東京で暮らす女のとりとめのない日記

暮らしとカルチャー、ミクスチャー

今こそ、福島。福島県出身者が教える、絶対にはずさない温泉宿 5選

もうすぐゴールデンウィーク。そろそろ旅行先について考え始める人も多いのではないでしょうか。しかし、ようやく旅行が楽しめるようになってきたとはいえ「まだ海外はハードルが高い、しばらくは国内旅行を楽しみたい」と思っている方もいるはず。そんな方にお勧めしたいのが福島県です!
旅先に福島県を勧めると「福島県って何があるんだっけ?東北だから遠いんじゃない」と言われることもしばしば。確かに、福島県民は商売が下手ならアピールも下手、さらに口下手と3拍子がそろっていて、良さを知っていてもおおっぴらにすることができません。でも、ちゃんと魅力はあるんです!

旅先としての福島県の魅力

まずなんといっても食べ物が美味しい!新鮮なお魚からお肉に野菜、果ては日本酒やワインなどと、美酒佳肴に事欠かず、福島県で食べられない食材はないと言っても過言ではありません。

また、風光明媚な大自然が楽しめるのも福島県ならでは。桃源郷と称される花見山を始め、美しい湿原の尾瀬ヶ原など、訪れる人たちの心を静かに癒やします。さらに福島県は温泉地が136カ所もある、まさに温泉天国!美味しいご飯を食べて、美しい自然に癒やされて、いいお湯につかって…帰る頃にはリフレッシュしている自分に気がつくはずです。

そして実は、東京から福島県は意外と近いんです。新幹線に乗れば、主要な観光地には2時間足らずで来れちゃいます。東北の玄関口と呼ばれる福島県は、東北文化を知る入り口としても、ふらっとリトリートをしたいニーズにもぴったり。ここではそんなニーズを満たしてくれるような、福島県内にあるイチオシの宿について紹介していきます。

初めて福島へ来る人にお勧めしたい温泉宿 5選

会津藩士が愛した温泉と有形登録文化財第一号の宿 向瀧

「福島でおすすめの温泉宿ってある?」と聞かれたら真っ先に勧めるのが、ここ向瀧です。もともとは、会津藩士の指定保養所として利用されていたという歴史を持ち、明治維新後に平田家に受け継がれたあとは、旅館として訪れる人々の心を癒やしています。意匠を凝らした旅館建築も素晴らしく、歴史と文化の両方が楽しめる、福島県が誇る老舗旅館です。

四季折々で表情を変える中庭が素晴らしい

特に素晴らしいのが四季折々で表情を変える中庭の美しさ!冬は会津の特産品である絵ろうそくを使った、雪見ろうそくが中庭を彩ります。

館内は中庭に面したお部屋がほとんど。皇族が愛した離れや、内湯つきのお部屋も素晴らしいですが、まずは中庭を眺められる部屋に泊まって、ゆっくりと流れていく時間に身を委ねてほしいです。

食事

そして、なんといっても素晴らしいのがこのお料理。向瀧では会津産の食材を使った、地元の郷土料理を楽しめるんです。会津地方は山に囲まれた土地柄、昔はタンパク質が貴重でした。食べるものと言えば、鯉や干した鰊など。またハレの日には、干した貝柱で出汁を引いた「こづゆ」と呼ばれる汁碗を食べて祝います。

向瀧では、古くから会津の人々が育んできた郷土料理を磨き上げ、食文化を感じさせつつも旬の食材を取り入れるなど、飽きさせない工夫がされているのです。例えていうなら、会津オーベルジュ。どれを食べても本当に美味しい!

もちろん朝食も素晴らしい。お米が主役の朝食は、引き立て役のしょっぱいおかずが並んで、これでもかというくらい白米を食べさせます。「会津のお米って美味しいんだな」としみじみ感じさせる朝食です。

温泉

向瀧の温泉は源泉掛け流し。浴槽は毎朝換水を行ったあと、清掃が行われているという徹底っぷりです。湯守が大切に守ってきたお湯は、じわっとしみるような肌あたりが特徴。

館内には部屋風呂を除いて5つの内湯があり、熱めのきつね湯からぬるめのさるの湯、そして貸し切り風呂の蔦の湯、瓢の湯、鈴の湯があります。中には天井に、名前にちなんだレリーフが掘られているものも。どの浴槽も趣があり、自分好みのお湯を探すのも一興です。

www.ikyu.com

もはや温泉のテーマパーク。野趣あふれる露天風呂で湯治三昧ができる宿 安達屋

福島駅からバスで30分、市街地から近いにもかかわらず、本格的な湯治体験をできるのが高湯温泉郷です。高湯温泉郷には共同浴場と合わせて10の温泉施設があり、その全てが源泉かけ流しを行っているほど、湯量に恵まれています。その昔は奥羽三高湯と呼ばれ、古くから東北の人々に愛されてきた秘湯。そんな当時の趣を感じつつ、温泉を楽しみたい人にお勧めしたいのが安達屋旅館です。

囲炉裏があるロビーでホッと一息

安達屋の顔でもある、囲炉裏と暖炉があるロビー。ここでは備え付けのコーヒーマシンはもちろん、紅茶や麦茶といったソフトドリンクから、カクテルタイムにはウイスキーやジンまで、ほとんどの飲み物がフリードリンクとして提供されています。各湯船の中心にあるので、内湯に入ってからロビーで一休み、水分補給をしたあとは露天へ…と湯治を楽しめるのが嬉しい。

食事

安達屋のお料理は、食事会場にある囲炉裏を中心に組み立てられた、里山を感じられるコース仕立て。お料理の演出が凝っているのはもちろんのこと、県内の日本酒が取りそろえてあるのが特徴です。福島の有名な酒蔵からニッチなものまで、日本酒が好きな人にはまさに天国。食事会場は半個室なので、一人旅にもお勧めできます。

翌朝の朝食もしっかり美味しい。福島といえばお米ですが、苦手な人にはトーストも振る舞われます。ジャムはもちろん県産のフルーツ。余すところなく県の美味しいものが楽しめます。

温泉

安達屋と言えば、なんといってもこの野趣にあふれた露天風呂!「大気の湯」と呼ばれる、自然と温泉とが一体となった広大な温泉につかる気持ち良さは格別です。大気の湯は混浴ですが、18時から21時までは女性専用時間も設けられています。夕食の時間を調整する必要はありますが、混浴が苦手な人でも安心して楽しめる時間帯があるのは嬉しいです。

そのほかにも男女別の内湯を始め、予約制の貸し切り露天風呂と内湯を合わせると、館内には5つもの浴槽があります。内湯でとっぷりとお湯につかってもよし、開放感にあふれた露天風呂で自然の音に身を委ねるもよし。自分だけの湯治スタイルを見つけて欲しい温泉です。

travel.rakuten.co.jp

ミルキーブルーの濁り湯と意匠を凝らした美食を楽しめる宿 旅館 ひげの家

安達屋と同じ高湯温泉郷にあるのが、こちらの旅館ひげの家。1960年に開業したひげの家は、高湯温泉の中では比較的歴史が若いものの、常にお客様目線で快適さを追求しているストイックな宿です。現代のライフスタイルの延長線上で温泉旅館を楽しみたい、混浴は苦手だし、お料理は適度な量でいろんな味を楽しみたい。そんな人にはこちらの宿を強くお勧めします。

ゆったりした部屋でのびのび過ごす。部屋から眺められる緑も美しい

建物には広縁付きの和室のほかに、洋室が用意されています。建物自体の駆体は古いものの、館内はきれいにリノベーションされているので、とても快適です。また、どのお部屋も広いので、ゆったりと過ごすことができます。

