東京で暮らす女のとりとめのない日記

暮らしとカルチャー、ミクスチャー

クリスマスに野鳥を保護した話

雪深い山村の道を車で走っていると、道路の真ん中に黒い何かが転がっているのを見つけた。遠目には千切れたゴミ袋のように見える。危ないので道の脇に除けようと路肩に車を停めて近づくと、ゴミ袋と思っていたのは弱った鳥で、動けずに震えていたのだった。

驚いている私をよそに、目の前をビュンビュンと車が通り過ぎていく。このままではいつか鳥が轢かれてしまうと慌てて手袋を嵌め、鳥の両翼をおさえるようにして抱き、道路の脇にそっと置いた。側にいてストレスを与えてはいけないので、車に戻って中から観察する。しかし、一向に動く気配がない。車にぶつかって脳震盪を起こしているのだろうか。あるいは怪我をして飛べなくなっているのだろうか。けれど身体に外傷の形跡はない。次第に鳥の上に粉雪が積もっていくので、見兼ねた夫が傘を広げて鳥の上に被せ、また車に戻ってきた。

どうしたものだろうか。我々も旅行中なので、このままずっと側にいるわけにもいかない。しかしこのままこの鳥を放って置いたら、凍死するか猛禽類や猫に食われるしかないだろう。放っておくべきか、保護するべきか。判断するにも私は専門家ではないし…と考えて、そういえば保健所なら保護してくれるのではないだろうかと思いついた。

さっそく自治体の保健所を調べて電話をすると、「厳密には保健所の管轄外ではないので、県の野生動物保護センターに直接連絡して欲しいんです」と申し訳なさそうに伝えられた。気にしないでくださいと返事をしたあと、口頭で伝えられる連絡先をメモする。お礼を言って電話を切り、さっそくその番号にかけると柔和そうな男性が電話に出た。鳥の状況と外傷の有無を伝えると、様子を写真におさめてメールで送って欲しいという。早速写真を送ったあと、職員の男性が「鳥を見つけられた場所ですが、うちのセンターから車で3時間かかるところにあるので、本日中に伺うのは難しいです。近隣で預かってくれそうなところを探しますので、このままお待ちいただけますか」と言った。いいですよ、と返事をして一旦電話を切る。これから先の道筋が見えてきた安心感から深く息を吐いた。

「とりあえず保護が決まったし、わたしは近くの道の駅に空いているダンボールがないか聞いてみる」と夫に言うと「わかった。ちょうど空になったホット用のペットボトルがあるからさ、俺はお湯を沸かして鳥を保温できるように準備しておくよ」と真剣な表情で返された。頼もしいなぁと笑い、じゃあ私は行ってくると告げて車の外に出る。さっきよりも風は強く、雪はいっそう深まっていた。

道の駅に向かう途中には橋があり、その上を風がビュウビュウと吹き抜けていく。途中で吹雪に身体があおられそうになり、橋の下を流れる川を見てゾッとした。まずは私が無事に帰らないといけない。気を引き締めて、遠くに見える道の駅の光に向かって一歩一歩進む。ようやく道の駅にたどり着いた時は、館内の暖かさと安堵感でその場に溶けてしまいそうだった。

雪まみれの人間を心配そうに見る職員のお姉さんと目があったので、「すみませんがこのくらいの大きさで空いている段ボールがあったらいただけませんか」とジェスチャーで伝える。あったかな、ちょっとまってくださいねとお姉さんはバックヤードへ引っ込んでいった。ストーブにあたっていると、そこだけジリジリと熱があたってあたたかい。しばらくするとお姉さんが特大なめこと書かれた段ボールを持って戻ってきた。「このくらいでいいかしら」というお姉さんの言葉に食い気味で「ぴったりです、ありがとうございます!」と返事をする。実は鳥を保護しようと思っていて、と言うとお姉さんは「まぁまぁ!助かるといいですね」と微笑んだ。

何度もお礼を言って道の駅の外に出ると、さっきまでストーブに当たっていて温もっていた身体が一瞬で体温を無くしていくのがわかった。かじかむ指で必死に段ボールをかかえながら、またあの橋を渡る。段ボールの表面積が大きい分、さっきよりも吹雪に身体を持っていかれそうになる。ようやく橋を渡り切ると、安堵したせいか少し力が抜けた。

車に戻り、夫に「段ボールをもらってきたよ。鳥の様子はどう?」と尋ねると「ほぼ変わらないね。一応40度に温めたお湯をペットボトルに注いで近くに置いたところ」と言う。脅かさないように車の影から鳥を観察すると、確かに先ほどと目立って様子は変わらないものの、糞はしているようだった。排泄する元気はあるようだ。とりあえず段ボールの中の方が暖かいだろうということで、鳥を段ボールの中に入れることにした。夫が「怖くないよ、ごめんね」と言いながら鳥を抱えて段ボールにいれる。その中に湯たんぽがわりとしてお湯を注いだペットボトルも入れた。いっさい嫌がるそぶりがなく、なされるがままの鳥にかえって心配になる。

車の中に戻って冷えた身体をあたためていると、センターの職員から電話がかかってきた。「お待たせして申し訳ありません。ここから車で10分ほど戻ったところに役場がありまして、そこの職員が預かってくれると言うことです。そこでご相談なのですが…運搬にご協力いただけないでしょうか」という提案に「もちろんですよ」と返す。「ありがとうございます。それから鳥の種類なんですけど、上司とも確認してオオミズナギドリということがわかりました。本当なら海辺で暮らしている鳥なんですが、時々迷って内陸の方に来てしまうことがあるみたいでして。内陸では飛翔することができないので、おそらくそれで道路にうずくまっていたのでしょう」「へぇ、海鳥なんですか」と返すと「はい、本来なら新潟の方にいるはずなんですけどね。なぜかここまで迷い込んできてしまったのでしょうね」とのことだった。

さっそく鳥を段ボールごと車に運び、後部座席の足元に置く。来た道を戻りながら、夫と「無事に助かるといいね」と会話をする。さきほどより吹雪は落ち着き、山の影からは黄金色の太陽が姿を表し始めていた。「なんでこっちに飛んできちゃったんだろうなぁ」と夫がいうので「本当にね。吹雪の中飛んでいたら、方角を見失ってしまったのかな」と言う。時折太陽の光が雪に反射して、きらきらときらめいた。

役場の駐車場にたどり着くと、車の音で気がついたのか、ふたりの職員さんが裏口から飛び出してきた。「ご連絡いただいていた方ですね!」とほがらかに尋ねられたので、つられて元気に「はいっ、そうです!」と返す。職員の一人が「やー、よかった!あ、センターの方からは聞いています。これが、その?」と私たちが持っている徳大なめこダンボールを指差すので、笑って「はい、そうです」と言う。地面に下ろして段ボールの蓋をあけると、さっきよりは首を動かせるようになったのか、オオミズナギドリつぶらな瞳でこちらを見上げた。「おー、かわいい」「はぁー、カッコいいですね」というふたつの声が上がり、どちらもわかりますよと心の中でつぶやく。もうひとりの方が用意していたという、通気口が開けられたコピー用紙用の段ボールにオオミズナギドリを移し替えると、安心したのか箱の隅に身体を寄せて目を閉じた。

