東京で暮らす女のとりとめのない日記

暮らしとカルチャー、ミクスチャー

今月の更新のお知らせ

ここ数日ブログの閲覧数が異様なくらい伸びていて思わず「炎上!?」と思ったのですが、調べたところ、以下の記事がはてなブログのピックアップ記事に選ばれていたようでした。

lesliens225.hatenablog.com

この記事、私も好きだったんですよね。都内で静かに長時間過ごせるカフェってなかなか貴重なので、同じニーズを抱えている人に届いたなら嬉しい。これを読んだ人が頭に思い浮かべる喫茶室も知りたいな。

さて、「ありがたいことに読者登録も増えたので、ここからはどんどん更新していくぞ!」となるところなのですが、その気持ちに比例するかのようにプライベートが慌ただしくなってきたので、今月はブログの更新が難しいかもしれないというお知らせです。

というのも首都圏で家を買うことがほぼ決定しました。そのため休日は内見、内見、内見で日が暮れる…という暮らしをしており、家に帰ってご飯を作って勉強して読書をして掃除をしてたまにメルカリをして…となると、もはやブログを更新する余力がない!仕事も忙しさが佳境になり、購読しているブログすら確認できていなくなってきて「このままだと9月は一回もはてなブログにアクセスしなくなるかもな」と思ったので、取り急ぎ筆を取るならぬ、キーボードを叩いた次第です。

いやーしかし、23区内の土地って本当に笑っちゃうくらい高い。そして調べると区ごとの子育て政策のカラーが結構違っている。どの区を選んだら保育料や医療費を抑えられるのか、そして母親の就業継続の可能性が高まるのか…つくづく子育て業は行政からの支援を無視できないと思う次第です。この辺について調べたことや、購入を決めるまでの波乱万丈な記録についてもいつか書けたらいいな。

というわけで、しばらくブログの更新は先になりそうです。今後は以下の記事を更新しようと思っているので、気長に待ってもらえたら嬉しいです。

  • 滋賀で煎茶の美味しさに開眼し、比叡山で説法を受けてグッときた話
  • 今年買って飲んで美味しかったビール20選
  • 鎌倉でハイキングをして猫を撫でた夏の記録
  • 桃の食べ方を研究する
  • 久しぶりに福島にいったら最強の道の駅ができていた件
  • ひさしぶりに手紙を出して、アナログのよさを感じた話
  • 後輩たちに改姓の相談を受けるので所感をまとめてみた
  • 蒲郡クラシックホテルでのんびりステイ
  • 赤坂OMOに泊まって町歩きをした記録
  • リチャード・シドル「アイヌ通史」評
  • 平山亮「介護する息子たち 男性性の死角とケアのジェンダー分析」評
  • 今年の夏に着たおした服 〜メリノウールにハマって幾年月〜
  • 大学生の頃のコーディネートを振り返る

最近は暑かったと思えば涼しくなったりと気温の変化が激しいので、みなさんもお身体に気をつけて。ここまで読んでもらったお礼と言ってはなんですが、この夏に買って美味しかったものを紹介して締めくくります。

 

カズチー

いわずと知れた有名なおつまみ。たまたま成城石井でみかけて買ったらこれがとても美味しかった。うまみのあるチーズにかずのこのプチプチした食感がいい。ビールにも日本酒にも。たまに見かけるとまとめ買いしています。

kazuchee.com

ニチレイ むねから

タンパク質が摂れる低脂質なおかずを作るのが面倒なときにお世話になっている冷凍食品。大抵のハイプロテイン、ローカーボをうたっている商品って、しれっと脂質が高くて「逆に太るわ」と思うことってありません?脂質がないと食感が悪くなるので、そうせざるを得ないというのはわかるんですけど、ケトジェニックをやらない限り選ばないようなものがあまりにも多い。そんな中でニチレイのむねからはPFCバランスが優秀で、しかもちゃんと美味しいです。ていうか最近のダイエットのトレンドは糖質が悪のように言われているけどそうじゃな(以下略

www.nichireifoods.co.jp

虎屋のおしるこ

夏場の食欲がないときにいいかもと見つけて買った、虎屋のおしるこ。これを冷やししるこにして飲むのがこの夏のマイブームでした。さらっとした喉越しのよさ、キンとした甘さ。氷のカランカランと鳴る音だけで涼がとれます。パッケージがめちゃくちゃかわいいので、ちょっとした手土産にもいい。

www.toraya-group.co.jp

大山バター

出先のスーパーで売られていたので気になって購入。白バラ牛乳で知られる大山乳業が作ったバターで、淡麗でもたつきがなく、乳臭さを除いたミルクという味で、かなり上等な印象を受けた。毎日食べるならこのくらいがちょうどいいなぁ。イズニーバターのような舶来品という風情のバターも良いものだけれど、さいきんはめっきりあっさりした味が好みになってきた。

www.daisen-meguminosato.net

 

半田そうめん

ディーンアンドデルーカ屋さんで乾麺特集をしていたので買ってみたら美味しかった。讃岐うどんとお素麺の間みたいな食感。もちもちしているけれど、麺が細いのでつるっとすすれる。私はにゅうめんにして食べるのが好きです。卵をといて甘く煮た椎茸をいれて、とろみをつけた汁でどうぞ。

www.handamen.com

マサムラ洋菓子店 シュークリーム

思い立って松本に出かけた日。やっぱり松本はいつ訪れてもいい。街から山脈が見えるところも、豊かな水脈が街を流れているところも、人々が穏やかで音楽を愛しているところも大好きだ!
いつも朝食は珈琲美学アベで食べることが多いのだけれど、この日は寝坊したのでいつも気になっていたマサムラへ行き、ベビーシューを買いました。みずみずしいカスタードクリームにあかちゃんの柔肌のようなシュー生地。端正、という言葉が頭に浮かぶ。持ち帰り用の箱のデザインが、昭和初期を想起させるような懐かしさと夢と歴史にあふれた絵柄なのもいい。松本にはこうしたお菓子が奇跡のように残っていて、いい街だなとしみじみ思うのでした。

visitmatsumoto.com

 

食生活に関する記事はこちら

lesliens225.hatenablog.com

lesliens225.hatenablog.com

lesliens225.hatenablog.com

深夜のベーグル研究会 Vol.1 初めてのベーグル作り編

最近、夜な夜な小麦をこねてはベーグルを焼いている。もともとパンの中で一番と言っていいほどベーグルが好きなのだけれど、なかなか好みの味に出会うことができず、こうなったら自分で作った方が早いのでは?と思い立ったことがきっかけだった。

ベーグル作りを始めて気がついたことに、ストレスが溜まっているときに小麦をこねると気分がいいということがある。調べてみると、これはStress BakingやAnxiety Bakingなどと名前がついている行為らしく、集中することと目に見える形で成果物を作ることが、ストレス発散の一因となっているのだそうだ。以前、ピザ作りをした時に「小麦粉セラピー」と言っていたが、あながち間違っていなかったのかもしれない。

そんなわけで始めたベーグル作りも、今ではすっかり楽しくなってきた。ここまできたらマイ・ベスト・ベーグルにたどりつくまでの記録を少しずつ残していこうと思う。目指すは外側はパリッと、中はむぎゅっと詰まった食感のベーグルだ!