食事

そしてひげの家の素晴らしいところは、目にも舌にも美味しい会席料理。県産の食材を中心に組み立てられたお料理は、一品一品が丁寧でどれを食べても本当に美味しい!量もちょうどよく、小食のひとには対応もしてくださるので安心です。女将さんが選ばれたという器も、一つ一つが本当にきれい。

そうそう、翌日の朝ごはんが適量なのも嬉しいポイント。作り立ての湯豆腐に、しゃけやちりめんじゃこといった、オーソドックスな朝ごはん。デザートにヨーグルトがついてくるのも、なんだか実家のようでホッとします。京都で修行をされていたという料理長が手掛ける洗練された料理の数々は、グルメな人を満足させられること間違いありません。

温泉

ひげの家には、男女別にそれぞれ内湯と露天風呂が設けられていて、そのほかに貸し切り露天風呂の「星見風呂」があります。その名の通り、晴れた日にはこの露天風呂から福島のうつくしい星々を眺めることができて、とっても幻想的です。ひのき造りの湯船は定期的に貼り替えられているので、清潔感があってとても気持ちがいい。日常を忘れて癒やされたい、そんな人にはぜひおすすめしたい温泉宿です。

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風光明媚な景色を眺めながら温泉を楽しめる高原ホテル 裏磐梯高原ホテル

厳密にいうと旅館とは違う括りではありますが、リトリートというニーズに応えるなら、ぜひ紹介したいのが裏磐梯高原ホテルです。創業から現在に至るまで、国立公園に訪れる観光客の方々を始め、皇族や海外からの賓客にも愛されてきました。

絶景!国立公園の中にある最高のロケーション

そんな裏磐梯高原ホテルの特徴は、国立公園の中にあるということ。ホテルの目の前には、コバルトブルーに輝く五色沼があり、その奥には名峰である磐梯山のそびえたつ姿が一望できます。素晴らしい絶景を独り占めする贅沢。どこを切り取っても絵葉書のような風景に、自然と心が開放されていくことを感じるはずです。

また、館内にはライブラリーがあるのも嬉しいポイントです。選書もすばらしく、子供用の絵本から大人向けの専門書や小説などが、壁面にずらりと並べられています。美しい景色を眺めながら、のんびりと読書を楽しむ。そんな楽しみ方もおすすめです。

食事

暖炉の側でいただいたウェルカムスイーツとドリンクはもちろん、アテンドのサービスが素晴らしい。食器はノリタケで、趣味がいいのもときめきます。

夕食は和食か創作フレンチの2種類から選べます。創作フレンチは福島県産の食材を使い、彩り豊なアプローチで提供されます。また福島産のワインも取りそろえられており、福島の日本酒だけでなくワインも知りたいという方にはお勧めです。

朝食も和食か洋食かを選べますが、やはりお勧めは和食でしょう。福島県産の食材がこれでもかと並べられる光景は、見ていて圧巻です。絶対にお客様におなかを空かせて帰さないぞ、という気概を感じます。

温泉

写真は公式HPより引用

お風呂は男女別に、内湯と露天風呂が設けられているのですが、なかでも人気なのがこの露天風呂です。その理由は、まるでインフィニティプールのような設計。露天風呂は、浴槽の水面が五色沼へと続くかのようにシームレスにデザインされていて、まるで美しい自然と湯船が一体となったかのような心地よさ。磐梯山を眺めながら、お湯が流れていく音を聞いているだけで、なんだか不思議と心が軽くなっていきます。非日常の空間で、リトリートを楽しみたい。そんな人にはぜひおすすめしたいホテルです。www.ikyu.com

派手さは無いけれど、人の暖かさと山人料理に癒される 旅館ひのえまた

会津に位置する檜枝岐村は奥会津とも呼ばれ、古くから平家の落人伝説などが残っています。現在では尾瀬ヶ原への玄関口として、春から秋にかけては多くの観光客を迎え入れており、旅館ひのえまたは登山家にも人気を博しています。

食事

周囲を山に囲まれているため、まだインフラが発達していなかった頃は、食べるものにも困ることが多かったという檜枝岐村。そんな厳しい環境下で、なんとか客人をもてなすために発展していった山人(やもうど)料理を、ここでは楽しむことができます。なお、メニューの一部には山椒魚の唐揚げがありますが、苦手な場合は申告すると別なものに変えてもらえます。

そんな山人料理のなかでも、特に印象深いのが「はっとう」と呼ばれる、蕎麦粉と餅粉を合わせて作られた料理です。南会津の名産であるえごまをたっぷりとまぶしたお餅は、軽やかな甘さに香ばしさと、とろけるような食感が合わさってとても美味しい!限られた食材で工夫しながら美味しいものを作る姿勢には、どこか精進料理を彷彿とさせます。

そして嬉しいのがお夜食がついてくるところ。温泉に何度も入っていると、すっかりお腹が減ってしまうことってありませんか。それを見越してか、ひのえまたでは夕食の後にお夜食としてご飯を持ってきてくださります。この日は舞茸と白米を炊き込んだシンプルなご飯でしたが、これがやたらと美味しくてとても感動しました。

さらに、お夜食のデザートとしていただいたのがクリスマスケーキ!実はこの日はクリスマスだったのですが、まさかケーキを食べられるとは思わなかったので、とてもうれしかったです。「田舎のケーキですけど」と謙遜されていらっしゃいましたが、とても美味しくいただきました。

温泉

ひのえまたの温泉はアルカリ性単純温泉。刺激が少なく、さらっとしたお湯です。また、浴槽の端には頭を載せられる湯枕があり、寝湯のようにして楽しむこともできます。露天風呂の眺めはないものの、床は畳敷きで寒さが伝わりにくいように工夫されているところに、細やかな気配りを感じます。

入浴施設の近くには小上がりになっている和室があり、自由に漫画や本を読めるように工夫されていました。また受付では、昔懐かしいアイスキャンディーも販売されています。派手さはないけれど、人のあたたかさともてなしにホッとする宿。福島の人の良さを実感したいなら、ぜひこちらをおすすめします。

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今こそ、福島。

大学への進学を機に上京してから、定期的に福島には帰っているのですが、その度に「こんなに良いところだったんだな。ここで育つことができてよかったな」としみじみ実感しています。豊かな自然においしいご飯、そしてやさしい人々。冒頭で福島の人は商売が下手と言いましたが、その不器用さも含めていとしく感じます。

長く続いた感染症の流行に伴う自粛で、ちょっと心が疲れたなという人も多いのではないでしょうか。そんな人にこそ、ぜひ福島にきてほしい。口下手だけれど、精一杯もてなしてくださる福島の人のあたたかさに触れて、心を癒やしてもらえたら。そうして心の中に蓄えた、やさしさを持ち帰ってもらえたら。

そしてもし福島が好きだなと思えたら、ぜひ自分だけのお気に入りの「福島」を、長い時間をかけて見つけていってください。

過去の福島県に関する記事はこちらから

lesliens225.hatenablog.com

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26年経ってKinKi Kidsの『硝子の少年』を聞いたら余りにも良すぎてどハマりした話

はじめに

KinKi Kidsがデビューしてから、26年が経とうとしている。彼らがデビューをした当時、私の周りではKinKiブームが起こっていて、ほぼ毎日のようにクラスでは「剛くん派か、光一くん派か」で議論が分かれていた。私はというとあまりアイドルには興味がなく、友人のAちゃんが剛くんが好きだというので「じゃあ私は光一くんかな」と合わせていた。どちらかというと、同時代にデビューしたデスティニーズ・チャイルドに夢中だったのだ。KinKi Kidsは「こんな人たちもいるんだな」という程度にしか認識しておらず、そのまま私は大人になっていった。