「ではここからは我々が責任を持って預かりますので。保護してくださりありがとうございます。我々としても誇らしいです」と言われて、謙遜しながら車に乗り込む。車の助手席から顔を出し「ありがとうございました!」と手を振って別れを告げた。すっかり吹雪は落ち着いて、さっきの様子はどこへやらだ。

帰り道、オオミズナギドリを保護した場所を通り過ぎながら「あのときは本当に驚いたよね」「うん、どうか無事であってほしいね」と夫と語り合う。「うまくいえないけれど、今日の出来事はクリスマスプレゼントみたいに思うんだ」と言うと、「うん…そうだね」と静かな言葉が返ってきた。

傍目から見たら旅行中にわざわざこんな面倒なことをして、損をしているように見えるのかもしれない。けれど、一羽の鳥を保護するという経験を通して、誰かの善意や優しさを信じられること、それで事態が良い方向へ向かっていくということが純粋にうれしかったのだ。センターの電話番号を教えてくれた女性、保護の方針を示してくれたセンターの男性、道の駅で段ボールを見繕ってくれたお姉さん、保護を引き受けてくれた役場の職員さんたち。そして何より私が「助けようよ」と言った時に、嫌な顔をせずに「そうだね。関わってしまったなら最後まで見届けよう」と言ってくれた夫が。弱っていた一つの命を善意でつなぐことができたかもしれない、そのことが私にとっての一番のクリスマスプレゼントだった。

車の外を見ると、小鳥たちが雪の上に降り立って何かを啄んでいる様子が見えた。あのオオミズナギドリは無事に生きることができるだろうか。そして群れへと帰ることができるだろうか。目を閉じて、元気になったオオミズナギドリが、海上を切り裂くように悠々と飛ぶ姿を夢想する。そのまま意識は雪の中へと吸い込まれていった。

 

 

 

<2022年に買ってよかったスキンケア> Looking back at my skin care items in 2022. 

2022年のスキンケアは「堅実」 がテーマ。ライフスタイルや年齢を重ねたことでスキンケアに対するプライオリティも変化して、「成分重視で肌のポテンシャルを最大限引き出せるもの」へと求めるものが変わりました。自分の年齢とコロナ以降の暮らし方が、スキンケア選びの転換期になった。そんな1年を、使って満足したもの・手放してよかったものから振り返ります。

私のお気に入りスキンケア: My super favorite skin care items!

クレンジング: Makeup Cleansing Olis

アテニア スキンクリアクレンジングオイル: Attenir Skin Clear Cleansing Oil

もう何本目かわからないくらいヘヴィーユースしているアテニアのクレンジングオイル。クレンジングオイルは肌への負担が高いと言われているけれど、肌への摩擦負担を軽減しつつ角栓や皮脂汚れを落とすとなると、やっぱりオイルが優秀だなと思う。アテニアのオイルは成分と価格のバランスが良いところと、汚れと角栓がスッキリ落ちるところ、そして洗い上がりの皮膜感が無いところが好き。ローズのアロマティックな香りもグッド。

洗顔石鹸: Facial Cleansers

ディオール プレステージ ル・サヴォン: Christian Dior Prestige Le Savon 

今年いろいろな洗顔石鹸を使った中で、一番ときめきが持続したのがクリスチャン・ディオールのル ・サヴォン!箱から取り出した瞬間、ノーブルなバラの香りが広がった時の高揚感は今でも忘れられない。透き通った琥珀色の見た目も上品だし、石鹸台の設えも美しい。ひとなでするだけで魔法のように泡立つ泡は、キメが細かくてずっと顔を洗っていたいくらい濃密。日々のスキンケアに上質さとエレガントさ、そして確かな手応えをもたらしてくれるパーフェクトな洗顔石鹸。元々きれいな人からプレゼントでいただいたのだけれど、選ばれたストーリーも含めてハートに響いた贈り物でした。

化粧水: Facial Toners

トゥベール 薬用ホワイトニングローションα EX: Tvert Whitening Lotion α EX

もうかれこれ3年以上使い続けているスタメン化粧水。使っている間、全く肌トラブルが起きなかったので「もしかして私の肌が丈夫になったのかも?」と思って他の化粧水に切り替えたら、途端に肌のコンディションが悪くなってびっくり。使っていると毛穴が引き締まるし、肌に透明感も出るし、吹き出物も出来にくくなる。肌トラブルって起きてから「スペシャルケアを取り入れないと」と思いがちだけれど、やっぱりデイリーでの予防的なアプローチが大切なんだと思い知った。まさに縁の下の力持ちのような名品。

キュレル ディープモイスチャースプレー: Curel Deep Moisture Spray

今年の秋からスタメン入りしたキュレルのスプレー型化粧水。もっぱらリモートワーク中の乾燥対策兼リフレッシュアイテムとして使ってる。これまでスプレータイプの化粧水は乾燥を悪化させる印象が強くて避けてきたけれど、これはセラミド成分を配合しているだけあって、手堅く保湿してくれる。フワァッとした細かい霧状のミストが出てくるので、肌に刺激が少ないところも安心。ボトルの形状も小さい手で収まる大きさで使いやすい。逆さまにしても使えるので、お風呂上がりの全身ケアにも大活躍中。

乳液:Emulsion

トゥベール ナノエマルジョン ディープ: Tvert Nano Emulsion Deep

元々トゥベールのナノエマルジョンを愛用していたのだけれど、今年新しくセラミドを12%配合した高保湿タイプがローンチされたので切り替えてみた。高保湿をうたう乳液って皮膜感があって好きになれないんだけれど、これは肌に馴染む感触があって大満足。液体みたいなテクスチャーで重たくないのに、塗るとしっかり保湿されていて「保湿したいけどクリームをベッタベタに塗るのは嫌」というややこしい私の趣向に大ヒット。これを使っていると本当に乾燥しなくて感動する。トゥベールの製品には珍しく、ラベンダーとローズの香りがするのもお気に入り。

美容液: Serum

トゥベール 純粋レチノールクリーム: Tvert Pure Retinol Cream

ずっとレチノールは皮膚科で処方してもらっていたけれど、A反応が起きて皮剥けしたり乾燥がつらかったりと、使い続けるにはハードルが高かったので今年からトゥベールにチェンジ。おかげでA反応とは無縁だし、レチノールに期待するターンオーバーの促進と、ハリ弾力の向上がしっかり感じられて大満足。レチノールは紫外線に弱いので、もっぱら夜用美容液として使っている。これを使ってから朝起きた時に鏡を見るのが本当に楽しみになった。自分のコンディションがいいと元気でヘルシーな気持ちになれるんだってことを思い出した美容液。

手放したもの: Best Bye 2022

好きだったけれど、価値観やライフスタイルの変化によって手放すことを決めたアイテムもあった。手放すことで心地よくなれることがあるなら、それも(何かを買ったり導入したりしていなくても)広義の美容だよねって思ってる。