ベーグル作りに初挑戦

時間は夜の10時。仕事を終えてヘトヘトになり、もはや食欲すらなくプロテインを飲むことしかできない。けれど今夜は絶対にベーグルを作ると決めていた。使用する材料は写真の通り。

・強力粉
・きび砂糖
・塩
ドライイースト
モルトパウダー

モルトパウダーだけは冨澤商店で買ってきたけれど、あとは家にあるもので揃えることができた。こだわる人は強力粉の種類から選ぶらしいけれど、始めてだし、失敗しても心が痛まないようありものを使うことにする。

さっそくボウルに強力粉ときび砂糖と塩を入れて混ぜる。本当はスキッパーという調理器具で混ぜるらしいのだけれど、うちのキッチンにはないのでしゃもじで代用した。

粉が混ざったら、中央部分にくぼみを作ってドライイーストを入れ、水を加える。くぼみから水があふれていく様子を見て「これ、くぼみを作る意味あったか?」と思ったものの、深く考えないことにした。そのまま粉っぽさがなくなるまで、しゃもじでグルグルと混ぜていく。

生地がだいたいまとまったらまな板の上に打ち粉をして、10分くらいこねていく。通常の生地より水分量が少ないせいか、こねてもこねても生地の質感がデコボコしたままだ。心配になって思わず色々なレシピを見比べ、やりかたに問題がないか確認したけれど、特に気にしなくて良いようなので、このまま進めていくことにする。

10分こねたらスキッパー、もといしゃもじで生地を6等分にする。いや、しゃもじって便利だな!?しゃもじの意外なポテンシャルを見た。

しゃもじで等分したあとは、そのまま生地をまるめていく。でこぼこしているのは、重さを均一にするために、多いものから少ないものへ、生地をちぎってくっつけたから。元レシピには「きれいに丸める」とあったけれど、神経質なくらいこだわるとパン作りそのものが嫌いになりそうなので、力を抜けるところは積極的に抜いていく。

そのあとは硬く絞った濡れふきん…はキッチンにないので、蒸し布をかけることにした。この状態にして15分ほどベンチタイムをとる。休ませている生地って独特の可愛さがあってクセになるな。昔、山田詠美の小説にもそんなシーンがあった気がする。

時間が経ったら、そのまま生地を平たく伸ばしていく。伸ばしたら、奥の方から手前に向かって空気を抜くようにして生地を丸める。そのまま3回くらい繰り返して、生地を棒状にしていく。

棒状になったら、だいたい20センチくらいになるまで生地を伸ばしていく。これはベーグルをきれいなドーナツ型にしたいために行うための工程なので、形にこだわらないときや、穴のないベーグルに仕上げたいときは短く成形しても問題ない。つまるところなんでもいいのだ。ああ、ベーグルのふところの深さよ。

棒状に成形したら、生地の片方の部分(約5センチ程度)を、手の平で押しつぶす。こうすることで、生地と生地をつないでドーナツ型にすることができる。

平たく潰した片方の生地で、反対側の棒状の部分を包み込むようにしてドーナツ型に成形する。だんだんベーグルっぽくなってきた!見栄えをきれいにしたいときは、閉じ目を下側にするといいらしい。

合計で6つ、ベーグルの原型が出来上がった。こうしてみると、自分がいかに「頑張らなくていいことは頑張りたくない」という性格なのかをしみじみと実感する。パン作りはそれが許されるのもいい。自分が食べて美味しけりゃいいのだ。

成形したら、オーブンの発酵機能を使って40分程度発酵させる。ベーグル(原型)たち、いってらっしゃい!

そうして40分経った生地がこちら。発酵前の生地と比べると、1.5〜2倍近くまで膨らんでいるのがわかる。発酵を止めるためにすぐに茹での工程にとりかかる。

沸騰させたお湯にモルトパウダーを加えて、再度沸騰させる。ぼこぼこと音がしたら、弱火にしてベーグル生地をいれていく。

ベーグル生地をいれると生地がぷかぷか浮いてくるので、片方ずつ30秒ずつ茹でる。これを6つ分繰り返していく。このときにオーブンを220度くらいで予熱しておくとシームレスに次の工程に移動できる。

そうして茹で上がったベーグルを、また天板にならべていく。発酵させた状態から、さらに生地が膨らんでいることがわかる。ここまでできたら生地をオーブンにいれ、温度を200度に再設定して17分程度焼き上げていく。うまくできますように!

ときどきオーブンを開けたくなるのを我慢して17分。できあがったベーグルは想像よりずっといい出来だ!初めてとは思えないくらいちゃんとしたベーグルができて、感動してしまった。

裏面はどれもいい感じに焼き目がついている。ベーグルの高さを出すために水に濡らした木製の板を置く方法もあるらしいけれど、焼き目と高さ的には天板にクッキングシートをのせるだけで問題なさそうだ。

断面を確認するために切ると、パリッとした音とぎゅぎゅっとナイフを跳ね返すような弾力があった。これは成功しているんじゃないか…?

実際に食べてみた感想

実際に食べてみると、外側はパリッとしている!ただ、中身が思っていたよりふかふか系だった。ベーグルサンドイッチにするなら、このくらいの弾力がちょうどいいと思う。ただし自分の好みを基準にすると、物足りないのも正直なところ。ふつうに作ってこんなに美味しいなら、もっと研究すれば理想のベーグルに出会えるのでは?

なによりできたてのベーグルって、粉の香りがふわっと漂って、クラストがパリッと香ばしくて格別に美味しい!そして作っている最中の没入感、出来上がった時の高揚感…日々の生活で硬くなっていった心がパン作りを通して柔らかくなるようで、とてもリフレッシュできると感じた。仕事で蓄積されたストレスでベーグルを生産する、もしかしたらこれもひとつのエコサイクルなのかもしれない(?)

大袈裟かもしれないけれど、自分が好きなものを自分自身で作り出せると、自分自身への信頼が増すように思う。日々の生活を、自分自身がよいパートナーとなって背中を支えてくれるような。自分を労っていく手段としてはもちろん、ベーグル作りができる自分がいるってなんて頼もしいのだろう。もっともっとベーグルを作って極めたいし、いずれは自分のベーグルで自分自身を満たせるようになりたい。こんなにベーグルを作るのが楽しいなんて知らなかった!

理想のベーグルへの課題

自分好みのベーグルを作るために様々なレシピを見比べてみて、ベーグルをムギュッとした食感にするには、以下の内容を見直す必要があることに気がついた。

  • 水分量を45%前後まで減らしてみる
  • 砂糖の量を多めにする
  • 捏ねる時間を5分にする
  • 発酵時間を短縮する、もしくは発酵温度を低温にする

特に水分量と発酵が肝のようなので、次回はその2つから見直しして再チャレンジしていこう。「理想のベーグルを目指しつつ、手が抜ける工程は徹底的に抜いていく」ことをモットーに、やっていくぞ!

余談 作る工程の見直しについて

youtubeでニューヨークベーグルのレシピを検索すると、材料をボウルにいれるときに水から始めていたり(確かにプロテインも水->粉末が一番溶けやすい)、茹でる工程をフライパンでやっていたりする(その方が温度調整も楽だし茹でられる個数も増える)ので、材料を混ぜる段階でくぼみを作ったり、鍋で茹でたりすることにはそこまで拘らなくて良さそう。ふきんもラップで代用して良さそうだ。

なかでも成形はニューヨークでレストランを経営するマーク・ストラウスマンのやり方が効率的で参考になった。

youtu.be

↑マーク・ストラウスマン、コメントがいちいち食を愛する人そのもので愛しい。

これなら3工程程度カットできるので、次回はこのやり方で挑戦していこうと思う。
(楽するための努力ならいくらだって惜しまない!)