それが去年、紅白歌合戦を見ていたときに、突然人生にKinki Kidsが入場してきたのだ。きっかけは彼らが『硝子の少年』を歌ったのを聞いて「あれ?これって結構いい歌じゃん」と思ったことだった。格好いいイントロと、クセになるコード進行。ギターのスクラッチもイケているし、なにより二人とも歌が上手い。その時はそれで終わってしまったのだが、最近になってふと思い出してYoutubeで聞いてみたところ、想像の100倍くらい良い歌で痺れてしまった。なんで今まで『硝子の少年』がこんなに良い歌だと気付かなかったんだろう。メロディは勿論、とにかく歌詞がいい。余りにも素晴らしい歌詞で感動したので、感じたことを残したい。

『硝子の少年』歌詞 考察

雨が踊るバス・ストップ
君は誰かに抱かれ
立ちすくむぼくのこと見ない振りした

まず雨が「降る」ではなく「踊る」という言葉が凄い。雨が踊るように見えるほど激しく降っている様子と、そこにあるバス停という情景が、このフレーズだけで目に浮かぶ。また、歌詞は一人称で語られていて、これは「ぼく」の視点の物語、すなわち叙情詩であることがわかる。
一方で気になるのは、誰かに抱かれる君と、立ちすくむぼくの関係だ。ここでは聞き手に疑問を持たせたまま、歌は次のフレーズに入る。

指に光る指輪
そんな小さな宝石で
未来ごと売り渡す君が哀しい

「ぼくと君はどういった関係なのか」という問いの答え合わせを行うのがこの章になる。指に光る小さな宝石のついた指輪=婚約指輪と、未来ごと売り渡すというフレーズから、「君」は婚約していることが明らかだ。
すなわちバス停で立ち尽くしていた少年は、君が知らない誰かと婚約したことを知って、衝撃と悲哀の中にいることが分かる。

ぼくの心はひび割れたビー玉さ
のぞき込めば君が逆さまに映る

続いてBメロでは、複数のメタファーが隠されている。
まず「ビー玉」は前段で登場した「小さな宝石」と対句になっていて、少年の未熟さと繊細さを表現している。またそれにかかる「ひび割れた」という描写からは、少年が失恋の真っ只中にいることが明らかだ。最後に「君が逆さまに映る」というのは、ビー玉そのものの描写だけでなく、少年を愛していた頃の優しい君が映っていることを表しているのだろう。
ビー玉というモティーフをここまで膨らませられることが凄まじい。

Stay with me
硝子の少年時代の破片が胸へと突き刺さる
歩道の空き缶蹴飛ばし
バスの窓の君に背を向ける

サビではタイトルの『硝子の少年』というテーマを回収すると共に、AメロからBメロまで積み上げられてきた少年の感情が表現されており、これまでの静的な描写から一転して「ぼく」が初めて何かをする様子が描かれる。

サビの冒頭では「Stay with me=(そばにいて)」という、まだ駆け引きも知らない少年らしいフレーズが、聞き手の胸へとストレートに届く。次に「歩道の空き缶蹴飛ばし」では、感情を制御することができない少年特有のアンバランスさと、バスに乗り込むであろう君を引き留められなかった状況の2つが描写されている。そして最後の「バスの窓の君に背を向ける」という表現では、乗り物を通した対比で恋の終わりが描かれている。バスに乗ってこの恋から去っていく君と、雨の中ひとり取り残される少年。感情と情景の描写が鮮やかだ。

映画館の椅子でキスを夢中でしたね
くちびるがはれるほど囁きあった

2回目のAメロでは、これまでの「ぼく」と「君」の回想シーンになる。これまでの歌詞とは対照的に、映画館で一目もはばからずに愛し合った日々が描写されており、少年の哀しみを強調している。

絹のような髪に
ぼくの知らないコロン
振られると予感したよそゆきの街

後段では恋の終わりの予感が「ぼくの知らないコロン」というモティーフを通じて描写される。また、「よそゆきの街」という言葉には、デートのために出かけた街と、恋の終わりを予感させたいつもとは違う表情の街という、2つの意味が掛け合わされているのだろう。

嘘をつくとき瞬きをする癖が
遠く離れてゆく愛を教えてた

そして2回目のBメロでは、振られる予感が確実になっていく心情と、ふたりの関係性に愛情があったことの、2つが表現されている。相手が嘘をつくときの癖がわかるくらいに愛していたこと。そして「遠く離れてゆく」という言葉には、かつて側には愛があったことが含まれている。

Stay with me
硝子の少年時代を
思い出たちだけが横切るよ
痛みがあるから輝く
蒼い日々がきらり駆けぬける

始めのサビでは「破片が胸へと突き刺さる」とあった部分が「思い出たちだけが横切るよ」に変わっている。これは「ぼく」が思い出を俯瞰できるようになったという時間の経過と、恋人と過ごした日々だけがそばにあることを表している。そして続く「痛みがあるから輝く」という言葉では「ぼく」がつらさを受容し始めていること、そして「蒼い日々がきらり駆けぬける」からは、まさに彼の硝子のような青春時代が砕け、終わりを迎えていく様が読み取れる。

ぼくの心はひび割れたビー玉さ
のぞき込めば君が逆さまに映る

歌詞が繰り返されることで、失恋した少年の気持ちがより強く感じられる。

Stay with me
硝子の少年時代を
思い出たちだけが横切るよ
痛みがあるから輝く
蒼い日々がきらり

ここでは「駆けぬける」まで歌詞が続かない。おそらくはまだ消化し切れていない恋心が、「ぼく」の中に光り続けているということなのだろう。失恋とは傷を受容したり、痛みを確認したりすることの繰り返しで、このサビではそれが行われている。

Stay with me
硝子の少年時代の破片が胸へと突き刺さる
何かが終わってはじまる
雲が切れてぼくを照らし出す

そして特筆すべきがこのサビだ。やはり失恋を受容できず、痛みを感じている「ぼく」だが、続くフレーズでは「何かが終わってはじまる」と受容の兆しも見せている。この「何かが終わってはじまる」とは少年期の終わりと、青年期のはじまりということなのだろう。硝子のような少年時代は砕け散って元にはもどらない。けれどその痛みと共に残された思い出が、彼のこれからになっていく。それは次の「雲が切れてぼくを照らし出す」でも表現されているし、同時に「雨が踊る」ほど激しかった天気に晴れ間が射しているという時間の経過、そして情景が描写されているのだ。

君だけを愛してた

そして極め付けはこのフレーズだ。いままで歌詞は散々「ぼく」が相手を深く愛していたことを、愛という表現を使わずに表現してきた。それが最後の最後にストレートな言葉で締め括られる。あまりにも鮮やかで、痛々しく、繊細な締め括り。まさに『硝子の少年』のエンディングにふさわしいストレートパンチのような歌詞だ。

松本隆が描く歌詞の凄み、KinKi Kidsというアーティストの素晴らしさ

以前何かで、スガシカオYUKIが「歌詞の中には黄金の一行をいれる」という話をしていたことを覚えている。これは歌詞の中に聞き手に刺さるであろうフレーズをいれることで、歌を魅力的なものにするというテクニックだ。通常は1つの歌詞に対して1センテンスがあればいいとされているが、KinKi Kidsの『硝子の少年』に至っては全フレーズが黄金の一行で、とにかく無駄がない。天気とバス、そして硝子というモティーフを主軸に、ここまで物語を展開できることが凄い。初めから終わりまでの壮大な伏線回収ののち、「そう終わるのか!」と思わせる構成は、まるで韓国映画を見ているような体験だった。こんな歌詞を人生で一度書けたら死んでもいいと思う。

勿論、これを当時10代という若さで歌ったKinKi Kidsもすごい。当時のPVをYouTubeで見て、堂本剛さんの若くて既に完成された歌声に圧倒されたのは勿論、堂本光一さんは紅白で聞いた時より音量や音程が不安定で「歌の神様に愛されている人が隣にいる環境で、この人は歌もダンスも腐らずに今日まで努力をしてきたんだな」と思った。