ネイルポリッシュ: Nail Polish

時々ポリッシュを買っていたけれど、爪が弱くて頻繁にネイルをすることができず、結局1〜2回使うだけで無駄にしてしまっていたので、思い切って持っていたものは全て処分した。使わなくなったネイルの液体が固まっているのを見つけるたびに、ショックを受けて落ち込んでいたから、気持ちをアップダウンさせる要素が減ってとても軽やかな気持ち。今後はネイルケアを習慣化して、自爪の健やかさを保つ方針で行きたいな。

ボディオイル: Body Oil

肌の乾燥防止とマッサージのためにボディオイルを購入していたけれど、習慣化させることが難しくて、持っていること自体がストレスに感じるようになっていたので、もういいやと思って全てメルカリに放出。今はお風呂上がりにキュレルのスプレーを吹きかけるやり方で肌の健やかさをキープしている。結局自分がcomfortだと思えないと習慣化ってできないんだよね。自分の快適さと習慣づけの両立は今後も課題とするところ。

ヘアアイロン: Hair Straightener

中学生の頃からずっとヘアアイロンを使ってきていたけれど、ここ数年はまったく使っていなかったのと、洗面所で意外と場所をとるなと感じることが多くなってきたので不燃ゴミへ。結局のところ猫っ毛で髪質が細いと、加工よりヘアケアに邁進する方が一番きれいな状態を保てる気がする。今年はカラーもパーマもしなかったけれど、その分ナチュラルなヘアスタイルが定まってきていい感じ。地毛の髪色も好きになってきた。頑張りすぎず、でも自分がイケてると思えるバランス感覚を大事にしていきたい。

2022年の振り返り: What I noticed in 2022.

自分にとって必要なスキンケアの見極め方: How to know what skin care items I need.

特に見直してよかったなと思ったのが購入までのステップ。2020年くらいからバズっているスキンケアや口コミランキングで上位のものを「なんとなく良さそう」という理由で買うのをやめた。その代わり、①自分がどういう肌になりたくて、②そのための成分は何がいいのかを検索して、③エビデンスを調べてから購入するというサイクルにチェンジ。

面倒だけどこれをやることで、自分にとって必要なスキンケアアイテムを選びやすくなった。あくまでもバズっている化粧品は出会うきっかけにしか過ぎなくて、それが自分にマッチングするものか、必要かどうかは自分自身で決めること。これを見直してから無駄遣いは減ったし、洗面台はすっきりして気持ちがいいし、肌のすこやかさをキープできていて、総じて自分がますます好きになった。

2023年に向けて: Goals for 2023.

色々と試してみて私の場合、保湿はセラミド(ヒト型でなくてもOK)、ニキビ予防とシミ抑制・肌の透明感アップにはビタミンC、皮膚のターンオーバー促進とハリにはレチノールがいいこともわかってきた。今使っているスキンケアのラインナップは、過去数年間で一番満足度が高くて大好き。来年も使い続けていきたい。

そして私にとって美容は「自分を健やかな状態にチューニングする行為」だと気付いたのも、大切な気づきだった。スキンケアは毎日やることなのだから、それが自分にストレスなく、楽しいと思える時間であって欲しい。2023年もライフスタイルの変化に合わせながら、自分がいかに快適だと思えるか、使い続けたいと思えるかを追求していきたいな。

来年も自分にとってハッピーでヘルシーなスキンケアライフを楽しんでいくぞ!

 

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全人類は今すぐ映画館に行った方がいい!血肉沸き踊るインド映画の最高峰 映画「RRR」感想

今年もあともう少しで終わり。いろんな映画を観たけれど、それらをすべて忘れるくらい面白い映画に出会ってしまった。映画の名前は「RRR」。今年見た映画の中でぶっちぎりで面白く、寝ても覚めてもRRRのことばかり考えてしまう。こんな気持ちになれる映画はいつぶりだろう。例えていうならティファンを頼んだはずがミールスが出てきた、しかもビリヤニにデザートのパサヤム付きで!というような映画だ。

左がティファン、右がミールス

 

あらすじ

時は1920年代のインド。とあるインドの片田舎で、少女が英国婦人にヘナタトゥーを施しながら美しい声で歌を歌っている。牧歌的な光景とは裏腹に、周囲には緊張が走っていた。それもそのはず、当時のインド人は英国人には逆えず、家畜以下の扱いを受けていたのだ。

少女の歌が終わり、満足した婦人から謝礼として少女の母親に投げられたのは2枚の硬貨。少女の歌に対する対価と思った母親は、怯えながらも受け取り礼を言うが、娘は目の前で突然連れ去られる。その2枚の硬貨は歌に対する謝礼などではなかった。娘を気に入った英国婦人から支払われた手切金だったのだ。驚いて必死に娘を連れ戻そうとする母親の甲斐も虚しく、結局少女は連れ去られてしまう。悲しむ村人たち。そんな少女を取り戻すべく、ひとりの青年が立ち上がる。

一方その頃別の場所では、英国人の圧政に苦しむ民衆の反乱が起きていた。警察署内部へ石を投げ込み、周囲を覆う柵を揺らす人々。投げられた石が総督の写真に当たって落ちる。暴徒が激化することを恐れた警察署長は、投石した男をここに連れてこいと警察官らに命じるが、皆怯えて外へ出ることができない。そんな中、ひとりの男が投石者を確保するために柵を飛び越える。抵抗する人々を棍棒で叩き、殴り、周囲を蹴散らしながら、執念で投石者を捕まえ署長の前へ引きずり出したもう一人の青年。

そんな対照的な二人の青年は数奇な運命によって導かれ、物語は予期しない方向へと展開していく。

とにかく魅力的なふたりの主人公 ビームとラーマ

この物語には二人の青年が登場する。困ったことはパワーで解決するインド版杉本佐一のようなビームと、大義のためになら手段を選ばないインド版鶴見中尉のようなラーマ。この対照的なふたりが出会い、そして運命の相手になることがこの物語の最大の魅力だ。

奪われた家族のためなら手段を選ばない。穏やかな性格と荒々しさが魅力のビーム

奪われた少女を奪還するために立ち上がったビームは、とにかく「走れメロス」を地でいくような真っ直ぐなヒーロー像!虎の攻撃を軽やかにかわせるほど人間離れした身体能力があるにもかかわらず、争い事は好まず恋愛には奥手。戦って倒した虎には「俺の目的のためにお前を利用してすまない」と祈る、とにかくピュアで優しい心の持ち主だ。不器用で賢く立ち回ることはできないけれど、内に秘めた信念は決して揺るがないキャラクター。圧倒的主人公感をここまで演じきった俳優NTRの演技力も素晴らしい!