今回使用したレシピはこちら

tomiz.com

病める時も健やかなる時も、彼女がフェミニズムにめざめた時も、あなたは愛を誓えますか? ミン・ヒジョン『僕の狂ったフェミ彼女』

ラブ・ロマンスは永遠の命題だ。

家同士の対立のなかで愛を貫いた「ロミオとジュリエット」、画家志望の少年と上流階級の娘の悲恋を描いた「タイタニック」、韓国で実業家として活躍する社長と北朝鮮の軍人が恋に落ちる「愛の不時着」。

ラブ・ロマンスの主役のふたりには、いつも対立構造がつきまとう。これらは現実世界にも横たわっていて、一般的には解決不可能だと認知されているものだ。しかし主役のふたりは愛の力によって、これらの対立構造を乗り越えようとする。

本来出会うことのないふたりが、出会って恋に落ち、時に世界を変容させるほどの影響力を持つ。そこには現実にはあり得ないとわかっていても、このふたりなら世界を変えられるかもしれないと錯覚するような切実さがある。魅力あるフィクションは現実世界にも作用し、観客に対してカタルシスを経験させる力を持つ。ラブ・ロマンスは差異があってはじめて生まれる物語だと言ってもいいだろう。

しかし、その対立構造が思想による場合、ふたりはラブ・パワーによって互いの差異を理解し、対立構造を乗り越えられるだろうか。ミン・ジヒョン著「僕の狂ったフェミ彼女」は、そうした疑問に真正面から挑んだフェミニズム小説だ。

物語の主人公であるキム・スンジュンは、ある日街角で別れた元カノに再会する。元カノはフェミニストとしてリプロダクティブ・ヘルス・ライツのデモに参加していた。スンジュンは、フェミニストになった彼女の変化に戸惑いつつも、ヨリを戻すために必死に食い下がる。そんなスンジュンに根負けした彼女が提案したのは「付き合ってみて…もしあんたが先に嫌になって音を上げたら…百万ウォン払うの」ということだった。

物語はスンジュンの一人称で進み、読者は彼のまなざしから物語を体験することになる。スンジュンは明らかにハンナム*1で、フェミニズムに無理解なのだが、本人にはまったくその自覚がない。自分は女性にやさしい。彼女たちは守って然るべき存在だ。そして愛情を持って接すれば、彼女はフェミニズムから目覚めてくれると信じている。

目の前の彼女を知ろうともせず、シュガーコートされた理想の恋愛をぶつけては、良い反応が得られないとふてくされるスンジュンは、ハンナムというよりももはや自我のない子供だ。彼女の地雷を踏まないように細心の注意を払い、顔色を伺いながら言葉を飲み込み、時には茶化そうとするスンジュンの姿は、腹立たしさを通り越して滑稽ですらある。

「かわいそうに。どんなに嫌だったか。可愛すぎるせいだよ」
そう言いながら彼女をぎゅっと抱きしめようとした。しかし彼女は僕を押し抵抗した。
「いや、そういうことじゃなくて。働いてる女は誰でもこういうことを経験するんだよ」
「うん、そうだね。わかった、わかった」

ーー5章 スタートはしたけれど 82ページより

「ただ心配なんだ。気をつけるに越したことないだろ。ならこうしよう。好きなようにしていいよ。飲みたきゃ飲んで、人に会いたきゃ会って。その代わり、遅くなる時は僕が迎えに来る」
「私は自分の母親に心配されるのも嫌で実家を出た人だよ。あんたの顔色うかがわなきゃいけないなんて絶対嫌」
「顔色うかがえなんて言ってないだろ。僕の気持ちがわからない?」
他の女なら喜ぶはずなのに。こんなに遅くなったのに迎えに来ないのかって騒ぐくらいなのに。

ーー12章 計画通りに進んでいる 245ぺージより

韓国では2016年の江南駅殺人事件を契機に、ミラーリングを用いた文学作品や、マイノリティを主役にした物語が数多く生まれているが、男性側の認知形成、即ちミソジニーの論理を取り込んだ文学作品は多くはない。一方、本作はスンジュンの視点から「狂ってしまった」彼女を見せることで、韓国社会におけるマジョリティ男性の認知を表現している。韓国でマジョリティ男性が普通に生活していればハンナム、すなわちミソジニストとしての価値観が形成されていき、そしてそれについて疑問に思うことはないーーその背景を炙り出すことに挑戦している本作は、その点において画期的な作品と言っていいだろう。

ミソジニーという単語は女性嫌悪と訳され、しばしば女性を嫌い憎む者として単純化されているが実態は異なる。ミソジニーとは男性稼ぎ主モデルの社会において、女たちを自立した主体として認めないこと、及びそれに該当しない男性を男として認めず排斥することのすべてに該当する。女性が社会的役割規範から逸脱する行為を監視し、そぐわないと判断した場合は抑圧することと、「彼女を守ってあげたい」と願うことや「セクハラ野郎は俺がねじ伏せてやる」と思うことの根幹は同じところにある。一方的な思い込みと陶酔、望まない愛情の押し付け。お姫様願望ならぬ王子様願望。コメディ調な筆致とは対照的に、物語が暴くのは愛という欺瞞だ。

こんなに長い間、丹精込めて努力してきたのに、彼女はここに来て止めを刺すかのように、僕の希望を無残に踏み潰してくれた。
すごく腹が立った。こんなに良い彼氏の僕が、こんなに心から君が好きで、こんなに頑張ってるのに、君も明らかに僕が好きなのに、どうして変わってくれないんだ?
人をおかしくさせるのにもほどがある。
「闘士にでもなったって勘違いしてるみたいだけど、世の中がそんなに簡単に変わると思ってんのか?変わんないんだよ!」
「少なくとも私は変わるはず」
本当に、一歩も譲らないその態度に、僕もいい加減ウンザリだった。

ーー13章 結婚式場で 279-280ページ

「自分がすごくロマンチックで優しいと思ってるでしょ?あんたの愛し方、可愛がって、女の子扱いして、守るって建前で束縛して、みんなの前で着飾って式あげようってせがんで。私はそういうの望んでないんだって。なのに自分のやり方を強要し続けているよね。それがどんなに息苦しいかわかる?本当に自分勝手なのはどっち?」
ーー13章 結婚式場で 281ページ

結局、物語においてふたりは結ばれることなく終局を迎える。スンジュンが劇的に変化してフェミニズムに目覚めることもなければ、彼女がフェミニストであることを放棄して結婚を選ぶこともない。ただそこにあるのは分かり合えずに破局したという事実だけだ。けれどこの恋愛が無意味だったのかと言われればそれは違う。なぜならラストシーンでスンジュンの中に、彼女を心から理解しようする気持ちの萌芽が生まれるからだ。