今になって1990年代以前の音楽を聴くという楽しみ

『硝子の少年』と改めて出会って、こうして過去のアーティストたちの作品を振り返るのも楽しいんだということに気がついた。普段音楽をディグる時は「まだ誰も知らないアーティスト」や「新しい音楽」を探そうとして、必然的に令和以降のものばかりを選んでしまっているのだけれど、今とは違う様式で歌が流行っていて、誰もが歌える歌があって…という時代にヒットソングとして残っている歌が面白くないわけがない。平成以降は歌手が曲も詩も作ることが当たり前になってきたけれど、作曲家と作詞家が分かれていた時代だからこその面白さは、この時代の歌ならではだと思った。

遡って今は松田聖子の『Sweet Memories』に、沢田研二の『勝手にしやがれ』などを新鮮な気持ちで聞いている。そのことが、とても楽しい。

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深夜製菓部 #2 チョコレートマフィンと2種のコンフィチュール

2023年のバレンタインデー

優に「今年のバレンタインデーは何がいい?ご飯でも食べにいこうか。あるいはチョコレートを買ってこようか」と尋ねると「手作りのお菓子が食べたい」とにこやかに返されて面食らった。そもそも今年は買って楽をしようと思っていたのだ。「えっ、本当に買ってきたチョコレートや外食じゃなくていいの?」と、さりげなく選択肢から手作りのお菓子を外して念押ししてみたものの、返ってきたのは「うん、手作りがいい」という答えだった。そっか、手作りか。若干の面倒臭さと、バレンタインくらいは応えてあげたいという気持ちが拮抗する。結局、楽しみにしている彼の顔を見たら「作りたくない」とは言えず、腹を括ってお菓子作りをすることに決めた。彼からお願いされることなんてあまり無いのだし、たまにはこういうのもいいでしょう。

レシピと材料について

今年選んだレシピは栗原はるみのチョコレートマフィン。はるみさんのレシピは失敗が少ないし、特別な材料を揃えなくてもできるものが多くて助かる。お菓子作りの何が苦手って、家庭で消費する機会が滅多に無い製菓の材料を買わないといけないことと、その後に管理をしないといけないこと。使い切れずに余った材料を見て「イーッ!」となる人間としては、普段使いのものであればあるほどありがたい。それにマフィンなら冷凍保存ができる。せっかく作ったのに食べ切れず、痛ませてしまったら悲しいものね。

材料※

  • チョコレート…240g
  • バター…100g
  • 卵…4個
  • ラニュー糖…200g
  • 薄力粉…200g
  • ココアパウダー…40g
  • ベーキングパウダー…14g

※…我が家にあるマフィン型が12個分なのと、生地をフチまで注いでモコモコのマフィンにしたかったので、元レシピの2倍の分量で作っている。

チョコレートマフィンを作る

それでは早速チョコレートマフィンを作っていこう。まずはマフィンカップを用意する。ほとんどのレシピでは市販のマフィンカップを用意するやり方が一般的だけれど、私は焼き上がった生地が紙にくっつくのが苦手なのと、なるべく家にあるもので準備したかったので、クッキングシートをチューリップ型に折って代用した。

カップの作り方は簡単で、適当にクッキングシートを4つ折りにしてから、コップの底などを利用して折り込んでいくだけ。この時点ではマフィン型からマフィンカップが飛び出ているけれど、生地を注げばきれいにおさまるので、慌てなくて問題なし。マフィンカップを作り終わったら、鍋に水を入れて湯煎用のお湯を沸かし始めておく。

次に板チョコをパキパキと折ってボウルに入れていく。クベールチュールのタブレットは折らずにそのまま入れる。本当は板チョコもタブレットも包丁で刻むといいらしいのだけれど、どうせ湯煎すればどんな形であれ溶けるでしょう、ということでズボラパワー応用力を発揮していく。

次に薄力粉とココアパウダー、それからベーキングパウダーをあらかじめふるいにかけておく。レシピにはふるいにかけながら最後に粉を追加するやり方が書かれていたけれど、きっと私は終盤で疲れきっていて適当にやるだろう、そしてその結果失敗するという自信があったので、事前に済ませておくことにした。お菓子作りで大切なことは自分を信用しないことだと思う。

ところで作った後に、パティシエがマフィン作りをする動画を見ていたら、ボウルは使わずにクッキングシートの上でふるいをかけていて驚いた。確かにこれならふるいにかけて飛び散った粉も集められるし、洗い物もでなくていい。クッキングシートならオーブンで焼く時に再利用できるし、次回からは真似したいな。

続いて卵とグラニュー糖を合わせたあとは、全体がもったりするまで混ぜていく。ハンドミキサーで混ぜると周囲に液体が飛び散って片付けが大変なので、アルコール消毒したシンクの中にボウルを置いてから混ぜていく。このあたりで鍋のお湯が沸いてくるので、並行してボウルに割り入れていたチョコレートを湯煎する作業に取り掛かった。

適当に割っておいたチョコレートをゴムベラで混ぜつつ溶かしていく。ミルクチョコレートとビターチョコレートの色がマーブリングのようになってきれい。それと同時にむせ返るくらいようなチョコレートの香りが立ち昇ってきてクラクラした。この香りを長時間嗅いでいると、古代文明でチョコレートが精力剤や媚薬として使われていたのも、納得できるような気がしてくる。

チョコレートがだいたい溶けてきたらバターを加えていく。バターは直接はかりに置いてから使う分量をとっていくと洗い物が出なくていい。レシピには「バターを小さく切ってから入れる」とあったけれど、七面倒なのでそのままぶちこんだ。

大丈夫、チョコレートもバターも丁寧に刻まなくてもちゃんと湯煎で溶けます。お菓子作りは気合。溶かそうと思えばだいたい溶かせる。会社で資料を探す時と同じですね。あると思って探せば大体のものはある。

チョコレートとバターが溶けたら、グラニュー糖と卵をあわせておいた液体を加える。黄色と茶色の色合いがキュート。お菓子作りって、小さなときめきがあって楽しい。液体同士がよく混ざったら、ふるいにかけておいた粉を加えていく。この時点でオーブンを170度に余熱しておく。

全体から粉っぽさがなくなるまでゴムベラで混ぜたら生地の出来上がり。このときにわざわざゴムベラに変えるのは、泡立て器やハンドミキサーだとチョコレート生地がくっついて落としにくいから。実際「いけるか?」と試してみたら全然いけませんでした。

生地はチョコレートの割合が多いせいか、けっこう重くて混ぜる手が疲れる。生地が冷えると固くなってしまうので、急いでマフィンカップに注ぐ。お菓子作りに「ちょっとソファでごろんしたい」は許されないのだ。マフィンカップに生地を注ぐには絞り器かレードルを使うやり方があるけれど、前者は作るのが面倒だし、後者は家にないのでスプーンで代用した。

スプーンで注いだ結果、前衛的な芸術作品のように。ジャクソン・ポロックもびっくりな仕上がり。マフィンカップにきれいに注ぎたい人は絞り袋を使うといいでしょう。でも焼き上がったときに、この飛び散った部分がラングドシャみたいで美味しかったので、これはこれでありだと思う。注ぎ終わったら余熱が完了したオーブンで20分焼く。

オーブンで焼いている間、コンロに2つ小鍋をセットしてコンフィチュールも作ることにした。チョコレートの香り成分と共通しているバナナや、ミックスベリーを使ったジャムを添えたら、味わいに奥行きが出るだろうと思って。

材料※

<バナナのコンフィチュール>

  • バナナ…2本
  • 自家製はちみつレモンのシロップ…バナナに対して半分のグラム
  • カルダモンパウダー…少々
  • レモンピール…少々

<ミックスベリーのコンフィチュール>

  • コンビニで売っている冷凍ミックスベリー…1袋
  • 砂糖…ミックスベリーに対して半分のグラム
  • キルシュ(乃至適当な洋酒)…少々

※…材料は筆者の勘と目分量なので大体です。

材料をそれぞれ小鍋にぶち込んだら、後はとろみがつくまで弱火で煮込むだけ。その間は、ソファで思う存分ゴロゴロタイムだ!