冷血な仮面の下に持つ哀しみに胸がしめつけられる。誰よりもミステリアスで業が深い男ラーマ

一方でもうひとりの主人公であるラーマは多面性を持つミステリアスなダークヒーローだ。冷静で強靭な精神力、テルグ語と英語を使いこなす知性。鍛えぬかれた鋭利な刃物のような肉体、同胞でも容赦無く棍棒で叩く冷血さ。そんな一部の隙もない彼が、親しい人にだけ見せるいたずらっ子のような表情や、憂いに満ちた表情がとにかく凄まじすぎて怖いくらいだった。情に厚く愛情深い性格なのに、なぜ警察官という道を選んで同胞を叩く仕事を好むのか。本当の彼は何を考えているのか。そして物語の後半で明かされる衝撃の事実、ラストの転身には思わず息を飲んでしまった。老若男女全てが彼に魅了されること間違いなし!

物語の見どころ!踊る祭典、息の合ったナートゥダンス

youtu.be

物語にはいくつか印象的なシーンがあるのだけれど、中でもやっぱりいいなぁと心に残っているのがインドの伝統的なダンスである「ナートゥダンス」を踊る場面だ。パーティに招待されたビームが令嬢とワルツを踊っていると、それを良く思わなかった英国紳士に「サルサは踊れるか?フラメンコは?」と突き飛ばされる。「後進国の野蛮人であるお前たちは複雑なダンスなんて踊れないだろう?」と嘲笑しているのだ。それを見ていたラーマが間に入り英国紳士に”Do you know Naacho?(ナートゥダンスをご存知か?)”と尋ねる。そしてエネルギッシュでパワフルなナートゥダンスが始まるのだ。

ふたりの息がぴったりあったダンスで会場が沸くのはもちろん、大英帝国から植民地支配を受け、誇りも尊厳も蹂躙されてきた民族が、自国のダンスを踊ることでプライドを取り戻すというシーンがとにかくアツい!途中で英国人とのダンスバトルが始まるのも最高だ。

アジアという「エキゾチック」な文化を鑑賞させるのではなく、相手を同じ土俵に立たせ踊らせ、その結果リスペクトを獲得すること。異文化に安全圏から触れることができるという特権性を揺るがす、土埃をあげて踊る土着的なダンス。サルサやフラメンコだって民族から生まれた踊りなのだ。それならばナートゥダンスが尊重されない理由がない。なにより格好いいじゃないか!そんな思いを画面いっぱいに表現しているのが何より素晴らしく、胸がいっぱいになるシーンだった。

大英帝国支配下の辛酸をフィクションで塗り替えていくという気概

もちろん史実と映画は異なる。結局のところ現実世界では、物語の通りに大英帝国に対してインド人が反乱を成功させることは無かった。そもそも映画のモデルとなった独立運動家たちは、同じ時代には生きておらず出会ってすらいない。様々な運動家の努力と犠牲のもと、ようやく1947年8月25日にインドは分離・独立を果たしたが、その後も多くの血が流れた。

けれど、もしかしたらあったかもしれない(そしてそれがあれば現在も変わっていたかもしれない)未来を信じさせる力があるのも、この映画の魅力に他ならない。抑圧されてきたインド人が大英帝国の総督をやり込めたかもしれない未来。大切な家族を取り戻せたかもしれない未来。生きて愛しい人と幸福な人生を歩めたかもしれない未来。大英帝国の統治下で味わった辛酸と怒りを、エンターテイメントに昇華する。そんな気概を感じてとても感動した。

もちろんそれはお芝居という虚構を現実の出来事として観客に信じ込ませるような、緻密に綴られてた演技と演出があってこそだ。観客が体験したことがない出来事を心の中に再現させ、味わい尽くさせるような。だからこそこの映画に携わったNTR・ラオ・ジュニアやラーム・チャランといった役者はもちろん、監督を努めたラージャマウリの手腕は本当に素晴らしい。

植民地支配のあとも続く分断は、インド国内やその周辺地域に今でも静かに横たわっている。インタビューでラーム・チャランは監督を努めたラーマジャウリを「インド映画の垣根をブルドーザーのように壊した雄牛のような人」と例えていたが、裏を返せばインド映画界と言えども一枚岩ではない難しさがあったということなのだろう。そんな現状を打破するように、自国の独立にまつわる歴史を爽快な物語として描き切ったRRRは、今後映画史に間違いなく残るはずだ。そしてこの作品が、きっとインド映画をもっと面白くしてくれるものだと信じている。

余談

その1:観に行こうと思ったら予約が全然とれない

「今日は暇だから行ってみようかな」と気軽な気持ちで当日券を取ろうとしても、とにかく予約が取れない!都内はどこの映画館もほぼ満席。公開から1カ月以上経っているのにこの状況、いかにリピーターが多く愛されているのかがわかります。結局わたしは腹を括って当日の0時に予約サイトにアクセスし、無事にブッキングに成功しました。それでも当日劇場へ足を運ぶと、すべての座席が埋まっていてびっくり!嵐のコンサートか??RRRを見ようと思ったら入念に準備しておくことをおすすめします!

その2:エンディングで流れるダンスシーンの意味を身体で完全に理解した

これまでインド映画のエンディングでスタッフロールではなくダンスシーンが流れる意味がわかっていなかったのですが、今回ここまで魅せに魅せてくれたスターたちが、様々な表情で楽しそうに踊っている姿を観て「これはファンサか!」ということを完全に理解しました。宝塚歌劇団でトップスターが羽を背負って階段を降りてくるシーン=インド映画のエンドロールダンスということですね。今後はインド映画のエンドロールで主役たちが踊っている姿を見たら「ファンサありがとう!!」の気持ちでより楽しめそうです!

その3:ラーマ役のラーム・チャランにハマり、インスタをフォローする

RRRについて国内外の情報収集をしていくうちにラーマ役のラーム・チャランにハマってしまい、とうとうインスタをフォローするというところまでたどり着いてしまいました。メガスーパースターなのに控えめでシャイな性格はもちろん、

  • 投稿にはハートマークを使いがち
  • 愛妻家で家族の前ではリラックスした表情
  • プードルを溺愛していてどこへ行くにも一緒

などなど、とにかくすべてがいいですね…好きだ…

 
 
 
 
 
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↑プードルの登場率が異様に高いラーム・チャランのインスタ

終わりに 映画館で見るべき3つの理由

あ〜とにかく面白かった!こんなに夢中になれる映画に出会えたのは久しぶりでとっても嬉しい!!そしてもっとインドにおける独立運動の歴史についても学びたい意欲に火がついた3時間でした。こんな映画には生きていてあと何本出会えるか…本当にありがたい!
ここまで読んで、それでもまだRRRを観に行くか迷っている人に映画館でみるべき3つの理由を伝えて終わりにしたいと思います。

  1. すばらしいサウンドを映画館の音響で体感して欲しい

  2. 圧倒的な映像美に大画面で浸って欲しい

  3. 観客との一体感を味わえる唯一無二の体験をして欲しい

特に劇場ならではなのが観客との一体感!映画館に立ち込める密な空気、観客の息遣い、そして感情のうねり!これを体験できるのはやはり映画館ならではなんですよね。特にコロナ禍ではそうしたことを感じにくかったので、密になる楽しさを久しぶりに思い出せたような体験でした。そして観賞後に破れんばかりの拍手が鳴り響いたのも、とっても楽しかったです。客層の治安がいい。

視聴後の爽快感もすばらしいので、年越しムービーとしてもおすすめ!ぜひ皆さんも劇場に足を運んで、インド映画のおもしろさにどっぷりひたってきてくださいね!