冒頭でラブロマンスは差異によって生まれる物語だと述べた。何もかも異なるのにも関わらず、知らずにはいられない存在が自分の世界に現れた時、人は全身全霊で相手を理解することに努めようとする。それは相手をカテゴライズし、色眼鏡で見ているうちには叶わない。それまでの価値観や信念、自分を構成していた規範から離れて、個人として相手を知ろうとして初めて、ラブ・ロマンスの口火は切って落とされる。

皮肉にもスンジュンがこれまでラブ・ロマンスだと思っていたものは独りよがりの恋だった。その証拠にこの物語においてスンジュンの目線から描かれる彼女は、常に不機嫌で怒りっぽく女らしくない不可解な女として描かれている。けれど本当にそうだったのだろうか。あの時、電話越しで、あるいは抱き合いながら、彼女はどんな顔をしていたのだろうか。

被害者意識が強すぎる、共感すればいいんだろう、男だって苦しいんだーーそう思っていても言えない、なぜなら相手が怒るから。世間から間違っていると叩かれるから。そう思って対話を諦めるなら、まずは目の前の相手を見つめてみるところから始めてみればいい。愛とは、異なる立場の人間を理解しようとする、その真摯さから生まれるものに他ならないのだから。「僕の狂ったフェミ彼女」は、分断されていこうとする世界において、まずはあなたと対話することの重要性を、そしてその実践を示した指南書であり、フィクションが切り開いていける可能性の地平を示した作品だと言えるだろう。

愛と権利の狭間で揺れながら、ありたい自分を選択した彼女と、スンジュンの認知にわずかな変化が見られるラストは、ラブ・ロマンス界における新たなハッピーエンドだろう。それでも彼らが結ばれなかったことについて残念に思うなら、彼女の言葉を反芻すればいい。

「だけどほんと、正直さ、考えると怖くならない?将来、旦那も子供もいなかったら寂しいんじゃないの?」
「その代わり、私がいるはず。たぶんね」

*1:韓国語でミソジニストを指す言葉。本作に度々登場する。

上野という街の奥深さへいざなうホテル NOHGA HOTEL上野 宿泊記

6月の初め、ずっと気になっていたホテルへと宿泊することにした。ホテルの名前はノーガホテル上野。この記事にも書いていたけれど、あの野村不動産がとうとうホテル事業に参入したと聞いて、一度は行ってみたいと思っていたのだった。

当日の天気は晴れ。雑居ビルが立ち並ぶ繁華街を抜けると、目の前に植栽がみごとなホテルがどどんと現れる。グリーンがあしらわれているホテルが大好きなので、この時点でかなりテンションが上がった。

ホテルはほぼバリアフリー。ただしエントランスからエレベーターまでの空間はやや狭く、混雑時に車椅子やベビーカーで通るのにはためらう広さだった。必要な人は事前にインターホンでスタッフを手配し、サポートをお願いするのがおすすめ。

チェックインを済ませてカードキーを受け取る。カードキーは、ゲストに対して日本文化を感じてもらうため、家紋アートを手がける「京源」にデザインを依頼したらしい。よく見るとピクトグラムで構成されていて凝っている。

エレベーターを降りると、部屋への案内がダウンライトで照らされていた。最近のデザイナーズホテルは、このアプローチが多い気がする。ホテルの雰囲気作りはもちろん、壁面の経年変化も目立たないのでいい。それではさっそく部屋の中へ。

今回はhahf経由でツインルームに宿泊。部屋は全体的にナチュラルな印象だ。壁面にコートハンガーを用意していたり、テレビボードを無くしたりすることで、実際の数字よりもゆったりとした間取りに感じさせているのはさすが。マットレスはエアウィーブだった。

ベッドの目の前には43インチのテレビ。ミラーリングにも対応しているのはもちろん、HDMIケーブルもあったのでFirestickを使うこともできた。

ベッドの脇にはメモ帳とホテル案内用のタブレット、それからUSBコンセントと金庫まで。このメモ帳の書き心地が、あまりにも良すぎて驚いてしまった。上野にあるITO BINDERYという紙製品を手がける工場のものらしい。

ベッド左奥にはラウンジチェアが2脚とサイドテーブルが1台。それからルイス・ポールセンのAJ floor!

実は読書灯として気になっていたのだけれど、実際につかってみると電球の光が直接当たって目が疲れやすいように感じた。家具は使ってみないとわからないので、ここで体験できてよかったな。しかしこのたたずまい、何度見ても素敵だ。

サイドテーブルには周辺マップとホテルのコンセプトブック。これがとてもよかった。ホテルを起点に周辺の街を散策してみようと思えるラインナップに、滞在がよりいっそう楽しくなるようなコメントまで。ただのデザインホテルではなく、町のハブとしてホテルを使ってほしいというメッセージがしっかり伝わってくる。

洗面部分とクローゼットは隣接していて、すっきりとまとまっていた。鏡を大きく取ることで空間が広く見えるし、導線がわかりやすくてストレスがない。コンセントが多いのも好印象。クリンリネスが面倒そうな素材だけれど、磨き残しひとつなくて清掃担当のプロフェッショナルさを感じた。

洗面所まわりにはサービスのオリジナルミネラルウォーターが2本、そしてハンドタオルとアメニティにティッシュが備え付けられている。ハンドソープはOSAJIだった。

コップはプラキラ。個人的にガラスのカップが好きなのだけれど、これはプラスチックとは思えないデザインで感動した。これなら子供でも割る心配がないし、安心して使える。

洗面台の下にはドライヤーとハンドタオル、それから替のトイレットペーパー。ドライヤーはテスコムのNOBBYで、なかなかの風量だった。ドライヤーが入っている袋もモダンでいい。

クローゼット側の引き出しの中にはソリッドでかっこいいくつべらと洋服ブラシ。それから洗濯物をいれるための袋も。2階にはコインラインドリーがあるので、長期滞在中はそこを利用することができる。白は色が透けて下着などを持ち運ぶときに気を使うので、違うカラーならよかったかな。

さらに棚の上にはガウンタイプのルームウェアと使い捨てのスリッパが置かれていた。ルームウェアはアトモスフェール・ジャポンのもので、すべすべとした生地が心地いい。

そして個人的にすごくいいと思ったのがこのスリッパ。よくあるペナペナとしたものではなく、肉厚でふかふかのスリッパなのだ。メモ帳といい、触れて使って「おっ!」と思える仕掛けがあちこちにあると、ホテルへの満足度が上がる気がする。

あとはデッドスペースをバスタオル置き場として使っているのにもグッときた。お金をかける所とそうでない所、そしてかけてない所の見せ方が上手だ。

お手洗いはウォシュレット付き。ノーガホテルはスーペリアダブルからバストイレが別になるので、気になる人はその基準で選ぶといいかも。ちなみにバスタブがつくのはツインから。

バスルームは広々!レインシャワーもありいたれりつくせり。向かって左手にあるスイッチでは、バスルームの中の明かりを調節することができる。さすがに自動給湯はないけれど、水圧も十分あるのですぐにお湯を張ることができた。

バスルーム内のアメニティもOSAJI。初めて使ったけれど、思ったより香りはひかえめで、万人受けしそうなナチュラルコスメだった。

ぼちぼちお腹も空いてきたので、家から持ってきたハーブティーを飲みながら今日の夕食先について会議をする。バルミューダのケトルは初めて使ったけれど、使ってみると意外と重心が安定せず注ぎにくかった。こういうのも使ってみないとわからないよな…と思う。