20分経ってオーブンから取り出したマフィンがこちら。部屋中に漂うチョコレートの香りに、すでにお腹がいっぱいになりそう。生地に竹串を差して、色がついてこなかったらできあがり。この時点では生地がついてきたので、追加で5分焼いた。コンフィチュールもいいかんじにとろみがついているので、火を止めてそのまま冷ます。焼き立てのチョコレートマフィンはスフレのよう。ふわしゅわっとした食感と、チョコレートの濃厚な味わいがとても美味しい。よかった、大成功だ!

完成したマフィン、コンフィチュールと芦雪のクッキー付き

なんとかお菓子作りは無事に終わり、バレンタインデーに間に合った。ちょうど帰宅してきた優が「いい匂いだね」と言いながら部屋に入ってくる。ちょっといい紅茶を淹れつつ「バナナかミックスベリーのコンフィチュールがあるけど、どっちがいい?」と尋ねると「ミックスベリーかな」と言うので、スプーンで掬ってマフィンの上からとろりとかけた。

ここまで準備をしたところで、そういえば前日に腕慣らしとして焼いておいた芦雪の犬型クッキーがあったことを思い出す。せっかくなのでそれもおまけで添えた。

さぁ、これでバレンタインプレートは完成だ。ひさしぶりのお菓子作りとしては結構頑張った方じゃないだろうか。テーブルの上を見た優が「すごい!お店みたいだね、ありがとう!」と言い、一口食べるごとに褒めちぎってくる。こんなに喜んでくれるなら頑張った甲斐があったな、と床暖房の効いたフローリングで力尽きつつ嬉しく思う。すっかりご機嫌になった優が「ホワイトデーには何が欲しい?」と言うので「うーん、土地かな」と冗談を言ってゲラゲラと笑った。今度は彼が得意な親子丼でも作ってもらおうか。

翌日、マフィンを職場に持っていきたいという優に、ジップロックに詰めていくつか持たせた。色気がないラッピングだけれど、この力の抜けた感じがらしくていいのかもしれない。

私は冷やしておいたマフィンとバナナのコンフィチュールで昼ごはんに。冷えたマフィンは生チョコレートのような濃厚さで、焼き立てとはまた違った味わいだった。コンフィチュールもレモンの酸味とカルダモンの爽やかさが効いていて美味しい。我ながら大天才。

きっと今頃、優も職場でマフィンを頬張っているのだろう。リスのようにほっぺを膨らませてマフィンを食べる彼の姿を想像して、くすぐったい気持ちになった。

おまけ:余ったココアパウダーの活用法

あまったココアパウダーはホットココアとして消費するのが手っ取り早い。私はココアパウダーをシナモンと一緒に鍋で炒って作るスパイスココアが大好きでよく作る。炒ったパウダーに少しずつ水を加えて練り、牛乳を注げばいいので楽ちんだ。甘いものの気分ならはちみつやきび砂糖を加えてもいいし、生姜を入れればよりポカポカと温まる。夜ならラム酒を注いでラムココアにしてもいい。冬場は食欲が落ちるので、こうしたもので栄養をとるに限る。

バレンタインというイベントは彼と結婚するまで馴染みがなかったけれど、たまにはこうしてゆっくりしながら、共に生きる幸せを噛みしめるような日があってもいいのかもしれない。さらに言えば、目の前の愛する人だけではなく、誰かが誰かと愛し合う権利についても思いを馳せられる、そんな日にできればいいと思う。

今日も今日とて余ったココアパウダーを鍋で炒りながらココアを作っている。まだまだ寒さが続く2月を、バレンタインの余韻が暖めてくれそうだ。

 

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安心してひとりになりたい人のための、開かれた秘密基地 ヒアシンス・ハウス(設計:立原道造)

埼玉県さいたま市にある別所沼公園。この公園には清らかな水がこんこんと湧き出ている沼があり、その畔には一軒の小屋が建っている。
小屋の名前はヒアシンス・ハウス(風信子荘)。詩人であり建築家でもあった立原道造が、自分自身のために設計した小さな小屋だ。

ヒアシンス・ハウスの近くにはポールがあり、室内にボランティアの方がいるときは空色の旗が掲げられている。情緒にあふれた仕掛けが愛おしい。

建物は屋根を支える部分と窓枠がペールグリーンでペイントされていて、どこかロマンティックな趣がある。屋根には雨水が自然と流れ落ちることを考えて傾斜をつけたのだろうか。全体的に、線がすっきりとしている印象を受けた。入り口のステップ、またその脇にある四角形の石も、外界と建物を明確に分けていて立原のこだわりが感じられる。

雨戸をしまうための戸袋には、北欧のデザインから影響を受けたと言う十字のマークが彫られていて、いいアクセントになっていた。玄関にあるドアの引手にはツタのような装飾が施されていて可愛らしい。

よく見るとドアの色は窓枠と同じだ。立原は建物と外界をつなぐものを意図的に塗り分けて設計したのだろうか、なんて考えるのも楽しい。
ワクワクしながら中に入ると、小屋の内部は外観のイメージを引継ぎつつも、よりパーソナルな雰囲気だった。

寝床と執筆作業のためのカウンター、それから来客用のダイニング。窓が3箇所設けられているものの、うち2つはコンパクトに設計されていて、必要最低限の明かりだけが入ってくる。まるで少年少女がやわらかな感受性で思い描いたような秘密基地のようだ。興味津々で眺めていると、ボランティアの方が設計図を見せてくれた。

立原が残した設計図には、詳細なスケッチや家具のデザインまでもが書き込まれていた。本来この小屋は、寝室側から沼を望めるように設計されていたらしい。起床したあと、寝室の窓から朝日に照らされる沼を眺め、日中はカウンターで執筆作業を行い、午後以降は南向きにある大きな窓からたっぷりと明かりをとって、ダイニングで友人をもてなしたり食事をしたりする想定だったのだろう。4.58坪というミニマルな空間に、自然と人の生活様式を調和させるようなデザインが施されていて、立原のセンスのよさに思わず唸った。

改めて寝室の窓を見る。確かに朝早くに目覚めて、この小さな額縁のような窓から、太陽に照らされて小波の立った水面を眺めることができたなら。そしてこの蔦のような取手を引いて窓を開け放ち、涼やかな風を顔いっぱいに浴びることができたのなら。それは人生において、忘れ難い時間になるだろう。

視線を脇にずらすと、ベッドボードの棚には立原の写真や、ヒアシンス・ハウスが掲載された雑誌が並べられていた。立原の豊かな感受性が光る眼差しと神経質さを感じさせる口元には、青年期を過ごす人特有のアンバランスな魅力がある。彼はヒアシンスハウスの竣工を実現することなく夭折したが、今この姿を見たら何と思うのだろうか。

彼が実際に使用していた燭台も、またこれに合わせて設計された椅子も、情緒的でとてもよかった。椅子に座ってカウンターに肘をつき、窓の外をじっと眺めているだけで、自分の時間を生きている実感がふつふつと湧いてくる。

あまりにも心地よい空間にすっかりくつろいだ気持ちでいると、ボランティアの方が「ダイニング側にある大きな窓を開けてみせましょうか」と提案して下さった。せっかくなのでお言葉に甘えてお願いする。

角を取り囲んだ窓は、その一枚一枚が驚くほど滑らかに戸袋へと吸い込まれ、外からは爽やかな風が入ってきた。「窓を開けただけでこんなに開放感があるんですね」とボランティアの方に伝えると「ええ、夏場なんかはここを開けているだけで、だいぶ体感温度が変わりますよ」とのことだった。出窓のような作りになっているので、気分転換をしたくなったら、ここで腰をかけて外を眺めてもいい。なんて素晴らしいのだろう。