 

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真綿のような毒にくるまれて 山本文緒『ばにらさま』

山本文緒さんの小説と出会ったのは、中学生の頃だった。当時習っていたスイミングスクールの近くにはブックオフがあり、親が迎えにくるまで本を立ち読みしながら時間を潰すのが習慣だった。髪の毛から香る塩素と、古本屋独特の古紙の匂い。店内は薄暗く、J-POPのオルゴールミュージックが流れていて、店員はいつも気怠げだった。

そんなある日、いつも通りブックオフの自動ドアを抜けて文庫本コーナーへ向かうと、一際目を引くタイトルの本を見つけた。それが山本文緒さんの『みんないってしまう』だった。当時思春期の真っ只中にいた私は、この諦念を含んだようなタイトルにとてつもなく惹かれた。沢山の本が並ぶブックオフの本棚で、この本の背表紙だけがぴかぴかに光って見えたのだ。気づけば本を手に取り、無我夢中でページをめくった。そしてなけなしのお小遣いで、その本を買って帰ったのだった。

あの思春期特有の、気持ちのバランスの取り方がわからず、何をしても孤独を感じていた時期。通り過ぎてしまえばよくある感傷だが、当時は嵐のようなエネルギーを持て余し、自家中毒を起こしているようだった。そんなときに文緒さんの言葉と物語を摂取すると、自分の中のバランスがとれていくような感覚があった。人生のままならなさ、厭わしさ。けれど振り返ればどの瞬間もいとしく、やがては終わりが訪れる。その毒を持って毒を制すような物語が、当時の自分を癒してくれていた。それ以来文緒さんは、こころの特等席に座っている作家になった。

そんな思い入れがあるからこそ、訃報を受け入れるには時間がかかり、積読にしていた『ばにらさま』もなかなか手をつけることができなかった。書店で遺作と紹介されているポップを目にしては気が滅入り、神経を逆撫でされ、漠然とした喪失感と現実のはざまで足踏みしている間に一年が過ぎてしまった。

それが今年の繁忙期明けに、ヘトヘトになってソファに倒れ込み、「今の私の人生には仕事しかない」と思ってハッとしたとき、本棚を見るとやはり彼女の本がぴかぴか光って見えた。もういいのかもしれない、そう思って手にとったあと、気がつけばあの頃のように無我夢中でページをめくっていた。

『ばにらさま』は全6篇の短編小説で構成されている。同じ短編集である『みんないってしまう』のテーマが喪失だとすれば、『ばにらさま』はチャイルディッシュがテーマだ。本編に登場する人々は社会では大人にカテゴライズされているが、その中身は幼く身勝手で、常に現実を2ミリずれた視点で見つめている。自分は何がしたくてどのように生きたいのか。目的を見失い、人生の手綱を手放して浮遊し、漂着した人もいれば流されていく人もいる。

例えば表題作の『ばにらさま』では、初めて彼女ができた男の稚拙な恋愛を描いている。儚く白く美しい彼女と冴えない主人公。なぜ自分のような男と付き合っているのだろうかと疑問に思いながらも、彼女に尽くそうとする彼だったが、次第に物語は予期せぬ方向へと転がっていく。自分が軽んじられることに無頓着な傲慢さ、臆病さを棚に上げて他責する愚かさ、そして自分の意思決定を他人に委ねる浅慮さ。ひりつくような幼稚さと、それがもたらす結末が痛々しい。そして物語の終盤で明かされる事実には、思わず背筋がぞくりとした。

一方で巻末に収録されている『子供おばさん』は、大人になりきれない女が自分の幼稚さを受け入れていく物語だ。47歳になる彼女は、都心の狭いマンションに一人で住み、小さな会社の事務員としてそれなりに働いている。休日は友人とコンサートやミュージカルへ出かけ、適切な刺激に甘んじる日々。そんなある日彼女のもとに、故人となった友人から形見分けの機会が訪れる。

かつては共にアイドルのコンサートへ行くほど仲が良く親密だった友人。しかしいくつかの出来事を境に避けるようになり、袂を分かつようになる。訃報を聞き通夜に出ても、涙すら出ない。どんなに仲がよかった友人と言えど、七年も会っていなければ「三年着なかったジャケット」のようなものなのだ。そう思っていたはずが、友人の形見分けをきっかけに彼女の心情は変化していく。

人の縁とは不可思議なものだ。思い出が日常に埋もれ、相手との日々が色褪せていき、やがて思い出すことがなくなったとしても、その人と出会う前の人生にリセットされるわけではない。ましてや切れたと思っていた縁へ向き合わなくてはならないというのはひどくエネルギーがいる。できるなら掘り起こしたくなどないのにーー。しかしそれを文緒さんは「まぁ、そんなに悪いものでもないんじゃない」とほがらかに笑いながら描いているようだった。

他にも本書には恋愛小説家としての本領発揮ともいえる『わたしは大丈夫』や『バリヨン心中』、物書きとして経験を切り売りする様をシニカルに描いた『20×20』、同性との不安定な関係の先に辿り着く『菓子苑』など、色とりどりのフレイバーで用意された毒が目白押しだ。

この先、彼女の新作が発行されることは永遠にない。その事実にいまだに狼狽えてしまう。けれどきっと気がついていないだけで、彼女が遺していった物語はこれからも毒となり薬となり、私の足元を照らし続けるのだろう。そうした作家と出会えたことは、やはり私の人生にとって僥倖だった。

文緒さん、思春期から今日まで人生の傍にいてくれてありがとう。あなたの毒でわたしは今日まで生きることができた。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

赤坂で街歩きを楽しんで韓国料理に舌鼓 OMO3東京赤坂by星野リゾート 宿泊記

7月、hahfの宿泊コインを使い切りたかったので赤坂にあるOMO3に宿泊することにした。赤坂なんていつぶりだろう。最後に訪れたのはコロナが流行る前だった気がする。まだ学生だった頃、赤坂議員宿舎の裏手にあるホットケーキパーラー fru-fullというお店が大好きで、よく友人たちと通っていた。素朴な甘さにカリッとした生地の食感が病みつきになる美味しさで、今でも東京で一番おいしいホットケーキを食べるならここ以外にないと思っている。日本橋の花時計が閉店した今、あの万惣の系譜を汲むホットケーキは、ここと蒲田にあるシビタス、そして経堂にあるつるばみ舎だけになった。

コロナを経ても赤坂は大きく様変わりしていないように見える。その昔、やっかん通りと呼ばれていた赤坂田町通りの周辺は、以前よりも若い人たちを見かけるようになった。近年は赤坂サカスを中心に観光地化が進んでいるらしい。

目的地のホテルには赤坂駅の出口から歩いて5分程度で到着。もともと2021年に閉業したホテルビスタプレミオを星のリゾートが買収してリノベーションしたらしく、外観は当時から変わっていない。