会議の結果、夕食は最近この近くにできたというナポリピザのお店にいくことにした。ホテルの裏手を通って小島町方面へと向かう。普段は通らない道を歩くだけで楽しい。

途中、鳥越神社御祭礼の準備をしているところに遭遇した。これからおみこしが来るらしい。通り過ぎる途中、町内会のひとたちが「今年はできますね」と話しているのが聞こえた。

さらにその途中には、小学校のような建物があった。どうやらデザイン分野で働くクリエイターたちが起業するため、場とコミュニティを提供する支援施設らしい。近くの公園では大人から子供まで遊んでいて賑わっていた。

さらにお店に向かう途中、興味深い建物をみつけた。ビルの上に日本家屋が建っている…!ここの通りのビルはモザイクタイルの壁が多くて、昭和レトロな雰囲気がただよっていた。

ホテルから出て約15分ほど、やっと今日の目的地に到着した。お店の名前はFakalo pizza gallery。ナポリピザがメインのピッツェリアだ。

店内はまっしろでミニマルなつくり。テーブル席が12席ほどで、すべての席からバーカウンター越しにピザ窯が見える。メニューはドリンク、ピザ、サイドメニューにデザートと、一通り揃っていた。

ピザのメニューは、トマトソース、チーズベース、包み焼き、燻製チーズの4種類に分類されていて、その中から好きなものを選んでいく。包み焼きも気になったけれど、ここはベーシックにトマトソースにする。夫は燻製チーズが気になるということで、1つずつ選んでお願いした。

まずは食前酒。わたしはこのあとジムにいくのでレモネード、夫はモレッティで。冷えたグラスと缶を渡されるスタイルで、くつろぐのにちょうどいい。

前菜の生ハムとルッコラのサラダは、具材はもちろん、かかっているオイルとチーズが目を剥くほどおいしい。となりの席にいた若い恋人たちも同じものを頼んでいて、「おいし〜!」とはしゃいでいた。つくづくイタリア中部の料理はムラっけが美味しい文化なんだなぁと感じる。

続いてやってきたのはピッツァ・マルゲリータ。ぐつぐつと表面が煮えていて、トマトとチーズ、そしてバジルのいい香りが漂ってくる。生地を持とうとすると、ドゥルンとすべっていってしまいそうなくらいなめらか。ひとくち食べると、薪の香ばしい香りとジューシーなトマトが口いっぱいにひろがった。

次にやってきたのはアンチョビのピザ。燻製のチーズがいい匂い!玉ねぎは食感が残っていて、しゃくしゃくと音が鳴るのがたのしい。そしてやっぱり生地がなめらかだ。もちもちとした弾力よりも、とろけるような質感とエアリーさが印象的。イメージするナポリピザが讃岐うどんだとしたら、ここのピザは京都のうどんだと思う。ちょっと疲れているときでもすすれるピザ。ピザ界の離乳食。

ただオープンしたてということもあり、オペレーションは見ていてハラハラするところが多かったので、接客を重視する人やデートではおすすめできないのが正直なところ。食体験としてはとてもよかったので、味にプライオリティを置く人には強くおすすめしたい。

ピザを2枚も食べてお腹がいっぱいになったので、今日はこれでおひらき。お店をあとにして佐竹商店街を横目にホテルへと帰る。

夜のダイニングは開放感をうまく照明でコントロールしていて良い雰囲気を演出していた。

ホテルに帰ったあとはジムで運動をした。コロナ対策で予約制なので、のびのびと利用することができてありがたい。有酸素運動トレッドミル、トレーニングマシンは上半身を鍛えるものがほとんどで、フリーウェイトにはダンベルがあった。ミネラルウォーターもあり、この規模感のホテルなら十分だと思う。

運動したあとは部屋のお風呂でゆっくり体の疲れをとった。近くには銭湯もあるので、街を楽しみたいひとはそちらがおすすめだ。

翌朝、朝食チケットを持ってダイニングへ。まだ時間があったので、2階のバルコニーで本をよむことにした。緑が生茂っていていい空間!コンビニで買ってきたアイスを食べているひとがいたり、PCで作業をしているひとがいたりと、思い思いに過ごせる余白がいい。

ライブラリーラウンジは思想が感じられるラインナップで、アートや日本文化に関するものが多かった。

朝のダイニングは昨日とうってかわって、さわやかな印象だ。

そのままお店の人に案内されて席に着く。カトラリーはクチポール。マスクケースもある。

朝食はメインがエッグベネディクトもしくはフレンチトーストの洋食、または和食の3種類から選べる。この日は私も夫もエッグベネディクトでお願いした。

ドリンクは愛媛にある無茶々園のオレンジジュースと、蔵前にある蕪木のホットコーヒー。コーヒーはおかわり自由なんだそう。

サラダはキャロットラペにミモザ風サラダ。ドレッシングにはビネガーが効いていて爽やかだ。

メインのエッグベネディクトと一緒に運ばれてきたのは、具沢山のスープに3種類のパン、フルーツとヨーグルト。どれも過不足なく美味しくて満足。最後にもう一杯だけコーヒーをいただいて一息ついた。食べ終わった後はまたジムへ。時間までゆったりとホテルを満喫した。

チェックアウトの時間になったのでフロントへ。気に入ったアメニティはここで買い揃えることができる。カードキーを渡すと係りの女性から「ゆっくり休めましたか」と尋ねられたので「おかげさまで、ありがとうございました」と返した。若い人だけでなく、仕事ができる雰囲気のミセスや、東京観光にきたと思しき老夫婦、はたまた子連れの夫婦などもいて、思っているより客層が幅広い。ああ、いいホテルだなぁと思う。

あっという間の1日だったけれど、予想していたよりずっとよくて、野村不動産のホテル事業にかける意気込みを感じることができた宿泊体験だった。予算、デザイン、周辺地域へのアプローチなど、デベロッパーとしてのノウハウを生かして、野村不動産だからこそ提供できるホテルを作り上げている。今回の宿泊で上野という街のイメージが刷新された気がした。

サービスがかなりいいと感じたのも嬉しい誤算だった。野村不動産は2019年に庭のホテルをM&Aで取得しているので、そこからノウハウを吸収したのだろうか。何度も宿泊してみたい、心からそう思うホテルだった。

帰りはリニューアルオープンした国立西洋美術館へ。以前よりもかなり風通しのいい空間に仕上がっていて気持ちが良かった。のんびりと散歩したあとは、のどを潤すために閒茶へ。

次に来る時はレンタサイクルをしてもいいな、今度は秋葉原のノーガホテル に宿泊してみようかななどと思いながら、次のショートトリップへと思いを馳せた。

 

都内のホテルステイに関する記事はこちらから

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トーチ8周年おめでとう! 全話無料公開中に読んでほしい「自転車屋さんの高橋くん」 感想

 トーチWebが8周年を記念して、8月5日から11日までの間、掲載されている漫画をすべて無料で公開しているそうだ。その中にある「自転車屋さんの高橋くん」がとても面白いので、ひとりでも多くのひとに読んでほしい!