うっとりした気持ちのままボランティアの方にお礼を告げて、ヒアシンス・ハウスをあとにする。せっかくなので、公園をぐるりと散歩していくことにした。驚くことに、水辺を歩いているだけで、沢山の野鳥と遭遇する。川鵜に白鷺、そしてカイツブリ

沼の水は底が覗けるくらい澄んでいて、歩いているだけでとても気持ちがいい。立原がここに移住したいと思った気持ちもわかるような気がしてくる。そうして沼を半周ほどしたあたりで、視界の端に青い生き物が映った。

カワセミだ!まさかここで出会えるとは思わなかった。ふくふくとした蜜柑色のお腹に空を写したような青い羽、上下にちょこちょこと動く様子、どれをとっても可愛らしい。カワセミがいるくらいなのだから、動物たちにとっては恵まれた環境でもあるのだろう。

すっかり満足して公園を後にしようとすると、猫が2匹仲睦まじく並んでいる様子を見かけた。この公園では人間も動物たちものびのびと生活している。その姿は、立原が生きていたころと同じだろうか。

ヴァージニア・ウルフが「女性が小説を書こうと思うなら、お金と自分一人の部屋を持たねばならない」と『自分ひとりの部屋』で記しているように、自分の人生をまっとうするためには、安心してひとりになれる部屋が必要だ。そのことを立原は感覚的に知っていて、ヒアシンス・ハウスを設計したのかもしれない。

ひとりで集中できる空間にいるときにだけ感じることができる充足感。何者からも介入されずに、自分だけの時間を生きることができる場所。そうした場所があるからこそ、人は社会で他者と関わり、生きていくことができるのではないだろうか。かつてそれを望んだ人によって残された建築が、今も誰かのための居場所としてその扉を開いている。そのことが、とても幸福なことのように感じた。

夕陽は沼の水を照らして黄金色に染め上げていく。鳥たちが巣へと帰ってゆく。それを眺めながら、立原が夢見た牧歌的な風景に思いを馳せた。

 

Information
建物名:ヒアシンスハウス
住所:埼玉県さいたま市南区別所4丁目12-10

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いい音楽を聴くと、心が帰ってこなくなることを知った Robert Grasper Torio :Blue Note Tokyo 2023

年末に音楽仲間の友人から連絡があり、ロバート・グラスパー・トリオがブルーノート東京でニューイヤーライブを行うことを知った。2020年に計画されていた来日公演がCovid-19の影響で立ち消えて以来、しばらくは単独ライブはしないだろうと思っていたので、まさに寝耳に水だった。急いで予約サイトをひらくと奇跡的に席が残っていたので、そのまま2シートをブッキングする。予約完了のメールをぼんやりと眺めながら、しばらくソファの上で放心していた。本当にグラスパーのライブにいけるんだ。その瞬間、唐突に実感が湧いてきて、胸の奥にこみあげるものを感じた。

ライブ当日は、楽しみすぎて1時間も早く到着してしまった。同じようにだいぶ前から並んでいるであろう人たちがいてホッとする。入り口のポスターを見て、あともう少しでグラスパーに本人に会えるのだという実感が湧いた。

ポスターに描かれたサイン、そして”TONIGHT”というネオンを何度も確かめるように見る。そうして待っていると入り口の扉が開き、前の回に参加していた観客たちが、スローモーションのように吐き出されてきた。観客たちが身体全体に纏っているライブの余韻と、現場を離れがたい気持ちがこちらにも伝わってくる。ひとり、またひとりとその場を後にするのを見届け、落ち着いたタイミングで会場の中に入った。

入り口に掲げられてるミュージシャンたちの顔をゆっくりと眺める。外の喧騒とは打って変わって、ここだけ別空間のようだ。階段を下ると受付とクロークがあり、名前を告げて荷物を預けた。

カウンターを見ると、グラスパーがプリントアウトされた升が、クリスマスツリーのように重ねられていた。お茶目な演出に少しだけ緊張が緩まる。ぞろぞろと人が集まってきて、あっという間にフロアは人でいっぱいになった。「そろそろ席にいこうか」と夫に声をかけ、さらに地下へと伸びる階段を下る。一段一段降りるごとに、いよいよだという気持ちが強くなっていく。

会場の中は薄暗く、間接照明の明かりとステージに映し出された"2023 HAPPY NEW YEAR"のスクリーンがぴかぴかに光っていた。会場の雰囲気、そしてやっとここに来れたんだという思いで頬が熱くなる。

係の人にアテンドされて自席へ向かう途中、見たことがある人とすれ違った。歩きながら思い出そうと考えてしばらくした後、バンドメンバーのバーニス・トラヴィス、そしてジャスティン・タイソンだということに気がついた。なるべく平静を装って席へと着いたが、内心は興奮状態だった。これは頭を冷やさないとと、早々に飲み物を注文する。

頼んだのは”Relaxin”という、ラベンダーとローリエのハーブティとブルーベリーをつかったモクテル。鼻に抜けるラベンダーの香りに、やっと平静を取り戻す。会話をしたり、食事を楽しんだりしているうちに、いつもの状態まで戻ってきた。そうして、ライブが始まった。

あっという間の1時間。気づけばライブは終わっていた。とにかく目に映るもの耳に聞こえるもの、すべてが素晴らしかった。こういう人たちが本物のアーティストなんだ。セッションってこういうことなのか。今日に至るまで私は音楽とは何かを知らなかった、そう感じた。

個人に注目して言えば、グラスパーの演奏と歌声は勿論、ベースのバーニス・トラヴィスが本当に素晴らしかった。彼が6弦ベースで紡ぎ出す音には切れ目がなく、指が100本あるんじゃないかと錯覚した。ドラムのタイソンが時々走り気味になるのを、バーニスの音が入ることでグルーヴとして調和させていたのも見事だった。彼の演奏を聴いて、「バンドはベースがいてこそ遊べるんだ」ということを、初めて耳で理解できたように思う。

また、ロングソロでバーニスはギターのようにベースを奏でていて、これがとてつもなく格好よかった。目の前できれいな川がとうとうと流れていくような、素晴らしく心地がいいフロー。緻密なのに余白もあって、ベースひとつでこんなにもドープな音を奏でられるのかと感動した。彼のソロが終わってグラスパーがステージに戻ってきたとき、観客から歓声が上がったのだが、そのときに拍手をバーニスへ促すような仕草を見せたのも、彼への熱いリスペクトが感じられた。

一方で、ライブの中でとりわけ印象に残った演出はフレーズの使われ方だった。これによって彼らのアルバム『Black Radio Ⅲ』にも込められたメッセージを、よりクリアに感じることができた。冒頭でジャヒ・サンダンスが繋いだ「音楽は人生」と繰り返される言葉には、ライブの構成から"音楽=Made By  The Black People"という意味を読み取ったし、それが現在ステージで演奏しているグラスパーたちの人生を作り上げたものであること、そして彼らは一生をかけてそれを表現していくのだという覚悟を感じた。

また「Everybody Wants To Rule The World」のイントロでは、"Pray is the music, music is the pray"というフレーズや、ジョージ・フロイドたちの名前、そして「アメリカで自分は自由に生きられる」と信じている少女の無邪気な言葉が何度もリピートされた。グラスパーは常々インタビューで、アーティストとしての社会的責任について答えていたけれど、このライブではその想いをより強く感じることができた。

あのライブからもう1ヶ月。なのに私の足元は、いまだに地面から1センチ浮いているような感覚がある。きっと人はいい音楽を聴くと、心が帰ってこなくなるのだ。今でも私の心は、ブルーノート東京の薄明かりが照らすあの席にある。心の中にある静かなライブ会場。そこにはいつも彼らがいて、耳をすますと音楽が聞こえてくる。この日を、そしてこの日にたどり着くことができた自分の人生を、私は生涯忘れないだろう。