受付を済ませて中に入ると奥にはリラックススペースがあり、赤坂にちなんだ本などを読めるように整えられている。

その正面にはイベントスペースが設けられていて、この日は赤坂の名所に因んだダーツが行われていた。この他にも早朝のガイドツアーや、知る人ぞ知る赤坂をめぐるアクティビティなどがあり、町歩きが楽しくなる仕掛けがたくさん企画されている。

さて、そのまま奥にあるエレベータに乗って宿泊する部屋がある3階へ。ロビーのポップなイメージとはうらはらに、宿泊フロアはモダンで落ち着いたデザインだ。

部屋の間取り自体もビスタ時代から大きく変わっていない。バストイレは別で、ベッドをかこむようにしてソファスペースが設けられている。

ベッドサイドにはUSBポートにコンセントが左右に1つずつ。

ソファスペースの脇には冷蔵庫とコップにケトルがある。お水や茶葉などはないので、自宅からティーパックを持参した方が良さそう。

ベッドの目の前は洗面台にテレビというめずらしい作り。戸棚の中には金庫とバスタオル、それからホテルのパンフレットとドライヤーが収納されていた。ドライヤーはテスコム製。

ちなみにこれ以外のアメニティはなく、歯ブラシやパジャマは有料扱いになる。普通のホテルに期待するアメニティを想像していくと、あれもないこれもないと焦ることになるので注意が必要だ。

一通り部屋を見て、全体的にデザインはおしゃれ風だけど使い勝手は悪く、必要なアメニティが削られているところに、ビジネスホテルともデザイナーズホテルともつかないチグハグさを感じたのが正直なところ。コンセプトやターゲットがわからないホテルだなと思いつつも、唯一いいと思ったのが、このゆったりとしたバスルーム。カビひとつなく、清掃が行き届いていて素晴らしかった。

さて、せっかく赤坂に来たのだし、街をぶらぶら歩いてみようかと外へ。イベントスペースにある地図をみていると、スタッフの方が来ておすすめのルートを教えてもらった。今回は円通寺坂を登り、牛鳴坂を下って戻るコースにする。OMO3の町歩きと提携しているお店は、ホテル名を出すと割引やサービスもしてくれるとのことだった。

円通寺坂は表通りと違ってのんびりとした雰囲気。小さな公園もあり、地元の人らしき人々が憩っていて、下町のような風情がある。

坂をのぼり、地名の由来になった円通寺にたどり着くと、軒先におそらくお寺に住み着いているのであろう三毛猫がいた。香箱座りがとってもキュート。

撫でさせてもらえないかとジリジリ近寄ってみたものの、距離を保ちながら離れていくので、追いかけるのをやめた。静かな時間を邪魔してごめんね。

寺をあとにした後は、薬研坂をてくてくと歩く。すると近くのマンションから2頭のコッカースパニエルが飛び出してきて、足元にすりよってきた。謝る飼い主さんに「犬が大好きなのでうれしいです!」と言って笑いを誘う。

薬研坂を登り切ったあとは、青山通りを歩いていく。区民センターと警察署を横目に通りすぎ、散歩の目的地であるとらやに到着した。

開口一番「うわー、これはめちゃくちゃいい建築だ」と声が漏れる。曲線と木の融合は有機的でやわらかさが感じられる。一方でガラスを使用したファサードは抜け感とシャープさがあり、かなりメリハリがあるデザインだ。植栽のバランスも抜群で、眺めているだけで心地いい。

目的だった茶寮は食べ物が売り切れで仕舞いとのことだったので、明日また訪ねることにする。地下ではかき氷の歴史に関する展示をやっているということで観覧していく。これがなかなか面白かった。

とらやを出た後は牛鳴坂を通り過ぎて、ホテルがある一ツ木通りへと戻る。ちょうど目の前に土橋園というお茶屋さんがあったので、ホテルで飲むためのお茶を買うことにした。

ちょうど粉末タイプのお茶があったので、それで間に合わせることにする。お会計のとき、この粉末タイプのお茶を作ったのはここが初めてなのだという話を聞かせてもらった。

そのままホテルで少し休んだあとは、赤坂に来た一番の目的であるチョンギワへ。ここの冷麺が大好きで、久しぶりに食べたかったのだ。

お通しとキムチは変わらない美味しさ。隣の席ではきっぷのいいマダムたちがふたりでものすごい量の肉とキムチ、それからケランチムに冷麺とビビンバを一人前ずつ平らげていた。

マダムたちの気にあてられて、わたしたちも骨付きカルビと牛タンを焼くことにする。やっぱりチョンギワのお肉は美味しい。

最後はハーフサイズの冷麺で締め。韓国の冷麺は様々な種類があって、このタイプは水冷麺と呼ばれるものだ。淡麗な出汁に酢と辛子が効いてさっぱりとした味は、夏の蒸す時期にぴったり。かみごたえのある麺は食感が楽しく、ああやっぱり冷麺はチョンギワだなぁと思う。ときどき鼻にぬけるからしの香りを楽しみながら、あっというまに平らげてしまった。

翌朝は晴れ。夜とは打って変わって人通りも少なく、さっぱりとして何食わぬ顔の赤坂だ。赤坂サカスではハリーポッターのイベントが行われているらしく、朝から長蛇の列ができていた。

行列を避けるようにして転坂を登り、やってきたのは赤坂氷川神社。季節外れの紫陽花が出迎えてくれてうれしい。

境内には都心とは思えないほど豊かな緑が残っていた。ここのスズメは人に慣れているのか、近寄っても警戒心があまりない。地面をつついて虫を喰んでいるようで、ちょこまかとした動きが愛らしい。

境内は早朝にも関わらず人が多く、聞けば縁結びの神様として愛されているとのことだった。わたしは神社仏閣を衆生向けのエンタメと捉えているところがあるので、ご利益自体はまったく信じていないのだけれど、こういう場自体はいいものだと思う。

境内にはいくつか狛犬が置かれているのだが、社殿近くの狛犬は歴史が古いせいか、他のものよりもかなりプリミティブな印象を受けた。重要文化財にも指定されている社殿は趣があり、江戸から続く歴史を感じさせる。

そうして氷川神社をめぐったあとは、境内の奥を抜けて檜坂を下っていくことにした。もうひとつ行ってみたかった場所があるのだ。

歩くこと数分、目的地の毛利庭園へ。江戸時代の大名屋敷を再整備した庭園は、開放感があって気持ちがいい。

池の石ではミシシッピアカガメが甲羅を干していた。外来種もすっかり馴染んだ風景だ。

庭園内では近隣の子とおぼしき子供たちが走り回っていたり、水辺で遊んでいてのどかだった。庭としての趣はないものの、公園としてはかなりいい。都心に緑があるとホッとするなぁと思う。