※以下ネタバレを含むので、記事を読まずに漫画を読みたい!という人は次のリンクからどうぞ↓

 

1.  あらすじ

物語は、岐阜市内で事務員として働く飯野朋子(通称:朋子)と、地元の自転車屋で働いている高橋遼平(通称:高橋くん)が出会うところから始まる。会社からの退勤中、朋子の自転車「ディープインパクト」のチェーンがはずれて困っていると、近くにいた高橋くんがかけつけて修理をしてくれることに。

見た目はヤンキーのようで怖いけれど、話してみると穏やかで、朋子のペースに合わせながら接してくれる高橋くん。初めは警戒していた朋子だったけれど、高橋くんの不器用な優しさに触れて、次第に打ち解けていくように。そんなある日、自転車の修理費用を忘れてしまった朋子に対して高橋くんが「晩メシ奢ってや、今日」と言ってきて…。

2. 「自転車屋さんの高橋くん」のココがいい!

高橋くんのストレートな愛情表現がまぶしい

高橋くんはとにかく表現がストレートだ。彼の表現は、星飛雄馬が投げる豪速球以上に直球で、取り繕ったところがない。遠慮がちな朋子のペースにあわせつつ、自分の言葉は素直に伝えていく高橋くん。顔色をうかがってしまう朋子にとって、高橋くんは本音を読もうとしなくていい唯一の相手だ。朋子が本音を隠そうとするときは、高橋くんが軽やかに彼女のふところへと飛び込んでいく。そんなふたりの凸凹がぴたりとはまるような関係性は、見ていて心地いい。

一方で高橋くんのストレートさには押し付けがましさがない。それは彼がきちんと目の前の相手を尊重しているからだ。高橋くんにとって自分の思っていることを素直に言うのは、相手を正論でねじ伏せたいからでも、優位に立ちたいからでもない。自分の意見を受け取って相手が行動すること、そしてそれが自分の意に沿わないことだったとしても、それも含めて相手の自由だと信じているからこそなのだ。

なんども高橋くんが「そんなあなただから好きなんだ」と伝える様子には、だからこそあなたの自由を奪うようなことはしたくないという思いが根底にあって、安心して読み進めることができる。自分が悪いとおもったらすぐに謝るし、朋子と口論になったときは「ケンカしてバイバイすんのイヤや」と伝えてくる。そんな子犬のように素直でまっすぐな性格には、思わず読んでいるこちらがときめいてしまう。

正直に自分の思いをつたえること。相手の想いを汲みとろうと努めること。高橋くんをみてると「自分でややこしくしてどんどん面倒くさくなっていくようなちゃちな恋愛をしている場合ではない、大人の恋愛こそストレートになってナンボである」とつよく思う。そしてそんな思慮深くやさしい高橋くんの言葉は、きらきらと採光を放って物語を照らしている。

朋子が自我をとりもどしていく過程にヒリヒリする

自我がはっきりしている高橋くんに対して、朋子は自分の意思表示をするのが苦手なタイプだ。幼少期から自分の意見を押さえつけることで人間関係を維持してきたので、何か嫌なことがあってもすぐ我慢してしまうし、そうすればうまくいくのだと思い込んでしまっている。

そんな朋子だが、自分が引け目に感じているところを高橋くんに肯定されたことがきっかけで、すこしずつ自分に自信を持てるようになっていく。

難癖をつけられている女子社員をかばったり、高橋くんのことを悪く言う同僚に反論したり。朋子がすこしずつ脱皮していこうと奮闘する様子には、思わず読んでいるこちらの拳にも力が入る。

高橋くんの影響をうけて、徐々に自分が感じていることを言葉にすることができるようになっていく朋子。

しかし物語の中盤、飲み会の席で上司から執拗なセクハラを受け、それを高橋くんが目撃してしまう。我慢することでその場をやりすごそうとする朋子。そんな朋子を見た高橋くんは、おもわずその上司に激昂してしまう。

酒…注がせたり 愛人つって触ったり…オレはどえれー腹たったぞ…
やのに何で…ともちゃんまで「私なんか」とか言うん?
ともちゃんのおるとこは きめえ奴に好きにさせとくんが普通なんか?

ーーー「自転車屋さんの高橋くん」 第3巻 71ページより

それまで自分が我慢をすれば回っていた世界にいた朋子は、高橋くんが怒っている理由が飲み込めず、ふたりはすれ違ってしまう。しかしその後あることがきっかけで、朋子は自分がどれだけ周囲に粗末に扱われ、舐められてきたかということに気づく。

自分が粗末に扱われることを許してしまうことは、自分をいとしくおもってくれている人たちを傷つけてしまうことだった。そんな事実にやっと朋子が気づけたシーンには、ヒリヒリとした痛みが伴う。

痛みと引き換えにやっと自我を手に入れられた朋子。その後の朋子は高橋くんに対していやだと感じたことを伝えようとしたり、実父からの理不尽な言葉に果敢に立ち向かっていったりと、だれにとっても「いい子」だった自分から脱却していく。物語の初めからは想像できないほどに変わっていく朋子は、どんどん魅力的になっていって目が離せない。
彼女が誰かの目を気にせずに、自分にとってほんとうに大切なものを見つけていく、その道程がとても楽しみだ。

ふたりをかこむいとしいキャラクターたち

物語である岐阜市内には、高橋くんの幼なじみで中華料理屋を経営する「まさやん」と、同窓生で特撮オタク仲間の「テルちゃん」がいて、それぞれがいい味を出している。まさやんもテルちゃんも高橋くんのことをよく知っているので、ふたりの関係をさりげなくフォローしてくれる、妖精のようなキャラクターだ。このイツメン的な田舎っぽい付き合いがすごく懐かしくて、読んでいて地元の友人たちに会いたくなってしまった。

物語にでてくる地元のひとたちはみんな優しくて、以前岐阜にいったときにあまりにも人が良くて驚いたことも思い出す。(夫が居酒屋でカウンターの隙間にスマホを落としてしまったとき、隣の席にいた恋人同士がデート中にもかかわらず取り出すのに協力してくれたのだった)やっぱり岐阜、いいよなぁ。次にいくときは聖地巡りをしてもいいかもしれない。

写真は岐阜城に向かう途中の眺め。街中に大きな川があり、緑に囲まれている岐阜が大好きだ。

3. 終わりに

高橋くんは朋子が粗末に扱われたときは烈火のごとく怒るし、祖父込みでの同棲を提案されたときには「おりゃあともちゃんにじじいの世話してほしいわけやねぇ」と諭している。なぜなら高橋くんにとって朋子は、これまでの人生でかきあつめてきたやさしさを、すべて捧げられるくらい大切な存在だから。

ひとからもらったやさしさを懸命にかき集めてきた高橋くんには、ときどきホロリと泣けてしまうし、そんな高橋くんを支えられるくらい逞しくなっていく朋子には心からエールを送りたくなる。ほのぼのとした恋愛漫画が読みたい気分のとき、とげとげした気持ちを丸くしたいとき、そんなときにはつよくお勧めしたい一冊だ。

トーチWebでの無料期間は8月5日から11日まで。どうかひとりでも多くのひとに「チャリ橋くん」の魅力が伝わりますように!

