時間という概念が解体され、そこに残る小さなささやきに鑑賞者は耳をすませることが可能になる。
《静かな川(テムズ川、例として)》では水面の写真が続く。水面には小さく言葉が書き添えられており、それを心地よく鑑賞させまいとする作者の抵抗を見た。
展示は美術館の外にも続いていると言うので庭園を散策する。ポーラ美術館をよいものとしているのは、この庭園の存在が大きいよなぁ。スーザン・フィリップスの作品《Wind Wood》の音色が木々のざわめきと共に緩やかに流れている、その中をただ静かに歩いていく。
森の中を歩いていると、もう一つの作品《鳥葬》が見えてきた。こういう風景、星新一の小説にありませんでしたっけ。
西陽を受けて鈍く光るそれは、昨日降った雨を湛えていてきれいだった。日が暮れて木々の影が落ちてなお静かに佇み続ける姿を無心で眺めてしまう。
鳥葬というタイトルが表すように、9月から今日までの間に雨風の影響を受けて、本当に朽ちているようだった。1日の流れ、そして年月という長い期間を反映する作品って、だいぶロマンティックだなと思う。これが数年後にどのような形になっているのか、見届けられたらいいのだけれど。
そうこうして気がついたら夕方近くになっていた。美術館を後にしながら、どの展示もよかったなと反芻する。観るという受動的な行為に作用しながら、その作品を見つめるひとりひとりの静謐な孤独を引き出す凄み。できれば会期中にもう一度行きたい。
帰りは湯川原に向かって箱根を下り、かねてより気になっていた「湯河原惣湯」へ。岡昇平氏が設計した建築を間近で見るのは初めて。
1階部分はカフェスペース、2階部分はシェアオフィス。全体的に動線がわかりやすく、同時に移動がしやすい良い空間だと感じる。ただしピクトグラムや案内の存在感はないので、年配の人は戸惑うかもしれない。
カフェスペースには料理本や暮らしのエッセイなどを基調とした本が揃えられていて、さながらブックカフェのようだった。
外には以前よりあった足湯の一部が改装されて残されていた。ここには元々300円で利用できる9つの足湯があり、観光客や地元の人で賑わっていたらしい。
一度外に出てトンネルを抜け、温浴施設がある別棟へと向かう。
裏手には滝が流れていた。予想より迫力がある水量で、関東の低地でこんな立派な滝が見れるんだと驚いた。
そのまま温浴施設へ川辺をつたうようにして歩いていく。河原には所々休憩できるようにフリースペースや椅子が設けられていた。買ったコーヒーを飲みながら、川のせせらぎに耳を澄ませる。
温浴施設は予約制ということで、入り口近くまで行って引き返してきた。川辺を散歩しながら夫が「ここ良いなぁ。今度湯河原の旅館に泊まってさ、湯冷ましがてらゆっくり歩きたいね」と言う。確かに感染症が流行る前は、湯河原を通り過ぎて箱根や伊豆で一泊することが多かったので、今度はそうしても良いかもしれない。
帰りは同じ湯河原にある大好きな豆腐屋さんで寄せ豆腐を買って帰宅。
日帰り旅行ながら充実した、良い1日だった。
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