ひととおり毛利庭園を散策したあとは、昨日振られたとらやの茶寮で朝食をいただくことに。

夫は季節のうどん。花豆を煮たものと、てんてんと添えられた梅とわさびが上品だ。

わたしは抹茶グラッセにあんず氷。毎年この暑い時期にいただく抹茶グラッセがとても楽しみ。テラス席は眺めもよく、風が通って気持ちがいい。

気がつけばわたしの氷が呼水となり、夫も宇治金時を頼んでいた。「あなた、抹茶の類はきらいじゃなかった?」と尋ねると「うん、でもここのは別だから」という。

いい風に吹かれながら赤坂御所の緑の波を眺めていると、デートと思しき恋人同士がテラス席にやってきた。女の子が「こんな素敵なところで食べられるの?うれしい!」と言ってはしゃいでいる。それを見てはにかむ男の子がかわいらしい。かつてはこの人たちのように初々しかったであろう、昔のわたしたちを振り返る。

帰りはまた坂を下って、ホテルに戻った。赤坂は名前の通り、どこに行くにも坂だらけだなと思う。そして一口に赤坂といっても、場所によって雰囲気が変わるのだなと。赤坂でホットケーキを食べていた学生のころと、自分の中身はさほど変わっていないのに、最近はとりまく環境がめまぐるしく変わっている気がする。安定した場所に身をおきたい気持ちと、そうでない気持ちが拮抗していて忙しい。大人になったら、自然と軸足が定まるものだと思っていたけれど、どうやらそうでもないらしい。なら今の心で動くまでか、そんなことをぼんやりと考えた。

都内のホテルステイに関する記録はこちら

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改姓についての覚え書き

最近友人たちから、結婚について相談を受けるようになった。なかでもよく聞かれるのが改姓についての話だ。
改姓についての実体験を言語化していくうちに、自分の考えが整理できて興味深かったので、忘れないよう残したい。

前提

法律婚にするか、事実婚にするか

  • ふたりで話し合い、法律婚を選択した
  • 子の認知、相続、万一の場合の立ち合いなどを考えると、法律婚が最適解だと判断したため

改姓前

どちらの苗字にするか

  • 彼氏は自己名義で何本か論文を出している
  • 社会人としてのキャリアは彼氏の方が長く成果も多い
  • 彼氏の名義で契約しているものも多い
  • 総括すると彼氏が私の姓に変えるコストの方が大きい
  • 結果、私が改姓することで合意した

どのように納得したのか 

思想編
  • 結婚以前からふたりとも夫婦別姓を支持している
  • ただし法律婚を選択せずに結婚することは、互いにとってリスクが高いと判断した
  • とはいえ結婚して名前を変え、政治的立ち位置は夫婦別姓というのはダブルスタンダードではないかと考えたこともあった
  • でもよく考えれば、それしか選択肢がない社会が悪い
  • なので今は気にしていない
コスト編
  • 今後のリスクヘッジのためなら短期的な改姓コストは仕方ないと考えた
画数編
  • 姓名判断をしたら改姓後の名前の画数が最悪だった
  • 判定結果に「色恋によって身を滅ぼす」があった
  • 「金銭を使い果たして身を滅ぼす」ともあった
  • 実際に使う名前は旧姓のままなのでセーフだと考えることにした
アイデンティティ
  • この時点でアイデンティティが失われる実感は薄かった
  • 改姓後も職場や友人たちの前では旧姓を使い続けるので、書面上の名前だけが変わる認識でいた
  • 何より彼氏に何かあった時に側にいられないのは嫌だった
  • なので私の苗字を変えることにした

改姓後

実際に変えてみてどう感じたのか 

思想編
  • ふたりとも夫婦別姓に賛成の立場は変わらない
  • 今後中国や韓国のように別姓に切り替えるか、スウェーデンのsamboやフランスのPACSのような制度の導入が進むことを望んでいる
コスト編
  • 免許証・銀行口座・クレジットカード・保険などの改姓手続きが煩雑だった
  • まず改姓後の諸手続きについて、体系化した手順書が存在しないことに驚いた
  • さらに各機関によって認識にバラツキがあり、事前調査が役に立たないことが多々発生した
  • とはいえインターネットの女たちが情報を発信してくれていたことにかなり助けられた
  • 情報が少ない異性やパートナーシップ制度利用者の場合はさらに大変だろう
  • また改姓手続きは平日のみ対応可能な機関が多い
  • 仕方なく有給を1日分消化したが、手続きのためだけの有給消化には心が荒んだ
  • 結局、改姓に伴う実作業は1人日だったが、事前調査などを含めると最低4人日は必要だった
  • ちなみに改姓から数年後、私の祖父が亡くなり相続手続きが発生した
  • その際、旧姓と新姓の私が同一人物であることを証明しなければならず、書類集めに苦労した
  • 当初、改姓コストは短期と想定していたが、長期にわたってランダムにコストが発生することがわかった
  • これが生涯に渡って夫は無いと思うと羨ましかった
画数編
  • いまのところ姓名判断は当たっていない
  • 色恋沙汰で身を滅ぼすことも、金銭感覚で身を滅ぼすこともなさそうだ
  • しかし画数が悪いことは地味に引っかかっている
アイデンティティ
  • 改姓後、アイデンティティに変化があった
  • 普段の生活では旧姓を使用しているが、公的な場面では新姓を使うことがある
  • そうしていると、使用頻度よりも重きを置いて選んだときの名前が「重要な名前」だと認識するようになった
  • 公的な場面で「わたしは新姓〇〇です」と選ぶことが自己認識が変わるトリガーのようだ
  • 今私の自己認識は「旧姓は仮、新姓が正式名」になっている
  • 喪失感というより、知らない間に自己認知が変化していて奇妙な感覚だった

改姓後の夫婦関係について

  • 恋人同士だった頃からふたりの仲は変化していない
  • 改姓することが決まった時、夫が「あなたに負担をかけて本当にごめん」と言ったことは今でも覚えている
  • 悪いのは制度であって夫ではないが、この時に傲慢な態度を取られていたらつらかったかもしれない
  • 長期的な共同体として円滑にやっていくために、互いが理解を示せるパートナーであることは大切だと感じた
  • 今後夫婦別姓が実現した場合、旧姓に戻すことも合意している
  • もし子供ができたら、その人には家に囚われず好きな姓を選んで欲しい

改姓後の考えについて

  • 現与党が夫婦別姓に反対しているが、よくよく考えると不思議だと思う
  • 人口減少下で消えていく伝統的な姓≒家を守るためなら、別姓が最も適切な手段だと思うので
  • また夫婦別姓同性婚に否定的なのも不思議に思う
  • 社会保障でカバーしきれない保育や介護などを各世帯の構成員に負担させている以上、家族単位を増やすことが必要不可欠だと思うので
  • さらに異性愛者にのみ法律婚を認め、同性愛者に法律婚を認めない理由が、「子どもを産み育てながら共同生活を送る関係に法的保護を与える」ため*1というのも不思議だと思う
  • それならば希望する同性愛者が子育てを実現できるよう制度を整えていくべきだから
  • そもそも私は子どもを産み育てるためではなく、パートナーとこの不確実性の高い社会を生きていくためのリスクヘッジとして法律婚を選んだ
  • 結婚前に私に十分な稼得があったり、キャリアとして優位だったら異なる検討軸があったのかもしれない