 

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余談

昔から好きな漫画を読んでいると、勝手に頭が過去に聞いたプレイリストからテーマソングを選んでしまうという、自分でもよくわからない癖がある。今、自転車屋さんの高橋くんのテーマソングだなと思っているのは、Kenta Dedachiの「Step by Step」という曲。

open.spotify.com

この曲を知ったのは住吉美紀さんのラジオBlue Oceanがきっかけなんだけど、ピースフルでポップなメロディラインと時折入るハンドクラップ、英語と日本語の歌詞のバランス感に「これだ!」と思ったのだった。

"Stepping into the unknown, Gripping firm on your words"は朋子っぽいし、”I′ve been feeling so lonely, But you hold me so closely”は高橋くんっぽい。

いや〜しかしKenta Dedachiってめちゃくちゃいい歌手ですね。この話はまた別の機会に…

1年前の今月、東京五輪が始まったらしい

1年前の今月、東京五輪が始まったらしい。

当時の自分がどう感じていたかを知りたくて、そのときのブログを読み返してみたら、けっこう参っていたようだった。

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しかしこうして思い返してみると、東京五輪に関する記憶がない。感染者が爆発的に増えていた時期で、外に出ることも控えていたので、東京にいながらも五輪を感じることはなかった。

唯一五輪がやっていることを感じたのは、放送業界に就職した大学の同期が現地入りしている様子をグループラインで送ってきた時と、地方に住む親戚が「今東京の上空にこんなのが浮かんでいるんだって!」と奇怪な人の頭の写真を送ってきたとき。自宅からは見えることもなく、東京といえども広いものだなと、どこか他人事のように感じてもいた。

そんな当時を思い返していたとき、ブログの下書きに当時の気持ちについて書きとめていたエッセイを見つけた。今なら放流してもよいだろうと思ったので、節目として公開することにする。記事のタイトルは「失われたことばを求めて」だった。

夏が来ると、スイミングスクールに通っていた頃を思い出す。子供の頃のわたしは呼吸器系が弱く、医者の勧めを受けたことがきっかけで、水泳を始めるようになった。

泳ぐことは好きで、気がつけばそれなりに大きな大会にも出ていた。水の中はいつもひんやりとしていて心地よい。手を動かすと水がうねり、身体を前へ前へと運んでくれる。足を動かすとその流れが加速して、まるで身体全体が泳ぐために生まれた獣のように躍動した。

ちょうどその頃、競泳界も盛り上がっていた。「水の超人」と呼ばれたイアン・ソープのクロールは、寸分の狂いもなく波を捉え、彼の泳ぐレーンはそこだけ異空間のように見えた。
「水の怪物」と呼ばれたマイケル・フェルプスのバタフライはシャチのように猛々しく、他者の追随を一切許さなかった。

彼らの美しいフォームに憧れ、暑い日も寒い日もプールに飛び込んでは、ひたすらトレーニングメニューをこなす日々。そんな日々も高校に進学してからは遠くなり、プールサイドから足が遠ざかって久しくなった。

あれから10年以上の月日が流れた。あの時代の競泳選手たちは一人残らず引退をしたらしい。さみしさよりも先に、彼らはセカンドキャリアとして何を選んだのだろうかということに興味を持った。スマートフォンを片手に調べてみると、そこにはわたしが知らなかった選手たちの姿があった。

世界中を熱狂の渦に巻き込んだイアン・ソープは、10代の頃からうつ病を発症しており、長い間苦しんでいたという。さらに2014年には、自身がゲイであったことをカミングアウトしていた。彼はインタビューで、次のように答えている。*1

“I wanted to make my family proud. I wanted to make my nation proud of me. And part of me didn’t know if Australia wanted its champion to be gay .”
(家族に誇りに思って欲しかった。国にも誇りに思って欲しかった。何より、王者がゲイであることをオーストラリアの人々が望んでいるのか、わたしにはわからなかった。)

また、マイケル・フェルプスも、長年うつ病に苦しんでいたという。2014年に飲酒運転で逮捕されたことを契機に、彼は自身のメンタルヘルスについて向き合ってきた。彼はインタビューで、アスリートのメンタルヘルスについて、次のように答えている。*2

"For years I stuffed my emotions away because I couldn't show that weakness or that vulnerability — it could give my competitors an edge," he says. "As an athlete, it's challenging, especially for a male. We're supposed to be big and strong and macho, not somebody who struggles with their emotions. "
(わたしは何年も自分の感情を押し殺してきた。なぜなら弱みや欠点を見せてしまうとーー他の選手たちに差をつけられてしまうから。アスリートにとって、特に男にとって、それは困難なことなんだ。なぜなら我々アスリートは、大きく強くたくましくあるべきで、自分の感情に振り回されるような人間ではないはずなのだから。)

現在、マイケル・フェルプスは、スポーツ選手のメンタルヘルスのサポートに取り組んでいる。2021年5月に、同じくうつ病であることを公言した大阪なおみ選手に対しては、支持する姿勢を表明した。

スポーツ選手について想像するとき、頭の中に思い描くのは、優れた肉体を持ち、どんなプレッシャーにも屈しない、強靭な精神力を持った人間だ。そのような人間は存在しないにもかかわらず、なぜかアスリートと聞くだけで、そんなイメージを持ってしまう。少なくとも、かつてイアン・ソープマイケル・フェルプスに熱狂していたわたしはそうだった。彼らのセカンドキャリアについて知ったとき、私ははじめてアスリートが弱い人間だということを知った。

振り返れば、オリンピアンに対する歪な構造は、以前から指摘されてきた。過剰なプレッシャーや、アスリートのライフサイクルを無視した育成計画、使い捨てのキャリア。IOCは、選手たちが活躍できるために充分なサポートをしていると主張しているが、それは彼らをメダルを獲得する商品としてサポートしているに過ぎず、弱さを抱える人間としてのサポートや、長期的なキャリアに対する支援が充分にあるとは言いがたい。

また、アスリートが政治発言を行うことに対しての忌避感はいまだに根強く、それに対するサポートも十分とは言えない。日本ではよく、アスリートが「人々に勇気を与える」ことが公共に影響を与える好例として挙げられる。しかし、この「勇気を与える」ということは、「競技に打ち込み勝利する姿以外を許さないこと」以外に他ならないと感じることも多い。以前、大阪なおみ選手がBLMについて支持を表明したときには、SNSを中心に彼女に対するバッシングのコメントが相次いだ。「アスリートは政治を語るな」と言い、抑圧しようとすることもまた、彼らが弱く、脆いひとりの人間であることを認知できないという証左なのだろう。

アスリートのプライベートや人権は守られる必要があるのはもちろんのこと、自身の人種や国籍、ジェンダーなど、アスリートが自分のアイデンティティに基づいて政治的主張をすることは当然の権利だ。彼らが勇気を出して声をあげた時にサポートできるようなサポーターが、東京五輪以降では増えていけばいいと切に願う。

 

つい先日、東京五輪の開幕の報せを受けて選手たちのInstagramを見ていた時、国内外問わず誰も政治的な発言をしていなかったことに、もはや私は驚かなかった。語るべき時に語る言葉を持つことを許されてこなかった彼らが、今になって突然意見を表明することなどできないだろう。公の場で自身の思いを適切に言語化するには、地道な訓練と心理的安全性が必要だ。その両方がオリンピックの舞台には欠けていることを、アスリートたちのInstagramは物語っているようだった。

今は語る時に語るべき言葉を持ち合わせていなくとも、仕方ないと思う。混乱のさなかで、自分の意見を表明することを諦めてしまった選手もいるのだろう。せめてこれから先、オリンピックに参加した経緯や背景、また参加に駆り立てた理由、そしてそれに対してどのように感じていたのかを、少しずつ自分の言葉で語ってくれればと願う。