 

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2023年の元旦はさわやかに

夫と紅白歌合戦を見て「バブルを生きてきた人間の、若者にポジションを譲るつもりなんか1ミリもない感じが眩しいね」「おじいちゃんがスモークのなかでヨタつく姿を全国民が見守るイベントだ」などと言っていたら2023年になっていた。酒屋で買った売れ残りのシャンパンを開け、おまけでもらったクラッカーを鳴らす。「今年もよろしくお願いします」とお互い頭を下げて、布団に入ると朝だった。

シャワーを浴びたあとは、昨日のうちに仕込んでおいたお雑煮の準備に手を付ける。昆布と鰹節で引いた出汁を温め直し、茹でた鶏もも肉と蒸しておいた里芋、ねじり切りした人参を加えた。汁を温めている間に新潟で買ってきた切り餅を焼く。うつわに温めた汁を注いでから、焼けた餅を乗せ、さらにその上に茹でておいたほうれん草と、吸い口にゆずの皮を加えた。これだけで充分なごちそうだ。一口すするとまろやかな出汁が、五臓六腑にじんわりと沁みた。

今年はおせちをとらなかった。「ふたりで食べ切るのは難しいし作るのも手間だし、お蕎麦とお雑煮を食べればお正月ということにしよう」と決めたのだった。実際、おせちなしのお正月は気楽でよかった。おかげで体調よく過ごせたし身体もかろやかだ。スマホが震えたので画面をひらくと、友人カップルから春餅を食べながらピースをしている写真が届いていた。

雑煮を食べ終えたあとは、初詣へと向かう準備をする。ダウンを着て外に出ようとすると、夫に「寒いからこれつけていきな」と手袋を渡された。マンションの自転車置き場に行き、愛車にまたがると冷えたサドルの温度が直にお尻に伝わってくる。ペダルを漕ぐと風が冷たくて、思わず顔をぎゅっとしかめた。

自転車はいつも漕ぎはじめが苦しい。呼吸がしんどいのを我慢して、心拍数が上がるまでひたすら自転車を漕ぐ。坂道を上り下りしたところで、やっと身体に酸素が回りはじめて楽になってきた。前を行く夫に置いていかれないよう、さらに車輪を回転させる。肉体が疲労していくのと比例するように、頭は集中していくようだ。滑車の中にいるハムスターもこんな気持ちなのだろうかと酸欠気味の頭で考えた。

信号が赤になったので足を止め、コンビニで買ったミネラルウォーターを飲む。ふと空を見上げると、ブルーシートを広げたような雲ひとつない青空が広がっていた。年末年始特有の、少し白みがかった空が気持ち良い。この時だけは東京のいやらしさを忘れて、きよらかな場所にいるように錯覚する。

神社へ向かう表参道を通過すると、露店がずらりと並んでいるのが見えた。いつもポップコーンやキャンディの甘い香りが漂う通りに、この日だけはソースや肉が焼ける匂いが立ち込めている。若い人が地べたに座り込んで、焼きそばやフランクフルトを頬張っていた。

目的地にたどり着いて自転車を駐輪場に停めると、国会議員が神社前に立っている姿を見かけた。ショッキングピンクのダウンに黒いヒールを履いて、ときどき有権者と挨拶をしている。その後ろには若い議員たちが3名ほどが立っていた。著名な議員なので多くの人に囲まれるかと思いきやそうでもなく、手持ち無沙汰なのか時折鳩のように地面を八の字に回っている。通り過ぎた人たちから「あの人ってそうだよね」「元旦からこんなところにいるんだ」と言っている声が聞こえた。

滅多にない機会なので声をかけ、私が今の政治に望んでいる話をする。最低賃金の引き上げ、貧困世帯への支援、夫婦別姓同性婚の合法化など。時折話を遮り自論を展開する彼女に「この辺は会社のおじさん達と変わらないんだな」と思いつつ、粘りながら対話を試みた。話し終えると、緊張のせいか背中にじっとりと汗が滲んでいた。心から聞いてもらえたかどうかはわからない。この言葉が届いてくれることを祈るばかりだ。

彼女と別れたあとは、神社へ向かうため鳥居をくぐる。今年はどんな一年になるのだろうか。様々な形でお正月を迎えているであろう人たちの顔を思い浮かべる。社会が不安定になるときに、真っ先に影響を受ける人たちを。その人たちが心穏やかに過ごせる日が来ることを、もうずっと長いこと望んでいる。自分だけの心の穏やかさや生活を守れればいいと、そう思って生きることだって可能だけれど、それでは結局私が虚しいのだ。自分の生活が安定してきているからこそ、忘れてはいけない視点をいつまでも握りしめていたいと祈る。

帰り道、紅白歌合戦の司会が「来年こそは何も考えないで過ごせる1年にしたいですね」と言った時に、私は嫌だと感じたことを思い出した。今まで何かを考えずに生きることができていたというならば、それは自分が無知でいられる立場に無自覚でいたということだろう。そんなことに気づいたのもコロナが流行し、考えるための時間が多くなってからだった。今でも自分の行動を振り返ったり、友人に指摘されたりして、無知ゆえの発言や行動に気づくことがいくつもある。

それでも人生をより良く生きるために、もう考えることを手放したくない。衣食住ばかりを慈しみ、それの背景については蓋をして、自分の権利が奪われていることや、他人の権利を奪っていることには無頓着で、足るを知った顔を貼り付け、鈍い感受性のまま生きることは私が望まないのだ。正しい人でいることはできないが、せめて考え続ける人でありたいと思う。

顔を上げるとロードバイクに乗った青年が、夕陽の沈む方へ一直線に走り抜けて行った。彼につられて私の髪の毛が舞い上がる。今年も自分の苛烈さに振り回されながら生きる1年になるのだろう。けれど、それが楽しくなってきている自分もいる。自転車を漕ぎながら、去年見ていたドラマの「死ぬまでその性分の奴隷なんだ」という言葉を反芻する。

自分には無理だと思っていたこと、諦めていたこと。2023年はそれを取り戻すところから始めよう。

Good music, Good groove: 2022年に聴いて心に残った音楽

コロナになってから自分にとって心地いいと思える音楽を聴くことが増えた。特に2022年はグルーヴを重視して聴いていたように思う。自然と足でリズムをとって、体が揺れるような音楽。赤子がゆりかごで揺られるように、人生には良い音楽と良いグルーヴが必要だと思う。

2022年に聴いて心に残った音楽

1. Tokyo Gal 『Right or Wrong』 

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I've been tryna stay forcus
シングルでいいか 仲間と謳歌
好きだと言うが 遊びはいいや

初めてこの歌を聞いた時に、余りにも格好良すぎて叫んでしまった。心情と共に変化していくメロディとソウルフルな歌声。言葉の選び方、韻の踏み方にもセンスが光る。特にAメロBメロと区切らずに、転調しながら盛り上がっていくゴスペルのコード形式は、彼女のピュアなメッセージにハマっていて神聖さすら感じた。

2. iri 『東へ西へ』

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目覚まし時計は 母親みたいで心が通わず
たよりの自分は 睡眠不足で

井上陽水トリビュートアルバムで一際目立っていたiriの『東へ西へ』。元の曲が不穏な歌詞に短調という組み合わせなので、カヴァーもウェットな印象になるかと思いきや、カラッとしたドライな仕上がりになっていて驚いた。iriの揺らぎがある声質と少しズレた歌い方が、リズムとハマって良いグルーヴを生み出している。しかしここまで曲をいじられても消えない井上陽水の存在感も凄い。

3. Mirage Collective feat.長澤まさみMirage Op.4 - Collective ver.』

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届きはしない月に手を伸ばし もがく横顔
欲望の形をしたビルディング 歪なワルツだ