終わりに

姓を変えるということを実際にやってみて、変える側のコストが高いし面倒だし、なにより無力感を感じた。法に基づいて夫婦になる場合、いくら学生時代に研究を頑張ってきた自負があったとしても、結局は成果をあげている人間の姓に変える必要があったからだ。経済的合理性で動くなら、きっとこうした決め方を多くの女性が経験するのではないだろうか。頭では理解も納得もしていたけれど、ふりかえると確かに傷ついていた。そんな個人の思いを内包しつつ、夫婦関係は続いていくのだろうけれど。

それから私は夫婦別姓推進派だけれど、これ自体が女性の地位向上へ与えるインパクトの大きさは疑問に思っている。結局のところ、姓がある限り家制度の概念は存続する。そうなると女性の地位は、夫婦別姓を実現するだけでは不十分で、女性が経済的自立を果たせるようになるということも両輪で進んでいかなければ、地位向上の実現は難しいのではないだろうか。

そのためには夫婦別姓はもちろん、女性が家計の状況によって進学をあきらめないための支援や、子育てや介護でキャリアが断絶した人間が労働市場に復帰したときに稼げる仕組み、非正規雇用の労働者がその給与のみで生計を立てられる仕組みや、ケア労働を行政がサポートする仕組みを、社会全体で作っていく必要がある。それはめぐりめぐって男性にも還元され、生きやすい社会の醸成につながるはずだ。

結婚したときに、まずは夫の年収の半分まで稼げるようになるというのが私の目標だった。その目標を今年、ようやく達成することができた。少なくともあのとき失った自信は少しずつ取り戻してきている。自分で稼げると言うのは自信になる。そしてこの自信と稼いだお金を、やはりわたしは学問に費やしたいと思っている。

いろいろ書いたけれど、あくまでもこれはうちの話で、パートナーの数だけ色々な決め方があるのだろう。他の人たちはどんな選択をしているのか知りたいし、聞いてみたい。そしてこれから結婚しようとしている人たちは、それぞれのパートナーにとっての最適解が見つかることを願っている。そして姓を変えずともパートナーシップを結びたいと望んだ相手と共にいられる権利、あるいは相手の性別を問わずパートナーシップが保証される権利が、早々に実現することを。

11月、東京のとあるデパートにて

春から夏にかけての澄んだ空気はこころが踊るのに、秋から冬にかけての冷えた空気は妙にもの悲しく感じるのはなぜだろう。ときどきどこからか風に乗って金木犀の香りが運ばれてくる。今年もこのあまったるい薫りに、顔をしかめる季節がやってきたのだ。すっかり東京はアフターコロナの様相で、マスクをつけずに歩いている人たちや、訪日外国人を見かけるようになってきた。

ひさしぶりにデパートのコスメフロアにいくと、一部のタッチアップが解禁されていた。せっかくなので、ずっと気になっていたアイシャドウを試すことにする。席に案内されてケープをかけられ、この感覚もいつぶりだろうと感慨深く思った。

担当についたのは20代くらいの青年だった。マスク越しでもはっきりとした鼻梁の形がわかる。刈り上げられたうなじは清潔感があってぴかぴかしていた。

「今日はアイシャドウをお探しなんですか」
「はい、ずっと欲しかったんですけど、コロナでタッチアップができなくて。実際に肌に乗せたものを見て決めたいので、お願いしてもいいですか」
「もちろんです。まずはメイクをオフするところから始めていきますね」

そうして彼は微笑みながら、わたしにリムーバーを染み込ませたコットンを手渡した。以前はメイクオフからスキンケアまで美容部員にお任せだったのが、今は自分で行うことになっていたのだった。

「ああ、そうか。今はお客さんと美容部員さんでタッチアップを分担するんですね」
「はい、館やブランドの方針にもよりますが、わたしたちはご協力いただいています」

聞けば直接肌に触れること、また口元への化粧は感染のリスクが高いとされ、いまだに禁止されているらしい。まぶたにやさしく触れるブラシの感触を感じながら、彼の話に耳を傾ける。

「そもそも私が入社したのが、コロナ全盛期だったんです。そのときは部分的なタッチアップすらできなくて。でもやっぱりメイク品って実際に色味をつけないと、良さがわからないじゃないですか」
「確かに。手元で見るときと、実際につけてみるとだいぶ印象が違いますよね」
「そうなんです。なので当時はとても歯痒くて。まだリップメイクはできませんが、こうして少しずつお客様に試していただけるようになったのがうれしいです。ちなみに口紅へのメイクは禁止されていますが、お客様が苦しければマスクは外していいルールになっているんですよ」

不思議なルールですよね、と言って笑う彼を見て、私もマスク越しに表情が伝わるようにっこり笑ってみせる。

「そうなると、この2、3年間の売り上げも厳しかったんじゃないですか」
「そうですね。ただメイク品が売れない分、スキンケアやフレグランスが前年比の倍で売れるようになりました。この数年はいかに心地よくなれるか、ということがテーマだったように感じています。うちの館に入っているフレグランス部門も売り場を拡張しましたし、実際にそのブランドさんはボーナスもすごかったと聞いています」

確かに以前銀座シックスに行った時、フレグランスショップに長蛇の列ができていて驚いたことがある。アクアディパルマ、ルラボ、フエギア。以前はニッチな層が知るフレグランスだったのが、コロナ以降は香水に興味のないひとにまで認知されるようになっていた。

「あとはタッチアップができますよとお声がけしても、断られることが多くなりました。この数年で肌に触れられることへのハードルが高くなったことを感じています」
「そうなんですね、それは意外です」
「なので本当にお客様が購入されたあとも、こころから満足されているのか、それは気にしていますね」

たった数年のことなのに、購買行動が変容していることに今更ながらおどろく。

「少しずつお客さんの足も戻ってきているし、海外からの観光客も増えてきましたし、コロナ以前の仕事ができるようになっていくといいですね」
「本当にそうですね!触れることで気がつけることってたくさんあるので、その日が待ち遠しいです」

気づけば私のまぶたには、きれいにメイクが施されていた。シルクサテンのようにしっとりとしたツヤ。光を受けて細やかなパールがチラチラときらめく。澄んだベージュはマスク生活を経てナチュラルになった、今のメイクとハマっていた。

「かわいい!これ、いただいていきます」

鏡で見る表情は、いつもよりイキイキとしているように見えた。色や塗り方を変えただけで、いつもと違う表情になるのが楽しい。鏡に映る自分を見て、やっぱり私はメイクが好きだと思った。なにより、こうして誰かとメイクについての話をして、肌に触れてもらう時間がわたしの大切な癒しだったのだと。

お店を後にする前、彼にお礼をいってから「また来ます。応援してますね」と告げた。未曾有の感染症の中でこの業界に入り、現場で試行錯誤しながらプロフェッショナルを目指そうとする彼に影響されたのか、自然と足取りが軽くなる。仕事でくさくさすることがあっても、やはり元気をもらうのは、こうした人の仕事ぶりからなのだ。自分も頑張ろうと背筋を伸ばした。