もう五輪は始まってしまった。ずさんな開会式に準備不足の目立つ運営、内部で働く非正規雇用労働者の劣悪な労働環境、観客席での性的暴行事件、五輪スタッフの薬物乱用。耳を疑うようなニュースが次から次へと飛び込んでくる。そんな中で、自粛の皺寄せを受けて依然として経済的困難に陥っている人々や、感染者数が増加する中で必死に目の前の命をつなぎ止めようとしている医療従事者を思う。そして、そうした中で五輪を開催することを。

アスリートは競技以外でも人々を勇気づけることができるし、元気を与えることもできる。その可能性は、彼らの言葉にある。五輪が終わった後、粗末なこの現状を見つめ、スポーツの力とは一体なんだったのかを振り返ったとき、東京五輪というものは初めて意義のあるレガシーになるのだろう。

東京五輪から1年経過しようとしている。思うことは多々あれど、特に気になるのはその経済効果だ。東京五輪は異例の無観客試合、かつ市民の反対の声を押し切っての開催だったが、果たして東京都が試算した通りの経済波及効果はあったのだろうか。雇用を生み出すことが期待されたにもかかわらず、東京都の令和3年における失業率は改善したとは言いがたい数字だった。その内訳も、非正規雇用の増加が失業率に歯止めをかけていた。せめて開催後のデータだけでも取得していてほしいものだが、そうした取り組みは聞こえてこない。

すでに次は2030年札幌冬季五輪への誘致が予定されているらしい。誘致が始まってる中で、こうしたエビデンスがすこしでも活用されていくことを、東京五輪から1年明けた今、ただただ願うばかりだ。

ここは中国茶の世界にやさしく誘う場所 上野「閒茶」

都会暮らしも板についてきたけれど、やっぱりこの喧騒には慣れないもの。時にはどこか静かな場所へと出かけて、こころに凪を取り戻したいと思う。そんなとき、こころの給水ポイントとして、静かに扉をノックする場所がある。

お店の名前は閒茶。「閒」は静かな気持ちで飲むという「閑」と、自分とお茶のあわいという「間」の両方を表している。ひとことで言えば、中国茶の世界にやさしく誘うような場所。わたしはここでの体験がきっかけになって、すっかり中国茶の虜になった。

上野の住宅街を抜けて扉を開けると、ソファと椅子を組み合わせて約6席ほどの、凛とした喫茶室があらわれる。そのギャップにナルニア王国の扉を思いだす。いつ訪れても静謐で、心地よい緊張感がただよう空間だ。

インテリアを全て模倣したくなるくらい素敵な空間にため息が出る

お店の扉をあけて席に着くと、店主から静かに中国茶のメニューを手渡される。その中から気になった茶葉を頼み、自分でお茶を淹れてたのしむのがこのお店のスタイルだ。なんだか敷居が高そう…と思うかもしれないけれど大丈夫。選べないときは店主が相談に乗ってくださるし、希望すれば淹れ方も教えてくれる。ちょうどこの日は夫が一緒だったので、お願いして教えてもらった。

すでにテーブルには茶道具が一式揃っている。素焼きの煮水器に火が灯り、その上に湯沸かしが置かれたら、お茶を淹れる準備がととのった合図だ。まずは道具をあたためるという意味も込めて、店主がお湯を使って手本を見せてくださった。

今回使うのは「蓋碗」と呼ばれる器。中国茶を淹れるには、急須のような形をした「茶壺」と呼ばれる道具を使うときと、蓋付きの湯のみのような形をした「蓋碗」と呼ばれる道具を使うときがある。

蓋碗を使うときは、写真のようにひとさし指で蓋を抑え、隙間を使ってお茶を淹れていく。蓋碗から注がれたお茶を受け止めている、うぐいす色の器は「茶海」と呼ばれるもの。これに注ぐことでお茶の濃度が整えられていく。

次に茶海にたまったお湯は、「茶杯」へと注がれる。茶杯はその名前の通り、お茶を飲むための杯だ。最後に、茶海に残ったお湯と茶杯のお湯を「茶船」と呼ばれる、お椀型のうつわにすべて流す。ここまでが器をあたためる一連の流れ。準備ができたら、いよいよ中国茶を淹れることに挑戦だ。

茶葉が用意されたら、その右隣にある細いマドラーのような「茶針」と呼ばれる道具を使って、茶葉を蓋碗に入れていく。茶葉を蓋碗に入れ終わったらお湯を注ぎ、一呼吸をおいて茶海へと注ぐ。このときの茶葉をおく時間によって、お茶の濃度は変わる。自分の好みの時間をさぐっていくことも、中国茶のたのしみだ。

茶海にお茶を注ぎきったら、蓋碗の中に残った茶葉は、茶針をつかってすこし寄せておく。こうすることによって、茶葉がうつわに残った水分によって劣化することを避けることができる。

そうして茶海のお茶を、茶杯にそそいだらできあがり。無事にお茶を淹れることができたら、あとは香りをたのしみつつ、お茶と一緒に茶菓をたのしもう。この日の茶菓は素焼きのアーモンドとペカンナッツ、干しぶどうとあんずに、台湾カステラだった。

この日、わたしが頼んだお茶は菊茶。甘やかな香りはもちろん、つつましやかな花びらが、ゆったりとひらいていく様子に心がホッとする。

はじめは緊張していた夫も、何回か行ううちにすっかり慣れたようで、蓋碗でお茶を注ぐ動作がすっかり様になっていた。

ただただ静かにお茶と向き合う時間。ふたりでくつろいでいると、お店の方から、さらにもうひとつ茶菓子をいただいた。豆花のトッピングを思い出す、ほのかな甘さと豆のプチプチとした食感にいやされる。

淡々と流れる時間の中で、お茶を淹れる所作を繰り返していると、頭の中がからっぽになっていく。きっとこのお決まりのルーティンが、心をととのえていくのだろう。

ちなみに店内では、茶器と茶葉の販売も行われているので、気に入ったものがあれば購入することができる。蓋碗があれば、自宅や旅先でも気軽に中国茶をたのしむことができるので、いつか手元に迎えたい。

そうこうしているうちに時間が過ぎ、気づけば夕方にさしかかる頃だった。すっかり長居してしまったので、お礼を言ってお店を後にする。玄関を出ると、近くに看板犬の「たろう」がいたので挨拶をした。冬毛が抜ける時期なのか、すこし毛並みがぽわぽわとしていてかわいらしい。たろう、いつまでも元気でいてね。

都会の暮らしに疲れたとき、あるいは自分と向き合うお茶の時間を持ちたいとき、はたまた中国茶に興味を持ち始めたとき…そんなひとがいたら、このお店をそっとすすめたい。美味しいお茶と静謐な空間、そしてかわいい看板犬がいるこの店は、きっと良縁となるはずだ。

Information

店名:閒茶
住所:東京都台東区上野桜木1丁目9-5

備考:営業日については公式HPを参照のこと。お店が満員のときは、藝大のアートプラザ近くにあるキッチンカー「Nom Cafe」もおすすめ。チャイがなかなか美味しいです。

URL:http://kanncha.jp(HP), https://www.instagram.com/_kanncha_/?hl=ja(IG)

 

お茶にしましょう、そんな気分になる記事はこちらから

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