ドラマ『エルピス』(最高だった!)のエンディングで聴いて以来、じわりじわりと心を侵食していった曲。拘って創られたリリックと計算されたトラックを、YONCEのソウルフルで伸びやかな声が良い意味で壊していて気持ちいい。彼はやっぱり抜けの作り方がうまい。『Mirage』にはいくつかバージョンがあるけれど、特に好きなのはOp.4。長澤まさみのセンシティブな声質がうまく使われていて、かえって曲の世界観が活かされていた。まさに令和のデュエットソング。

4. Sara Wakui, Mimiko『Maze』

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Stuck inside a maze
Can't find may way out

It's been on replay
Got it down, now

初めて聴いた時、「ネオ・ソウルをこんなにも自分のものにして遊べる人がいるのか、しかも日本人で!」と激しく興奮した。Mimikoの怠惰でざらついた声と、徐々に熱量が上がってくるような構成、音のレイヤーが絶妙でうっとりする。クセがあるビートの使い方もすごく好きだ。すっかり彼女が作り出すメロディの虜になって、後日同アルバムに収録されている『Mile in the green』を聴いたら、これまた良すぎてひっくり返った。今後Liveがあれば絶対に足を運びたい。

5. Britney Spears, Elton John 『Hold Me Closer』

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I saw you dancin' out the ocean
Runnin' fast along the sand
A spirit born of earth and water
Fire flyin' from your hands

友人と飲んでいた時に「BLACK PINKのトラックって不協和音の使い方がブリトニーのToxicに似ているよね」という話題から彼女を辿って知った曲。ブリトニーのスウィートでチャーミングな声が、嫌味がない軽やかなサウンドと混じり合って心地よいチューンになっている。音楽でここまで可憐さ・ピュアさを表現できるなんてやっぱり凄い。エルトンジョンのプロデュースにはブリトニーへの愛を感じた。

6. 踊る!ディスコ室町 『(A BOWL OF)RICE』

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点滅したままの蛍光灯 途切れ照らす マ・マ・マイルーム
悪くない頭で考えたい 今胃に入れるべきベストなフード

出だしのブラスが格好いい、ご機嫌なファンクナンバー。ベースとドラムのビートが前に出ているのでノリやすいし、ギターの音質がギザギザしている感じも面白くていい。語感がいい歌詞もよくよく聴くと結構シニカルで<「TOKYO」ばっか歌ってるバカ>というフレーズには思わず笑ってしまった。「ハンバーガー」や「カップヌードル」みたいなその場しのぎの腹を満たすジャンクフードじゃなくて、食いたいものをちゃんと選んで食べたい(が金も時間もねぇ)という生活実感が歌われているのもいい。

7. Beyonce 『CUFF IT』

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Bet you you'll see far 
Bet you you'll see stars
Bet you you'll elevate
Bet you you'll meet God
Cause I feel like fallin' in love

待望だったビヨンセの7作目になるアルバム。中でも『CUFF IT』はビートが前面に押し出されているディスコミュージックでとにかくノリやすい。閉塞感を弾け飛ばすようなコーラスに享楽的な歌詞、ビヨンセのパワフルな歌声を支えるナイル・ロジャースの抑制が効いたギター、ジャムセッションのようなライブ感。アルバムの中ではかなりオプティミスティックなナンバーで、聞いているだけで元気になる。持て余したエネルギーを静かに導くような絶妙なバランス感のチューンは、まさに2022年にぴったりだと感じた。

8. The Kount, Kaelin Ellis『END OF AN ERA』

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インストゥルメンタルはいつも聞き流してしまうのに、なぜかこれは引っかかって何度もリピートした。ネオ・ファンクなのにどこか懐かしい。曲のつなぎ目がわからないようなフロー、浮遊感があるメロディ、凝ったパーカッション。そこに時折入るジャンベのような楽器が魔術的な魅力を生み出していて、効いた瞬間「マリファナだ…※」と感じた。この曲を収録しているアルバム自体がひとまとまりの作品になっていて、この『END OF ERA』から『STAR』への移り方もはちゃめちゃに気持ちよかった。※筆者はマリファナを吸ったことはない

9. 椎名林檎, Miso『丸ノ内サディスティック Miso Rimix』 

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報酬は入社後 平行線で
東京は愛せど なにも無い

2018年の宇多田ヒカルfeat.小袋成彬版もよかったけれど、それと同じくらい良いカヴァー。全体的にかなりしっとりとした曲になっているけれど、打ち込みで緩急をつけていて飽きさせず、エコーを使って音に立体感を出しているのも面白い。最後にMiso本人が歌うシーンは透明感があって、椎名林檎のざらっとした声質からワンステップ別の世界観に誘うような終わり方にしているのもおしゃれ。

10. 宇多田ヒカル『気分じゃないの(Not In The Mood)』 

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「わたしのポエム買ってくれませんか 今夜シェルターに泊まるためのお金が必要なんです」
ロエベの財布から出したお金で 買った詩を読んだ

1月にリリースされた『BADモード』は本当に素晴らしいアルバムで、何度も繰り返しよく聞いた。特に『Find Love』と『Somewhere near Marseilles』、そしてこの『気分じゃないの』はお気に入りで、後者にいたってはこの曲を聞いた感想をブログに書いた。この世界と自分がいる立ち位置、そしてそこにあったはずの誰かの暮らしに対するギャップに頭を抱えるとき、この曲を何度も聴いていたように思う。スロウなBPMとズレた歌い出しが気持ちよく、余白の使い方が絶妙なメロウナンバー。

11. Robert Grasper, Lalah Hathaway, Common『Everybody Wants To Rule the World』 

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All for freedom and for pleasure
Nothing ever lasts forever
Everybody wants to rule the world

2022年のビッグニュースのひとつといえば、ロバート・グラスパーの『BLACK RADIO Ⅲ』リリースだった。中でも特に印象に残ったのがティアーズ・フォー・フィアーズの同曲をカヴァーしたこの曲。原曲はポップでキャッチーだけれど、こちらはかなりトーンダウンされている。何より歌詞がーーレイラとコモンのフレーズがいい。どの楽器も神経質なくらい抑制が効いていてピリッとした緊張感があるにもかかわらず、どこか心地よさがあるという不思議な音楽体験だった。変拍子の間をつなぎながら生み出される静かなグルーヴがクセになる、2022年を代表するような曲。

2022年 まとめ

今年は大御所アーティストの新アルバムリリースから、自分が気づいていなかったアーティストの音楽まで、幅広い音楽に出会うことができた1年だった。

それからアニメのOPやEDを通じて新しいアーティストに出会う機会が増えてきた。今回選んだ曲は自分が良いグルーヴだと感じたものに絞ったので選考からは外したけれど、特にアニメ制作会社MAPPAが選ぶ音楽は、作品を通じてカルチャーを作っていくという気概が感じられてどれも良い。それからアニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』の結束バンド!キャラソンバンドではなく、キャラクターの雰囲気は残しつつも音はしっかりロックに振り切っていて、そのバランス感がとても面白かった。

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しかしこうしてみると、いわゆるアニソンらしいコード進行で作られた曲というのはどんどん減っていくのだろうかとも思う。サンダーキャットが日本のアニソンが好きだと言っていたのは有名な話だけれど、どんどん日本のアニメは子供向けというより「20〜30代が楽しめるカルチャー」に変わっていっているのかもしれない。

自分自身のふりかえりとしてはネットで音楽をディグることが多かったので、来年はもう少し足を運んで音楽に触れる機会を増やしていきたい。自分が聞いている音楽が慣れ親しんだ曲で固まっていくことに居心地の悪さを感じるので、現状を打開するべく来年も多方面に耳をすましていく。もっと面白くて熱量がある音楽に2023年も出会えますように。